201.彼の誤算は

 コーネリウスが率いる軍勢はわずか3万、対するレッド軍は約10万。

 兵の数で劣るコーネリウスは、時間稼ぎだけをすればいい。


 だが、「だけ」と言い切れないのもまた戦場の理である。少なくともコーネリウスは、その時間稼ぎにレッドを付き合わせなければいけない。

 その方法は基本的に二つ。一つは、時間稼ぎだと悟らせないこと。要は、主力はピピティエレイを墜とそうと頑張っているが、こちらもこちらで本命だとレッドに思わせ続けること。

 そしてもう一つ。時間稼ぎだと理解していてなお、無視できない存在であること。背を見せれば討たれる。無視していくには強大な壁に過ぎる。そう思わせること。

 このどちらか、あるいはその両方を熟さなければならない。


 難しい。

 わずか三万の軍で侮れない敵だとレッドに思わせるのは非常に難しい、とコーネリウスは苦悩する。当然だ、兵力差は三倍を超える。では、時間稼ぎだと悟らせない方法は。

 これもまた、難しい。達成したければおそらく、一度は全力で正面激突する必要があった。

「とはいえ、兵数はどうしようもないが、兵種は多い。」

スティップがあくまで『隊長』であるのも好ましい。彼はペディアのように大人数を率いることは出来ないが、ペディアのように万能だ。どの部隊を率いても、一定の成果を出し続けることが出来るだろう。

 即ち、ある程度の苦境であれば対応できる、という意味に他ならない。


 とりあえず。陣が構築されていくのを眺めながら、コーネリウスは伝令を呼ぶ。

「クリスとエミル=バリオス子爵、あとアミアクレス=ペダソス騎士爵を呼べ。スティップとシスティニア=ザンザス男爵はそのまま陣構築を続けよ。」

前哨戦、まず一当たりしてから考えよう。前回と比べ、今回はレッドの兵士が少ないこともあり……コーネリウスは慎重に事に当たる気でいた。




 クリスは自陣の構築をスティップに任せて出陣した。

 あまり好ましくない状態である。何せ自分たちの寝床を自分たち以外に任せるのだ。気分のいいものではない。

 ペディアたちのように多少気心が知れているならまだしも……クリスはスティップと会話したことも、数えるほどもない。同じ『像』だからといって、親密というわけでもないのだ。


 前を向いた。敵は既に陣構築を終えている。

 つまり己らは、敵の堀も柵も飛び越えて敵を討たねばならない。

「野郎ども、戦争の時間だ。」

静かに呟く言葉は、しかし“拡声魔術”のおかげで響く。クリスの騎馬隊約三千、その全てが彼の言葉に耳を傾ける。

「敵の名はレッド。レッド=エドラ=ラビット=ペガサシア。愚かにも『王像の王』として選ばれたアシャト陛下に、『己の方がふさわしい』と反旗を翻す愚か者です。」

クリスの言は間違いではない。こと『神定遊戯』の状況に限れば、レッドの行為は愚かとしか言えない。


 だが、そんなものは関係なかろうな、とクリスは嘆息一つ。愚かとわかっていても、やらなくてはならないのが人の心と言うものだ。

 たとえ我儘と理解していても、彼は反旗を翻しただろうとは思う。

 『神定遊戯』さえ始まれば、王位は己がもの……それが彼の真実だったのだろうから。

「神の意に背く『神敵』を、俺たちは今から討ちに行く!その身、その心、その力、決して出し惜しみなど許されない!」

騎馬隊の瞳が見据えるは眼前。己らの20倍以上もの数がいる敵……レッド軍。

「安心しろ、俺たちには神の加護がついている!『ペガサスの騎馬隊長像』たる俺が保証する!」

人の力を超越した力、神の想い。それを疑う者はここにはおらず。

「全軍、突撃!」

それが威力偵察であることを重々承知で、クリスは最大の士気と力をもって突撃した。


 そうしなければ、兵の差と敵の強さに自分たちが呑まれかねないと、肌で感じていたから。




 一方である。レッド側とて、コーネリウスが最初に出してきた軍が威力偵察であることくらいわかっている。

 戦争の常道に照らせば、だいたい「挨拶」から入るものだ。これまで、アシャトたちにその余裕がなかっただけである。


 とはいえ、挨拶にも種類がある。攻撃側は攻撃側で、使用兵種や数、指揮官を選べる上、その攻撃地点や時刻等。そもそも攻撃側に回るか防衛側に回るかからして指揮官の選択である。

