先延ばしのエンドロール

花空聱丹生

第1話

私の名前は大庭杏。いたって普通の女子高生だ。明日からテスト期間で、閉館ギリギリまで図書館で勉強した後、家路を歩いていたはずが、いつの間にか精神と時の部屋みたいな場所に立っていた。


「え、何、ここどこ?」


声は反響しない。周りに何もないことが余計に焦燥感を煽る。


「そうだ、スマホは...」


慌ててポケットから取り出すと、圏外、と表示されていた。これでは助けを呼べないし、親にも連絡できない。詰んだ、と絶望していたその時、不意に声が聞こえてきた。


「こんにちは。調子はどうかな。僕?僕はもちろん絶好調さ!」


声のした方を向くと、少年が宙に浮いており、こちらを見て笑みを浮かべていた。金髪に碧眼の美少年で、この不可思議な状況も相まって天使か何かに思えたけれど、神秘的というより、親しみやすい感じのする雰囲気だった。


「それで、君の調子は?」


「え?ああ、まあまあです」


話しかけられて驚き、声が震えてしまう。顔が綺麗で見惚れていたが、よく考えると宙に浮いている時点で絶対にヤバい奴だ。


「もう、そんなに怯えないでよ、別に君を傷つけたりはしないからさ」


少年がこちらへ近づいてくる、ので私は後ずさる。距離が縮まらないようにしていたが、突如背中が壁に当たった。


「な、壁なんて見えなかったのに」


思わず呟くと、少年は言った。


「僕が作ったの。このままじゃ君、ろくに話を聞いてくれないでしょ」


ちらっと後ろを見ると、白い壁があった。とてつもなく高く、てっぺんが見えない。これを一瞬で作ったという少年に、恐怖しか感じなかった。


「あの、何が目的なんですか?わ、私の家は一般家庭なので、身代金は期待しても無駄ですよ?」


「君、僕が人攫いに見えるの?」


「ヒエッ、とんでもないです。全然見えません。ただ、私がここにいる理由がわからなくて」


怖い、ただ話しているだけでも膝が震える。後ろに壁があるおかげで、なんとか立っていられる状況だった。


「そりゃあわからなくて当然だよ。僕はそれを説明しに来たんだもの」


「へ?」


もしかして手の込んだセールスなのか?ここを出たければ壺を買え、的なことを言われるのかもしれない。


「君にある任務を遂行してほしいんだ」


「...人違いしてません?」


何を言われるのかと身構えたが、まさか任務とは。私は探偵でもFBIでもなく、もちろん非合法な組織にも所属していない一介の高校生だ。運動も苦手で映画のようなアクションなど到底できない。そんな私に何を期待するというのか。

首を傾げる私に、少年は言った。


「人違いなんてしないよ。君は神に選ばれたんだ。君は並行世界って聞いたことある?」


「え、ああ、よくSFでみる設定ですよね」


今神って言った?なにそれほんとに神様っているの?


「そうか、君はフィクションだと思っているんだね。でも、並行世界は実際にあるものなんだよ。君の世界と似たようなものもあれば、君らの言うゲームのような世界もあるんだ。

無数に存在する世界を僕たち数百の神で管理しているんだけどね、たまに手が足りなくなってしまうことがあるんだ。そんな時は君みたいな人間を抽選で選んで、手伝ってもらっているんだよ」


分かった?と少年、いや神が言う。いや全然状況が飲み込めないです。


「今回君にやって貰いたいのは、ある世界を滅亡から救う任務だよ」


「絶対無理です!」


なんだそのゲームみたいな話は!


「まあまあそんなこと言わずに、取り敢えず続きを聞いて。

 救う、と言っても魔王と戦えなんて言わないから安心してね。君にやってもらいたいのは、ある人と仲良くなることなんだ」


「仲良く、ですか?」


「そう、その人は生まれつき魔力が強くて、あ、行ってもらいたい世界には魔法があるんだよ。それで、」


「魔法があるんですか!?」


私が言うと、神様は嬉しそうに頷いた。


「そうだよ。その世界は、どんな生物でも魔法が使えるところなんだ。勿論個人差はあるけどね。人間でも動物でも、その世界の生物は生まれつき魔力を持って生まれてくる。あ、でも、君が魔法を使えるようにはできないんだ、ごめんね」


「いえ、すいません、話を遮ってしまって。続けてください」


まあ、魔法を間近で見られるかもしれないだけ幸運かも。なんか行きたくなってきたな。


「わかった。それで君に仲良くなって欲しいのは、人間不信を拗らせて世界を破壊しちゃう予定の男性だよ」


「やばい人じゃないですか!やっぱり無理ですよ!」


「まあ聞いて。別に彼が自発的にやったわけじゃないんだよ。

彼は魔力量が一般と比べてあまりにも多い人でね、そういう人間は忌み子とみなされてしまう」


「なんでですか?」


「ちょっとした感情の機微で魔法が使えてしまうからだよ。一般的な魔力量の人間であればどんなに怒っても悲しんでも、媒体と自身の定めた詠唱がなければ相手に対して魔法を使うことができない。でも彼は少しイラッとしただけで相手に怪我を負わせてしまうこともある。判明したのは彼が7歳の時。ショックだったろうね、今まで自分に優しくしてくれていた人たちが急に離れていってしまうのは。彼は貴族の生まれでさ、そういう場合忌み子が生まれるのは一族にとって汚点とされる。普通、そういう子は殺されちゃうんだけど、彼の両親はそこまで非常になりきれなかった。だからそれ以来、彼は山奥でひっそりと暮らしているんだ」


