185.南の端の戦争(1)

 雨など降りそうにないほど、美しい青が広がっていた。

 曇天だと言ってしまった手前、とても恥ずかしい。だが、晴天というのは気分がいい。

 レッドの気分は色々と板挟みだった。

「ま、まあ、天気の読み間違いくらいはよくあることですよ、レッド様。」

マティアスが宥めに入るほど、レッドはこう、いたたまれないような表情をしていた。

「そんなことは、わかっている。」

切り替えて行こう。そう呟く。羞恥ひとつで采配が変わるほど、甘い人間にはなりたくない。


「幸いにして空は青く輝いている!」

五万もの部隊を率いるその隊長たちの前で、レッドは笑顔を見せた。

「絶好の戦日和だ!我らはこの戦で、天候の変化による戦況の急変を恐れる必要はない!」

魔術によって生み出される変化は別だ。が、魔術に寄るものであっても、相当の準備と力量が必要である。


 万全の状況のラムポーン=コリント伯爵家でもなければ、そんなことは不可能だ。相手はあくまで戦車の名家。魔術はあくまで武器であって、主体ではない。

「だが、忘れてはならない。晴天は戦車たちの最も好むところだ。このような広大な平原では、特に。」

広々とした空間に、豆粒のように見える敵軍。あれらの多くが、非常に強力で圧倒的な質量をもつ戦車という乗り物である。その脅威を、レッドが見誤ることはない。

「だが、俺たちは!エドラ=ラビット公爵家!ペガシャール王国五公の一族にして最も力もつ貴族である!歴史あるとはいえたかだか子爵家以下の連合軍に負けるわけにはいかぬ!」

まして、兵力差が五倍もある戦では。負ければ、公爵家の恥になる。


 腰に佩いた剣を抜く。空に、太陽に高々と掲げるようにしてレッドは叫ぶ。

「俺たちは、決して負けぬ。赤い馬の旗の下に!」

「「「赤い馬の旗の下に!」」」

「全軍、配置につけ!」

「「「応‼‼」」」

動き出す。歩兵が、騎兵が、弓兵が、魔術兵が。ありとあらゆる兵士たちが、私属貴族たちの指揮の下で動き始める。

「決して、負けぬ。」

レッドはゆっくりと、地面に置いた小椅子に腰を下ろした。




 晴れ間が広がるならありがたい。

 先頭集団、その中央を戦車で駆けるグラスウェルはそう思う。

 戦車という兵種は、正直扱いが難しい。騎兵と違い小回りが利かない。二頭の馬に戦車をひかせる戦車ですら、一台につき馬を二頭育てなければならないという金食い性を持つ。

 そして、戦車は木製か金属製だ。木製の場合、量産は易いが耐久性に脆い。人を押し潰すという戦車元来の戦闘方法は馬に頼るものになるし、何より道中での破損、戦中での破損被害が著しい。代りに、修復もしやすいが。

 対して金属製は、量産が難く耐久性に優れる。圧倒的な質量も有している。道中での破損の心配も、木製よりは少ない。ただし、仮に破損した場合修復は容易でない。


 そして、どちらの場合であっても保存は容易じゃない。戦車を持つ名家の中で最も格が高い貴族の家が、エミル=バリオス……『子爵家』であることが、どれほど財を食いつぶす兵種であるかを物語っている。

 余談だが、他の一族も戦車を持ち合わせていないわけではない。ただ、彼ら戦車の専門家たちほどの数を保有していないだけである。


 他にも戦車の利点と不利な点を論えればキリがない。小回り。車輪の性能。天候に左右されやすいこと。汎用性。ありとあらゆる場において、戦車は他の全ての兵種と比較しても、使いどころが限定される兵種である。他に使いどころがない兵種など、陸上での『船』くらいではなかろうか。

 だが、晴れの日の平原ほど、戦車が活躍できる戦場はない。

 たとえ敵が兵力差五倍の大軍であれ、指揮官の力量に差があれ……あのエドラ=ラビットの精鋭であれ、勝機がなくなる事だけは、ない。

「弓、構えェ!!」

敵の影が、見えてきた。いや、元より影は見えていたがしっかりと像を結び始めた、と言ったところか。どちらにせよ、弓を構えさせるにはいい距離だ。


 御者は変わらず手綱を握っている。三人乗りの三頭馬四輪鉄製戦車、それがグラスウェルの生まれ、システィニア=ザンザスの戦車だ。

 一人は御者。一人は弓と盾、もう一人は槍と盾。人よりも、そして騎馬隊よりも時に重たい質量は、敵兵を怯えさせるのに十分な圧力を以て敵を追う。

「はなてぇ!!」

矢が放たれる。青を遮って、茶色い雲が空にかかる。それが全て、盾で受け止められた。……敵の視界が埋まった、好機である。

「曲射、はなてぇ!」

矢が敵に届き、盾を構えるまで、戦車は走り続けている。それはつまり、距離が縮まり続けているという意味だ。緩やかな曲射……事実上の直線距離を放った矢より射程距離が短くなる曲射でも、十分届くほどの距離まで、もう戦車隊は詰めている。


