201.落ちた士気を上げるために
そのあとは一方的な蹂躙だった。
人望が篤く、実績がある将が死ぬ。それは即ち、士気そのものの消滅を引き起こす。クレッド=ムニカの死は、レッド派迎撃に当たる兵卒たちの、あるいはクレッド麾下の部隊長たちの心を折った。
戦になどなるはずがない。ましてや、敵指揮官は狂戦士だ。
生きていようと死んでいようと関係なく、屍は馬の蹄で踏みつぶされ、動くものは目につく端から殺される。まだ目や口元が弧を描いていてくれればよかった、狂気的な笑みの方が幾分楽に逃げられたと思う。
クリス=ポタルゴスの顔は、能面。普段味方と会う時の軽く人懐っこい笑みも、戦場で見える狂気的な笑みもない。
ただ殺戮の機械を思わせる、棒の戦士がいた。
まだ敵味方の区別はついているのだろう、味方を殺すことこそない、が。
このままでは、彼は一人でも敵陣に突っ込んでいきかねない。クリスの暴走は、もはやその域に突っ込んでいる。
「クリス!」
ペガシャール帝国には彼に匹敵する猛者は数多いれど。星の数ほど、というわけではない。
今回の出陣に際し、八段階格、あるいはそれに匹敵しうる武の持ち主はわずか三人。ミルノーがデファールの許にいる以上、彼を止められるのは一人しかいない。
「もう決着はついた!撤退しろ!」
クリスの暴走を見た瞬間、慌てて駆けつけた『将軍』が叫ぶ。『将軍像』が持つ固有能力“軍像感応”、それによって生み出された脳の回線にすら応じない。
何度かの呼びかけのあと、重い腰を上げて飛び出したコーネリウスが見たのは、今から敵に突っ込まんとするクリスと、一人として指ひとつ動かさない屍の山と、少し離れた位置に避難した味方の兵士。
「これ、は。」
「コーネ、リウス。」
「止まれ、クリス!やりすぎだ、これでは私たちの任務が果たせない!」
「わかって、いる。わかっているんだ、コーネリウス。だが……。」
一瞬だけあった目が、即座に外れる。その瞳に何も写していなかったことが、何よりクリスの怒りのほどを読み解くに足る。
「俺は、行く。」
「行かせぬ!」
クリスが突っ込み、コーネリウスが慌てて遮った。怒りに身を焦がし、狂いに走った男の力を、コーネリウスはギリギリのところで受け流す。
「お前が死ねば!困るのは陛下とデファール様だ!」
正面から対峙して槍を振るう。応じる棒は重く、しかししなやかさを感じさせない。
「狂い奔るな、愚か者!」
帝国軍とアダット派の間に、アミアクレス=ペダソスの魔術戦車部隊が土壁を生み出す。完全に断絶した両者を見て、コーネリウスのハンドサインを受けて、クリスの部隊が撤退を開始する。
クリスはその動きに何も言わなかった。兵士たちを付き合わせる気はないという意味であり、同時にクリスが狂ったまま理性を保持していることを理解させる。
「何が不満だ、クリス!」
「奴は!己が逃げることを正当化するために、一騎討ちを俺の「趣味」だと愚弄した!許せるものか、奴の命を奪っただけで許せるものか!!」
趣味かどうかはさておいて、逃げることは間違いではないだろう。クリス相手に一騎討ちとか、戦争中なら普通にやりたくはない。発狂に近い今なら御しきる自信はある、が……出来る奴などそうはいるまい。
ましてや、発狂前ならいわんやだ、と『護国の槍』に生きる将軍は思う。こいつの相手をするに最適は、多量の兵士を犠牲にして押し包み、疲れるまで暴れさせることである。
弱卒を千は犠牲にする羽目に遭うだろうが……千も殺させれば、単純な体力の問題で彼は敵ではなくなるのだから。
「だが、初戦には勝った。これ以上、暴れるな。」
「い、や、だ。」
「そうか。」
ならば、と槍を構えた。叩き潰してでも連れ帰る、という意図を察して、クリスも棒を構え、一合、二合。
