195.魔術の親子

 北東はエルヴィンが、北西はミルノーとトリエイデスが、南東はデファールが担当して突っ込んでいる。

 現状、その三ヵ所全てにおいて、矛が盾より勝っている。帝国派の優勢は変わらない。


 『像』を行使してまでの戦闘を行っているのは、『隊長像』エルヴィンと『兵器将像』ミルノーのみ。ミルノーはその強みを活かすために、エルヴィンはその弱みを誤魔化すために、『像』の力を持って戦っている。

 まだ、帝国派の軍全体に身体能力・魔力量強化を付与するデファールの『元帥像』は、使われていない。


 だが、一ヵ所。デファールが「負けるかもしれない」とすら予想した方面が、一つ。元来トリエイデスかミルノーを補佐につけたかった一面。

 南西方面。『ペガサスの魔術将像』ジョン=ラムポーン=コリントと、レッド派魔術部隊指揮官トージ=ラムポーン=コリントの激突である。




「「歩兵隊、前進!」」

二人が同時に声を上げる。敵味方別れていようとも、元は出所が同じ一族の親子。家で培った基本戦術は二人とも変わらない。

「「第一、第三魔術師部隊、“火球魔術”、第二、第四魔術師部隊、“消火魔術”、放て!」」

ほとんど同時に下される命令。魔術の発動範囲や座標指定は、各部隊ごとに分けられている。そして、ジョンもトージも己の『コリント伯爵家軍』一万を何の気兼ねもなく連れてきている……彼らに全力を出さない理由はない。


 真っすぐに飛んだ炎が、まっすぐに飛んできた魔力塊とぶつかって消える。互いに何の打ち合わせもなく同じ魔術を撃ち放つのは、『魔術の名家』の培った経験と歴史故。

 『ラムポーン=コリントならこうする』という基本的な勉学が、互いを打ち消しあっている。

「……前線指揮官が欲しいな!第九、第二十、第二十八部隊、“熱気魔術”!第六、第十一、第二十一部隊、“常気魔術”!!」

多汗を促し脱水症による戦線離脱を促す魔術“熱気魔術”。それに抗い大気を常温に保つ“常気魔術”。互いの魔術が熱気を生じさせ、ほとんど同時に消失させる。

 本当に徹頭徹尾教科書通りの戦だった。親(子)が放つ魔術は、どこまで行っても子(親)が学んだ魔術戦争の延長でしかなく。二人に才覚がないことを、これ以上なく際立たせる。

「「それでも勝つのは、私(僕)だ。」」

親子はほぼ同時に、呟いた。




 ジョンの魔術支援がほとんどない。それを感じ取りながら、リュートは槍を振るっていた。

 拳で戦った方が強いとはいえ、ここは戦場。一騎打ちなら拳で頑張るが、敵が一人でもないのに武器を使わぬ理由はない。ましてや指揮官だ、馬上で拳を使って戦うのは……本当に一騎打ちの時だけにしてほしかった。

「右翼第三、第十一部隊、後方へ撤退!20分後に部隊の後ろにつきなさい!右翼残り部隊は前進、最前線が第四、第十二部隊になるようにしなさい!」

リュート=イーディス=フィリネス侯爵。ゼブラ公国侵略戦で大きな戦果はなかったものの、堅実な戦は定評があった。

 ゆえに今この瞬間、彼はジョンの部隊に配置され、前線指揮官の一人として働いている。


 指揮する部隊数は二千。全体的に見れば少ない。家格として見ても、圧倒的に少ない。二千の兵士の指揮官というのは、元来男爵クラス……子爵ですらちょっと少ないと苦言を呈される次元の兵数である。

 だが、その少ない兵数を指揮するリュートはもういっぱいいっぱいだった。

「左翼も交代の時間です!担当は誰ですっけ……ああ、エヅルガート男爵に命じて正しく撤退させるように!」

己の私属貴族の管理も危うい。最前線で出張って戦うにしろ、もう一人上の指揮官が欲しい。それがリュートの切実な願いである。


 言うまでもないが、南西方面の総指揮官はジョンである。

 元来、リュートの望む『もう一つ上の指揮官』はジョンである。

 だが、ジョンはあくまで『コリント伯爵家』の者。魔術戦争に長けていようと、普通の戦争の指揮が得意かといわれると……まだペディアやトリエイデスの方が上手くやる。

 ジョンは、総合戦には向いていない。あくまで魔術師部隊の部隊長である。


 では、どうすれば彼は……南西方面を受け持つ部隊が勝てるのか。リュートは必死に頭を巡らせて考える。

 局地戦レベルであれば、彼の必死な思考は形を結んだかもしれない。残念ながら、ここは大規模戦場。余計な思考は、ただの資源の無駄遣いだ。

「……!」

目の前がわずかに崩れる。気づけたのが幸いだった、飛び込めば間に合うと判断したリュートが、馬から飛び降りて拳を一つ。

 十人ほど殴り飛ばすことで、崩れた前線が持ち直す。五段階格の魔術拳士。そんな男ですら、凡百の兵士たちに対してそこそこ強く出られる。六段階・七段階格ともなってこれば、なおさら。


