第三十話 あやふやな記憶を持つ者

「なるほどねぇ。エーナの目、そうなっていたのね」

「すいません、エーナさん……全部私が悪いんす……、煮るなり煮込むなり好きにしてくださいっす……」

「煮るしか選択しないんだ……」


ふーん、と納得したように食後の紅茶を啜るアピロ。

あの後、必死にキャトが目というのは才能の芽の事で、などといろいろと弁明したが隠し通すことは叶わず洗いざらいすべてを白状した。

途中どうでもいい質問もあったような気もするが……。


「あの、この事が周りにばれちゃうといろいろと問題がおきて私が危なくなっちゃうとかで、黙っていてもらってもいいでしょうか?」

「もちろんよ。周りに言いふらすようなことしないわよ。それくらい常識じゃない。

それに……、元々あなたの目はそうだろうなって思っていたもの」

「へ?」

「だってあなたの母も同じ目を持っていたのよ」


突然言われた事に、私はおそらく目を丸くしていただろう。


「あの子と同じ色で同じような輝きを秘めたその瞳、なんとなくだけどそうだろうなって思っていたのよね」

「それにしても、お母さんも同じだったなんて……」

「そうよ、そのおかげであの子と何か仕事をするときは楽な時も多かったわね。その事を知っている人からも引く手数多だったし」

「エーナさんのお母さん凄い人だったんすねぇ。そういえば聞いてなかったんですけど、エーナさんのお母さんなんて名前なんすか?それくらい仕事ができて有名な人なら聞き覚えがあったりしそうな感じがするんすけど」

「え、名前?」

「はい。ただ、ラヴァトーラっていう名前のついた魔女は聞いたことがないんすよねぇ。だから名前を聞けばわかるとおもうんすけど……あれ、エーナさん?」


母の名前、そう聞かれてその名前を思い出そうとしたとき、頭の奥で鈍い、鈍い痛みのようなものを感じた。

母の名前、知っているはずなのに、すぐ思い出すことができない。

思い出そうともう一回思考をめぐる、だけど答えが出てくることはなく、黒い靄のよがかかったような、途切れ途切れの、意味不明な文字の羅列。

知ってる、知っているはずなのに。

思い出せ、思い出せ、母の事、母との思いで、母の顔、母の声。

ダメダメダメダメダメ。

思い出せない思い出せない思い出せ思い出せオモイだせないオモイダセイ。

違う私はエーナ・ラヴァートラ、エーナ・ラヴァートラ。

一人の村娘。

魔法使いの母を持つただの村娘。

エーナ、エーナ、エーナ、えーな、えいな。

私は、エーナ、なの?


「ちょ、ちょちょ、エーナさんどうしたんすか!?凄い顔色悪いですよ?しかも痙攣までして!?」

「思い出せない、お母さんの、名前、思い出せないのキャト。それに私、エーナ、私はエーナ、なの?」

「何言っているんすかエーナさん!ちょっと本当にどうしちゃったんすか」


何故だろう、震えが止まらない。

何かがちぐはぐで、いや自分がちぐはぐで。

私という存在がわからなくなって。


そんな時、だったふと横から何かが、何かではない手だ、両腕が私をそっと抱き寄せた。顔を上げて上を見上げて映ったのは優しい笑みを浮かべた、アピロさんだった。


「落ち着きなさい。深呼吸をして、そう大きくね。まずは呼吸を整えて」


そうやさしく私に話しかけてくる。

私はその言葉通り、呼吸を整えて、徐々に平静を取り戻していく。


「よし、落ち着いたかしら?」

「ありがとうございますアピロさん、なんか急に頭痛が酷くなって、それで………」

「びっくりしたっすよ、エーナさん。急にそんな息を荒げて」


心配するような声で横からキャトがのぞき込んでくる。


「ごめんキャト、昔からたまにこうなるの……。昔の事を思い出そうとすると、なんでだろう突然こうなっちゃうときがあって……」

「知りたい?その理由」


そんな時そんな言葉が、私を抱きしめている魔女から飛び出してきた。


「理由って……アピロさん何か知っているんですか?」

「知ってるというよりも、心当たりがあるだけなんだけどね」


私を椅子に座りなおさせると彼女は改めて向かいの席へと赴く。


「話をする前に注意事項。本当はこんな開けた場所で話すような事じゃないからここで話せる事はちょっとだけ。一応聞き耳立てられない様に簡単な壁くらいは張っておこうかしら」