奇しくもゼブラ公国侵略の際に行われた模擬戦の再開となったが……ここでは、致命的に異なる点が一つ。
これは最初から一騎討ちの予定ではない。目的はクリスを止めること。クリスを正面切って抑えきれる将となると、デファール軍には二名、帝国派を探しても七人ほどまで減るだろうが……ついていける将なら、数名。
戦車から飛び降りて駆ける、槍を抱えた将が一人。魔術書を抱え、戦車の上からこちらに目を向ける将が一人。
「止まれ、クリス!」「止めます、クリス殿!」「止まってください、クリス隊長!」
コーネリウスが突き出した槍を棒で弾き飛ばした。グラスウェルが飛び突きを放ったのを腕で掴んで受け流し、ペアトロに放たれた火球を馬の背にしゃがむことで回避する。
三対一。遠間で誤射がないようにしか魔術を放てないペアトロをある程度無視したとして、グラスウェルの存在をクリスは無視できず。
「……。わかった、下がろう。」
三将相手では、敵に突っ込むことはどう足掻いても不可能だった。諦めるという選択しか選べない程度には、グラスウェル=システィニア=ザンザスという男が強すぎた。
諦めて馬首を翻すクリスを見て、コーネリウスは誓う。
「こいつを連れて行くときは抑えられる人間とついていける人間を何人か用意しよう。」
難しすぎる気もするが、という独白は、ほとんど強引に飲み込まれた。
クレッド=ムニカが即死した。敵将はあまりに無慈悲な、悪魔のような腕の男らしい。
レッドはそれを聞いて頭を抱えた。報告のみであればよかったが、命からがら帰ってきた兵士たちが恐怖に震え、両ひざを抱え込みながら呟いた言葉がそれだったのだ。
全ての兵士にその情報が伝播されるまで、さほど時間はかからなかった。一応聞いた者から緘口令を敷いていったが、人の口に戸は立てられぬ。あまりに、あまりに瞬時に兵士10万に恐怖が広がった。
これは、拙い。クレッドは控えめに言って英雄的な男であった。
彼は盗賊横行の時代の時代、個人の武に意義を生じさせた時代の男。レッド派の武人の中ではその名も高き武の人であり、彼が討たれるということは敵がかなり強いことの証明に他ならない。
「全軍、突撃せよ!」
ゆえに翌朝、レッドが全軍を突撃させるのは自明の理であった。
士気が落ちる。落ち続ける。それを放置することは、レッドが許容できることではない。
では対策はどうするか……第一に戦から逃げないことであり、第二に勝つことである。
あるいは最悪勝てぬにしても、負けないこと。それが絶対不可避の条件である。であれば。第一の「戦から逃げない」を果たすために、特攻をかますのは当然と言えた。
「敵将が出れば私に回せ、数の利で押し潰す!」
三千に対して一万で戦ったのと同様に。三万に対して十万の軍を引っ張り出す。同じ三倍差でも、真に同じ三倍差ではない。
兵士の練度、将校の数、指揮官の替え。そういう面で遥かに、レッドの軍が勝っていて。
「敵は強くはないぞ!かかれかかれ!」
勝てると踏んではいない。勝つための策を何一つ弄さずに戦っている。
しかし、敵騎兵隊、そしておそらく『護国の槍』の軍勢を除けば、こちらに勝る軍勢は一つもないとレッドは確信していた。
エミル=バリオス子爵軍、システィニア=ザンザス男爵軍、アミアクレス=ペダソス騎士爵軍……彼らは他より一歩抜きんでているが、それでもエドラ=ラビットの誇る軍勢ほどではない。
「このまま押し切りましょう、レッド様!」
「無理を言うな、ブエン。今回の狙いは勝つことであって勝ちきる事ではない。敵を本気で屠ろうと思えば、我らは負けるぞ。」
撤退のタイミングを過てば、『像』を使って勝利に持ち込まれる可能性がある。そこまでレッドは考えて……
ふと、違和感を覚えた。そう、『像』だ。
昨日、そして今日。帝国派は、数で劣るにも拘わらず……一度でも『像』の力を発動させたか?
