192.繰り返された戦争の果てに

 コーネリウスが出発した。

 その様子を期待に満ちた眼差しで見送ったデファールを、ジョンは呆れたような眼で見つめている。

「それほど、コーネリウスは有望ですか?」

「ああ。そんなもの、陛下も私も、知っている。……コーネリウスは将来有望な若者だとも。」

そうか、と溜息を一つ。その才能が開花するまで何年かかるか。デファールも重々承知なのだろう。

 その上で。20年近い年月を見据えた上で、『有望』と称した。それを言い切れるのは、ペガシャールにデファールやエルフィールといった人材がいるから……困っていないからだ。

「全く、運のいい話ですよ。」

ぼやくしかない。かく言うジョンとて、己の経験不足を知っているつもりである。


 経験を得る。そのために、この戦はとても有難いものだ。そして、その経験を与えてくれる、デファールという指揮官も。

「全く、運のいい話です。」

空恐ろしいほどに。言い換えるなら、こうだろうか。

「全く、他国との戦争を始める前に内ゲバで経験値を稼げるなんて、都合のいい話です。」

何者かの意図を勘繰ってしまうほどに。そう、ジョンは独り言ちた。




 さて。ピピティエレイへの進軍である。

 三万を切り離し、総勢七万となった帝国派の軍勢は、そのままピピティエレイに突っ込んだ。

 休む間など、ほとんどない。帰るべき天幕をつくり上げ、その周辺を守るために簡易的な柵こそ組んだが、やったのは本当にそれだけだった。

 すぐさま、突撃。ピピティエレイを守る最初の防柵と、組みあった。


 最初の柵を守っているのは、貴族連合である。指揮官のバラバラな烏合の衆であった。

 ゆえに、あっさり抜けるとジョンは踏んだ。ペディアもそう思った。彼ら二人ですらそう思ったのだから、先陣を切って突っ込んだエルヴィンがどう思っていたかなど想像するまでもない。

 ちなみにであるが。あっさり敵を突破できるだろうと踏んだペディアは今回不参戦である。『赤甲傭兵団』改め『赤甲連隊』はどんな戦場でも一定の戦果を出せる素晴らしい部隊であるが、唯一速攻を求められる戦にだけは参戦出来ないという欠点を持つ。彼らは後方で、天幕の作成から帰還する兵たちの食事作りと、雑務に精を出している。


 とにかく、エルヴィンは突っ込んだ。土で作られた坂を駆け上がり、視界を阻むように建てられた防塁を躱し、柵を投石で壊して堀を飛び越え、

「放てぇぇぇぇ!」

死に物狂いで放たれた矢の雨に、悉く落馬させられ兵が死ぬ。

「うお!」

エルヴィンこそ辛うじて反射が間に合い、矢を叩き落とすことに成功したものの。周囲の兵たちは死屍累々だった。

 ここまで散々な有様は、エルヴィンはあまり知らない。ネツルの山でズヤンにジョンが捕らえられた時も、ここまでではなかった。

「……撤退だ!」

判断は素早い。それに兵士たちが呼応できる状態かどうかを無視しているだけで。それほど、敵の勢いは凄まじく。


「エルヴィン様!」

「早く下がれ!!」

矢の雨が切れた。理由は問うまでもなく、歩兵隊が突撃してきているからだ。

 エルヴィンが今回指揮している兵は、たった二千である。だが、そのたった二千でも、ほんの三分せぬ間に千五百までは減った。

 わずかな間でそれだけ減る。あの突撃を食らえば、馬を失った残りの兵たちは。

「早く、退け!!」

槍を構える。ここで撤退の時間を稼ぐしかない。大丈夫、激流に抗う小さな岩の一つにしかなれぬとしても、俺は多くを生かせばいい。


 エルヴィン=エーレイ=ビリッティウス、多勢に無勢の戦に突入する覚悟を決める。

「ああ、なぜ、こうなったのだろうか。」

ぼやくのだけは、止められず。しかし、向かってくる兵卒の喉笛を、容赦なく突き刺した。




 エルヴィンの独白は、エルヴィンの部隊がやられて即座に方向転換を決めた貴族たちも思っていた。

 人が危険ならなるべく救えよ、とペディアなら思っただろう。兵卒は見捨てていいからせめてエルヴィンだけは助けてくれ、とアシャトなら口にした。貴族たちは、「判断をデファール殿に仰がなければ」と思って反転した。

