俺と前世の知り合いとワンルームに二度と繰り返さぬ百年

夢見遼

第1話

 俺のワンルームには勇者と魔王が住んでいる。郊外の寂れたアパートの一室。コンロが一口しかなく、フローリングはささくれ立ち、部屋中のドアの建て付けが悪いこの部屋に、勇者と魔王が住んでいる。Tシャツ短パンで。

しるべ。早くクーラーを新調しなさい。効きが悪く不快である」

「こら、コーショ。居候の身で我儘を言うとは何事ですか。我慢なさい。確かにこの国の夏は堪え難い湿度と熱気を持つとしても」

「居候のくせして文句を言わないでくれますか?」

 ボロアパートの一室で勇者と魔王がソファに寝転がり優雅に文句を垂れている。掃除機をかける俺を横目に。一応念の為に断っておくが、俺はまだ納得していない。突然部屋に押し掛けてきて、前世の話をしだす二人の男を、少なくともまともな人間だとは思っていない。そのことだけは覚えておいてほしい。


 クーラーを新調しろとやたら上から目線で物申した方、コーショと呼ばれた人物は、長身で狡猾そうな目をした男だ。常に偉そうだが、貴族らしき気品がある。なるほど前世は魔王に相応しい。対してコーショを諌めつつも、日本の夏に苦言を呈す男、ジャンは癖のあるブロンズの髪とぱっちりした目のイケメンだ。まさに正義の勇者顔。愛嬌のある甘いマスクは、前世などと言い出さなければさぞモテたであろう。無駄に天然でなければ。二人とも海外の面影を窺わせる美形でありつつも、性格に難あり。少女漫画であれば、お誂え向きの贅沢設定だ。しかし現実は非情であり、俺は独身アラサーの一般男性であり、どれだけ美しかろうと男二人が部屋に押し寄せ家賃も払わず滞在していると、腹の底から怒りが湧く。

 ちなみに「勇者」「魔王」の位置付けは俺が便宜上の理解で付けたものだ。あの二人は俺と前世からの縁らしいが、俺は何も分かっていないし、深くも知らない。だが、話の流れを鑑みるに、ジャンの方がヒーローで、コーショの方が悪役の立場であるらしい。カタカナが覚えられないという理由でRPGと世界史を全て避けて生きてきた人間の分析結果なので、正しい保証は一切ない。そして髭の剃り跡の青みが気になるようなアラサー公務員の俺に、美形の勇者も魔王も必要ないので早急にお引き取り願いたい。

 だが、なぜ置いているかといえば、非常に情けないことではあるが、まあ簡単に言ってしまうと、脅迫されたのである。

 


────

 救国の騎士の話をしましょう。この世の誰よりも誇らしく、尊く、優しく、敬虔な、美しい騎士の話です。その騎士は輝く銅の髪を銀の兜にまとめ、立派な旗をその手に握り、自ら先陣を切りました。馬に跨り、雄叫びを背に、神の後光を纏いしその騎士は、我らの心を導く旗印でありました。私は、私は、あなたを信じてこの地を駆けました。あなたの眩しい微笑みは、この地を照らす太陽でした。

────


 

 この二人が駆け込んで来たのは清々しい休日の朝だった。

「天啓が聞こえました。私はあの過ちを二度と繰り返さぬように、此処へ訪れました」

 重い瞼を擦り、特に何も考えずにドアを開けたら、話が通じなさそうなスーツの美形が二人いた。片方はにこにこと微笑みながら、片方は仏頂面で威圧しながら玄関に構えていた。なるほど宗教の方。顔を合わせるなりお断りしていたセールスの人を思い出して、無碍な断り方はせず、不審者保険に該当するものがあれば加入しておけば良かったな、と寝起きの俺は回らない頭で考えていた。