 対して、防御側である。こっちはこっちで、それなりに選択の余地がある。

 至極わかりやすいのは手段の選択だ。今回のクリスの騎馬隊による突撃に対し、レッドが取れる選択はおおまかに3つ。

 矢の応酬、自陣での防衛、迎撃。そもそもの指揮官の戦略的思想によって変わる選択だが。……言い換えれば、この選択を見れば、レッドがどういう意図をもって戦争に臨んでいるか。

 彼の戦略思想の一端には触れることが出来るようになる。


 例えば。そう、例えばである。

 わずか三千しかない騎馬隊に対し、その三倍以上の兵……1万の、かつ騎兵をぶち込むといえば、レッドの目標は察せられるというものだろう。

 余談ではあるが。3万の軍を率いていながら、場末の貴族の騎兵隊ではなく「クリスの騎馬隊」を使っている時点で、コーネリウスの狙いも随分と開け透けではある。


 それはさておき。レッドはコーネリウスの「挨拶」を全霊で叩き潰しにかかった。利点はいくつかある。が、最も重視するのが一つ。

 ここで、敵軍の部隊を叩き、勝つ。最初の戦である。それに勝てるというのは、大きい。

 自軍の士気向上、同時に敵に敗北を与えることによる、敵の士気低下。

 戦争というのは軍と軍のぶつかり合いである。個人で軍と相対し勝てるような化物はそうそうおらず、いても神の力を持つ者だ。基本はあくまで数と数の戦いであり、兵の士気……いわゆる「やる気」の高さが重要となる。


 指揮官のカリスマは当然大事だ。勝った後の報酬も無論重要だ。だが何よりも。

 「勝敗」という実感しやすい結果が、士気に最も影響する。


 そして、クリスたちを叩き潰すために派遣された騎馬隊の指揮をとるのは、エドラ=ラビットの誇る猛将、私属貴族クレッド=ムニカ子爵。

 エドラ=ラビット公爵領内で治安維持の役目を果たす貴族の一人であり、基本的に軍政ではなく自領のことをこなす一門の男である。が。

 政治闘争の時代が過ぎ、盗賊横行内部崩壊の時代にあって、エドラ=ラビット内の盗賊討伐数が最上位になった男だ。

 

 実現場における戦争経験が、単純に多い。

「迎撃開始!」

ゆえに、エドラ=ラビット内での評判も高い。かつてアレイア男爵が行っていたような、盗賊を民草に返すことこそしなかったが……それは権限不足ゆえに出来なかったことだ。

 民草には、農民たちには好かれていないクレッドではあるが。逆に兵士たちからは、崇拝に近い尊敬を集めている。


 即ち。レッド軍の士気は、たとえ相手が『王像の王』であろうと。その意を受けた配下であろうと全力を出して突っこめる程度には、高い。

 だが、クリスの軍も負けてはいない。元より神に支持された王の軍である。

 そして、クリスはアシャトが『王像の王』として立った時、最初から配下にいた将校だ。対レッドの初戦に始まり、ミルノー=ファクシとの一騎討ち、コーネリウスとの模擬戦、対ゼブラ公国での活躍。

 その全てにおいて、クリスは一定以上の成果を収め続けてきた。


 何より、彼の率いる三千騎のうち数百は、ヒトカク山に住まっていた頃からの部下である。

 クレッドがレッド派の兵士に慕われているのと同様、クリスに対するペガシャール帝国は兵士の信頼は篤い。

 ゆえに、互いに士気は最高。激突する両者に、やる気の差異はない。


「遅れるなよ!」

クリスが全軍の先に行く。彼の乗る馬は魔馬ペイラ。ゼブラ公国が降伏する際、アシャト王に献上されたもののうち、一番体躯のよかった名馬である。名を、クロロスという。緑がかった色をした、しかして名馬である。

 三千の中を真っ先に、その大将が駆け抜ける。

 兵士たちは彼の背を追い、離されまいと食らいつく


 クリスの黒髪が風にわずかに揺れ、口は狂気を示すようにわずかに弧を描く。

「ハハハハハ、死ねぇぇぇ!!」

強烈な一打。クリスの前に居合わせた敵騎が顎を打ちぬかれ、首の血管を切ったのか血をまき散らしながら宙を舞う。後続はそのあまりの光景に反射的に身を竦ませ、その隙をつかれて脳天が叩き割られる。