 ペディアの感想は限りなく庶民の感想である。決して正しくはないが間違いでもない。

 アシャトが口にしただろう言葉は王の感想だ。絶対的に正しいが、庶民としては間違っている。

 デファールであれば、「なぜ全員で引き返してきた」だろうか。半数残せば、兵卒たちはさておきエルヴィンは救えた。ついでに乱戦になって弓矢が容易に放たれないのであれば、敵数を大きく減らすことも可能だったろうに。


 だが、貴族たちの判断は、その場での判断の有無としては間違いだが組織としての判断としては間違っていない。

 臨機応変さに欠ける、あるいは規定通りの対応である。それ以上に言葉を続けられない。

 罰を与えるには至らない反応ゆえに、エルヴィンは前線に残されている。


 とはいえ、だ。エルヴィンの方も大概悪い。あえてエルヴィンが取り残されている理由を言葉にするのであれば、油断である。

 ああ、確かに、ペガシャールには腐敗貴族が大層多い。地位に胡坐をかいた愚か者どもの数など、数えているうちに日が暮れかねない。

 だが。それは、『神定遊戯』が始まって、しばらくの間のみである。


 このレッド派に所属する貴族軍は、大概愚か者が多かった。

 地位に縋った。身分で遊んだ。人をどれほど食い物にしてきたか。

 しかし、それは過去のことである。一年、いや、二年近く前のことである。


 それを為してきた腐敗貴族の大半は、クシュルとの戦、そしてデファールとの戦の内に、淘汰され続けてきた。

 極力後方で引きこもろうとした貴族もいた。他を身代わりにしようとした貴族もいた。戦功を焦って突っ込んだバカもいた。

 その悉くは、ついて行った兵卒と共に、ヒリャンの指揮の影響を受けて死んでいる。


 戦争が始まって一年半が経とうとしている今、戦場で戦う覚悟のない貴族などいない。

 既に、上澄みの指揮官しかいないのだ。弱卒は既に悉くが命を落とし、その死を間近で見続けてきた者たちが、ピピティエレイに残っている。

 生存競争で淘汰されている。元来、他国との『神定遊戯』で行われるはずの、貴族の選別が今行われている。そして兵士たちにしても、一年以上戦い続けてきた兵士たちが残っている。


 ああ、何度も何度も、『赤甲連隊』所属の兵たちを百戦錬磨と称してきたが。ピピティエレイに集った、ヒリャンが指揮してきた兵卒たちは。

 後方から追加された予備人員を除けば、もう百戦錬磨の領域に、片足を突っ込んでいるのだ。

 そして彼らはなんとなく、言語化できずとも気が付いている。ピピティエレイに拠って戦をし、最後まで耐久しようという戦略がどういうものか。

 勝つか敵が撤退せざるを得なくなるまで逃げ道すら見失う、背水の陣ならぬ背砦の陣である、と。


 戦に慣れた上澄みの指揮官たちが采配を振るう。ここまで淘汰されてきた貴族と違い、戦の中で頭角を現し、あるいは成長してきた公属貴族、そして彼らに指揮を預けられた私属貴族が全霊を出す。

