最終話 ふたりはともに手を取り合って

「『まず一つは施設の問題なんですよね。個室を確保して、陰圧装置をつけるということが前提ですよね。』」


 みさをからすんなりと出てきた発言に、小須戸は一瞬、議事録の読み上げだと気づかなかった。

 ぽかんとしている小須戸を読み取ったのか、みさをは続く発言を読み上げる。


「『このコロナというのは一時期の問題なので、これが終われば一般の通常の患者さんも受け入れなければならない。ですからそういったことを見越した上で、最終的にどこで工事を入れて、そういったことを取り組むかということが一つ非常に大きな悩みなんです。』」


 あっけにとられている小須戸を尻目に、みさをの読み上げはさらに続く。


「『もう一つはご存知のように、コロナでどの病院もそうなんですけど、だいたい20%近く以上収益が落ちていますし、我々の民間病院でも、この2020年、2021年というのは大きな赤字なんです。』」


 要はオール医療というのは、公立と民間の病院がお互い充分に連携を取ってはどうなのか。という話。

 小須戸も議事録を読み上げる。


「『一番問題なのは、コロナの患者さんというのは、ある一定期間1週間とかあるいは2週間程度でどんどん回転していきますから、その受け皿となっていただく病院が病床をしっかり確保すれば、ある意味、限られたところのコロナの感染病床で十分対応できるんじゃないか。あるいはそれに関わらなくても、一般コロナだけじゃなくて一般の患者さんもたくさん我々対応しているわけで、そういった患者さんに対応する病院もあっていいんじゃないかと。』」


「その辺りの話、重症、中等症、軽症で担当を分けていく、分担していくという議論は以前の会議でもあがってましたよね、確か」


 返答するみさをの顔はもう黒さがにじみでてはいない。

 以降の議事録は具体的な病床数を上げての運用面の話が続く。

 こういう話が行われていることを鑑みるに、府に関してはやることはやってはいるのだな。と小須戸は感じる。

 だから、できないものをできない。というのには理由があって、それをやれ。というのには、それ相応の手間と時間がかかってしまう、現実的ではない。というところに落ち着いてしまう。


『第4波とか、もちろんコロナで重症化して亡くなる人が多かったのも反省点なのですが、そのことによって救急、ICUがストップして、救急患者さんの行き先がなくなったとか、癌とか急がない手術とはいえ、そういう手術が延期になったりとかしたことはなるべく避けないといけないのかなとは思っております。』


 そして、新型コロナだけが医療従事者の仕事ではない。むしろ新型コロナ対応が副業であって、本業は今まで行ってきた通常医療なのである。


「『また来るべき、いつ大きな波が来るかもわからない、またインフルエンザと重なるようなことも非常に危惧されるという中で、引き続き府として府民を守ることに力を入れていきたいと思いますので、医療関係者の皆さんのお力をお借りしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。』」


 会議の締めくくりの知事の発言。

 読み上げたのは小須戸。

 このコロナ禍はいつかは終わる。終わらせなければならない。じゃあ、それがいつ終わるのか。

 小須戸にはそれを答えることはできないし、答えられる立場にもない。

 そんなことを考え込んでいると右肩をポンポンと叩かれる。

 顔を向けると、突き出されたみさをの人差し指が、小須戸の頬にむぎゅっと刺さる。


「ひっかかりましたね」


 背後のみさをはイタズラ笑顔。


「小学生じゃないんだから」


「難しい顔してるのが悪いんやで」


 二パッとみさをは笑う。

 気にしても仕方ないのかもしれない。小須戸の肩から力が抜け、自然と小須戸も笑顔になった。

 小須戸はポケットから、薬指にリングの左手でスマホを取り出す。そしてスリープを解除し、着信とメール、メッセージをチェックし始めた。


「なんですの」


 途端にみさをの顔が黒くなる。


「いやいやいや、別に隠し事なんかしてないって。……ちょっとトイレ」


 みさをの顔は黒い。


「これ、置いていくから」


 スマホを置いて、逃げるように小須戸は会議室を後にした。


「あ、ちょっと。……まったく」


 ぷんすかとみさをの顔は、もう黒くはない。

 会議室で独りになったみさをは、手持ち無沙汰。

 と、小須戸のスマホからブルブルと着信。

 みさをはおどろいて、カエルのフードをすっぽりかぶってしまう。

 そして、どうしようとキョロキョロするも、みさをは会議室に自分独り。


「……誰からか確かめるぐらい、ええよね」


 おそるおそるスマホの画面をのぞき込む。

 と、みさをの顔が再び黒くなる。

 みさをはバサッとフードを外し、ズバッと左腕をまくり、そして、薬指にリングをしている左手で、猫のようにスパーンとスマホをつかみ取った。


「はい」


 可能な限りの小須戸の声真似。


「あー、オレオレ。オレだよ、オレ。オレオレ。センパイさー、無事二人目。聞いただろ? それでさー、近いうちにお見舞い。……お見舞い? 出産祝い? まあいいや、どうせならお前も一緒に来いよ。……おい、小須戸? 聞いてるか?」