 再び、茶色い雲が空にかかった。指示を出して、次の矢を装填させる。次は、曲射が届く前に、直線距離を。真上と正面、わずかな時間差で訪れる矢の風を食らえばいい。

「猪突猛進、大いに結構。はなて。」

あり得ないことだが、声が聞こえた気がした。過去何度も聞いた、レッドの声が。

「盾、構え!上だ!」

慌てて叫んだ声に、兵士たちが反応できたのは奇跡だったのか、繰り返した調練の賜物か。盾に矢が突き刺さる音が、そこかしこで聞こえた。……危なかった。曲射に合わせて、敵も矢を放っていたのだ。


 正面を見据える。弓の精度は、己らより敵の方が上だった。だってそうだろう、最前線を守る兵士たちを攻撃していた自分たちに攻撃を当ててきたということは、敵はさらに後列から矢を放ったという意味なのだから。

「止まるな、駆けろぉ!」

馬の頭には念のため、馬用の兜が装着されている。戦車の弱点は、人よりも馬だからだ。

 それでも、矢は胴にも足にも突き刺さる可能性がある。その全てを弾けるほどの速度は、戦車を曳く馬には出せない。

 止まらない。それだけが、彼らにできる矢の対策であり、近づけば近づくほど、戦車の圧は強くなる。

「はな、てぇ!」

最前列の一部が歪んでいる。大量の矢を浴びて、敵も多少は削られた。まだ、グラスウェルたちの被害は少ない。


 これなら、敵に躍り込める。次の矢が放たれているのを眺めて確信した直後、正面の地面が、わずかにうごめくのがグラスウェルの瞳に映った。




 矢による戦車上の兵士、あるいは馬の行動不能を、まず敵が狙うこと。それは、ペアトロの予想のうちだった。

 ペアトロは、己が総指揮官向けではない事を重々承知していた。相手の打ってくる手に対する対処療法。それが、自分の知性の精いっぱいだと……自分で絵を描く画家にはなれないことを知っていた。

 だから、彼は限定した。対処療法しか出来なくてもいい。自分が絵を描く必要はない。


 自軍が戦う、その在り方を固定する。そうすれば、敵は己らに対して、壊滅させるための絵を描いてくる。

 その絵に乗りながら色を変えるだけなら、ペアトロの得意分野だ。最初から絵が描けないなら、相手に描かせて利用しようというのが、ペアトロ=アミアクレス=ペダソスの策だった。


 矢を撃ってくるというのは事前に伝えていた。それでも対処がギリギリだったのは、グラスウェルの視野の狭さを嘆くべきか……。いいや、事前に危険を予知していたとして、それをずっと覚えていられる者など限られている。

 指示を出す権限をもぎ取っておかなかった、ペアトロの不注意だった。

「敵は草を成長させる魔術を使います!ザンザス男爵の車輪を搦めとるつもりです!全軍、距離は520、方向は北、復唱、“凍結魔術”!」

「「「“凍結魔術”‼‼‼」

タイミングの読みは完璧だった。大地から蠢いて急速成長した木々が、戦車たちの車輪を、馬の足を搦め取らんと、うねうねと大地に横たわる。それが瞬時に凍結され、馬車の車輪によって無残にも砕け散る。


