199.ピピティエレイ誘導戦

 崩れた兵士たちが逃げていく。

 普段なら「逃げるな」と叫ぶところだが……問題はない。今回は逃がすことが目的である。

 優勢になって当然の戦ではあった。エルヴィンに油断はないし、罠もほとんどが解除されている。その上、傭兵たちが離反しただけではなく将校の首を確実に飛ばし、挟撃にまでしているのだ。

 むしろ、エルヴィンたち帝国派が劣勢になるようならその無能を嘆くべきである。


 それはそれとして、死物狂いの奮戦を要求される数日前の戦場と比べれば、気分がいい。勝利の確信。そしてそれ以上に、死の危険をそこまで強く感じない。

 ……感じないわけではない。圧倒的優勢とはいえ、戦場は戦場。死は常に隣にあるもので……とはいえ、あれほど強くはない。


「もうほとんど崩れたか……ん?」

眼の前に、逃げる彼らを守るように聳える部隊が一つ。掲げられた旗に描かれているのは、投槍機に番えられた槍と、黒い薔薇。

「フェリス=コモドゥスか……。」

比較的出来る方の指揮官だと、聞いている。この内戦が始まってから取り立てられた一族だとも。そして何より、なぜかいきなりペディアの婚約者に収まった、リーナ嬢の実家だとも。

 どうするか。一瞬の躊躇が生まれる。とはいえ突撃の速度は落とさない。敵兵を砦へと駆り立てる。

「……あいつらにも後退してもらわないと困るが。」

周囲を見れば、包囲されているに近い自軍の状況。敵が浮足立ち、逃げまどっているから被害が微細なだけで、このままフェリス=コモドゥスに挑むには少々心もとない。

「一時後退、三分駆けた先で態勢を立てなおし再突撃!とにかく、一時後退だ!」

フェリス=コモドゥスがいかほどのものか、エルヴィンは知らない。実際戦っていない相手を理解するのは、たとえデファールであっても出来ない事だ。


 知らないからこそ、そして前回痛い目を見たからこそ、安全策を取る。それは、妥当な判断だったと思う。

 指示に従って、兵士たちが、貴族軍や寝返った傭兵たちが撤退を始める。一万を超える軍勢が私の一声で撤退を始めるさまは壮観だ。器では、ないが。

 その壮観なさまを眺めてから、馬首を巡らせる。……いや、ダメだ。

「なんの!」

首筋に走った悪寒。背より首だった。狙われているのだろうと思って、槍を振りぬく。

 投槍が、転がっていった。弾き落とせたのは奇跡に近い。これが武人の勘だろうか、と思いつつ振り返る。


「突撃!!」

投槍機を振り切ったような姿勢で、男が叫ぶ。さっき弾き飛ばした投槍は、彼が投げたものらしい。

「あ……危なかったですね。」

絶句。一瞬遅れれば、死んでいた。その確信と共に、身震いする。


 今、あの男、突撃と言わなかったか?




 勝てると思っていない。ただ、ヒリャン様の指示は私の元にも届いていた。

 砦に入るな、可能ならば突破せよ。無理だ、と思う。

 眼前で逃げまどう兵士たちを見て、叱咤激励する気がネイチャンにはどうしても湧かなかった。そりゃあそうだ、叱咤したところでたかが知れている。ネイチャンは己の価値を過つことはない。


 だが。今眼前に迫っている敵を抜けて、レッド様に合流するという目的だけを、フェリス=コモドゥスの軍勢のみでやろうとするなら、達成できる。そう思って、機を見て、突撃した。