 鋼鉄を凹ませるのではないか。そう思わせるほどの武の暴力。それを視界に写したクリスの配下も、一人で戦わせないと言わんばかりに後を追う。

「全軍、怯むなぁ!迎撃しろぉ!」

距離がある分間延びしたように聞こえる、敵将の声にクリスの頬が歪みを深めた。応えるように突っこんでくる兵士たち、その練度の高さに目の細さもまた深まる。


 さながら蛇。馬に乗った蛇を思わせる奇形の顔で、男はクロロスに鞭打った。

「敵に、不足なし!」

強烈な敵を認識し、これぞ戦争だとばかりに猛将の武が狂い咲く。




 さて。この戦争の有利不利はどちらにあるか。

 士気は互いに軒高である。指揮官の質ゆえに、兵士たちもまた信頼して剣を振るえる。

 兵士数はレッド派の方が圧倒的に多い。その数が三倍差というのは、その有利不利を分けるのに十分な数だろう。

 だが、クリスには『像』がある。未訓練の農夫ですら訓練された兵士と同じ程度の身体能力に仕立て上げることが出来るこの『像』は、クリス麾下の「鍛えあげられた兵士」に使われてもなお意義を減じない。


 ゆえに、この勝負、軍勢同士の有利不利は、互いの指揮官の力量に完全に依存する。その場合……多くの将校が取ろうとする手段は、一つである。

「敵将を探せ!」

あまりにも苛烈な武を見せ、寄ってくる兵士をなぎ倒しながらクリスが叫ぶ。意を汲んだ兵士たちが目を皿のようにして敵将を探し始める。

 一方、クレッドの方も同じようにクリスを探して……はいなかった。指揮官の、武人としての力量の差を、彼は察してしまっていた。


 先に言うが、クレッドは弱くない。彼は齢30足らずの将校である。政治闘争の時代を終え、盗賊横行の時代に生きる将である。

 前時代は個人の武なんてものに価値はなかった。ないとまでは言いすぎであるが、しかしあるというには低すぎた。が、盗賊横行の時代はそうではない。


 この時代は極論を言えば生存競争の時代である。それゆえに、基本的に武の腕前がなければ生き残れない。在野から六段階格以上の武術家がポンポン湧いて出るのも、武の敷居が広がったからである……敷居が広くなれば高さもまた広くなるゆえに。


 だから、クレッドは別段弱くはない。この時代にはあまりにも多いが、世が世なら見つけるのにも時間がかかる、七段階格の槍術師だ。が。

 対するクリスは八段階格。武の格位の基本が一対多であるゆえに一概には言い切れないが、それでも、彼はクレッドより強い。

「削れ削れ!敵兵を一人でも多く斬れ!我らの勝機はその先にこそあるぞ!」

クレッドが叫ぶ。その咆哮は、底ではクリスと相見えるのを嫌ってのことだ。


 将同士の争いでは勝てない。故に、クレッドは兵同士の戦で決着をつけるべく、己も槍を振るって決着を急ぐ。

 が。将が兵と戦えるということは、即ち、彼は自軍の、そして敵軍の境に……最前線にいるという意味であり。

「見つけたぞ、敵将!」

ゆえに。彼に見つけられる可能性は、極めて高く。


「レッド派の指揮官とお見受けする。我が名はペガシャール帝国所属、『ペガサスの騎馬隊長像』クリス=ポタルゴス!いざ尋常に勝負せよ!!」

棒を振るう腕を止めず、油断なく突っ込む猛将。その顔を見て、クレッドは槍を止めて左腕を振るう。

「断る!これは戦争だ……貴様の趣味に付き合ってやる義理はない!」

「吼えたな、貴様!」

逃げるわけにもいかないクレッドはクリスを罵倒することで答え、昂奮の最中にいる彼は怒りで咆哮を挙げる。


 だが。クレッドのそれは、彼に対してはミスだった。激昂による判断ミス、それは、ペガシャール出身の相手には有効な手段だろう。

 しかし。しかしである。クリスは、ヒュデミクシア出身の男だ。感情。激昂。

 それは、彼らの中で、よるあるただの強化方法でしかない。

「邪魔だ。」

それまでにあった狂気的な笑みが消え去る。能面が如き無表情が、先程の笑みと相まってさらなる狂気を産み落とし。


 棒、一閃。宙を舞うのは兵士が3人、馬が2頭。人間の動きから離れた狂戦士のそれに、クレッドを守るようにはだかる兵士たちが皆腰を抜かした。

 へなへなと崩れ落ち、両手を地面に付く兵士たち。それは最悪の……怒り狂うクリスの前で取るには最悪の選択だった。


 頭蓋が馬蹄に踏み潰される。鮮血が派手派手しく地に咲かす。

 クレッドまでの道は、ないに等しく。


「クリス、やめろぉぉ!」

声が、聞こえた気が、した。

「死ね。」

あまりにも無慈悲な一閃が、クレッドの首を、引きちぎった。

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