 相手は予想通りのまくしたて。


「……わたしです」


 みさをの返答に相手は無言の返事。……いや、絶句が正しいのかもしれない。


「……ごめんなさい」


「なんで謝りますの」


「け……けんじさんは……」


「うちのひとは今、席を外しております」


 会議室の入り口から背を向けて、かしこまった言い方。


「さ、さようでござりますか」


 相手の声はヘビににらまれたカエルのようにおびえていた。


「誰から電話?」


 振り向くと小須戸が戻ってきていた。


「はい」


 みさをは小須戸にスマホを手渡す。


「……もしもし。 あー、お前か、待ってたんだぞ。そうか、よかった。無事に二人目産まれたんだな。……男?女? え、聞き忘れた? 何やってんだよ」


 ほんまやで、ほんま。みさをは小須戸の最後の発言に心の底から同意する。


「……うん。わかった、近いうちに時間作るよ。え、みさをちゃんに? ……うん、聞いてみる」


「なんですか」


 みさをは聞かれる前に先手を打った。


「なんか、おやじさんの知り合いで腕のいいマッサージ師さんいるんだけどって」


「いりませんよっ!」


 みさをは通話先の相手にも聞こえるぐらいの大声で返事をした。


「……聞こえた? そりゃそうだよ。うん、わかった。それじゃ」


 小須戸は通話を終えた。みさをは頭痛が痛かった。


「おかしいでしょ、さっきのあれは。なんやの、いったい」


「よく肩が凝ってるって言ってるじゃない」


「うちだって乙女なんだから、知らん人からマッサージどう?とか言われて、すぐお願いしますとか言えるわけないやないですか。ケンジくん、平気なの」


「でも、わざわざ僕を通すぐらいだからなぁ」


「のんきやね、ほんまケンジくんは。お人好し」


 ため息つきつつ、みさをは笑顔。


「今年のお盆には、おばあちゃんに会いに行かないとやね」


「緊張するなァ、ゆかりさんと初めて対面するの」


 小須戸はマスクを装着し、持ち込んだノートパソコンの電源を落としていく。


「さんざん、うちの前で仲良くしくさってるくせに」


 みさをもマスクを装着し、持ち込んだティーポットとカップをまとめる。


「あれはだってスマホのカメラごしじゃないか」


「同じ人間同士、顔を合わせれば大抵の事はなおります。悪かったら素直にあやまって、良かれと思ったのなら素直にありがとう。変にウソついて建前ばかり通そうとするからこじれるんです」


 なおる・なおす。とは主に関西地方以西で用いられる表現である。意味としては片づける、元に戻す、というもの。

 関西の人間が他の地方に出たときに意味が通じずに戸惑うのが、このなおる・なおすの表現である。


「まあ、そうだね。直接顔を合わせてきたから、今、ぼくらはこうしていられるわけだし」


「ケンジくんはまたそういうことを言う」


 小須戸は、みさをになぜジトリと睨まれてるのかわからない。


「で、でも、みさをチャンとはこれからも仲良くしてきたいし」


 チャンは声がうわづっていた。まったく素直に言葉を口にされるのも、それはそれで考えものだとみさをは思う。照れくさくて仕方ない。


「そんなん、うちだって一緒です。ほら、早くなおして行かんと」


 みさをは2台のノートパソコンを抱えた小須戸のベルトをぐいぐいと引っ張る。


「わ、ちょっと! ひっぱらないでよ」


「ちゃんと来てもらわないと困るんですからね、ほら!」


 そして、ふたりは片付けを終え、灯りの消えた会議室を後にした。


 時は2022年7月初め。

 梅雨は明け、これから本格的な夏を迎えようとしている季節。

 2020年3月の緊急事態宣言に端を発したコロナ禍の時代は、2年余りを経ても未だ終わりを告げてはいない。

 これから世界がどうなっていくのかは誰にもわからない。


 ―――それでもきっと、ふたりはともに手を取り合って生きていく。


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『』内引用

第5回大阪府新型コロナウイルス対策本部専門家会議

https://www.pref.osaka.lg.jp/iryo/2019ncov/sennmonnka5.html

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ふたりはともに手をとりあって 西川悠希 @yuki_nishikawa

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