193.傭兵部隊、離反

 エルヴィンは三日間の休養を言い渡された。

 死を前にした全霊。あれによって、肉体にガタが来ているのは、誰の目にも明らかだったがためである。

「『医術師像』が欲しいな。」

「ですね……。」

コーネリウスが座っていた副官の席に臨時でジョンが座りながらぼやく。『医像』がいればエルヴィンは休まずとも回復した。指揮官が一人欠けるだけで被る不利益を考えれば、三日のエルヴィン不参加は大きい。……まあ三日、デファールは動く気もなかったが。


「14日もあるのだ。ゆっくりで構わん。」

「承知しました。どういう戦いをされるおつもりですか?」

そりゃ、決まりきっているじゃないか。

「初手から盛大に落としに行くさ。こっちの目論見に気づいて踏ん張られる前に、砦に逃げざるを得ないように。」




 傭兵たちは、ゆっくりすることはない。

 常に皆が訓練を怠らない。食事を減らさない。睡眠を減らさない。そして、情報収集に余念がない。

 デファールと連動して全ての連絡兵を捕らえ、手紙を抜き取る。逆にヒリャン側からレッドへと放たれる手紙を奪う。デファールたちとの戦いになれば、出来うる限りの戦果を挙げつつ、ヒリャンの利にならないような部隊を討つ。

 正直。一番難しい仕事を、一番忙しい仕事をしているのは傭兵たちだった。それが仕事だと言われれば終わりであるが、望む報酬が定住と考えれば、どう考えても多すぎである。


 ちなみに。傭兵たちは捕らえた兵の全てを殺して埋めている。ヒリャンは傭兵たちが裏切っていることに気付いているから監視の目を付けている。生かして捕らえるということは出来ない。

 だが、監視の目があったところでどうしようもないことはある。

 ニーナ=ティピニト、『跳躍兵』。

 彼女に「跳ばれ」てしまえば、どれほど監視の目があっても意味がない。いつの間にか消えている女傭兵と同行者の存在に気が付いたころには、彼女らはしれっと帰ってきているのだから。


 そういった日々を送る彼らは、ピピティエレイに陣取ってすぐに別の仕事にとりかかった。

 夜闇に紛れて罠を探る。自分たちで敷いた罠ではないが、ネイチャンに罠の手ほどきをしたのは傭兵たちである。

 罠の見抜き方くらいは知っていた。自分たちで使っている代物の詳細くらいは、知っている。何より、ネイチャンに罠の設置のイロハを教えたのは傭兵たちである。


 監視の目は当然にある。とはいえ、傭兵たちにとって隠密活動は出来なければならない技術である。対盗賊相手に生半な隠密技術では見抜かれかねない。

 いくら戦争に慣れた兵士とはいえ、経験値の差は歴然だ。昼間ならさておき、夜闇に紛れて動き回る傭兵たちの動きを、兵士たちが悟ることはない。悟らせるようなヘマを傭兵たちはしない。

 ゆえに。罠の場所、種類、範囲。その全てを徹底的に洗っていた。


「ふう。」

傭兵たちのまとめ役は、“無夢在魅”ジェンディーである。あまりに「今を生きる」ことに注力した結果栄誉やらなんやらを望まなかったゆえにつけられた二つ名であったが……彼自身は変わらないかな、などと思っていた。

