198.魔術戦争、決着

 嫌なことを思いだした、とトージは大きく頭を振った。それでもなお頭に浮かび上がる、怪物二人の暴力的な戦い方。

 “黄餓鬼”ギャオランはたった一人で三千近い歩兵を蹂躙してのけ、“黒秤将”ズヤンは魔術師として単純に格上だった。


 トラウマに思考を持っていかれた時間は10秒に満たない。急襲を受けたわけでもなく、10秒未満なら、戦況にさしたる差はない。元よりトージが優勢に進んでいた戦局だ、ズヤンの登場程度で、大きく戦局は動かない。

 ギャオランがいれば、話は別だった。が、今ここにはいない。ズヤン=グラウディアスは、最前線で暴れまわる怪物と、それを補佐できる仲間がいなければ、『魔術戦』での影響はあまりない。

 ズヤン=グラウディアスは、魔術戦闘の達人であるだろうが、魔術戦争の達人ではない。魔術戦争を熟すことは出来るだろうが、彼の本領は、その汎用性にあるのだから。

「近衛魔術師部隊!“魔阻結界”を全面に組め、早く!」

だが、それでも。ズヤンの参戦はこの戦況にとって大きな意味合いを持つ。トージにとっては圧倒的な苦境、ジョンにとっては追い風となるほどの意味合いを。


 トージは徹頭徹尾、コリントの魔術戦を仕掛けていた。

 歩兵を、騎兵を、弓兵を補助し、敵魔術師を疲弊させ、同時に自軍魔術師を守る戦争を。兵士の消耗戦による勝利を目指していた。

 それは偏に。その方法でなければ、トージはジョンに勝つ方法がないからである。奇襲は叶わない、魔術戦争の達人であるトージには、汎用的な戦争も、騎馬を用いた奇襲も、あるいは埋伏と撤退ですらも、凡人レベルでしか出来ず……ジョンもまたそれを知っている。

 トージの思いつけるありとあらゆる奇手は、ジョンにも読めうる凡手である。故に、魔術師として、魔術戦の舞台で戦ったのだ。消耗戦を行ったのだ。


 ジョンが取れる、対トージ相手に勝利できる、唯一の手を潰すために。

「歩兵支援の次元を上げる、やられる前にやるぞ!」

直後。おそらくジョンがいるであろうと予想される位置が、煌めいた。




 ズヤン=グラウディアスの参戦によって何が変わったか。

 ジョンははっきりと断言できる。攻撃に専念できるようになったことである。

 “鋼鉄要塞”“黒き天秤”といった派手な魔術でトージの軍を混乱させ、攻撃の手を緩めさせた。それ以降、主導権はどちらかといえばジョン側が握っている。

 だが。だがである。ズヤン=グラウディアスは傭兵だ。

「コリントの魔術戦争についていけていない。」

本当についていけていないのだ。なぜ「体力を削ることに専念しろ」といってきたのか、わからないほどに。


 父は攻撃の手を緩めない。むしろ苛烈に反撃を仕掛けている。こちらも防御を捨てた攻撃魔術や攻撃補助魔術を連続して放っているが……どうも、勝機に欠ける気がしてならない。

 だからこそ、わからないことが、3つ。

 なぜ、父は、トージはあんな早期に、“流星一閃”を用いたのか。魔術戦争のセオリーを無視してまで。

 なぜ、父は未だに、これほど苛烈に攻撃を仕掛けているのか。一度手を緩め、好機を待つべきタイミングではないのか。

 最後に、なぜ“黒秤将”は、自分が防御を受け持つと言ったのか。逆の方が、まだうまく回ったのではないか。

「いや……兵士の数の都合があるのか。」

ズヤンという個を活かすための傭兵部隊、それがズヤンの部隊だったと後から聞いた。軍隊ではなく傭兵であるという前提で考えるなら、賢いやり方なのかもしれない、とも思った。