「エーレイ=ビリッティウス子爵!」

次の投槍を装填する。彼を落としておきたい、と思う。まあ無理だろうとも思う。

 唯一の機会は、おそらく勘で対処されてしまった……ように思う。

「落ちろ!」

それでも、投げた。勝利のためには、自分たちの目的を達成するには、それが一番効率的だと思って。


 弾かれる。そりゃそうだ、武人としての格が、ネイチャンとエルヴィンでは全く違う。が、ネイチャンの目的……ほんのわずかな足止めには成功した。

「突き抜けろ、レッド様の部隊に合流する!」

「抜けさせていい、それ以外の雑魚を砦に入れる方を優先しろ!」

二つの指示が重なる。その指示に違和感を覚えながら、ネイチャンは帝国派の軍を突破する。


 北東方面、貴族連合軍。ピピティエレイの中に撤退。フェリス=コモドゥス伯爵の軍勢1万たらずを見逃すも、十分な戦果を得た。




 向かってくる敵の姿を見て、ペディアは頷いた。

 本当に来たのか。エルヴィンは後ろを通したのか。とりあえず、先回りするように部隊を横列展開させる。

「後ろにペディア様がいることを知っていたから、エルヴィン様も敵を逃がしたのです。」

ポールが明るく言った。慰めるような、奮い立たせるような、そんな感じの力強さである。俺のやる気のなさを嗜めるようにも聞こえた。

「まあ、いい。敵は……。」

じっと旗を眺める。投槍と、黒薔薇。フェリス=コモドゥスの紋章。なんて因縁めいた話だ、と思う。


 ペディア=ディーノス。ペガシャール帝国南方、フェリス=コモドゥス伯爵領に生まれた。より正確に言うならば、公族貴族フェリス=コモドゥス伯爵領私属貴族アレイア男爵代官地ディーノスの街で生まれた。

 ああ。この戦いは、かつての主人の主人との戦いになる。

「敵兵数、一万……未満!九千と少しだと思われます!」

「そうか。」

こちらの軍は、二千と、他の貴族たち二千ほど。『赤甲連隊』は合計八千、四方に四隊に分けている以上、数の不利は否めない。が。

「敵の全員捕縛を命令する。出来るな?」

「は!」

敵があの程度であれば、勝てる。少なくとも俺は、そういう風に判断した。


「『ペガサスの連隊長像』よ!」

胸の奥から引っ張り出した「力」。全身鎧の『像』に対して、意思を込める。


 全軍の力が向上するのがわかる。身体能力1.4倍の恩恵が、ペディアの率いるわずか二千、全ての兵士に行き渡る。

 貴族軍には与えられない。『連隊長』の権能は、『連隊』全てに行きわたるが、『連隊』の規模は『王』『継嗣』『元帥』『将軍』……前例はほぼないものの『王妃』、この六者のみが指定権限を持つ。今回ペディアは、その範疇を指定されていない。であれば、事前規定通り、『連隊長像』の効果範囲は『赤甲連隊』のみである。

 だが、ペディアは笑みを崩さなかった。圧倒的に兵数で不利な、敵を逃がさないための戦。それでも、勝てると踏んでいる。

「一兵たりとも逃がすな!」

大盾を空に掲げた。ペディアの配下たちが声を挙げる。

「かかれぇ!」

フェリス=コモドゥス伯爵軍。『赤甲連隊』に阻まれ、停止。


 主将たるネイチャンは、他でもないペディア=ディーノス自身の手によって生捕にされた。




 北東方面貴族連合軍潰走、南西方面ラムポーン=コリント伯爵軍敗走。

 エルヴィンが敵に衝突してわずか30分の間にもたらされたこの二つの情報を受け、真っ先に前線が崩れたのは、北西方面……ヒャンゾン=グラントン=ニネート伯爵軍が留まる一面であった。

 無理もない。こと「戦意」に限っていうならば、この方面は最初から終わっていた。戦況が拮抗することになったのは、ミルノーがあくまで突出した「個」でしかなく、トリエイデスの部隊が本質的に寄せ集めの盗賊集団だったこと。

