第2話 自己紹介をほどほどに。
連絡を取ってから二十分後にそいつはやってきた――こいつはいつもそうだけれど、下駄でやってくるから階段を降りる音で分かっちゃうんだよな――カンカンという音がするので、マネージャーはすっかり待ち構えてしまっていたけれど、別にそんなに仰々しく待ち構えなくても良いんだぞ?
「……それにしても地下ってどうして黴臭いんだろうねえ。相変わらずと言えば相変わらずなのだけれど、ともあれ、直ぐに出て行くんだから別に良いか」
相変わらずつまらなそうなことを長々と語る男だ――扇子をばさばさとしているところを見ると、暑かったのかもしれないな。そういや、ぼく達はあれから結局劇場のバックヤードで休憩させてもらっていたから外に出ていないし。でも、もう上は夜のはずだろう? だったらもうそこまで暑くもないような気がするが。
「……その、何というか、本当に探偵なのか……? 着流しに下駄って、昭和の小説家みたいな……」
「失敬な。一応探偵一本でやっているんだ。それについて文句を言われては困るな。……それとも、今回の事件については聞かぬ存ぜぬという話で問題ないということで良いのかな?」
「駄目だろ、神原。きちんと探偵としての仕事を果たしてくれよ。何のためにお前を呼んだと思っている」
そろそろ突っ込みを入れてあげないと、こいつが暴走してしまうからな――暴走してしまうと流石に一般人にはコントロール出来やしない。だったら、そうなってしまう前にぼくがコントロールしなければならない。それが欠点でもある。欠点というか、世の中に完璧な人間というのは居やしないのだし、致し方ないのだけれど。
「……たーくん。きみには悪いけれど、僕ちゃんもちょっとばかしは仕事を選ぶ権利はあるってもんだよ。それとも、仕事を選ばせないつもりかい? 仕事を選ばないと言われるキャラクターもびっくりだよ。多分きっと彼女はそれなりにキャラクターを崩壊させたとしても今後に悪い影響を与えないように仕事を調整しているはずだからね……」
それがどうした。お前がちゃんと仕事をしないからこっちが調整とか管理とかしてやっているんだろうが。それがなくてもまともに暮らしていくことが出来ていないのだろうから、こっちがサポートもしてやっているんだろう。何処からお金が出てくるのかは分からないし、分かったところで汚れたお金かどうかも分からないし、出来れば知りたくはないよな。
「別にサポートして欲しいとは一言も言っていないような気がするけれど……、まあ、良い。生活が助かっているのは紛れもない事実だし、それを蒸し返したところでどうでも良い紛争に時間を費やせる程、僕ちゃんも暇じゃない」
「分かっているなら、きちんと仕事をしてくれないか? その――」
「――先ずは話を聞いてから、だ。僕ちゃんの仕事は整理整頓が基本的だからねえ」
何を言うか。仕事場は整理整頓の欠片もないくせに、良く言うよ――ともあれ、何とか神原がやる気を出してくれたことについては、一安心と言えるだろう。こいつは本当にやる気を出したがらないからな。どうやって釣るべきか永遠に考えなくてはならないと思っていたし、これだけスピード解決するのは、一歩前進といったところだろう。第一、どうしてここまでお膳立てをしないと、この探偵は仕事をしたがらないのかが謎だ。そういや誰かが言っていたっけ、ぼくが、補佐をする人間が居るからこそぐうたらでいるのではないか? ということを。そこについては概ね同意するけれど、同意したくないのもまた事実。全部が全部受け入れられる内容ではない、ということだ。
神原は着流しの内側にあるポケットから、縞模様の名刺入れを取り出す。確か紬というものを使った伝統的なデザインらしく、このデザインのものを常に十個はストックしているらしい。で、使っていくうちにへたってくるので、見た目が見窄らしくなってきたら交換、といったプロセスだ。実際のところは、誰かに指摘されるまでは交換のこの字もありゃしないのだけれど。
名刺入れから名刺を取り出して、それをマネージャーに手渡した。
「はじめまして、ぼくはこういう者です」