 だが、言い換えれば。兵士の体力を削り合う消耗戦を行うためには、あまりにも手数が少ない、という意味にもなる。

「そもそも用途が違うからな。」

コリントと黄飢傭兵団の、ではない。ジョンとズヤンの、である。

 ジョンはコリント伯爵家の総指揮官、魔術部隊隊長だ。歩兵や騎兵の動きに連動して魔術部隊を運用するための教育を叩き込まれている。指揮する単位は小隊単位であることが多いが、全てが魔術兵部隊である。『魔術の名家コリント伯爵』を正しく解するなら、『魔術部隊以外は指揮しない一族』だ。


 対して、ズヤンは違う。彼は魔術師であるが、部隊運用自体は全ての兵種においてやってのける。魔術に囚われる必要はない。

 ズヤンはどちらかといえば複数部隊の部隊長を指揮する『将校』。ジョンより見る戦場の視座が高い。

 3つ目の。防御を受け持つズヤンの意図を理解する。では、父トージの意図は何か。


 間断なく魔術の指揮を出し続ける。

 風魔術で敵を阻む。冷気と暖気を用いて兵士の皮膚感覚を狂わせる。投石系魔術を用いて兵士を殺し、あるいはその衝撃にて地形を変える。そして、“火球魔術”や“既定の矢”で人を殺す。

 確かに、あの“流星一閃”は、ジョン達を不利にするに十分な効果を持っていた。あのままズヤンの介入がなければ、敗北は必至だったろう。だが……だが、本当に、それだけの為に“流星一閃”を放ったのだろうか。


 眼下では派手な戦争が続いている。特に“黄飢傭兵団”の残党が参戦してからは、派手という言葉では実は足りないのではないかと思うほどの惨殺が起きている。

「もし僕が父上なら、“黒秤将”を何としても封じ込めるのに。なぜ、僕を……?」

ズヤン=グラウディアスを放置して、最前線で暴れることを許してでも、父はこちらを攻撃してくるのか。軍隊攻撃の手を緩めないのか。

「“黒秤将”を放置しても負けない……?それとも、“黒秤将”を自由にしてでも攻撃しなければ、負ける……?」

“流星一閃”を放たれた故に負けかけたのが帝国派だ。その程度の相手に恐れることなど、あ。

「あぁぁぁ……。」

理解した。何かが降りてきたかのように、理解した。

「……恐れているのは、僕か!」

胸の前に手を翳す。中から力を呼び起こすように、意識を向ける。


 掌の上。馬を背後によせて立ち、片手をその馬の帯径辺りに触れさせて、もう片手で本を開くローブ姿の人の模型が……『像』が顕れる。

「『ペガサスの魔術将像』よ!」

わかれば、あとは簡単だった。


 トージが、父が早々に“流星一閃”を放った理由も、未だに攻撃の手を休めない理由も、わかってしまえば簡単なことだった。

「父さんは、僕が、怖いんだ。」

僕の目の前で、美しく大きな魔術陣が煌めいた。




 『ペガサスの魔術将像』、その能力はいくつかあるが。

 基本的には、『賢者像』の劣化に近い、とジョンは書物で読んでいる。正確には、『賢者像』が『魔術将像』の上位互換だ、とコリントの書物にはあった。

 その効果は、配下……部隊全員の身体能力1.1倍化、魔力量1.6倍化。『像』の力を解放すれば、麾下の兵卒全てにその効果がいきわたる。

 だが。ジョンの今回の『像』の本題はそこではなかった。本人に与えられる、身体能力1.1倍と魔力量1.6倍、これですらジョンは付録にしか見ていなかった。

 今この瞬間、必要なのは二つ。

 敵将トージ=ラムポーン=コリントの位置と、そこまで届く攻撃魔術陣である。


「父上。あなたは……本当に、経験豊富でいらっしゃる。これを予期していたから、僕に攻撃させまいとしていたのですね。」

コリントの魔術戦争は、持たせる魔術陣と部隊が統一されている。どの魔術がどの位置に着弾、あるいは効果発動が起きたかを集めれば、部隊の位置を特定できる。

 言い換えれば。敵将トージの位置も、わかるのだ。だって僕はコリント伯爵。


 使う戦術も、魔術陣も、部隊配置も。全てが父と同じだ。同じなのだから、間違えようがない。

 問題は距離の方だった。敵との距離は凡そ理解している。ピピティエレイで戦争が始まる前に、周囲一帯の地図は全て頭に叩き込んだ。ただ、そこまで届かせるだけの魔術がない。