 この方面を任されている帝国側の軍勢は、どこまでいっても烏合の衆であった。たいして、アダット派側の軍勢は、ニネート子爵軍が奮戦していた。


 ゆえに、全体的に戦意のないレッド派の軍勢が持ちこたえることが出来ていたのである。

 ならば。ならば、である。それに追い打ちをかけるように、ニネート子爵軍ですら戦意を喪失するような情報があったのなら、その軍は壊滅する、という事実にほかならず。

「撤退!撤退!」

ニネート子爵軍、敗走。ヒャンゾン=グラントン=ニネートはピピティエレイに引っ込んだ。




 三方面で落ちた。聞いた瞬間、もはや抜けることは不可能だとヒリャンは即断した。

 いや、即断というには遅きに過ぎる判断かもしれない。が、本当に「勝機」を掴むためなら、ギリギリまで粘る必要があったのは確かだろう。

「撤退!撤退!」

「させるか!」

斧が振り被られる。“斧酒鬼”ジェンディーがその首を落とさんと迫りくる。

「ッ!」

槍を投じる。“戻りの投槍”であれば、投げることに躊躇はない。槍は斧の先端にあたってギリギリ弾き飛ばされることになった。


 必死になって逃げる。もうヒリャンに勝機はない、そうわかっていても逃げるしかない。

 ヒリャンはまだ死ねない。それを、彼は知っている。

「ヒリャン様を守れ!」

兵士たちが間に入って、肉壁によってジェンディーを阻んだ。その間に槍を握りなおし、馬腹を蹴る。

 総大将ヒリャン、逃亡。ピピティエレイへの撤退。


 呼応するように、兵の損失が100程度に収まっているテッド子爵家当主カンキも撤退。帝国派軍勢は、レッド派、ヒリャンを総大将に据えた軍勢を、ピピティエレイに閉じ込めることに成功した。




 グラリグラリと視界が揺れる。

 “輝ける槍”よって地面が抉れた、その衝撃と岩をその身に浴びたトージは、痛む節々を押さえながらも立ち上がった。

「どれだけ、気を、失っていた?」

「一分に満ちません、トージ様。……立てますか?」

「立てる。そこのお前、私を背負え。少しこの場から離れる。」

「な、なぜです?」

指揮を続行する意思がありそうなトージの「移動」。コリント伯爵家ではほとんどあり得ぬその言葉に、驚愕するように兵士が問う。

「ジョンが、“輝ける槍”を、一度しか放てぬと思うか?」

思う、というのが兵士の率直な感想だ。だが、トージは知っている。ジョンが、この場に届く魔術陣を持ち歩かないことを。それほど荷がかさばるものを持ち運ぶのを、将たるものはあまり是とせぬことを。


 ならジョンが放ったあの魔術は、『魔術将像』の力を用いて発動させたもの。そして『魔術将像』は、顕現させ力を用いるだけで、所有者とその配下の軍勢の魔力量を大きく底上げさせる。

「指揮は執る。が、今私が指揮を執れば、私が生きていることが奴に伝わる。その前に、居場所だけは、隠さねば。」

生きていることが知られれば、そして居場所がバレれば、再び“輝ける槍”をもろに食らう羽目になる。

 さっき生き残れたのは、予測と、万全な体制と、必死に逃げるだけの体力があったからだ。


 多くの近衛魔術師を失い、敵が二度目を放つタイミングが読めず、かつ全身に傷を負って逃げづらい……そんな状況でジョンの魔術を受けられるとは、トージとて思っていない。

「逃げる必要はねぇぜ。」

だが。現実はもっと非常だった。トージが放った魔術をもって、そこに大将がいると割れれば。彼女はそこにやってくる。

「お前は今から、私の捕虜だ。」

グッと後ろから襟首が掴まれる。トージの首元に槍の穂先が付きつけられる。


 生き残った近衛魔術師が魔術陣を構えて、乱入者の前に立ち……しかし、人質にされている人物は、他でもない彼らの主だ。

「おま、え……。」

「コリント伯爵軍大将、トージ=ラムポーン=コリントは、今より『ペガサスの跳躍兵像』“放蕩疾鹿”ニーナ=ティピニトが捕虜にした。……じゃあな!」

彼女がその場から「消える」。“短距離転移”を繰り返してきた女がやった、一日一度限りの“長距離転移”。“短距離転移”“長距離転移”合わせて“認識転移”と呼ばれる、『跳躍兵像』の固有能力。それによって、トージは南西方面から完全に隔離される。


 南西方面は、その一打によって、ピピティエレイへの撤退を余儀なくされた。

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