「間に合ってます」

 俺はいつものセリフで断り、ドアを閉めようとした瞬間、なんとドアの前で二人が見事に崩れ落ちた。

「まにあっ……もうやってしまったのですか!?」

「間に合わなかったか……」

 そんで、えらく動揺していた。

「いや、あの、え?」

「もう二度と、二度とこのようなことは……」

「我々はまた……」

 タイムスリップもののドラマの冒頭のように沈み込みぶつぶつと呟く二人。「間に合ってます」が単なる断り文句と知らない可能性がある。それとも「間に合ってます」と断られた場合、一芝居打つと決めているのだろうか。どちらにせよ自分の知っている文化圏と全く異なる言動をする男性二人に、段々と冴えてきた頭は危機感を覚えていた。この男達が宗教勧誘か、詐欺か、はたまた劇団員を使ったドッキリの企画番組かは判明していないが、とりあえず話を聞いて危なくなったら警察を呼ぼう。そして早急に帰っていただこう。

「あの、簡潔に言って、目的は何ですかね」

 打ちひしがれている二人に恐る恐る話しかける。

「目的? それは貴方自身が明白に自覚してるはずでは……いや、貴方はもしかして」

「思い出していないのか……?」

 これは劇団員によるドッキリの線が濃そうだ。この場合はテレビ的に素直に騙された方が良いのだろうか。

「何一つ心当たりはありませんけれど」

 その言葉に一人は大袈裟に驚き、もう一人は胸を撫で下ろした。

「つまり貴方は何も思い出していない、と」

「我々の姿にも何も感ずる所は無いのですか」

「よく分からないのですが、そうなりますね」

 テレビであればそろそろ種明かしをしてくれても良い頃合いである。

「ではまあそういうことで、お引き取り頂いてもよろしいでしょうか。それでは」

 片手にスマホを持ち、いつでも110を押せるように構えながら、ドアノブに手をかける。

「いえ、間に合ったのなら尚更。前世の罪を二度と繰り返さぬよう、私達は協力すべきなのです。そうでしょう」

「ええ。前世のこととはいえ、我々は少なからず影響されている。その性質を考慮する限り、悲劇を再演しない工夫をすべきでしょう」

 二人の男は日本語を介しつつも意味の理解できない話をしてなおもしつこく食い下がる。ついでにTVのディレクターが表れる気配も無かった。ドッキリでも宗教でも詐欺でもないなら、逆に怖い。ドアノブを握る手のひらがじんわりと汗ばむ。前世がどうとか霊感商法だろうか。霊感商法にしては下手すぎないか? あまりにも情報がアバウトで変に芝居がかっているし、現実味が無さすぎる。真面目に話されたとしても前世など信じてないけど、このままじゃあ前世というより漫画とか異世界の話みたいでしょ。助けて現実のお巡りさん。

「あまり粘られると通報……」

「通報は困ります」

「貴方も困りますよ」

「俺は困りませんけど」

 日曜で仕事も無いし、事情聴取されても人生真っ当に生きている自信があるため問題無い。このまませっかくの休日の朝の時間を浪費し、帰ってもらえない方が困る。俺は着信ボタンに指を合わせる。途端、二人の様子がすっと変わった。そこには重大な、正体不明ながらもただならぬ雰囲気があった。思わず手を止める。

「いいえ、貴方は困ります」

「きっと後悔するでしょう」

 二人の顔は真剣だった。その妙な迫力のある真顔は、悲しいかな、小心者のこころを揺り動かすには充分であった。

「もう二度と」

 最後のやけに必死な念押しに、俺はたじろいでしまった。結局目的も詳細も何も分からない。それなのに頭の片隅に何かが引っかかり、警告していた。この機会を逃したら大変なことになると。

 そうして気づけば、初対面の男二人を、玄関に上げていたのだった。

 


