第3話 記憶の中で
――――10年前。
走れ、走れ、走れ。
足が動かなくなろうと、腕が千切れようと、目玉が抉られようと。でないと、あいつらからは逃げられない。
俺だけは未だ傷を負っていない。今ならまだ、逃げ切れるはずだ。
山林の中を痕跡が分からなくなるように、出鱈目に走り続ける。落ち葉に足を取られても、枝が身体を傷付けようと。
だが、それも続かず――
「――UGAAAAAAA!!??」
左わき腹に焼けるような痛み、鈍く光る銀色の矢じりが生えていた。
あまりの痛みにその場にうずくまる。足音が徐々に近づいてくるが、これ以上足を動かす気力は残っていなかった。
数日前からゴブリン狩りが始まり、冒険者達によって俺達の住処は占拠された。俺はすぐさま逃げ出したので何とか難を逃れたが、両親や兄弟、仲間たちは行方不明になっている。いなくなった仲間達がどうなったかなんてのは、容易に想像ができる。
それでも俺は一縷の望みにかけて家族や仲間を探していた。しかし、運悪く冒険者に見つかり、ここまで追われてしまっていた。
「よっしゃぁ! 捕まえたぜ!」
「あーもう、私のスコアだったのにー」
「ふむ、今晩はただ酒を飲ませてもらおうか」
痛みを噛み殺しながら、残る力を振り絞って顔を上げる。そこに居たのは冒険者の男二人と女一人。格好と武器を見た感じ、盗賊、戦士、魔法使いのパーティだった。
これで終わりか。結局は俺も、皆と同じように死ぬ運命にあったという事か。
冒険者による魔族狩り、そんなものは日常茶飯事だ。
人間達の世界にはギルドという組合があり、そこでは魔族討伐の依頼が常にされているという。だから、俺達のように弱い魔族はこうして狩られる事が多い。特に初心者向けの盗伐対象としてゴブリンは人気があるらしい。
だが、俺はそれを酷いとは思っていない。何故なら俺達魔族も人間を殺し、喰うからだ。
俺達ゴブリンは個々では弱い、だから群れを成して生活する。集団で人間達を襲うなんてそれこそ日常茶飯事、人間達が討伐対象にするのも理解はできる。
「……UGAA」
「ちっ、ゴブリン風情がうるせぇな」
戦士の男は直剣で俺の首を刎ねようとするが、盗賊の男はその腕を掴んで止めた。
「……なんだ?」
戦士の男は怪訝そうな顔で盗賊の男を見た。
「そんな怒りなさんなって。いやね、ちょっとゲームでもどうかな、と」
「ゲームって何よ。私が奢らなくてもいいなら乗ってあげてもいいわよ」
魔法使いの女は、胸の下で腕を組みながら何かを言っている。
「今からコイツをこのナイフで一人一回ずつ突いていく。それを全員で順繰り回していって、コイツが死んだら敗北。どうだ? 簡単なゲームだろ?」
盗賊の男はナイフをひらひらさせながら、何かを言っていた。
「うっわ、最低。じゃあ、負けた人は全員の装備の手入れをするってのはどう?」
「その賭け乗った……ふっ!」
戦士の男は盗賊のナイフを奪い、俺の太ももに突き刺した。
「UGAAAAAAA!!??」
早く殺してくれ。それ以外に思う事は何もなかった。
狂いそうなくらいの痛みを感じながら、自分がいち早く死ぬ事を願う。
「じゃあ次は私の番ね」
「GAAAAAUUUU!!??」
何度も、何度も、何度も身体にナイフが突き立てられる。
狂いそうになる痛みは最早感じない。視界は暗く、音も聞こえない。
もういい、早く死んでしまえ。
心の底から、自分の絶命を願う。これから解放されるのであればなんでもいい。
「あー、なんか動かなくなってきたな」
「そろそろゲームオーバーってところかしら」
「ふむ。俺の負けになるかどうか、次の一手が最後か」
戦士の男はナイフを俺の胸に深く突き刺した。
「GAAAAAAAA――」
風前の灯火だった俺の命を燃やして、最後に咆哮を――。
「――本当に? これで終わってよろしいのですか?」
「UGA!?」
急に誰かの声が聞こえたと思ったら、俺は見知らぬ場所に立っていた。
さっきまで居た森の中ではなく、先の見えないだだっ広い薄暗い空間。
俺は今、死んだはず。ここが死後の世界というのであれば、あまりにも殺風景で何もない。
「……A?」
目の前に突如として現れたのは、黒い翼にねじれた角を持つ男――種族的にはデーモンと言われている存在だった。
デーモンもゴブリンと同じように魔族の一種族だ。契約と引き換えに何かを与えるのが趣味の種族で、人間だろうが魔族だろうが誰にでも力を貸す。契約の履行後は、独自の評価基準で契約者の人生が面白かったかどうかを判定する変な生き物だと言われている。
「んっん~、これで終わってしまってはあなたの人生、星1です」
「……GA」
星1の意味は分からないが、なんとなく馬鹿にされているのはわかる。