 そして、彼らに指揮された熟練の兵士たちが死に物狂いで指揮に応える。これまでの経験を活かしつつ、剣を、槍を振るって戦う。


 エルヴィンがこうして窮地に陥っているのは、完全な油断の結果。

 あまりに、そう、あまりに。

 時間というものを、計算から排除しすぎた結果である。




 最前線で槍の猛威が吹き荒れている。

 強烈。何度も戦場で見た、圧倒的な武威が兵士たちの命を呆気なく散らし続けている。

「ふ。」

死屍累々たる有様だった。ただ一人の怪物に、ヒリャンの軍の貴族と兵士たちは気圧されていた。だが、それでも、エルヴィンに襲い掛かる兵の数は減らない。

「腰が。」

対するエルヴィンの息はきれている。肩は大きく上下していて、背中もわずかばかり垂れている。体力が尽きる寸前なのは、見ても明らかだった。

「引けていますよ!」

襲い掛かった兵が突き殺される。その隙を狙って背後に躍りかかった兵が、石突をもってぶっ飛ばされる。


 本当に疲れているのか、というほどの動きだった。今この瞬間だけを切り取れば、エルヴィンはクリスやコーネリウスにも匹敵していた。

「死の間際に覚醒する、と人は言いますが。」

機を見て逃げようと思っていたはずのエルヴィンはそこにはいない。逃げ出す機はなく、戦い続けた結果、逃げる体力を先に失った。

「覚醒するのではないですね。破れかぶれになるだけです。」

カハ、と息を吐く。血でも出るかと思ったが、そんなこともなく、ただ息の塊が吐き出される。


 わずかな気の緩みも許されない。気を緩めた瞬間、咳き込んで動けなくなることが予想できた。

「来なさい!」

もうほとんど動かなくなっている足。エルヴィンの方から突っ込めない事を悟らせないために、彼は言葉を重ねる。

「死ぬ前に……一人でも多く、殺していって差し上げます。」

その意気に、兵士たちが怯む。どれほどの死地を乗り越えてきた兵士であっても、今のエルヴィンの気迫にはされるものがあり……

「兵たちよ、下がれ!矢で射止める!!」

一人の指揮官がそう叫ぶ。止めることなど出来なかった。ここに弓兵でも残っていれば、言いだした瞬間に口を封じられたかもしれないが、今はエルヴィン一人である。


「く、」

それはされたくない。エルヴィンの心とは裏腹に、まるで助けられたかのように兵士たちが指示に従う。

 当たり前だ。あれほど鬼気迫る迫力を全面に押し出し、目に見えて疲れているのに疲れていないかのような動きを実現できる怪物相手に、正面切って戦い続けたい兵などいない。

 遠間へと離れていく。弓兵たちがエルヴィンに鏃の先端を合わせる。


 非常にノロノロとした動きで、エルヴィンは槍の中心をもって前に構えた。槍の穂先と石突は、エルヴィンの左右に伸びている。

「放て!」

「う、あああああ!」

最後の力を振り絞って、エルヴィンは槍を回す。己の出来る最高速で、矢が己に到達する前に叩き落とさんと、




「よく頑張った、エルヴィン殿。」

ドスン、という音。揺らぐ地面。最後の力を振り絞ったせいで霞み始めた視界の焦点を強引に合わせれば、矢を阻むのは長大にして厚い木板。

 そして、鉄で作り上げられた、色のついていない、……そして『赤甲連隊』のそれより複雑なつくりをした、『超重装』。

「良く生き延びてくれた。……本当によく、生き延びていてくれた。」

感慨深げな声だった。エルヴィンは彼との交流がほとんどない。どうしてそれほど、嬉しくなるような、大事なものが見つかったような声を出すのか。そんな声を己に向けるのか、エルヴィンはわからない。