 対処療法は、事前に読んでいれば対処療法ではない。対策だ。

「次、壁面の展開。距離は560、方角は北、復唱、“脆化魔術”!」

「「“脆化魔術”‼‼」」

瞬時に大地から壁が生える。さながら、八段階魔術“鋼鉄要塞”のような金属質でありながら、それは一面に特化した壁だ。

 とはいえ、金属の壁。正面からぶつかれば、戦車は馬人巻き込んでぐちゃぐちゃの肉塊になってしまう。

 五段階魔術、“脆化魔術”。金属をわずかに脆くする魔術。実のところ、一人でその魔術を用いる分には、脆くなる程度には限度がある。そこまで脆くはならない。


 だが、複数人でかける場合は話が別だ。アミアクレス=ペダソス騎士爵軍四千人、全員でかけた場合に限り、戦車の正面にあるその金属壁は薄い木板よりも脆い壁に成り下がる。

 壁が、割れた。正面に現れた壁に躊躇なく突っ込んだ馬たちが、金属片を正面に弾き飛ばしながら敵へと駆け……真正面から、矢を受けた。




 思っていた以上に、ペアトロが厄介だった。

 魔術を二つ、無効化された。最初の矢、二つ目の車輪への攻撃を対処されたのを受けて、次の予定だった壁の構築直後に矢を放つことを追加した。

 壁があっさり無効化された。矢が突き刺さったのはありがたいが……被害は少ないだろう。敵の勢いは、止まるように見えない。

「レッド様。」

「最前列の部隊は、敵と接触する直前に左右へ逃走しろと伝えろ。」

「承知しました。」

敵はこっちの陣営をどう見ているだろうか。思惑をそこまで察しているか、それともただ愚直に突っ込んできているか。


 最前列の部隊は、総計二千ほどの囮である。

 そこそこの数に見えるのは、案山子に帽子をかぶせたからだ。矢も、魔術も、最前列の部隊から二百メートルほど離れた後方で放っている。

 二千ほどの兵士は、うまく逃げられない限り死ぬだろう。仕方がないことだ。たった二千の犠牲で、こちらが買えるのは敵側の徒労感と、おそらく百にも満たないだろう被害。

 だが、それでもレッドは彼らを犠牲にした。した上で、やるべきことがあった。

「カレウスに合図をしろ。戦車の利を削りきる。」

「承知しました。」

マティアスが去る。人材が豊富で助かる。敵は三将。だが、エドラ=ラビットはそんなに少なくはない。




 囮だった。突っ切った先に兵士がわずかしかいないのをみて、グラスウェルは苛立つ。突き刺した槍、そこから伝わる感触が、そこに人がいないことを雄弁に伝えてくる。

 藁人形だった。ぶんと槍を一振りして、それを遠くに放り投げる。

 戦車が揺れた。あ?と思って戦車の僅か下を覗く。

「石だぁ?」

ゴロゴロと石が転がっていた。敷き詰められていない。むしろ、法則性なくばら撒くように石が敷かれている。

 隣を走る戦車の車輪が、石を弾いて飛ばす。その礫が頬に当たるに至って、グラスウェルはこの地が誘い込まれた場所だと理解した。

「……止まるな、進めぇ!」

それでも、彼はそう命令するしかない。止まれば、的になる。


 戦車の速度が落ちる。平野なら戦車を阻むものはない?そんなわけがない。

 少しのへこみ、多くの転がる石。砂利ではなく石だからこそ、戦車の車体に負荷がかかり続ける。車体が揺らぐ。そして、それを曳く馬の労力が、増える。

 最初から測られていた。だが、戦車は反転すら難しい。ここまで突き進んでしまえば、敵を蹂躙しつくすまで止まるわけにはいかない。

 駆け続ける戦車たちが、レッドの作り上げた石の領域を抜ける。急場しのぎで作り上げた石の陣だ、その範囲は広くはなかった。だが、戦車自体の足は落ちた。

 今の彼らに、レッド派の軍と接敵したときほどの足の速さはない。再び、速度を上げんとグラスウェルが手綱を握り締めて。


 再び、グラリと車体が揺らめいた。

 足元が、石の次は泥だった。

「“泥地魔術”か。」

車輪が泥を跳ねさせる。車体に泥が付くくらいなら別にいい。だが、車輪の軸部に泥が付けば、それは進行速度の低下にも……それ以上に、車輪と車体が分離する理由の一つにもなる。

「ペアトロ!」

「“乾燥魔術”!」

即座に泥地が消える。僅かに泥が付いたとはいえ、時間にしてほんの三分未満。これなら、大きな支障は出ないだろうとグラスウェルが前を向く。


 駆ける速度がまた上がるだろう。敵に接触するころには、突撃にちょうどいい速度に、まだギリギリなるだろう。そうグラスウェルが判断した矢先のこと。

 ゴウッ、という音が、聞こえた。戦車そのものを押し返さんとするほどの、風。

 五段階魔術、“強風襲来”。レッドの、小細工なしの、真っ向勝負だった。




 五段階魔術“突風襲来”と“強風襲来”は、別物だ。

 “突風襲来”は名前の通り、突風を生じさせて前に吹き付ける魔術である。

 では、『突風』とは何か。一時的に、強く吹く風のことである。


 魔術で生み出された風に、本格的な『一時的の風』という概念はない。

 だが、要は定期的に風が切れればいいのだ。ある程度の法則性の中で、風が吹く瞬間と吹かない瞬間がある、それが“突風襲来”という魔術である。

 では、“強風襲来”は、“突風襲来”と何が違うのか。単純である。

 風の切れ目がなく、吹き続けている風。それが、“突風襲来”と比較した際の、“強風襲来”の違いである。


 ちなみに、汎用性が高いとされているのは“突風襲来”だ。戦争においては、交代の為に動く瞬間が必要であり、背中に強力な風を受け続けた状態でそれを為すのは難しいことが多々ある。

 全体的な、一休みの必要性。風を背に受け続けることで減る体力から、身体を休ませる意味合い。あるいは、停止し続けるために風を受けることが不利益を産む場合。

 ありとあらゆる場合において、“強風襲来”は……継続的な強風の圧は、断続的な風の後押しよりも嫌われやすい。


 そして、それは追風ではなく向風になる側も同様である。

 風を正面から受けて、グラスウェルの戦車隊の足が落ちる。


 戦車の弱点が、もう一つ。

 風を受ける面積が広い分、騎兵単体と比べても、向風で落ちる速度の低下が著しい。

「……構え、来るぞ!」

グラスウェルが叫ぶ。“強風”は、彼らにとって向風になるだけではない。

 敵にとっては、追い風だ。

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