お冠

 その日以来、主人は、人が変わったように明るい印象になったそうだ。


 陰気な空気が払しょくされたようになり、よく手紙を書いて、その手紙に添えるための花を探しに、外へ出かけたりなんかもした。


 その変化に、エンメルトもラムールも、おおいに喜んだ。このままその幸福が続いて、主人の心の傷が少しでも癒えたならと、そう思っていた。


 しかし、そんなことも、一瞬の喜びに過ぎなかった。


 あの逢引きの日。主人は、伯爵夫人から別れを告げられた。


 そこからは、主人は以前の様子に逆戻りだった。人間不信になり、誰にも部屋に近づけず、しばらくは何も口にはしなかった。



 そしてひどいことに、以前よりも乱暴になり、暴力をふるって、破壊衝動を起こすようになった。


 精神病を患ってしまったかのように、独り言を言い、訳の分からないことを呟いて、時々、ひとりでに笑いだす。


 突然に怒り出したかと思うと、泣き出して、落ち着いたかと思うと、召使いたちに暴力をふるう。


 その暴力をいつも受けていたのは、ラムールだった。


 主人が意図してそうしたのではない。ラムールが、他の召使いたちをかばって、そうしていたのである。


「奴はいつも、抵抗することはありませんでしたよ。自分のせいだから、主人がこうなってしまったのは自分がいけなかったのだからと、そう言ってね。私が止めても、聞きやしない。生死をさまよったことだってあったのですよ。まったく、馬鹿な奴です…」


 そんななか、主人は独り言のなかに、伯爵夫人の名前を出すことが多くなり始めた。


 妄想、あるいは幻覚を見ているようであった。その様子に、召使いたちは、いつか行動を起こしてしまうのではないかと、危惧していた。


「普段から、誰かが見張っているようにしていたのですがね。少し目を離した隙に、主人は屋敷を抜け出して、私たちが気づいた時には、地下牢に夫人のお姿がありました」


 ラムールは、伯爵夫人をお返しするように説得した。しかし、主人はもはや、何を言っても通じなかった。本当に気が触れてしまったようであった。


 そこで、ラムールは意を決して、伯爵夫人を、秘密裏に屋敷から逃がすことにしたそうだ。


「私は奴を必死に止めましたよ。そんなことをしたら、今度こそ殺されてしまう。命はない、と」


 しかし、ラムールは夫人を隠し通路にまで誘導し、逃がした。


 それが気づかれるのは時間の問題だ。


 そのエンメルトの予想通り、主人が気づくのにさほど時間はかからなかった。


 伯爵夫人が地下牢にいないと知ると、主人はひどく乱心し、気が狂ったように暴走を始めてしまったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る