 だがなんとなく。もう生き延びたことは伝わった。もう恐れなくていいことは理解した。

 助かった。胸に去来する想いは、それだ。

「ここからは私が戦う。エルヴィン殿は早急に戻ってくれ。」

「ミルノー殿は!」

「大丈夫です。ジョンとトリエイデスの部隊が来ます。それに。」

後方の音がざわざわとする。視線を向けると、弩を引き絞る兵たちの姿。

「安心してください。私の部隊も、そこに。」

言うと、ミルノーは大きく跳躍した。


 あの巨体でどうやって、と思ったが。足の裏の部分に浮かぶ魔術陣が、その答えを示してくれている。

「嘘だろ……。」

あれ、本当に『兵器将像』か?という思いを込めてエルヴィンは言った。あまりに魔力操作技術が卓越している、卓越しすぎている。

 足の裏にある魔術陣に魔力を通す。それがどれほど難易度の高い所業なのか、出来ないエルヴィンには察しようがない。


 立ち上がる。愛馬はもう、息絶えていた。最期を看取れなかったことを、心の中で謝罪する。

 ノロノロと歩きだす。槍を持つのですら億劫で、とはいえ手放すほど命知らずでもなく。


 トリエイデスの部隊と合流したとき、エルヴィンは気を失った。




 矢が鎧を貫くことはない。

 “硬質化魔術”、“阻害魔術”。金属片全てに行きわたった魔術の効果が矢を弾き、関節部には別な魔術が矢を遮る。

 矢の悉くを遮って、矢の悉くを打ち払って、敵に躍りかかることはせず。

「杖を持ってきていて助かりました。」

“兵器召喚”をもって杖を呼び出す。筒状に作り上げられた巨大な杖。その大きさは二メートルにもなり、言われても杖と認識しづらい私の兵器。

「でもこれ、杖なんですよね。」

筒の内側、外側。持ち手、そして複数層にされた筒本体。


 魔術は陣を描いておかなければ発動できない。そして魔術を複数持ち歩くには媒体がいる。

 例えば元来の『超重装』には、関節のだけではなく鎧本体やその下に着る肌着にまで魔術陣がびっしりと仕込まれている。その数、実に22。

 とはいえこんなもの、ペディアたちの部隊では使いこなせない。彼らの鎧は、盾も含めて6種類くらいしか魔術陣を仕込んでいない。

 ミルノーの鎧は、ミルノー以外で使いこなせるのは……おそらく、エルフィールだけだろう。

 ジョンとレオナも、「魔術陣」だけなら使いこなせるだろうが、こんな金属の塊、身体強化魔術を使ったところで着て歩けるか。……これを着た己にすら完勝してのけたエルフィールに、『超重装』が必要かと問われれば、いらないだろうが。

「ああ、そういえば。ギュシアール殿も使えるとは言っていましたね。」

彼は……エルフィール様やディール殿以上に必要ないでしょうが、とぼやく。ぼやかなければやってられない。


 牽制の為、魔術を一発。まっすぐにつき進んだ魔力の弾丸が、弓兵を五人ほど吹き飛ばす。

「もう一発!」

そうこうする間に、背においてある盾を回収する。ノロノロと歩くエルヴィン殿が見えた。大丈夫、200は離れた。あれなら、ニネートの一族でもなければ矢を届かせることは出来ない。

 盾が消えたのを見て取って、弩兵たちが矢を放つ。距離は400。矢なら届かないそれも、弩なら届く。次々と前方で兵士たちが斃れていく。


 よく生き残ってくれた、とミルノーは思う。エルヴィン=エーレイ=ビリッティウスは、その武威以上に、父であろうと斬り捨てる冷酷さと、身内を大事にする情の篤さを同時に持ち合わせる稀有な人材だ。

 これからのペガシャールで、彼がいるといないでは大きな差になるだろう、とミルノーは思っている。

「撤退します。」

一歩、下がる。二歩、三歩と後退する。

 敵がこちらに追いすがろうとする動きはない。弩兵は相変わらず矢を放ち続けているし、こちらに近づいてくるならミルノーも本気で戦うつもりだ。


 あの鬼気迫るエルヴィンの相手をした後に、この得体のしれない鎧の相手はしたくはないだろう。誰でも嫌だ。

 敵が追ってこないことを確信して、ミルノーは撤退を開始する。


 この戦に、勝敗はなかった。帝国派の方が被害の大きい痛み分け。ミルノーにとっては、そんな感覚だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る