────

 あなたは常に前を向いておりました。神の威光を携え、騎士団に命を下しました。あなたの声は凛と響く。あなたの眼差しは慈愛に満ちている。ああ、あなたに鼓舞されて、心を動かさないことがありましょうか。いいえ、いいえ。神に逆らうことなど不可能であるように、あなたに従うことはあまりにも自然でありました。我らの救世主。我らの導き手。それは常にあなたでした。しかし、泉のように純粋であったあなたは、卑怯な敵の策略によって、捕らえられてしまいます。そしてあなたにあなたの存在意義を疑わせるような、汚い罵りを吐きました。なんて酷い。なんて姑息。お前の顔は一生忘れたことがない。それでも顔を上げていたあなたの美しさは、醜き悪に屈することはありませんでした。私の愛しい聖騎士よ。あなただけが正義でした。

────



「暇だな。この家に娯楽は無いのか」

「平穏に勝るものはありません。怠惰を貪るのも良いではないですか」

 それがこの体たらく。何が使命だ過ちだ。せめて働いてくれ。公務員の安月給で一人暮らしもままならないのに、男二人を養えると思っているのか。あとお前たち前世がどうとか言うが、要は前世の記憶がある現実の人間だろ。令和のこの世にここまで仰々しい口調で会話する奴があるか。逆に令和だからなのか? もう何も分からない。

 掃除機を二人の足元に近づけると、揃って顔を顰める。どの御身分のつもりなのか。

「自律型の掃除ロボットを検討するのはどうでしょうか」

「空気清浄機も頼む」

「働け!」

 手元にあった空のペットボトルを投げつけると「まあ野蛮な」といった調子だ。顔が良ければヒモでも許されると思っているのか。前世がどれだけ偉かろうが、現世は家主がルールである。働かざる者食うべからず。

「人様の家に上がり込んで贅沢を言うなら、お前達の分はお前達が働いてください。おかしいこと言ってないよね俺」

 色褪せてよれたTシャツの首元で汗を拭う家主の前で、よく踏ん反り返っていられるものだ。前世はさぞかし横暴な勇者と魔王だったのだろうな!

「私達は過ちを阻止するという大切な仕事があるので」

「その通り。忌々しい因縁の相手でも手を組んでいるのは、その為なのだから」

「忌々しい? あなたがそれを言うのですか?」

 そしてこの二人は時折前世の因縁とやらで仲違いをする。ただでさえ苛立っているというのに、目の前で喧嘩されてみろ。さすがに我慢の限界にもなる。

「じゃあその過ちって何ですか? 本当に俺がお前達の前世と関係あるのかよ。人を脅しておいて今更何を隠す気だよ。言えって」

 騒ぎ立てる二人の胸ぐらを掴み、汗が止まらないほどの暑さに煮え立ったまま問い詰める。口先で誤魔化されてニート二人を匿っている事実に改めて嫌気が差してきた。そう、一体全体信じられないような話だ。信じる義理だってない。そもそも前世が何だ。ファンタジックな話しやがって、腹が立つ。

「それは……」

 ジャンが困り顔でコーショの方を見る。

「お前が思い出せないのなら、その方が良いのです。何も無ければ、それに越したことはない。そう、正しく平穏に勝るものは無いのですから」

 コーショは諭すように話す。俺はその説教臭い語り草がいつも癪に触るのだ。

「なあ、ジャン。本当かよ」

「ええ、その通りなのです。詳細を伝えられず申し訳ない、と常々思ってはいるのですけれど」

 反対にジャンにしおらしくされるのがどうにも弱い。なんだか悪いことをした気分になる。

 俺はぱっと手を離した。俺から手を出すことはあれど、この二人は俺に手を出したことは無いのだから。

「……分かったよ」

 鬱憤を溜息に託して、冷蔵庫から発泡酒の缶を取り出した。爪先で開けると一気に煽る。疲れた体にアルコールが染み渡る。そう、暑さでやられてるだけだ。冷静に。もう剣を取る時代ではないし、現世では話し合いが大切だ。