言葉が出てこなかった。私の今までの生活がいかに恵まれているのか痛感した。


「...私がその世界に行ってもその人と仲良くなれなくて、世界を滅ぼしてしまったら、その人はどうなるんですか?」


「どうにかなる前に僕が時間を巻き戻して、また新しい協力者を見つけるよ。君みたいなね。でもそういうことは世界に歪みを生むから極力やりたくないっていうのが本音だけど」


「...あの、目標を達成したら私は自分の世界には帰って来られるんですか?」


「もちろん。最短で1年、長くても5年はかからないようにするから。万が一、君が達成できなかったとしてもちゃんと君の世界に帰すと約束するよ」


「すいません、あの、私が異世界に行ってる間って失踪扱いになるんでしょうか?」


「いや、その心配はしなくていいよ。君がここにきた時点で、君の世界とは違う時間を過ごしているんだ。まだ君の世界では1秒も経っていない。だから、年を取ることはないし、君の世界に帰る時も、そう、長くて2分くらいしか誤差は生まれないから大丈夫だよ」


「...そうなんですね」


ここで断るのは何だか自分の良心を裏切る行為のような気がする。それに、彼の境遇を聞いて力になれるならなりたいと思ってしまった。私はできる限り善人でいたいのだ。


「...分かりました。私、やります」


「そう言ってくれるのを待ってた!」


私が言うと、ぱっと光り輝く笑顔になる神様。まるで私が承諾することを知っていたかのような顔だ。


「それじゃあ、準備はいい?」


神様は私に向かってまるでダンスに誘うかのように左手を差し出す。


「いきなりですね!?」


「まあ善は急げってやつだよ。詳しいことは現地で説明するから」


しばしの逡巡のすえ、私は神様に右手を重ねて言った。


「お願いします!」


瞬間、辺りが眩しくなり、咄嗟に目を瞑る。


束の間の静寂、後に体にかかる負荷。驚いて目を開けると、私は宙に浮いて、否、落下しているところだった。


「.............!」


人間、驚くと声も出せないというのは本当らしい。身体中に受ける空気抵抗で息を吸うこともままならない。あれこれしているうちにどんどん地面に近づいていく。もうダメだ、お終いだ。と思いながらも体を縮こめ、目を固く閉じて、ありったけの力で叫んだ。


「誰か、助けてーーーーー!」


体を打ち付けていた風が止まる。そして柔らかな草の感触。恐る恐る目を開けると、私は地面に横たわっていた。誰が助けてくれたんだろう、と考えていると、突然声が聞こえた。


“ひゃーごめんごめん。転送場所間違っちゃったみたい”


この声、神様か?どうやら助けてくれたらしい。でも、こうなってるのは神様が原因だし、感謝してもいいものか...


“ひどいなあ、ちゃんと助けてあげたのに”


...もしかして私の心読めますか?


“せーかい!でも今は置いといて。ほら、来たみたい”


芝生を踏む足音が聞こえてきて、慌てて立ち上がる。辺りを見回すと、どうやらここは誰かの家の近くのようだった。周りが木で囲まれているけれど。

程なくして足音が私の背後で止まる。

そういえば、私これ不法侵入では?

恐る恐る振り向くと、背の高い男性がそこに立っていた。痩せ型で簡素な服装の男性は、不機嫌そうに私を見ていた。

なんで初対面の人に怒られそうになってるのか少し不満に思っていると、男性の方から口を開いた。


「...貴女、先程悲鳴をあげていませんでしたか?」


「へ?...あ、あー確かにさっきは思わず叫んでしまって。あ、うるさくしてすいませんでした!」


そう言われてはっとして、がばっと頭を下げる。もしかして心配してくれてたのかな。


「いえ、怪我がないのならいいんです。それよりも一体どうしてこんなところへ?こんな山奥に誰かが来るの、初めて見ましたよ」


そう言われて気づいた。目の前の彼が私が仲良くならなきゃいけない人なのだろう。子供の頃からずっとここで1人の。

というかここからどうやって仲良くなろう。こちとらコミュ力低い系の女子だというのに、それを忘れて神様に承諾していた。現地にきて早々に後悔するとか情けなさすぎでしょう。


“そんなにネガティブにならないでよ。大丈夫、それを何とかするために僕がいるんだから。言い忘れていたけど彼は他人の嘘がわかるんだ。魔力量の多い人間は大体そうなんだけどね。

今の彼は丁寧そうに見えて、君の心うちを探ってる。だから、君の言葉で正直に言ってごらん。それが一番彼に届くよ”


本当にそれは先に言ってほしかった。でも腹を括るしかない。


「私は...あなたと仲良くなりたくて、あなたに会いにきました」


「っ、僕が誰か知らないのか?」


「知ってます。だからです」


「わからない、君は何なんだ...?」


「えと、人間ですよ、魔法は使えないけれど」


そう言うと彼が息を飲んだ。魔法が使えない生き物など初めて見たのだろう。ここはそういう世界だ。


「魔法が使えない私と使えすぎてしまうあなた、私たち足して2で割ったら丁度いいと思いませんか?」


「...僕が恐ろしくはないのか?」


とても弱々しい声だった。私が嘘をついていないとわかっても、信じられないといったふうだった。

彼は孤独だ。そして背が私より高くても心はまだ子供なのだ。だから、私は彼が大人になる手伝いをしなければならない。


「全く怖くないですよ」


そう言って彼の手を握る。私はあなたの味方だと伝わるように。これからは1人じゃないよと言うように。

私に手を握られて少し驚いた彼だったが、しばらくして握り返してくれた。

それが嬉しくて少しくすぐったくなった。


「そういえば、名前を言ってませんでしたね。私は大庭杏です」


「...僕はハイド。ハイドラント・エスリール」


「ハイドさん、これからよろしくお願いしますね」

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