191.彼こそが『元帥』

 コーネリウスが三人の戦車使いの貴族たちを連れて帰還した日。

「そうか。一戦も交えずに帰ってきたか。」

「いえ、一戦も交えなかったというわけでは……。」

「いや、責めているわけではない。むしろ、よくやった。」

言葉を遮ってまでデファールは褒める。無駄な戦をしなかった。勝ち負けを正しく判断できた。平均的な指揮官であれば出来ない事だ。


 普通のことのように、コーネリウスは思う。だからわずかに、首を傾げた。

 ああ、確かに『護国の槍』の後継ぎであるコーネリウスは、それくらい出来なければ不味い。だが、デファールにとってコーネリウスは、『護国の槍』である前に親友の息子でしかない。

 彼のそれを、「出来て当然だ」と突き放すしか出来ないのは、国王たるアシャトと、親たるクシュルのみである。

 鞭があまりに強すぎる。その上、彼には『護国の槍』という期待まで背負わされている。

 出来る限り己は褒めていよう、というのがデファールの割り切りである。まあ、別の理由も、なくはないが。

「どちらにせよ、よくやった。これで、こちらも動きやすい。」

「動きやすい、ですか?」

実のところを言えば、だ。デファールはこの時点で、次の動きを決めていた。


 二ヵ月にもわたるヒリャンの時間稼ぎに付き合い、撤退をみすみす見逃したのも、彼の中ではそれらが「重要ごとではなかったため」である。

「私の部隊を呼べ。」

コーネリウスが休むために天幕を出てしばし。デファールはさりげなく言った。

「オロバスの直属部隊にも、手柄を与えねばな……泥臭い仕事だが。」

クツクツと、彼は嗤う。その笑みは、悪鬼羅刹もかくやというほど、嗜虐心に塗れたものだった。




 時は戻ってピピティエレイ近傍、帝国派天幕。

「レッド相手に足止めとは、どういう意味ですか!」

コーネリウスが床几に手を叩きつけて叫ぶ。声を落とせ、と身振りで示しながらデファールは笑みを深めた。

「コーネリウス。お前が帰還した後、私は部隊をホーネリスに向かわせた。レッドからヒリャンの元に出ている連絡係の兵を全て捕えるためだ。」

同時に、ヒリャンからレッドに出ている兵を捕らえるためであるのは、言うまでもないことだが。要は、レッドとヒリャンの間の情報を、完全に断った。


 とはいえ、情報遮断は訝しがられる要因になりうる。中身は全てデファールが直接検閲した上で、デファールたちに有利になるように情報は書き換えられている。

「……すべて捕らえきれたのですか?」

「まさか。だが、あっちには傭兵たちがいるんだぞ。こちらの動きに連動して、連絡の兵を捕らえている。」

徹底していた。本当に徹底して、ヒリャンとレッド間における情報統制を仕切っていた。わずかばかり、コーネリウスは引いてしまう。


 だが、ここまで聞けば、コーネリウスはデファールのやろうとしていることを理解した。ペディアはまだ首を傾げている。クリスも同様だ。が、ジョンは顔色的に、六割くらいは理解したらしい。

