第9話 敗者

「うわっ!?くそ、このっ……!!」

「ギィイッ……!!」



右手だけでは斧を上手く持てないコウは焦った声を上げ、その間にも右目を抑えたゴブリンがコウの元に近付く。慌ててコウは斧を振りかざそうとしたが、先ほどのように上手く力を出せない。


先ほどは窮地に陥った事で偶然にも火事場の馬鹿力を引き出せたが、正気に戻った事でコウは左腕の痛みを思い出して上手く力が入らない。少しでも力を込めようとすると噛みつかれた左腕が痛み、碌に動けなかった。



(痛いっ!?でも、我慢しろ!!)



痛みに耐えながらコウは斧を持ち上げようとするが、そんな彼に対してゴブリンは容赦なく襲い掛かってきた。



「ギィイイイッ!!」

「このぉおおっ!!」



コウは正面から突っ込んできたゴブリンに斧を振りかざすが、間に合わずにゴブリンの体当たりを受けてしまう。再びお互いにもつれあいながら地面に転がり込むが、今度はゴブリンの方が先に立ち上がってコウの身体を掴む。



「ギィアッ!!」

「うわぁあああっ!?」



コウよりも一回り程小さいにも関わらず、ゴブリンは彼の身体を持ち上げて投げ飛ばす。投げ飛ばされたコウは近くの木に叩きつけられ、あまりの痛みに一瞬意識を失いそうになった。



(強い……これが、魔物……!?)



絵本のゴブリンは魔物の中では弱く、主人公のやられ役として描かれていた。しかし、実際のゴブリンは人間の子供など軽々と投げ飛ばせる程の力を誇り、以前にコウが遭遇した熊よりも恐ろしい力を誇る。


地面に倒れたコウを見てゴブリンは先ほど彼が手放した斧に視線を向け、口元に笑みを浮かべた。コウはどうにか立ち上がろうとした時、ゴブリンは既にコウが落とした斧を拾い上げていた。



「ギィイッ……!!」

「げほっ、げほっ……か、返せ!!それは爺ちゃんの……うぐっ!?」



斧を奪い取ったゴブリンを見てコウは必死に叫ぼうとするが、腕と背中に痛みが走ってまともに喋る事もできない。そんなコウに斧を掲げたゴブリンは近づき、彼に目掛けて斧を振り落とそうとした。



「ギィイイッ!!」

「う、うわぁあああっ!?」



迫りくるゴブリンに対してコウは再び恐怖を抱き、先ほどまでは怒りで抑えていた恐怖心が蘇った事で彼は逃げ出す。



(駄目だ、こんな化物に勝てるはずがない!!逃げないと殺される!!)



先ほどの威勢はどうしたのかコウは逃げる事に必死になり、その彼をゴブリンは斧を持った状態で追いかける。しかし、使い慣れていない武器を持ったせいか、ゴブリンは走る途中で斧が近くの木に衝突して食い込む。



「ギィアッ!?」

「はあっ、はあっ、はあっ……!!」



幸運な事にゴブリンは木に突き刺さった斧を引き抜くのに夢中の間、コウは走って距離を稼ぐ事に成功した。今の彼は完全に恐怖に支配され、もう戦う勇気を失っていた。



(逃げなきゃっ!!逃げないと殺される!!誰か助けてっ――!?)



何者かに助けを求めようとした時、コウの脳裏にルナの顔が浮かんだ。昨日に熊から彼女に助けられたことを思い出したコウは足を止め、冷静になって先ほどまでの自分の行動を思い返す。


自分は決して凡人ではない事を証明するために無謀にゴブリンに襲い掛かり、結果として左腕は負傷して背中を痛めた。しかも今もゴブリンから逃げるために夢中に走り回り、誰かに助けを求める自分自身にコウは涙を流す。



(何が凡人じゃないだ……俺はただの弱虫だ)



自分自身の弱さをようやく理解したコウだったが、もう既に手遅れだった。後ろを振り返ると斧を抱えたゴブリンが後を追いかけており、今度はコウを確実に仕留めるために斧を振り回しながら近付いていた。



「ギィイイイッ!!」

「くそぉおおおおっ!!」



今のコウにできる事は生き残るために走る事しかできず、彼は山中を駆け巡った――






――それからしばらく時間が経過すると、コウは全身が汗だくの状態で山の中に流れる川の岸辺を歩いていた。毎日山に出向いて狩猟していたお陰でコウは土地勘があり、どうにかゴブリンから逃れる事に成功した。


しかし、無謀にもゴブリンに挑んだ代償は大きく、彼の左腕からは血が止まらず、背中の痛みも治まらない。このままではコウは死んでしまうのは間違いなく、早く治療する必要があったが生憎と彼が逃げた先は村とは反対方向だった。



(村に帰らないと……駄目だ、もう動けない)



体力の限界を迎えたコウは川の傍に近付き、せめて水を飲もうと顔を近づけた。この時に彼は水面に映った自分の顔に気付き、随分と酷い顔をしている事に気付く。



「……ははっ、酷い顔だな」



走っている最中は気付かなかったがコウは鼻血を噴き出しており、息苦しい理由を知った彼はまだ動く右腕で鼻を拭き取る。そして諦めたように岩の上に寝転がり、彼は空を見上げた。もう間もなく夜を迎えようとしており、このまま自分はここで死ぬのかと考えてしまう。



「爺ちゃん、ごめん……俺、もう帰れないかもしれない」



村で今も自分の帰りを待っている祖父を残して死ぬ事にコウは涙を流し、せめて死ぬ前にもう一度ルナと会いたいと思った時、不意に彼は物音を耳にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る