「とりあえず標はそう、職を変えた方が良いのでは? もっと稼げる……」

「子どもと関わるよりも、大人同士のビジネスで起業するとか……」

「お前達を養うためにってか!?」

 話し合いって何の意味があるのでしょう。



────

 しかし、しかし! 愚かなる敵国の悪魔よ! 人の心を持たぬ化け物どもよ! ああ、赦されぬ。到底赦されぬ行いであった。お前達はあの方を陥れ、不浄な堅牢に繋ぎ、身勝手に罰を与えた。罪を定めた。権限も無く裁いた! そして聖なるあの方を、無垢なる魂を、お前達はあろうことか生身のまま火に焚べたのだ! 生きたまま焼かれる恐怖を、我らの旗印が燃やされる蛮行を、お前達は理解していたのだろうか。否、お前達の汚れた心では、知ることはできまい。ああ、この苦しみを、私はどうしたら。断罪され焼かれた聖女を救うことの叶わなかった私は、どうしたら良かったと言うのだ!

────



 だが俺も最初から出鱈目だと決め付けているわけではない。自分なりに考えた。この世の少年の夢を壊すためだけに、男子校の保健の先生として働いている一般男性アラサー公務員の元に、彼らが訪れたわけ。勇者と魔王であったわけ。彼らの言う過ちに、俺が関わってるくせして、俺には真実が教えていただけないわけ。それは、単なる仮説だが、

俺はお姫様だったのではなかろうか。

 そう考えると諸々の態度に納得がいく。前世のことなど一つも思い出せないが、結果的に少年の怪我を治癒する様は、傷ついた兵士を癒す姫と呼んでも過言ではない。あくまでも妄想に過ぎないが、相手は本気で前世を信じている変態どもなので、俺も多少はぶっ飛んだ発想が必要だ。きっとそうだ。膝を擦り剥き真っ赤な血を流しながら「女の保健の先生が憧れだった」と痛さよりも幻滅に泣いてる少年の怪我を、背徳感でげへげへ笑いながら癒していたのも、元が姫だった影響なのではないか。だとしたら前世から今世への出力がだいぶ雑な気もするが。

 つまりジャンとコーショは勇者と魔王として姫を取り合い、世界を滅ぼしかけたのでは? これが過ちでは。この仮定が正解だとすればなるほど両者言い出しづらいだろう。そしてかつての彼らが取り合った麗しき姫が、髭の剃り跡が青くなるような成人済み男性だったこと、それでも万が一恋心が芽生え相手が抜け駆けした際に暴れないよう、同じ部屋で監視してると言うのだから、哀れだ。同情もしよう。

「お前達も大変なんだな」

 憐憫の目で見つめてみたが、姫など楽に手に入るような整った顔を直視してしまい、一方的に後悔した。


 そういえば思い出した。俺が寝た後にこいつらが声を顰めて話していた夜があった。そのとき二人は互いのことを、「ジャンヌ」、「ピエール」と呼び合っていた。初めて聞いたが、不思議と耳に馴染む音で、そして確か俺は、俺のことを呼んだ名は、

 


────

 私の愛しい聖騎士。私の愛した聖処女。我らが国の誇り、ジャンヌ・ダルクよ! 彼女は男の装いをしてまで、果敢に立ち向かった。それなのに、私の周りの少年は火に焼かれる覚悟もなく、神の使命に挑む気概もなく、嘆かわしい。ジャンヌを穢した裁判官、ピエール・コーションのあの憎き面が脳裏に蘇り、身を掻きむしるほどの怒りが私の身を焦がす! これほどで根を上げるとは、あの方は生身のまま焼かれた。これほどで悲鳴を上げるとは、あの方は悲鳴の一つもあげなかった。ジャンヌ、私の光よ。私の神よ。なぜ、なぜ私の足元で数多の少年が血を流しているのですか? なぜ、少年の屍に、私は歓喜しているのですか?

────



俺の名前は、


そうとも。そうとも!私の名前は、私の名前こそは、ジル・ド・レェ。

 

 彼らが必死で封じ込めた、俺が思い出してはいけない、前世の、西暦でおよそ800年前の記憶である。

 

 










 

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