第5話 月曜日の夜のルーティン

最寄り駅、そこから自分の家の方向とは逆に数分歩いたところにこじんまりとしたバーがある。


そこは私の数少ない友人の冬弥がオーナーをしているバーで、月曜日はだいたい飲みに来ている。やばいやつだという自覚はある。


「いらっしゃい……、お前か」


ドアベルのカランコロンという音に反応した冬弥は綺麗なスマイルを向けてくれたが、私だと分かった途端にそのスマイルは消えた。


「一応客なんだから営業スマイルくらいはしなさいよ」


「金取るぞ」


理不尽。


店内はカウンター席のみ。10席ほどの小さなお店だが常連さんをしっかり捕まえていて、それなりに忙しいようだ。といっても18時過ぎのこの時間はまだバーに来るには早いのか誰もいない。


「いつもの」


いつもの席に勝手に座って、いつもの、といえば本当にいつもの物が出てくる。

ウイスキーのロック。


コップを持ちあげればさっきのドアベルとは違った氷がガラスに当たるカランという音がする。

その音は私の中のスイッチが切れる音でもある。


「あぁー、うま」


喉に感覚があるみたいにウイスキーが通っていったところが分かる。この感じが好き。


「ウイスキー飲んで仕事終わりの一杯目のビールみたいな声出すのはお前くらいだと思う」


冬弥にとったら見慣れた光景のはずなのに、毎回しっかり引いてるのはいただけない。


「ねぇ、このチョコ懐かしくない?」


冬弥の言葉は完全に無視してカバンからあの袋を取り出した。


「うわ、懐かし。保育園のおやつで食べたぶりに見たわ」


それは盛りすぎだとは思うけど、正直もらった時、私もちょっと思った。


「だよね。今日会社で同期にもらったんだけど、懐かしくて冬弥に見せたくて持って帰ってきた」


私から出た“同期”という言葉に冬弥のグラスを拭く手が止まる。


「お前から同期、なんて言葉が出る日が来るとはな」


冬弥は私が必要以上に人とかかわることなく過ごしているのを知っているし、ここに飲みに来るようになってから会社の人の話をすることがないからなのかかなり驚いている。


「いや、私にも同期くらいいるわ」


「同期がいることに驚いてるわけじゃねぇよ」


「まぁいいじゃん、そんなことは」


あんまり深堀しないで、という雰囲気を感じたのかそれ以上冬弥は何も聞いてこなかった。こういう気遣いができるのはさすがといったところ。


そんな時、さっき私がここに入ってきた時と同じカランコロンという音がした。

多分冬弥と同じタイミングで入り口の方を見たと思う。


「あれ?高槻……?」


気付いたのは多分同時。


「田口君……」


「いらっしゃいませ」


お昼の時みたいに手が止まる。

そしてお昼の時みたいに彼は私の近くまで寄ってきてお昼の時みたいな言葉を言う。


「ここ座ってもいい?」


そしてお昼の時みたいにすでに椅子は引かれていて、


「まぁ、ほぼ座ってるけどね」


にこりと笑いながらそういうのだ。

お昼の時と違うのは彼が私の向い側ではなく横にいるということ。


ふわりと香る自分の物ではない香水。


「何かおすすめください」


おしぼりで手を拭きながら注文。冬弥の方を見れば彼もこちらを見ている。

目線だけで会話を試みる。


――余計なことは言わないで


そういう目線を送ったら彼は小さく頷いた。伝わったのかは不明。


「高槻ってお酒飲むんだな」


「あ、うん。ちょっとだけ。田口君も?」


言ってから“ちょっとだけ”の人が飲むようなものではないものを飲んでいることに気づいたけどもう遅い。


「普段はそこまで。今日は定時で帰れたご褒美」


会話が途切れと同時に彼の前に置かれたのはジントニック。簡単なやつにしたな。


「じゃあ乾杯」


彼がグラスをこちらに傾けるもんだから、私も近づけるしかない。

このウイスキーのロックを。

カチンとグラス同士がぶつかる音がした。ガラスがぶつかる音では私の一度切ったスイッチは入らない。


「家この辺?ってかそれウイスキー?酒強いんだな」


お昼と一緒で質問が多いし、やっぱりばれている。


「こっちじゃないけど、最寄りはこの駅で……。1杯だけだよ」


お酒の強さについては触れないことにした。


「高槻って同期会とかも参加しないし、あんまり酒飲んでるイメージなかったから勝手に弱いのかと思ってた」


くりくりの目をそのままくりくりさせて不思議そうに会話が始まる。あれ?私この人とまともに話したのって今日が初めてに近いけどな。彼にどんなイメージを持たれていたんだ私は。


「大人数が苦手で」


誤魔化すみたいな返事しかできない。スイッチはまだ入らない。


「あぁ、昼にも言ってたな。ここにはよく来るんだ」


「あぁ、うんそうだね」


言ってから気づく。初めてってことにしとけばよかったと。

やっぱりまだスイッチは入らないのだ。


冬弥を見ればあきれた顔をしている。墓穴を掘ったことに気づかれている。


「こんないい店あったんだな。俺の家こっち側なんだけどはじめて来た」


「ありがとうございます」


いい店、と褒められて冬弥は嬉しそうだ。

何度も逃げるのは良くないし、本当ならここでもう少し冬弥と話をしたいのだが、今日はやばい。グラスの3分の1ほどの残りのウイスキーを一気に流し込んだ。さすがにちょっとのどが焼けたような気がする。


「冬弥、お会計して」


「……、はいよ」


何か言いたそうな冬弥の顔を見て私はまたやらかしたことに気づく。


「仲いいんだな、店長さんと」


私今、冬弥のことをいつも通り名前で呼んでしまった。


「実は同級生なんですよ」


これ以上墓穴を掘らせまいと冬弥が答えてくれて私はそれに頷くだけ。口にバッテンの書いてあるマスクをしたい気分。


「へぇ、じゃあ、俺とも同い年ですか?」


田口君のコミュ力の方さに驚きながらもいつも通りにお会計を済ませてカバンを持つ。


「ごめんね、私もう帰るね。田口くんはゆっくりしていって」


「送っていこうか?」


やめてくれ。とは言えないので。


「まだ明るいから大丈夫だよ。ありがとう」


足早に店を出た。


店内滞在時間はおよそ30分。


最短記録更新だ。




その後お店の中で二人がどんな会話をしたのか知らないが、寝る前に見た携帯には冬弥から「とりあえず謝っとくわ、ごめんな」と怖いラインか届いていた。









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