隠し扉

「奴は、主人をなだめておりました」

「……他の方は、どうなさったのです」

「逃げましたよ。私の妻と子供を含めて、全員逃がしました。あの様子では、死人が出てもおかしくないのでね」


 ラムールが主人を必死になだめているなか、誰かが屋敷の扉を叩いた。


 それが、サヘラベートとマシェリーだったのだ。


「今は私と奴しか、召使いは残っていません」


 そのエンメルトの声には、どこか疲れを感じさせるものがあった。


「…これから、フランツブルグ家はどうなってしまうのでしょうか」

「さあ。分かりませんが、まあ、無事では済まないでしょうね」


 その言葉に、沈黙が訪れる。


 屋敷の扉からは離れているというのにも関わらず、外の騒ぎ声がよく聞こえてきた。咆哮にも似た叫び声と罵声が、金属音と共にくぐもって響いている。


「…どうやら、ことは思ったよりもひどくなりそうだ。お嬢さん、急ぎますよ!」


 彼女とエンメルトは、揺らめく炎を頼りに屋敷のなかを走り始めた。


 その屋敷は彼女が外観を見て想定したものよりも広いらしい。たくさんの扉が、複数の廊下に従うように並んでいる。


  扉を開けたり閉めたり、階段を上ったり下ったり、どこをどう曲がったのかを把握する間もなく、広くて寂しい屋敷を駆け抜けた。


 ふと、先を走っていたエンメルトが立ち止まる。


 彼の目の前には、黒い壁があるだけだ。


「ここですよ」


 少し息を弾ませながら言うエンメルトに、彼女は怪訝そうな顔をする。


「けれど、行き止まりですわ」

「それはまあ、名ばかりと言えど隠し通路、ですからね」


 エンメルトが壁を押すと、重たそうに見えるそれは、彼の右手に従って動き出した。


 片開きの扉のように壁がずれ、その間から白い光が差し込んでくる。


 それと同時に、外のうす寒く、キリッとした空気が彼女の肌を撫でた。


 その先には、薄い闇を抱えた森があった。そのなかの、木々が避けるようにしてできた細い道が、ここを通れと促しているようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る