「ない?そんなわけがない。持ち歩いていないだけだ。」

一キロ近い距離。それだけ飛ばす魔術がないわけではない。単発の不意打ちのような魔術であれば、使えるよぅにしている部隊すらある。だが。トージの周りには、近衛魔術師部隊がいる。防御系魔術を基本とした遅延魔術……父を生かすための魔術を複数所持した、優れた魔術師で構成された部隊が。


 そんなものを通り抜けて父に魔術を当てられるほどの高威力の魔術は、持ち歩いていない。

「ないなら出せばいい……!」

描けば、とは言わない。それほど高威力な魔術陣を描くには、膨大な時間がかかる。僕が全速力で書いても、30分はかかると思う。

 でも。『魔術将像』には、その過程を省略できる手段がある。

「“術陣不要”!」

頭の中に散々叩き込まれた、一つの魔術陣。魔術の名家コリント伯爵家にいた頃、レオナが作りあげた魔術陣。


 ジョンがたった二つ使える九段階魔術、その片割れの射程を大きく伸ばし、威力もそこそこに強め、その割に魔力消費量を同程度になるように描きあげられた魔術陣。

「これで終わりです、父上!“輝ける槍”!」

九段階魔術。『輝き』を関するがゆえに飛翔速度に非常に優れ、『槍』を関するがゆえに貫通力に非常にすぐれた魔術。

 勝利の一手が、放たれる。




 トージがあの戦場で、『黄飢傭兵団』という新米傭兵団にほぼ敗北という形まで持っていかれたあの戦場で学んだことは多くあれど、一つ、絶対的に胸に刻み込まれたことがある。

 “黄餓鬼”ギャオラン。そして“黒秤将”ズヤン=グラウディアス。この二人によって、学びたくないことを強制的に学ばされた。


 あの戦場。兵士たちは連携がなっていなかった。指揮官による統率こそあれど、拙いものであった。まだ途上、という部分は相当あった。なのに、負けた。


 圧倒的な『個』というのが戦局を左右した。

 “流星一閃”を覚えた理由が、その『個』になりたいが故であった。その青い欲望を大事にしまっているトージは、あの『個』の存在を、その対策を必死になって考え。


 レオナ=コルキスという人外を見た。彼女と共にいる己の息子が、彼女の影に隠れていながらもその『個』としての実力を育んでいることを理解した。

「もし万が一息子と戦場で対峙することがあったら……決して、ジョンを『個』として動かせさせてはならぬ。」

トージは、常にそう考えていて。そして、実際やってのけていた。


 ジョンに、“輝ける槍”を発動させてはならない。兵士の消耗戦を行わせている限り、ジョンがそれを使うことはない。

 これが、ヒリャンとデファールの指揮の下で戦う争いなら、総指揮官を魔術で狙撃することで勝利するという構図は完成しなかった。総大将の位置が、ジョンにわかるはずもない。デファールやヒリャンでさえ、それぞれの手の内を完璧に把握していないゆえにおおよその位置はわかっても狙撃は最後の手段になるはずだ。

 だが。総指揮官が、『討てば勝てる』指揮官がコリントだけであれば。


 互いにコリントである。手の内は知っている。場所もよく知っている。そして、戦争とは畢竟、伝令が部隊に指揮官の指示を伝える速度がものを言う世界であるがゆえに……決められた陣形の内でその所在を変えることは、叶わない。

 なら勝機は、必ず、その『総指揮官』の元に魔術を届けられる者が勝つに、決まっていて。




 前面に、光が見えた。

 近衛魔術兵部隊が“魔阻結界”を張る。気休め程度に、木製の盾が突き立てられる。

 意味がない。トージは反射でそう考え、左方向に全力で駆けた。


 背後で、轟音。木々が斃れる音。“魔阻結界”が敗れる音は聞こえなかった。あまりにも凶悪な速度と威力に、結界は何の役にも立たなかったのだろう。

 吹き飛ばされる。槍が地面を抉ったのだろう。石が背に当たった感覚。岩でなくて、よかったのだろう。

「トージ様!」

声が、うっすらと聞こえて。

「全軍に、撤退、命令。」

辛うじて、声を絞り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る