よそ行きの声を聞くのも、随分と久しぶりな気がする――今までは気心が知れた客が殆どだったからな。新規の客は一年に両手で数える程度あれば良いぐらいだし。
「はじめまして。わたしはサンシャインズのマネージャーをしている物部と言います」
いきなり声のトーンを変えてきたから驚いたのかもしれないが、そこはやはりサラリーマン――或いはマネージャーだからかな? 直ぐに適応して、名刺交換を行った。
物部さんは受け取った名刺を見て、呟く。
「……神原心霊探偵所所長、の神原語さん、ですか」
「変わった名前だろう? 聞けば一度で覚えるようなネーミングだ。そればっかりは父親に感謝しないとねえ……。何処に居るんだか、さっぱり分からないけれど。神原という名字も珍しくてねえ、これもまた日本にあんまり居ない。だから居る人間の大半は親戚か顔見知りって訳だ。知らない神原の人間は居ないんじゃないかなあ――多分」
「それで、幽霊の話ですが――」
物部さんが痺れを切らして、神原に話し始める。マネージャーからすればアイドルに起きた悪い出来事は出来る限り早急に対処したいはずだ。だのに、こいつは延々と自分語りをするんだからな――そりゃあ、痺れを切らしても致し方ない。腕は確かなので、そこだけは安心して欲しい。言っても信用してくれないと思うけれど。
「ああ! そうだったね。幽霊について、だ。正確には、幽霊未遂とでも言えば良いのかもしれない」
「はあ……? 幽霊未遂、ですか」
「そう。だって、本人しか見ていないのだろう、その幽霊を。幽霊というのは誰だって見えるものでもないのだけれど、それを客観的に確認出来れば、漸く未遂ではなくなる。それまでは本人しか確かめていないのだから、未遂しか言い表せない。何故なら、それが妄言である可能性も零ではないのだから」
「そんなこと……。うちのマリサが嘘を吐いていると言いたいのですか。確かに幽霊なんて子供だまし誰も信じませんから、嘘じゃないかとわたしですら疑っていますが……。でも、根は真面目なんです。そんなことは絶対に有り得ないと思っているのですが」
「信用してあげるのも、一つの考えじゃないのかね? まあ、分からなくもない。幽霊を見たことがない人間が、いきなり幽霊を信じろと言われたって信じることがまずないだろうからね。だから、時間を掛けてでも信じようとすることが、最初のステップって訳だ」
「……話を戻しても構いませんか?」
気が付けば話題がずれにずれまくって、依頼人が苛立ちを隠せなくなってくる――残念なことではあるが、神原が依頼を受けた時のパターンの一つではある。受け入れないようにするためにも、きちんと教育をしてあげなければならないのだろうが、しかしてそれをするのがぼくである必要があるのか、と言われると甚だ疑問ではある。だって、ぼくはただの友人代表だぜ? そんな人間に背負わせるものでもないと思う。
「背負うとか、背負わせるとか、そういう話ではないと思うがな。あんた、いつまであの変わり者と付き合うつもりだよ。お人好しにも程があるぜ、そういうの何と言うか知っているか?」
いきなり樋口が話題に割り込んできたのはちょっと面食らっちゃったけれど、話ぐらいは聞いておこうか。因みにその謎かけの正解は?
「謎かけでも何でもねえよ。答えは――正直者が馬鹿を見る、だ。この世の中、ちっとばかし狡くないと賢く生きていけねえって話。まあ、それが出来ないのはわたしも同じかな……」
ニコチンが効いてきたのか、ちょっと正常な思考に陥りつつある樋口。
こういうときは、ニコチンが正しい働きをするんだよな――そもそも煙草さえ吸わなければ、こんなことにもならなかっただろう、という文句については受け入れるつもりはないけれど。
「とにかく、先ずはその当事者の話を聞いてみることとしましょうかねえ。その子が嘘を吐いているか吐いていないか、判断するのはそれから――ってことで。場所は? 案内していただけますか」
「あ、ああ。分かった」
神原の言葉を聞いて、マネージャーはぼく達をサンシャインズが居るバックヤード――控え室へと案内するのだった。
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