02.背中をおいかけて

「ルーディ。いくらあなたでも毎日の夜更かしは身体にさわります。勉強熱心なことは良いのだけれどたまにはゆっくりと寝なさい」


 溶けた蝋に芯を入れ直して固め、再利用を続けた不格好な蝋燭がジュっと音を立てた。火を落とされてようやく、ベッドの上で分厚い本を三冊広げていたルーディはミラエラが自室に立っていることに気付いた。


「――ミラエラさん、いつから?」


「いつからって……さっきからです。何度もノックしたのに気付かないなんて」


「はあ」と困り顔のままミラエラは息をついた。


「まあ、いつものことですから? 仕方ないのですけれど。さて――今日は何の勉強でしょうか」


「すみません。ミラエラさん。えっと、今日はアウローラ語について調べていました」


「アウローラ語? というと……古代語でしょうか。この間までは獣人語だったのに、なぜ急に古代語なんて」


「獣人語は既に覚えました。そして知識を得るためにはまず歴史を知ること。偉大な賢人の教えです」


 えへんと胸を張るルーディ。だが、ミラエラは肩をすくめやれやれといったように唇をとがらせた。


「知識を得るということは素晴らしいことです。けれど、身体を壊しては元も子もありません。無理をしないでくださいね」


「はい、もう少しだけ調べものをしたら寝ることにします」


「まったく……知りたいことがあれば気が済むまでやめないんですから。あなたはまるでミーシャですね」


 ミーシャたちが孤児院から巣立っていった三年前のことを思い出しているのだろうか、どこか懐かしそうにミラエラは言った。


「でも、今日の勉強は私の権限で禁止します。シスターストップです。ルーディ今日はもう寝なさい」


 調べたいことは山ほどあったのだが、ミラエラが言うなら仕方がない。現に毎夜のように本を読み漁り一週間の平均睡眠時間は二、三時間程度だ。


 本を閉じると心地よい眠気がやってきた。


「はい。そうします。おやすみなさいミラエラさん」


「おやすみなさい。ルーディ」


 ミラエラを見送りベッドに横たわる。いつの間にか伸びた身長のせいで足を延ばすと踵がベッドからはみ出してしまった。そろそろ大人用に交換してもらう必要がありそうだ。


 おおきく息を吸い、吐く。


「それにしても――ミーシャ姉さんみたいか」


 言われたことを思い出してクスリと笑う。

 

「今頃どうしてるのかな。元気なら良いけど」


 ミーシャたちが孤児院を旅立って今日まで三年。最初の一年は定期的にミーシャから近況を報告する便箋が届いていた。新しく訪れた街のこと、有名な冒険者のこと、出くわした魔物との戦いのこと。綴られる内容はどれも臨場感たっぷりで「あなたも早くおいで」と言わずともルーディに伝えているようだった。


 そんな風に定期的に届けられる手紙が届かなくなったのは確か一年程前のことだろうか。


 新しい冒険者仲間が出来た、という内容を最後にミーシャからの連絡はピタリと止まってしまった。最初の頃は万が一の不幸にでもあったのではないかと夜も眠れなくなるほどだったが、街から流れる冒険者の噂でミーシャの生存を確認することが出来て安堵したものだ。


「それにしても、流石ミーシャ姉さんだ。もう一流の冒険者になっているなんて」


 ミーシャの生存を確認した噂というのは、ミーシャたち冒険者パーティの武功に由来していた。なんでも冒険者パーティでは史上最速に、最上位の等級に上り詰めたらしい。


 等級というのは冒険者パーティの実力を五段階の評価で示したものだ。

 