「まぁだ二つ名に悩んでいるのか。」

「ニーナ……いや、それはずっと悩んでいるんだが。」

ニーナはフンと鼻で笑う。女だてらに“放蕩疾鹿”と呼ばれている傭兵に笑われると腹が立つ。

「お前の行動の結果だろう。」

「わかっているけどなぁ……。」

ぼやくことは止められない。こう……ダサいというか、呼びにくいというか。

「これ本当に二つ名かぁ?」

「知るか。」

即答。ニーナにとって、人の二つ名などどうでもいいことだと思う。彼女自身の二つ名もいらない、とすら考えている。

「そんなに嫌なら自分で勝手に名乗れよ。」

ハッとしてジェンディーが救われたようにニーナを見る。こいつ、マジでそんな下らねぇことで悩んでたのかよ、といった思考がニーナの目からにじみ出ていた。


「ゴホン。」

ジェンディー、その視線に耐え切れなくなって咳払い。彼女がここに来たのは理由がある。二つ名がどうこうの話の為に呼び出したわけではない。

「次の指示が出た。」

「ああ、悩んでいたのはそっちか。」

どっちも大真面目な悩みなんだが、という言葉を飲み込む。まあ、それはいい。自分の机の下から酒を取り出し、注いで差し出す。


 ニーナは一瞬胡乱気な顔をした後、受け取った。

「なんで酒があるんだ?」

「趣味なんだよ、作るのが。」

「趣味だったら机の下から出て来るのか……旨いな。」

コトン、と机上に置かれる。自分の酒が褒められて嬉しいのか、照れた顔の男がさらに注ぐ。どうせニーナはすぐには酔わない、あと5杯くらいはいけるだろう。

「で、何の用だ?」

酒を出したのは、内密の話ではなく酒宴の為だと思わせるため……天幕の外で話を聞いている監視の目を知っている彼女は、その酒を再び手にとる。


「次の戦、俺たちは留守らしい。」

五重の陣の中で、傭兵たちは三重目に配置されている。最前線が貴族連合、その後にフェリス=コモドゥス、傭兵、ミデウスとコリント伯爵家、テッド子爵家とニネート子爵家、という並びである。

「フェリス=コモドゥスまで侵攻されても抑えきれる、と?」

「ヒリャン様はそう考えておられるらしい。」

聞き耳の存在があるから、敬語を外さない。そうでなくともヒリャンはよく出来た指揮官だ。ジェンディーが敬意を払わぬ理由もない。


 だが、言葉と裏腹に、ジェンディーは机の上に酒を零し、その水で言葉を作る。

(内から崩せ、との命令だ。)

「難しくないか?」

口に出す言葉は、聞かれても問題ない。どちらに対しての返事かは、目と首の動きで判断する。

「罠の数と種類によるだろうし、手間取っている間にコリント伯爵軍が手を貸すだろう。」

遠回しだが「出来る」という返事。裏腹に動く手は別の言葉を形作る。

(罠の外しと混乱。傭兵たちを使い捨ての駒に見ているのではないか?)

沈黙が天幕を覆う。客観的に見れば、ニーナがジェンディーの言葉を吟味しているような間。しかし、実際はジェンディーが言葉を書き終えるまでの間だ。


 ニーナは言葉だけを見て首を振った。ない。ジェンディーの言葉……使い捨ての駒だけは、ない。そんな人員の余裕が、ペガシャール帝国にはない。

「随分と信頼しているんだな。」

どうにも取れる言葉だ。表の意味は、「ヒリャンがフェリス=コモドゥスとコリント伯爵を」であり、裏の意味は「デファールが傭兵たちを」である。どちらにせよ、「信頼されている」ことには変わりがない。