 ああ、それでも。

「騎兵、突っ込めぇ!」

機は外していない。確かに、騎兵が突っ込むべき穴が敵にはあった。だが、それをこじ開けられるだけの騎兵の練度を、リュート……フィリネス侯爵軍が持ち合わせていないことだろう。

「不利だぞ、本当に……!」

『ペガサスの魔術将像』。配下に身体能力1.1倍、魔力量1.6倍を与える『像』の能力。今のところ、恩恵があまりにもないためにジョンは力を使っていない。


 つまり、純粋な数の差で……ジョンの軍が圧倒的に不利であり。

 ジョンが勝つには、トージに魔術戦で勝利を得る必要があった。




 実に20分にわたる攻防、読み合い。

 ただただ定石の撃ち合いに終始しつつも、決定権を互いが持たないままに魔術を放たせ続けることに、先に痺れを切らしたのはトージだった。

「そろそろジョンも痺れを切らす。その前に先手を打つ。」

副官へ、そして伝令兵たちへ告げる。

「第1から第15番部隊、“強風襲来”の用意。1分後に発動させろ。」

紡ぐ。口から謡うように紡がれる言葉は、ジョンに対する死刑宣告。

「“流星一閃”。」

トージ=ラムポーン=コリントが使える唯一の『九段階魔術』が、世界に現象を産み落とす。




 空にその魔術の痕跡を発見したとき、ジョンはほぼ反射で叫んだ。

「全軍!“破撃魔術”!」

部隊名すら指示しない。敵が父たるトージの時点で、その手は予想していた。ゆえに、対策は万全、のつもりだった。

 五段階魔術“破撃魔術”。魔術か実物か問わず、そこに発生した現象を破壊せんとする魔術現象。

 それひとつで、九段階魔術が壊れることはない。九段階魔術ともなれば、威力・精度・そして術式の強度すらもが“破撃魔術”の数十倍に達する。

 だが。だがである。ジョンの魔術師部隊は、その人員が1万に近い。

 1万名もの魔術師が同時に放った“破撃魔術”、一度なら通らなくとも二度、三度と同じ魔術をぶつければ。

 たった一度きりの“流星一閃”に対して、総計4万発に近い“破撃魔術”を当ててしまえば。どれほど強大で強力な一撃であっても、必ず破壊することは、可能である。

「よし!父上の切り札は封じた!」

事実に単純に喜びの声を上げる。トージ=ラムポーン=コリントは七段階格の魔術師である。格が二つも上の“流星一閃”こそ放つことが出来るが……言い換えると、彼はそこ止まりだ。


 次の魔術は、ない。トージの魔力総量から考えても、向こう三時間はトージ自身に魔術を放つ力はない。

 だから。だからこそ。トージがその魔術を放ったことに、ジョンは気が付かなかった。

 ジョンの軍勢の前線。魔術師たちの後援を受けるようにつき進む歩兵・騎兵・弓兵たちの戦場。

 そこに、吹き下ろすような“強風襲来”……継続的かつ切れ目のない、落石でも落ちてきたかに感じるほどの巨大な風の圧が、前線に襲い掛かっていることに気づけなかった。


 魔術戦争の秀才であるトージとジョン。この二人の力量を区分したのは、才覚でも魔力量の多寡でも、ましてや兵数でもない。

 ただの、経験値の差だった。




 上手く嵌った。

 若いころ、無謀にも己の手に余る魔術を撃ちたいと苦慮したことがある。

 たった一人で戦局を変えうる魔術を放つ異才の男。そんな言葉に憧れて、七段階魔術を20程覚えた段階で、八段階魔術をすっ飛ばして九段階魔術に挑戦した。


 はっきりと言い切るが、あの当時九段階格の魔術師なんていなかった。九段階の魔術を撃てる人物ですらほとんどいなかった。

 だから、トージはやろうと決めたのだ。若さに任せて、自分の才能を過信して……三年近くの努力の末、“流星一閃”を会得するに至った。


 今となっては、「若かったなぁ」としか思えない。“流星一閃”は確かに強力な魔術であり、一撃で戦局を変えうる魔術ではあるが。味方に対する被害も大きく、使いどころが限られすぎる。

 そう、例えば。即興で攻撃座標に関する魔字を書き換えて使うことが出来る“術陣不要”があるか、そもそもにして閉所の中にいる兵士を蹂躙するために使うような。そんな状況下でもなければ、『九段階魔術』など、ましてや広範囲攻撃になる“流星一閃”など、使いどころが、ない。


 それでもトージはここで使った。今ならあの時間が無駄ではなかったと言い切れる、なぜなら今、敵は対魔術に関する防衛がなされていない。

 ただ一つの魔術の為に、全兵士が一点集中の猛撃を為してしまったがゆえに、その魔術を防ぐ手立てがない。

「やれ、“強風襲来”!」

「「「“強風襲来”!!!」」」

兵士たちが呼応する。吹き下ろす風が敵兵達に膝をつかせんとばかりに襲い掛かり、抗う兵士たちはそのためだけに多大なる体力を消費する。


 戦争の基本は殺し合いだ、という者がいる。戦争の基本は戦略だ、という者がいる。戦争の基本は勢いだという者がいて、堅実さだという者がいて、士気の高さだという者もいる。