「まさか。」
圧している自分たちの軍勢。しかし、これは勝っているのか、と問いかける。答えは見ればわかる、勝っている。
だが、これは……勝ち方がおかしい。
もっと激しい抵抗があるはずだとレッドは思う。コーネリウスという敵将のことを、レッドは最低限しか知らないが、しかし己を上回る才の持ち主でも、同時に下回る才の持ち主でもないことは承知している。
なら、コーネリウスは今日の襲撃を予想していたはずだ。なのに、抵抗が、少ない。
まるで、勝て、と言うような。
「まさか!」
その時点で、察した。本当にコーネリウスは、ここで勝ってほしいのだ。勝つことで士気を高め、次の戦……次のコーネリウスとの戦に備えてほしいのだ。
「時間稼ぎか!」
コーネリウス=バイク=ミデウスではなく。デファール=ネプナスの書いた図面を、レッドは見た。己を捕まえるのが目的だ、と。
クリスが、むしろ予想外の事態を引き起こしていたのだと彼は気づく。あの猛将に、あれほど完膚なきまでの勝利を求めていなかったのだと把握する。その事実からレッドの感情が生み出すのは激しい怒り。
「突撃を、続けろぉ!」
もう戦端を開いてしまった。勝つか負けるか。だが、この時点でレッドには選択肢が二つになった。
半端に勝って、コーネリウスとの戦を続けるか。
ここでコーネリウスを下して、ヒリャンの許に駆け付けるか。
半端に勝てば、コーネリウスとの対峙状態に戻る。彼との決着をつけずにピピティエレイに向かう行為を、麾下たちは敵前逃亡とみなすだろう。そうなれば、軍内統制の基盤が崩れかねない。
「勝ち切れるか……?」
己も前線に飛び出して剣を振るいながら呟く。大将が自ずから戦う行為に、兵士たちの士気が上がる。
「いいや、不可能ですなぁ。」
先に先に進み始めるレッドの軍に、立ちはだかる短躯の騎兵。その身に似合わぬ極大剣を肩に担ぎ、立ちはだかる姿はまるで壁。
「ここからは、行かせねぇ。」
師と王と王妃にだけは使わない荒い口調で、男は告げた。
「ペガシャール帝国軍『ペガサスの隊長像』、スティップ=ニナス。参る。」
とっさにレッドをかばおうとしたブエンを弾き飛ばして、レッドがその剣で応じる。
極大剣と旧き名剣が、火花を散らしながらぶつかり合う。
化け物ばかりか、とレッドは思った。
初めてアシャトと戦った時、ディールという化け物がいるのをチラリと見た。
あれほどの高みには届けない……エルフィールを見て思ったのと同じ感想を抱いた、それを強く覚えている。
オベール=ミノスと打ち合った。過去随一の力量を発揮していたあの瞬間でさえ、七段階格とは信じられない剛腕の持ち主に撤退を余儀なくされた。今も、あの屈辱は忘れていない。
クリス=ポタルゴスによって、己が師を、クレッド=ムニカを打ち倒された。敵討ちとまでは行かないが、それに近い情動を抱いて戦っている己を、レッドは客観的に見つめている。
そして、今。その小柄な体躯からどうやって放たれるんだと言わんばかりの、極大剣の一撃をいなしながら、戦い続けている。
自軍の兵士たちは己の大将の方をチラチラと見ながら敵に槍を突きだっしていて、それは敵方も同様だ。
気もそぞろな軍が二つ、真ん中でど派手に打ち合う武将二人の饗宴を眺めていた。
打ち合うこと、1分。あまりに無骨な演出、ド派手に繰り返される打ち合いは、途中で互いに弾きあうことによってわずかな……ほんの半分に満たない休息が与えられる。
「化け物ばかりか、貴様らの派閥は!」
「神に認められた正当な王が牽引する派閥だぞ、怪物が揃うのは当然だろう。」
その怪物の一人と打ち合っている、という事実を棚に上げながら、公爵家の嫡子は唸り声。
しれっと、己が「神に選ばれなかった」ことを指摘されて頭に血が上る。自分が選ばれると信じて疑わなかった。裏切られたとすら感じたほどの激情を思い出す。
「ほざけ!」
ゆえに、再び突っ込んだ。それでも諦めぬという思いを、その全身で示すために。
だが。だが。これは戦争。
いくらレッドが単身で強かろうが、カリスマがあろうが、軍の指揮に秀でていようが。全軍がレッドとスティップの戦いに釘付けになってしまっているのであれば、その結末は妥当だっただろう。
「ふう。終わろうか、レッド、様!」
極大剣が振りぬかれる。手綱を操って馬を止め、寸でのところで剣をいなしあげ、レッドは首を傾げた。
「逃げなくていいのか?アレが来るぞ。」
気づけば。レッドの周りには、レッドと彼の軍、そしてスティップしかいなくなっている。帝国派の軍勢はこの数分で大きく後ろに後退していて、逆にこちらに向けて全力疾走してくる一団の影。
旗は、槍と戦車。システィニア=ザンザスの、戦車部隊。
「全軍!」
ギョッと目を見開く。対策した上での戦車の突撃は正面から受け止められるが、対策のない突撃は逃げるしかなく。
「戦車から離れろ!魔術師隊!“土壁魔術”展開!」
その日のレッド軍の被害は三千、帝国軍の被害は千。
被害の割合では帝国軍の方が多く、おそらくレッドの活躍……己らの旗印の力を見ることによって、士気の回復も叶ったと言えよう。
レッドではクリスには敵わない、ということをレッドは悟っているが、兵士たちにはわからない。どちらもとんでもない高みにいるということだけを知っているだけだ。
「クソが。」
レッドは怒りに任せて拳を鞍に叩きつけつつ撤退する。馬がわずかに反応するのを慌てて宥めながら、しかし歯噛みが止まらない。
その日。レッドは、コーネリウスが望むとおりに、勝利した。
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