 ジェンディーがわずかに苦笑した。面倒なやりとりだ、とでも思っているのだろう。

「それにしてもあたしだけ飲むのは不公平だろう。お前も飲めよ、ジェンディー。」

壺に柄杓を放り込んで酒を掬い、ニーナが器に入れ替える。受け取ったジェンディーが苦笑して一口。


 それを聞いて、本当に酒盛りだと判断したのだろう。天幕の裏で話を聞いていた監視の兵が離れていくのを感じた。

「行ったか?」

「行った。」

グイっと口に酒を流しつつ二人が言う。彼らにとって、人の気配を嗅ぎ分けることなど朝飯前でしかない。

「で、どうするんだ?」

「『跳躍兵像』。“短距離転移”で連れていける人数と、再使用までの時間を教えてほしい。」

ニヤリ、とニーナは嗤った。意味を察したのだ。

「二人。“短距離転移”に時間制限はない。距離は視界に収まる範囲まで。」

ニーナが両手でつかめる人数だけ、転移させられる。そして、彼女自身も同時に転移する。

「私が掴んで二人転移させて、手離してまた戻りなおして、また二人転移させて……繰り返すのか?」

「いいや。」

ジェンディーは首を振る。たった二人。たった二人、敵勢の中に放り込んだとして、どれほどの打撃になるか、ジェンディーは判断がつかない。


 とはいえ。やらないよりマシだろう、と思った。内と外から同時に攻撃する。その効果は大きいはずだ。

「お前は二人組で活動していた傭兵たちと一緒に、走り回ってくれ。お前の判断で敵の内に傭兵を入れて、暴れさせる。」

「見捨てるのか?」

傭兵たちを。その言葉は、ジェンディーを理解していないにもほどがある発言であり……だからこそ、ジェンディーもわざとやっていることくらいはわかっている。

「まさか。」

ヒリャンではなくデファールから来た命令。


 「ヒリャンの軍にあってその前列を混乱させろ」。即ち、五重防壁のうち三重目までは敵を後退させるつもりでいるという明確な意思。

 対して、定住を望む傭兵たちは、命を惜しんでいる。命がけの特攻などするはずがない。

「『跳躍』して暴れている味方に向かって、俺たちも突っ込む。帝国派の軍も、一番崩しやすいところから崩すはずだ。」

前後からの挟撃、ではない。中心で暴れまわる熟練の傭兵を用意することから、ジェンディーの戦は始まっている。

「それに、今晩から、特に隠密に特化している傭兵たちを四方に散らせる。」

デファールたちは、日の出とともに侵攻を開始すると連絡してきていた。ここで嘘を言う理由が見つからない以上、事実だろうと結論付ける。

「方々から上がる裏切りの味方……さて。どう対処するだろうか。」

言いつつ、正直前線側でよかったとホッとしている。いくら熟練の傭兵たちとはいえ、いくら『像』の力さえ借りた唐突な裏切りとはいえ。


 ヒリャン=バイク=ミデウスと三貴族相手に、二人一組の内部混乱に伴う特攻が通用するとは思えないためだ。

 いきなり台頭し、今なお成長を続けるネイチャンも脅威だが。元から優秀な軍隊相手の方が、発展途上の軍相手より苦しいのは当然だ。

「あっちでよかった。あとは……。」

ジェンディーは、再び杯を呷った。




 翌朝。デファール=ネプナスは、日の出とともに攻撃を開始した。

 日が昇る前に炊いた炊事の煙は星々に照らされてもヒリャンの元へ届くことはなく、地で炊かれた炎も、天幕で遮ってしまえば気づかない。

 ヒリャンは完全に不意を突かれていた。それでも対処できたのは、彼が油断していなかったがゆえだ。

 一番槍を務めるのは、疲労から回復した『隊長像』エルヴィン。今度は一切の油断なく、兵士たちに矢の雨を警戒させている。


 だが。警戒させていても、決して及び腰ではない。

 むしろ前回の突撃時より勢い強く、雄々しく、蹂躙するという意志をその全身で体現させながら突っ込んだ。

 対抗するのは、貴族連合軍。北門と東門の間に斜めに突っこんでくる歩兵と騎兵の連合に向けて、対応がわずかに遅れたとはいえ容赦なく矢の雨を浴びせる。

「盾、構え!」

歩兵たちが盾を構え、騎兵たちの一部が足を止め、腕に自信のあるものは次々と降りかかる矢を払い落とす。その動きに淀みはない。


 そのまま突っこんでくる「だけ」なら、乱戦に発展する「だけ」だった。些かの不利はあっただろうが、数の差で貴族連合が有利だっただろう。

「なぜだ!」

一人の貴族が叫ぶ。己を殺そうと迫ってくる兵士、彼の顔には覚えがなくとも、その統一性のない服装には覚えがある。

「そりゃあ、最初から俺たちゃ、帝国派だからなぁ!」

二人組の傭兵が、躍りかかってきていた。周囲の護衛兵がその二人組の槍の連携を押し返す。

「させるか!やるぞ、みん、ぐわ!」

武器を抜いて迎撃しようとした兵士の喉笛に、矢。一体どこから、と兵士たちが辺りを見回す。

「遅えよ。」

二人目は、槍で喉笛を、三人目はその右腕を肩口から。


 傭兵たちを送り届けた彼女が、ついでとばかりに兵を狩る。

「ありがとよ、ニーナ!」

護衛が散る。二人の傭兵だけ見てればよかった時とは違い、一人でも二人以上の力を持つ化け物女がそこにいる。だが……集団で躍りかかってこない兵士相手を切り抜ける術なら、傭兵たちはたくさん引き出しを持っている。

「あばよ。」

指揮官の首が落ちる。途端、兵士たちが、そして指揮官に付き従い指示を出す私属貴族たちの口が止まる。いくら軍という強大な組織が相手でも、指示を出す頭脳が止まれば、そこは恐れずに済む個人でしかない。