冒険者によって弄ばれていながらも、自分の死を切に願う。そんな弱小ゴブリンの人生は低いに違いない。
「ああ、そうでしたそうでした。念話で会話をするのは疲れるんですよね、あなたにも喋ってもらいましょう。念話って意外と魔力消費するんですよ」
そんな事を言いながら、指をパチンと鳴らすデーモン。
「なっ!? これはどういう事だ?」
どうしてか急に会話が通じるようになった。これもこのデーモンの魔法だろうか。
「そんな事はどうでもいいです。今大事なのはあなたの命が弄ばれている事、違います?」
「……あ、ああ」
俺は何が起きているか分からず、取り敢えず返事をした。デーモンは咳払いを一つして、
「もう一度聞きますが、本当にこれで終わってもよろしいので?」
「…………」
終わってなんていいはずがない。家族が、仲間達が殺されて怒っていないはずがない。
「命を弄ばれて、本当によろしいので?」
「…………!」
玩具のように命が弄ばれていいわけがない。
だが、人間と魔族は相反する存在。殺し殺されるのは世の常だ。そこに意を唱えてもなんとかなるような問題ではない。
それに俺達は、人間を殺すし、喰う。お互い様と言えばそれまでだ。
「なるほどなるほど! まだ足りないようですね! んっん~、それでしたら、こちらを見ていただきましょう」
再び指をパチンと鳴らすデーモン。
何もなかったはずの場所に突如四角い枠が出現し、その中に映像が映し出された。
「父さん! 母さん!」
映っていたのは狭く汚い牢屋の中、そこには行方不明だった両親が居た。
さらには行方不明になった仲間も居て、狭い空間の中にすし詰めになっている。
勿論、見た事の無い同族も大勢見受けられる。
「これは、いったい……?」
「もうちょっとで始まりますので」
ローブを目深に被った一人の魔法使いの人間がその牢屋へと近づいて行く。そして、何か呪文を唱えると、オスのゴブリン達が頭を押さえ唸り始めた。
これはいったい何をしているのだろう。魔法に知見の無い俺では何の魔法なのかを判断する術がない。
その魔法使いが呪文を唱えてから数秒後、オスたちは手当たり次第にメスを襲い犯し始めた。
「は……え……?」
理解の範疇を完全に逸脱していた。思考が全く追い付かず、言葉が何も出てこない。
そんな地獄絵図を見せられた後、デーモンは、
「それでは、この後どうなるか見ていただきましょう」
次に映し出されたのは、人間達が言うところの……肉屋だろうか。
赤身に白の斑が入っているような肉が天井からぶら下がっている。
だが、様子がおかしい。どうしてか見慣れた形をしている。
豚や鶏のような家畜の肉には見えない。もしかして、元々は人型のだったのかもしれない。
待て、さっきデーモンは『この後どうなるか』と言った。
ゴブリンのオスがメスを犯す映像を見せられた、その後、それがコレ?
「うおえぇぇぇぇぇぇぇ……!!」
ぶら下がる赤い塊は全てゴブリンだった。
綺麗に皮が剝がされており、これから食料となる事がはっきりとわかった。
「ご存じですか? 今、人間達の間では壮絶なほどの食糧難に襲われているのを」
俺の返事を待たずにデーモンは話を続ける。
「人間達は考えました。新しい作物を、新しい農法を。ですが、それだけでは焼け石に水でした。でしたらどうするか、そこで考案されたのが繁殖力の高い生物の家畜化でした。それは生物であればそれは魔族でも構わない」
確かにゴブリンは繁殖力が高い。先ほどのような狭い牢屋の様な劣悪な環境でも、水とわずかな食糧さえあれば生きていける。食料の質もほとんど問わなくていい。そのくらい丈夫な種族である事は間違いない。
さらには人間と比べて力が弱く、知能面でも劣る俺達は家畜として丁度いい存在なのだろう。
「あなたは、これを許せますか? 無理矢理に増やされ、人間達に食べられるだけの生命を」
許せますか、だと? 許せるわけがないだろうが。
ゴブリンが、家畜として人間に生命を掌握される。そんな事があっていいはずがない。
それを許してしまっては、俺達の存在理由が無くなってしまう。
人間に食われるために生きるだなんて、許すか許さないかの次元の話じゃない。
俺達ゴブリンは生きているんだ!
「それでもあなたは何もしませんか?」
「力を貸せ、デーモン。契約だ」
デーモンは一瞬にして破顔した。まるで、こうなる事がわかっていたように。
「ええ、ええ、勿論ですとも。その言葉、お待ちしておりました」
「契約内容は?」
「そうですね、あなたには一人の人間の娘を育ててもらいます。そして、あなたが死ぬまでその人間を守り続ける事……なんて条件はいかがでしょう?」
「なに……? 人間の娘をだと……!?」
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