「つまり叔父上……ヒリャンは、レッドがピピティエレイに向かってきていることを知らないのですね?」

「ああ、知らない。」

「レッドがこちらで危機に陥った場合、ヒリャンは砦近傍から離れなければならない、ということですね?」

「そうだ。」

「つまり元帥閣下は、二週間で叔父上に、『容易に動けなくなる』ほどの被害を出す、と?」

「いいや、違う。」

コーネリウスの言葉に肯定を返していたデファールが、最後の一言だけ否定する。

「……。本気ですか?」

最後の一言を、コーネリウスがわざと間違えたことを、デファールは理解している。コーネリウスの内心に巣食う「嘘だろおい」という気持ちを、大方察している。


「レッドは己が兵を指揮できる、優れた“総大将”だ。ゆえに、この手は非常に有効だ。」

笑う、嗤う。戦場から遠ざかって引きこもるしか出来ない血気盛んな、かつ優秀な若者。ついに出られる戦場で、ろくな戦争もせずに腰が引けて戦えなかった。

 まして、己が手にできなかった『像』の力を、煌々と照らしながら通過された。


 デファールはレッドとの面識はない。だが、この我儘極まりない戦場が発生している時点で、レッドの誇りと性格は、おおよそ察するくらいは出来る。

 40代に差し掛かった、経験豊富な将軍だ。人を理解する力なくして、『元帥』など務まらない。

 王としての器量は知らない。人の上に立つ者としてのカリスマなど、知りようもない。だが、あくまで将校としてのレッドだけでいいなら、デファールは掌の上で転がせる。

「レッド派の親分はヒリャンではなくレッドだ。ホーネリスに籠っていたり、進軍に一週間近くかかるような場所にいられると、流石にヒリャンを無視できなかったが……。」

自分からこちらに来てくれるなら、最初からヒリャンを無視して、総大将のみ討てばいい。

 あまりにひどい話だ。デファールは、ずっとレッドのために戦い続けてきた将兵たちを完全に無視して、主だけを叩き潰そうとしているのだから。それだけで、戦争を終わらせようと考えているのだから。


 だが。だがである。レッドがこちらに向かってきているということは、ヒリャンの指揮との連動もされやすいということだ。

 相当な能力のある総大将が、二面作戦で帝国派と相対してこれば、いくらデファールとて苦戦する。『像』の力があろうが、人材が豊富だろうが、レッドとヒリャンが優秀であるという事実にも変わりはない。

 また、レッド派には優れた将校が数えるほどとはいえいるということもまた、変わりがないのだ。

「二週間の間に、ヒリャンを砦の中に押し込める。あいつらには『像』がない。ピピティエレイは、『砦将』が生み出した砦ではない。」

それはつまり、門の位置を自在に変える神の御業が使えないということ。一度砦の中に押し込めてしまえば、隠し通路を使われない限り、門の前に陣取れば動きを封じられるということ。