 そのどれも間違っていないかもしれない、本質ではないのかもしれない。

 だが、トージ達コリント伯爵家……魔術戦争を行う者にとっての魔術の基本は、如何に味方の体力を保持し、敵の体力を削るかである。

「続けて16、22番部隊!“火球魔術”!18、30番部隊、“既定の矢”!」

敵がこちらの“強風襲来”を防止できないよう、攻撃を仕掛ける。魔術師部隊をピンポイントで狙撃できる魔術持ち達に、全霊をもって魔術の発動を促す。


 流れはこちらのもの、という確信。それをあざ笑うかのように、二つの魔術が発動された。




 やってくれる。

 兵士たちが膝をつくさまを“遠視魔術”で確認して、ジョンは首を振った。

 これでは、消耗戦で負ける。吹き下ろす“強風襲来”を止めなければ、ジョンに勝ち目はない。

 己の父がやったことを朧気ながら理解したジョンは、経験の差を見せつけられた気がした。


 確かに。“流星一閃”は来るとわかっていれば、致命的な打撃を受ける前に阻むことが可能だ。だから、それを囮として使う。

 戦争とは極力、兵士を減らしつくした方が勝つのだ。そして兵士の体力の消耗というのは、それが長期戦であれ短期決戦であれ、大きな影響を持つ。

 兵士の数の利を覆すことすら出来るのが体力であり、戦い続ける体力というのは、それひとつを減らされるだけでも戦争の勝敗に直結するのだ。


「第61から75番部隊。“強風襲来”準備。」

吹き下ろす風の横腹を叩いて風向きを変える。それが今回の必須条件だ。そして、それを発動させるためには、己たちに向けて飛んでくる魔術の群れを全て阻む必要がある。

「第1、 第5、第12番隊。“熱風魔術”。第6、第14番隊。“既定の矢”。」

攻撃の手は止めさせない。むしろ、トージが七・八段階の魔術を使えない、今こそが好機であると踏む。

「まだ待てよ!“抗魔結界”!」

五段階魔術、“抗魔結界”。仮に五段階より上位の魔術であってなお阻むことが出来る、強力な対魔術用の結界魔術。欠点は、あくまで五段階魔術の範囲に納めるよう魔術式を書いたために、その範囲が『結界』というより『盾』のそれであること。


 であれば。最初から『結界』としての魔術式を書いておけば、ジョン達に向けて襲撃してくる全ての攻撃魔術を阻むことなど、容易である。

 ……ジョン=ラムポーン=コリントが使う“抗魔結界”は、その魔術範囲と強度が五段階のそれより強く大きい。八段階魔術師たるジョンが使うそれは、文字通り“八段階魔術”“抗魔結界”。

 トージがジョン達にぶつけた魔術は、全てジョンの手によって阻まれて動けず。

 そしてジョンが撃たせた魔術は、トージ達の“強風襲来”を止めることに成功する。

「やはり、ここだな。」

それだけでは、留まらない。もしそのまま魔術戦を続けたところで、おそらく経験値の差でトージが勝てた。


 ジョンとトージの魔術的な実力差があっても、トージは攻め手の一つを失ったにすぎず、他にも手があった。

 例えば。今トージが、第1から5番部隊に“強風襲来”を止めさせ、魔力を失わせてでも放とうとしていた魔術“投石魔術”と“突風襲来”の組み合わせによる、ランダム性の高い攻撃連携魔術。

 敵兵の歩みを止め、上空に注意をさせればさせるほど、突っ込む歩兵たちが敵を倒しやすくなるという法則性の攻撃。


 例えば、ジョンが変わらず放たせ続けている“強風襲来”の横腹に叩きつけるように放とうとした“熱風襲来”。再び風の向きを変え、敵の最前線を蒸し風呂にせんとする魔術。

 ああ、その全てを阻む、最悪の事態がそこにあった。


「傭兵三番隊、復唱。“突風襲来”。」

「「「“突風襲来”!」」」

ジョンの軍の追い風を目的とせず、トージの軍の向かい風を目的とした風魔術の発動。そして、それに乗るように突如降ってわいた、貴族軍ではない謎の一隊。


「“鋼鉄要塞”、“黒き天秤”。」

トージの部隊の端を切り取り、閉じ込め、傭兵たちが蹂躙出来るよう段取りを整えつつ、黒と黄色のローブを纏う魔術師が言った。

「ジョン=ラムポーン=コリントに伝えろ。“黄飢傭兵団”の残存兵力及び“黒秤将”ズヤン=グラウディアス。これよりお前たち帝国派に手を貸す。敵の魔術攻撃は全て阻んでやる、敵の体力を落とすことに注力しろ。」

『ペガシャール四大傭兵部隊長』が一人。傭兵界では最強の、経験豊富な魔術師の指揮官。


 ジョンに足りない経験を埋められる怪物が、参戦した。

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