 下からブロンズ級

 シルバー級 

 ゴールド級 

 プラチナ級


 そして最上級評価にブラックがある。


 冒険者は数多くいても『人間の持ち得る力の限界に到達した』と称されるブラック等級を得たパーティは世界に十数組程度しかいない。 


 たしか――と、天を仰ぎそれぞれのメンバーの名を天井に映す。


 リーダーのタケトラ、アイシャ、ガラルド、セリーヌ、そしてミーシャ。彼ら五人のパーティ名はたしか『赤虎』といったか。古臭くてこださいネーミングにはミーシャが関係していることだろう。あーだこーだとネーミングにケチをつけて無理を通すミーシャの様子が目に浮かびルーディは笑う。


「あと二年、か。間に合うかな」


 睡魔と戯れながら残された時間のことを考える。


 思い出すのはミーシャが孤児院から旅立つ前夜のこと。彼女はルーディを冒険者の道に誘ってくれた。成人したら自分のパーティに迎い入れる、一緒に外の世界を見ようと。


 しかし、あれから三年。ルーディはついに魔法のひとつだって使うことはできなかった。そして剣術も、体術もからっきし。


 何もできない可哀想なルーディ。

 人ができることが出来ないルーディ。


 けれど――今はすこしだけ違う。


 何もできないわけじゃない。

 ルーディには小さくても確かに誇れるものがある。


 「やれることはなんだってある」とミーシャは言った。であれば今ルーディが得られるものは何か? 努力次第で培われる能力は何か? 三年前のあの日から、必死に模索し辿り着いたひとつの答え。


 それは――知識を得ることだ。


 孤児院の寄付には金銭以外の物が多くある。

 そのなかの一つが書物だ。


 王たちの偉大な功績を後世に伝え残すことは神への信仰のひとつとされ、それが幸いし知識を得るための読みものに困ることは無かった。カビ臭くていつの時代の物か分からないようなもの、シミだらけで文字が滲んでいても、本であれば何でも読み解いた。

 

 孤児院にいる子供たちのなかには「魔法が使えないのに魔術の知識があって何の意味があるのか、古代語を理解して何ができるのか、歴史を知っていて何に繋がるのか」と疑問を口にする子も多い。それでも、知らない世界を知る喜びはルーディにとって大きなものだった。


 魔法が使えなくても魔術のことを知ることが楽しい。

 歴史を紐解き、文化の根源を辿ることが楽しい。

 この世界がどのように成り立っているのか、仕組みを知ることが楽しい。


 そして冒険者の受ける依頼のなかには古代遺跡の探索などもあると聞く。

 つまり深く広い知識があればミーシャの役に立てる可能性が少なからずあるのだ。


 凶悪な魔獣を倒せる圧倒的な力がなくたっていい。

 御伽話に出てくる主人公のように強くなくったっていい。


 はるか昔この世界を危機から救ったという四人の英雄のようになれなくったっていい。彼らを影から支え志半ばで命を散らした三人のようになれれば、ただそれだけで良かった。


「ミーシャ姉さん、驚くかな」


 微睡みながらも、いつか叶うミーシャとの再会に胸が躍る。


「また――昔みたいに……おまじないしてくれるかな」


 年が経つにつれてどんどんと色素が薄くなってきた瞳は今や銀色。三日月だった黒い模様は満月のように黒目を囲っている。もうすこしでぐるりと一周囲われてしまいそうだ。


 学びに励むなかで、特殊な瞳について何か知ることができるかも、と思っていたが数十を超える歴史書、魔術書のなかにも一切それらしいことは書かれてはいなかった。まさか、眼病の一種かも――と不安ながら医学書をたどったこともあったが同じような症状を見つけることはできなかった。もちろん、たかが数十冊の本を読んだだけで全てを知ることなどできないのだろうが。


 未だにこの瞳を不気味がる人間も少なくはない。けれど、素敵な瞳だと言ってくれたミーシャの言葉を思い出し誰になんと言われようと耐えてきた。


「久しぶりに……会いたいな」


 いよいよ眠気と戦うのも限界だ。


 冷えた空気を大きく吸い、ゆっくりと吐く。


 白くなった吐息を見つめながら、目を閉じた。

 


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