そういって彼女が胸に手を当てると一瞬黄色の光の輪が浮かび上がる。

同時に先ほどまで聞こえていた外から聞こてきた人の声や雑音がぴったりと止む。


「あと、エーナ。この話をきいてさっき見たいに昔の事を思い出そうとするのは禁止。また頭がいたくなっちゃうから」

「はい、わかりました……」


アピロは紅茶を一杯啜ると小さくため息をついて、口開き始めた。


「そうだ、最初に一応謝っておかないといけない事があるんだけど、実はねエーナ、私はこの前村で一度会った時よりもっと前に、あなたとは会った事があるのよ」

「え、そうなんですか?そんな覚えあったかな……」

「はいはい、そこ思い出そうとしない。ちなみに覚えてないのは当たり前、だって私があなたと会ったのはあなたが生まれてすぐなんだから」

「生まれてすぐ……、そんな昔に」

「友人……いえ多分親友の初の子供だったからなのか、見にいかないわけにもいかなかったのかしら。たしか雨の日だったと思うわ、雷も鳴ってて天気がわるかったような……」

「なんか話を聞いてるとずいぶんあやふやな話っすね……。覚えてるにしてはまるで他人からきいたような……」


キャトが横からそんな事をぼそっとつぶやいた。

その瞬間アピロさんの視線が怪しく、キャトのほうを見る。


「ひぃっ!すいませんす!悪気はなくてただそう感じただけで……」

「あなた……鋭いわね。そうこれは他人から聞いた話なのよ」

「「はい?」」


私とキャトはアピロの突然の告白に啞然としてしまう。


「そう、これは他人……というよりも書物から読み取った話なの。私が記した記録し……、というよりも日記かしらね」

「日記なら別に他人ではないじゃないですか?だってそれアピロさんが書いたですよね?それになんで日記を書いたのがアピロさん本人なら日記からそれを知るっていうのも……」

「そうよね、おかしい話よね。でもそうなのよ、私はこの事私が書いたであろう書物、それも何故か厳重に私の魔法で鍵のかけられたそれを、とある場所から回収して知ったのよ」

「あの、話の流れが読めないんですけど、アピロさんが書いた日記をアピロさんが知らないっていう時点でもう辻褄があってないですよ」

「いえ、エーナさん。一つ可能性があるっすよ」


横にいるキャトが腕を組んだまま真剣な表情でそう言った。


「可能性って、何の可能性?」

「アピロさんが書いた覚えのない、アピロさんの書いた日記が存在する。

という事はっすよ、アピロさんがその日記と書いた内容のことを忘れていたとしたら?」

「忘れるって、物忘れみたいな?だとしても見たら思い出すでしょう日記なんて」

「エーナさんは、記憶を操作する魔法がある事は知ってるっすよね?」

「うん、最近不正な魔装具とかにも使われてってアルバートさんが言ってた……まさか」

「そう、アピロさんが書いた覚えのない、アピロさんの書いた日記。

つまりは何かが原因でアピロさんのその記憶が消えてしまったって事なんよ。

しかも、態々消えてしまった記憶の書かれたその日記をアピロさんが知らない所にアピロさんの魔法で鍵までかけて保存していたとなると……」

「あらかじめ記憶が消える事をしっていた……?」


そう答えた時、ぱちぱちとアピロが軽く拍手を行う。


「流石ねアルバートと同じ門下の弟子。なかなかの洞察力ね。

そう、その日記はおそらく私が事前に記憶がなくなる事を予想して隠しておいたもの。そしてこの事は、エーナ、あなたの母親とあなたの記憶についても関係があるのよ」


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