 ピピティエレイに拠って時間稼ぎをするというヒリャンの目論見は、前提にレッドが出てこないというものがある。

「いや、砦の外に陣取った時点で、一応レッドが出てきた場合も読んではいたのか。」

ただし、密な連絡と虚偽ない報告が前提で。だが、その悉くがデファールによって阻まれている。対策も、意味がない。


 二週間。コーネリウスという『将軍像』、クリス含む騎馬隊とスティップの部隊を使わずに、砦に敵を押し込める。そういう言葉に、唖然とする。

「クリスとペディアを、交換した方が良いのでは?」

「それは少しばかり悩んだがな。ペディアは、ヒリャンを砦に封じ込めた後に必要なのだ。」

四つの砦の門を完全封鎖する。そして、敵を外に出さない。抜け出させない。

 なるほど、『超重装』を持ち百戦錬磨の傭兵たちを抱え、連携の練度も最高クラスのペディアの軍は、まさしくうってつけだろう。

 そして、『超重装』部隊はその鎧の重さゆえ、長距離移動に適さない……レッドの軍との睨みあいのすぐ後に、ピピティエレイに駆け付けるには、確かに好ましくはない。

「わかりました。留めおくだけでいいのですか?」

「構わん。……頼む。」

「承知いたしました。こちらこそ、よろしくお願いいたします。」

やけに素直なコーネリウスを見て、デファールは視線をジョンの方へと運ぶ。

 ジョンは軽く、頷いた。




 コーネリウスがデファールに、帰還の報告をした夜のことだ。

 ジョンは酒を持って、コーネリウスの天幕を訪れた。

「デファール閣下が喜んでいたぞ。コーネリウスはよくやってくれた、と。」

猪口に酒を注いで勧めつつ、ジョンはともに笑顔を見せる。逆にコーネリウスは複雑だった。

「戦わなかった。私はただ、逃げただけだ。逃げただけなんだよ、ジョン。」

戦意が死んでいた。将校が愚かだった。援軍を待ってくれなかった。


 こちらは戦意喪失、向こうは意気軒昂。勝てる道理がどこにもなかった。本当に、コーネリウスの目からしたら、逃げただけに過ぎないのだ。

「これからのことを考えれば、逃げただけでも十分だろ?それに、こっちに来たときは三貴族の奴らの士気も高かったじゃないか。」

「アレは私の力ではない。『将軍像』の力だ。」

「つまりお前の力じゃないか。」

そう言われて言葉に詰まる。たしかにまあ、間違いではない。


「……デファール様が、お前のことをどう思っているのか、聞いた。」

「……。」

鬱屈した気分で、自分の力に悩み続けるコーネリウス。ああ、これ以上の放置はマズいと、ジョンは思う。

 コーネリウスが屈折するとも思えないが。このままいけば、成長できずに足踏みするくらいはあると思った。

「お前は、先達から学ぶことで育つ将だ、と元帥は仰られた。」

「先達から、学ぶ。」

「ああ。お前は戦場に立ったことがない。実際ゼブラ公国との戦では戦場に立っていたが……仕方がないとはいえ、デファール様はあまり好ましくは思っていなかったらしい。」

決してそんな気配を滲ませていなかった。おそらく、陛下ですら気づいていないのではないか……そうジョンは断言した上で、言葉を重ねる。


「デファール様という“先達”の指揮を見て、学ばせる。陛下とデファール様の間で、お前の成長のために決めた約束だと聞いた。……マリア嬢とお前が逆だったかといった理由は、お前の成長のために一日でも長く手元に置いておきたかったからだ、と。」

あ、と口を開いた。侮られてなど、いなかったのだとコーネリウスはその言葉で気が付く。むしろ、デファールに愛されていたのではないか、と。

 それでも、人員的にコーネリウスに任せるしかなかった。より良い成長を与える環境を整えたいのに、それが出来ない苦悩が、あの言葉を吐き出させたのだとコーネリウスはようやく悟る。

「そう、か。」

「彼は……おそらく生粋の『元帥』だ。国のこと、今後のこと、そして自分が死んだときのことまで、考えて動いていらっしゃる。」

ヒリャンを相手にやろうと思えば即座に勝てる。それでもじゃれている理由の一割か二割は、コーネリウスやペディアたちに、万を超える戦の在り方に慣れさせるためもあるのではないか、とジョンは口にする。


 半分は、事実だ。デファールは『元帥』として、コーネリウスの成長を願っている。

 そして、それだけでは当然ない。……必ず殺すことになるだろう『親友』クシュルの息子を、親友の代わりに育て上げ切って見せるという歪な友愛。そんなものがあるのは、おそらくほとんどが気づいていない。

「マリア嬢なら、よかったのか?」

「性質の問題らしい。マリア嬢は、先達がなくとも、勝手に成長する化け物だと元帥は仰られたぞ。……あれは怖い、ともぼやいておられた。」

「エルフィール様の下につけなかったのは?」

「一つは純粋な年齢の問題。“最優の王族”と呼ばれているとはいえ、彼女はお前より年下の女性だ。かつお前より能力が高い。……お前の気持ちが手にとるようにわかるよ、僕でも。」

言われればまあ、そうだろう。一緒になるのは、確かに心情的によくはない。

「そして……お前の参考には、決してならない、と。」

「はい?」

何を言ったか、一瞬わからずに目を剝いた。一応同じ指揮官だ。参考にならないはずがないだろう。


「いいや、ならない。一応、アダット派との戦局予想も聞かせていただいたけどね。あれは本当に、きっと君には何の参考にもならないよ。」

苦虫でもかみつぶしたような顔で、ジョンはそう、言い切った。




 あの日。デファールとアシャトの気持ちを、コーネリウスは聞いた。

 先達から学ぶ。ああ、そうだ。ゼブラ公国への侵略が初陣だったコーネリウスは、不幸なことに先達から学ぶ機会を一度も持っていなかった。

 あのペディアですら、ディーノス家没落前に父と共に盗賊討伐に出ていたのに、コーネリウスにはその機会すらなかったのだ。

 時間稼ぎをしろというのは、そういう意味だ。デファールが、レッドと相対する中で、本当の戦争を見せてやると、だからそれまで待っていろという意味だ。


 成長の機会を与えてくれるというのに、功に焦ってレッドと決着をつける理由は、コーネリウスにはどこにもない。ゆえに、彼は待つことが出来る。

「デファール元帥。」

「なんだ?」

「ご武運を。」

デファールがポカンと口を開く。ジョンとクリスとミルノーが面白いものを見たかのようにクスリと笑い、スティップとエルヴィンは無表情。

 ペディアは、「誰だこいつ」みたいな目でコーネリウスを見た。まあ、彼らの交流を考えれば、妥当なところだろう。


 数秒して、デファールが口を閉じる。何かを噛みしめるかのように二度、頷いて。

「誰にものを言っている。私は『元帥』だぞ。」

隣に座るコーネリウスの頭を、くしゃりと撫でる。


 デファールもコーネリウスも、負ける気がしなかった。

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