「行け、ニーナ!さっさとてめぇの仕事を済ませろ!」

「ああ、任せた!」

個人の武においてエルヴィンを超える鬼才が『跳ぶ』。そこに残るは傭兵二人、周囲を囲むは主を失った兵士が数十。


「敵討ちか?早く来いよ。」

余裕がなくとも、それを悟らせぬよう挑発する。ニーナがいない戦場で、二対数十は洒落にならない苦行である。

「じゃねぇと、俺らの味方がこっちに来るぜ?」

挑発する傭兵たちの前方……陣の外側から来るは、帝国派の軍。その数、約一万。後方、砦側からは、裏切った傭兵たちが数十人単位で迫りくる。

「それとも……砦の中に、逃げ込むか?」

救いの言葉が差し出される。挟撃に対応したくても、彼らに指示する指揮官はいない。右往左往している間に、自分たちはドンドンと追い詰められる。


「撤退!逃げるぞ!」

その言葉が紡がれるまでに、時間はそうかからなかった。




 次々と傭兵部隊が離反する。いいや、次々という言葉は適切ではない。

「波状攻撃なだけで、全傭兵が既に離反しているからなぁ。」

大斧を担いで男は言った。彼らの周りには、傭兵たちが約一万。三万いたはずの傭兵たちは、戦争で五千を失い、五千はビリーの下で働き、一万は今ネイチャンや貴族たちの陣地を荒らしまわっている。

 

 では、残る一万は何をしているのか、それが、これだった。

「予想はしていた。裏切るだろうと、裏切っているだろうとは、知っていた。」

ヒリャンがボツボツと語る言葉は、小さいのにジェンディーの元へ届いている。

「今だとは思っていなかった。あと二度ほど戦争をして、戦局が拮抗したらお前たちを裏切らせるだろうと。」

戦局が動かなければ、動かすために傭兵たちを裏切らせ。勝っていたらダメ押しの裏切りをするだろう。

 ヒリャンは、そのように踏んでいた。踏んでいたのだ。


「なのに、お前たちが早々に裏切った。私の知らない、早くお前たちを裏切らせてでも戦局を変えたい理由があるらしい。……レッド様か。」

ギョッとする。それだけで、ただそれだけで読んできた。こいつはやっぱり、化け物だろう。

「攻めてきている方向性を見ればわかる。北東、北西、南東、南西。門に直接攻撃せず、門の方に寄せようとする攻撃。……外に逃げようと思えば、逃がさないための鉄壁の部隊がいるのだろう?」

そのとおりである。東西南北全ての方向に分かれた部隊が一つ。


 “赤甲将”ペディアの率いる『赤甲連隊』が、各々千人とプラス数千の貴族部隊を率いて、砦周りから逃げられないよう堅陣を敷いている。

「お察しの通りにございます。さらに申し上げれば、私たちの目的はヒリャン閣下、あなたを突破させないことにございます。」

ヒリャン一人突破させなければ、烏合の衆の貴族軍が多少レッドに合流したところで問題はない、とジェンディーは言った。

「あなたは、あなただけは、ピピティエレイに入っていただく。我らが指揮官、デファール=ネプナス殿の望みですので。」

断言に、目を細める。必死に言葉を重ねるジェンディーの心を見透かすように。

「“無夢在魅”ジェンディー。あなたは傭兵を束ね、結束させるカリスマがある。全てを失っても盗賊になることを割り切れなかった者たちを惹きつけるナニカがある。」

槍が、振りかぶられる。ヒリャンがミデウスの家から拝借した魔槍“戻りの投槍”。それを投げつけるぞという脅しが、ジェンディーの目に映る。


「それでも。あなたに兵士の指揮の能力はあるまい。私に勝てるとお思いで?」

「まさか。そもそもお前は勘違いしている。」

ジェンディーもジェンディーで、負けてはいない。敵が槍を投げるなら迎え撃つまで、と言わんばかりに斧を大きく振りかぶる。

「俺に惹かれる傭兵は、流されることが出来なかった者たちの集まりだ。俺が指揮しなくとも、自分の考えで動くとも。」

「そうか!」

槍が、放たれる。空を裂く音を引っ張りながら、その槍がジェンディーに向かい。ジェンディーはそれを、難なく弾いて踏みつける。


「そして、俺は二つ名を変えた。今日から俺は、“斧酒鬼ふしゅき”を名乗る。」

「……。」

如何にも、「どうでもよくない、それ?」と言わんばかりの沈黙だった。勝手にしたら?と口に出さなかっただけ有情なのかもしれない。

 槍がヒリャンの手に戻る。再び放つ意味はないと判断したか、ヒリャンはスッと槍を上に振り上げ、振り下ろし。

「突破せよ!」

「阻め!」

一年以上隣り合って戦いあった部隊が、互いの目的を阻まんと激突する。

 ああ。戦場とは、現世に降ってわいた地獄であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る