03.三年前のあなたに
季節はめぐる。
ルーディは14歳になった。
花の香る草のベッドに横たわりながら温かな日差しを身体いっぱいに浴びる。傍らにあった紅丈花を一本摘むと花弁をもいで、茎を半分だけ口に入れた。茎から溢れた汁には苦味があり決して美味しいというわけではない。けれどその苦味は程よい刺激となってルーディの腫れた喉を癒してくれる。
紅丈花には見た目の美しさから観賞用として扱われがちだが、れっきとした薬草の一種だ。市場に出回る値のついた薬草を買わずとも野原に咲く紅丈花を食めば十分に代わりとなる。
しかし、茎一本まるごと薬として食べてしまえば頭痛・下痢・軽度の痺れなど中毒作用を引き起こしてしまう場合もある。そのため、紅花丈には毒性があるといった間違った認識が広まり、今では市場に出たとしても好んで買われることはない。
もったいない、わざわざお金を出して薬草など買わなくても神からの恵みは様々なところにあるのに――とルーディは思う。とはいえ、これもつい最近読んだ薬草学の本から得た浅い知識で、まだまだ知識を深めていく必要があった。得た知識は実践すべきと、これもまた最近読んだ賢人の教えを守り下痢を覚悟で紅丈花を口に入れたのだった。
春の陽気に微睡み、目を閉じていた。
陽の輪郭の大きさと傾き方からして昼寝をしてから二時間程経っているようだ。
両手両足でグンと伸びをすると凝り固まった関節が気持ちの良い音を鳴らす。
「あ゛あ゛あー。う゛う゛うー」
喉を抑えながら発声してみるが、朝方に感じていた喉の痛みは消えている。同時に紅丈花の副作用によって身体が侵されている様子も無かった。腹痛も頭痛もない、健康状態だ。
「うん。やっぱり問題なさそうだ」
得た知識を実践することは楽しい。
知識は新しい知識を与えてくれるから。
覚えた言語を使えば、これまで読むことのできなかった新しい本を読むことができる。
そうすれば他種族と自分らの文化の違い、習慣の違いを知ることができる。
そしてその文化の一端に触れてみると、思いもよらない得がある。
覚えた得を身近な人に教えてあげる、するとみんなが喜んでくれる。
「帰ったらミラエラさんにも教えてあげようか。いや、いくら問題がないとされていても、昔の紅丈花と今の紅丈花じゃ性質に変化があるかもしれないし……獣人族と人間では身体の基本構造は同じでも持っている免疫が違うことが多いからな。もう少し調べて自分でも試してみよう」
そう言ってまた数本、紅丈花を摘む。持ち帰り試してみるつもりだ。
裏付けもないまま、誤った知識を他人に嬉々として広めることは危険な行為である。紅丈花を薬草として扱っていたのは主に獣人族で、身体の基本構造は人間と同じでも全く同じという訳ではない。
「ふふ、また調べなきゃいけないことが出てきたぞ」
新たな謎が出てきたことについ頬が緩む。
ルーディのこの顔を見ると「はあ、またですか」とミラエラは怪訝な顔をするものだが。
「さて――姉さん。もう少しですよ」
太陽に手のひらをかざすと指の関節がくっきりとした大人の手が映る。自分でも分かるほどに日々身体は成長していた。今の時点で三年前のミーシャより数センチ身長は高くなったことだろう。
そして、学問に励んで四年。
これまでに得た知識量は相当なものになっていた。
高等級学校で必要な知識は完全に網羅出来ているのではないかとミラエラは言った。散々「何の意味があるのか?」と疑問を口にしていた孤児院の子らも、ルーディの博学さには「あれはどう?これはどう?」と目を輝かせ質問してくるほどだ。
けれど、ルーディは決して満足することはなかった。
寝ずの勉強は未だに続け、再利用し続けた蝋燭はついには指先ほどの大きさにしか固まらなくなってしまった。それでも知りたいことや調べたいことは次から次へとやってくる。「死ぬまでにどこまで世界のことを知れるのだろう」と思う程膨大な量はルーディのあくなき探求心をくすぐり続けた。
「温かい、な」
眠気はとうに覚めているが、目を閉じつい朝方のことを思い出す。
届いたのは、一枚の便箋。
まぎれもない――久しぶりに届いたミーシャからの手紙。
手紙にはこのように書かれていた。
『 ルーディへ。まずはお詫びさせて。ずいぶんと久しぶりの連絡になってしまってごめんなさい。あなたへの連絡をしなきゃしなきゃって思っても、長旅が続いてどうしても手紙を書くことができませんでした。
それでも、たまに冒険者組合に届くミラエラからの報せで孤児院の状況やあなたのことは知っていつも嬉しく思っていたわ。とても、元気にしているみたいですね。あなたのことだから私がいなくなってメソメソしているんじゃないかと心配していましたが、そんな心配もいりませんでしたね。
ミラエラは教えてはくれなかったけど、何か頑張っていることがあるんだって?
凄いよ、ルーディ。
私もあなたに負けないようにもっと頑張るからね。
さて、そんなあなたに突然の問題です。
あなたが十五歳を迎える前に素敵な報せ、きっと驚くことが近々起こります。
それはなんでしょうか。
ヒントは、わたしたちの神様のひとりロザリー様!
ルーディに分かるでしょうか!
じゃあ、ルーディそれまで怪我無く元気にしていてね
ミーシャより 』
いつもより短い手紙。
投函された街はホセらしく、手紙には漁船を象った
ホセは孤児院のあるベラージから馬車で二週間ほどの場所にある港街だ。漁業が盛んで、漁師たちが多い理由から屈指の酒場街であるとも聞く。大きなジョッキを持って豪快に酒を飲み干すミーシャの姿を想像するのは容易いことだった。
それにしてもなんとまあミーシャらしい報せのことか。
「ヒントはわたしたちの神、ロザリー様――ね」
手紙にあったミーシャからの挑戦をルーディは口にする。
はるか昔の戦乱で王から女神となった賢者ロザリーは、四人の神の中で癒しを司り優れた治癒魔法で四人の危機を救ったという。癒しを司ることから『健康』を想起することが多い。
「大破壊を食い止めるべくして選ばれたロザリーは、各国の中でも一番力を持たないベルトア出身。そしてロザリーが生まれ育ったのは貧しい村ペルネ。大破壊を食い止め、世界を救うことはできたが、彼女はついにペルネの村を救うことはできなかった。村を救うという約束を守れなかったことを彼女は死ぬまで悔いた――、だからこそ食に恵まれた貧困のない国を築いた、だったかな」
ふふっと微笑む。
ミーシャの言いたいことに検討はついていたが、数分もかからず正解にたどり着いた。
ゴーンと教会から二つ、鐘の音が響く。
そろそろ戻らなければ夕食の時間に間に合わなくなってしまう。
草花のベッドから身を起こすと「よし」と頬を掌で挟む。
「――約束を守る、か。姉さんらしいや」
ロザリーの果たしたかった夢、それは約束を果たすこと。死ぬまでの後悔というからには、きっと村には家族や親しい友人がいたのだろう、もしかしたら恋仲の男性もいたかもしれない。若くして世界のためと別れを余儀なくされたロザリー。全てが終わったときには帰るべき村はなく、残した家族と再び会うことさえできなかった。
その後悔はどれだけのものか、嘘か誠かは分からないが想像しただけでも胸が痛む。
「僕も約束は守るよ。姉さんが驚くほどに立派な男になってみせる」
成人まであと一年。
まだまだこれから――。
ルーディは、みんなの待つ孤児院へと走りだした。
◇
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