気が触れる
不意に扉の影から手が伸びてきて、サヘラベートの肩を掴んだのである。
急な出来事に、その場にいる誰もが驚いた。
「ご主人様!」
ラムールが焦ったような声を発する。
扉の影から姿を現したのは、かつて目にした紳士的な姿とは一変し、まるで悪魔を彷彿とさせるような容姿をした、フランツブルグであった。
髪は乱れ、顔色は黒く、そして青い目が、眼光を放つかのようにしてギラギラと荒れていた。
「いっ…痛い、肩が!」
「お前、あの方とは、誰のことだ」
唸るような低い声で言う。
悪名は身を冠していた。そこにいるのは、まさしく非道の権化であった。
彼女は恐ろしさに叫びそうになるのを、必死にこらえた。その間にも、フランツブルグはサヘラベートに向かって、殺意にも似た怒りを向けている。
「おい、あの方とは誰のことだと、聞いている」
「手を離せ!」
「聞いているのが分からないか」
ミシミシと、嫌な音を立てていた。もう少しで折れてしまうのではないかというほどまでに指を食い込ませられ、サヘラベートは苦悶の表情を浮かべる。
「は、伯爵夫人様だ! 手を離せ!」
耐えられなくなったかのように叫んだが、フランツブルグは、さらに表情を険しくし、ギュウと力を込める。
「ご主人様、おやめください!」
折れてしまわぬうちに、ラムールが二人の間に入るようにして腕を取り、肩から手を離させた。
しかし尚も、フランツブルグはサヘラベートを睨み続けている。
「あの人をどこへやった…」
「……は?」
「私の愛するあの人をどこへやった!」
すると突然、フランツブルグは腰元から剣を抜き取り、サヘラベートに斬りかかった。
間一髪、身を翻して避けたものの、サヘラベートの頬には赤い線が一本引かれている。
「おやめください!」
「黙れ!」
フランツブルグは、めちゃくちゃに剣を振り回し、殺意をむき出しにしている。
そして何たる悪運か、その剣の一振りが、彼女の身に向かってきた。刃が眼前にまで迫り、白い刀身をありありとその姿を見せつける。
しかし、その刃が彼女の身を裂くことはなかった。
一瞬の浮遊感を感じる。
ラムールが、彼女を繋いでいた縄を引っ張って、ギリギリのところを避けたのだった。ふらついた彼女を、ラムールが受け止める。
「どうか落ち着きなさってください!」
「黙っていろ、ラムール!」
「いいえ、黙りません! 貴方様は間違っている!」
すると、フランツブルグはマシェリーに気が付いたように目を向けて、怒りに震える人差し指を向けた。
「おい、お前。そこのメイド。お前はあの人の下で仕えていたよな。覚えているぞ」
美しくも狂気に満ちた目。それが自身に向けられ、彼女は思わず神の名を呟いた。
ラムールは彼女の身を隠すかのように立ちふさがる。
「この子は関係ありません」
「いいや…。きっと屋敷の連中が、私とあの人を切り離したんだ! その女がそそのかしたのだろう!」
「伯爵夫人様は自らのご意思でここを去られました!」
「違う! あの人は私を愛してくれていた!」
「いい加減にお目覚め下さい、ルドルフ様!」
そんな口論をしていると、フランツブルグの後ろから、斧を手に持ったサヘラベートが近づいてきていた。
「この、気違いが!」
大きく振りかぶり、その刃を落とし込もうとするが、フランツブルグは振り向きざまに、剣で受け止める。
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