居城
耳をつんざくような馬のいななき。およそ人間が発し得る声ではない叫び。
まさにそこは戦場であった。一部の人間にしか利が行かぬ、命と命の投げ合いであった。
援軍があったにも関わらず、霧のかかる深い森は、なかなかに突破に苦労していたようだった。
しかし、いつまでも足止めを食らっているわけにはいかない。
彼女が再び耳を澄ませていると、強行突破するという指示が聞こえてきた。そしてそれに応じるかのように、荷台にいても分かる程の勢いで馬車が走り始める。
何匹もの狼をひき殺して、目の前を鬱陶しく覆う霧を裂くように突き抜ける。それはまさに、玉砕覚悟の一手だった。
森の地面は整備されておらずガタガタで、そのひずみに車輪が引っかかる度に馬車が上下に揺れる。
彼女が収容されている荷台はとてつもなく狭いので、彼女は何度も壁や天井に身体をぶつけることになってしまった。それをじっと耐えて、馬車が収まるのを待つ。
風のごとく、いや、風よりも速く走ること、数分間。
彼女らにとってはそれよりもうんと長く感じたが、とにかく、彼女が入れられている一台のみが先に、深い霧のかかる森を破ったのだった。
それと同時に、馬車が大きな音を立てて横に倒れる。
馬が悲鳴ともとれるような耳障りな声で鳴いて、それ以来黙ってしまった。
激しい音が反響し、車輪が、カラカラと空回りしている。
「もっと上手くできなかったのか、無能め…」
そう悪態をつきながら、サヘラベートは倒れた馬車から扉を押し開けて体を起こした。
そして荷台の扉をこじ開け、彼女を荒々しく引っ張り出す。彼女の足を縛っている縄のみを切り、粗雑に立ち上がらせた。
「死んでないな。…早くしろ、愚か者! 手間をかけさせるな!」
縄を引っ張られ、彼女が痛みに顔をしかめるも、サヘラベートはその様子を一瞥もせずに先を歩き始めた。
「今は夫人を救出するのが先だ! さっさと歩け、愚図が!」
「……」
彼女は奥歯をかみしめて、今は黙って言われた通りにすることを選んだ。
フランツブルグの屋敷は、想像以上に大きく、そして、暗いオーラを纏っていた。
時刻はもう早朝四時になろうとしている。雲の上が白みはじめたくらいだが、どうしてか、その屋敷は白みどころか、一片の光すらも通さないような、何物をも寄せ付けない印象を与えるものだった。
庭は広く、しかし、花の一本すらも植えてはいない。
あるのはいくつかの銅像と、ハクセイに、いくつもの飾られた剣や斧などの武器、そして静寂のみだった。
その屋敷を、崖が円を描いて囲っている。崖の下は、底が見えない程の闇が住んでいた。
屋敷の大きな門に続くのは、一本の石造りの大橋のみだ。
そんな、人を極端に寄せ付けない造りは、まさか怪物でも住んでいるのではないかと思わせる。
「趣味の悪い屋敷だ…」
サヘラベートは、彼女を繋ぐ縄を片手に、そうつぶやいた。
そして息を飲んだあと、意を決したように大橋を渡り始める。
橋は大きく長く、数十メートルはあるようだった。そこを、一歩一歩、慎重に歩んでいく。橋の上の者を脅さんとばかりに吹き荒れる風は、どうやら崖下の方から手を伸ばす気流らしい。
その風に身体を揺らされながら、手すりも柵も何もないその大橋を渡りきる。
彼女らの目の前に聳え立つ大きな門は、その威厳とは裏腹に、ギイ、と音を立ててすんなりと開いた。
その先の灰色の庭に、二人は足を踏み入れる。
たくさんの武器。侵入者を嫌うような装飾に、一瞬、足が止まりそうになるのを引っ張る縄が許さなかった。
冷たく見つめてくる銅像は、止まってしまった時を求めるように冷気を帯びた手を伸ばし、突き刺さったままの剣や斧は、その刃を振るう時を今か今かと待ちわびているようだ。
その多くをくぐったその先に、重たく閉ざされた屋敷の扉があった。
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