186.南の端の戦争(2)
戦車の足が止まる。無論、強風だけで戦車の足が止まったわけではない。それで止まるほど、戦車という兵種も、馬という生き物も、柔ではない。
だが、タイミングが問題だった。いいや、タイミングが問題になるように、レッド軍が動き続けていた。
まず第一波で放たれた矢。これで御者か馬が目に見えるほど減れば、この時点でグラスウェルたちは失速を余儀なくされただろう。残念ながら、効果は出なかったが。
第二波、伸び生える植物。先頭車両の車軸に不調が起きれば、後続も自然と失速するはずだった。
第三波、鉄の壁。ここで戦車が潰れれば完全に全滅、レッド派の勝利、というよりグラスウェルたちの逃亡が確定していた。ペアトロがその難をあっさり乗り越えさせたが……わずかにも失速しなかったかと問われれば……失速した。
続いて不意の石の大地、続く泥沼と来て、止めに強風。
止まらぬはずがない。いくら戦車とて、それを曳くのは生き物だ、どうしても動き続けることには限度がある。
たった一度の攻撃は怖くない。怖いのは、一つの目的の元に徹底的に積み重ねられる攻撃の波である。
そして、脚の止まった戦車には、その圧倒的な質量攻撃も、速さを生かした攻撃防御も消えている。そこにあるのは、ただの大きな鉄の塊である。
その好機を狙わぬレッドでは、ない。
「よくやったカレウス!ユーザ、騎兵隊を用いて突撃、ウェイロ、ペガサス部隊を任せる!」
脚の止まった戦車に、騎馬が駆ける。質量攻撃を得意とする敵を相手に、質量でぶつからんと馬が駆け、ほとんど同時に空からペガサスの部隊が襲い掛かる。
「ここで決着をつけるぞ、歩兵隊、進めぇ!」
わぁ、という声がただっぴろい平原に響き渡る。グラスウェルの戦車の数は三百台、乗員は合計で九百人。ここで減っても、後方に残した四千がいればまだ立て直しの機会はある。
だが、それはあくまで、グラスウェルが生き残った場合だった。
九百対、五万……は言いすぎだとしても、こちらに向かってくる敵数は軽く万を数える。彼らからグラスウェルが逃げ切るのは、至難の業である。
「グラスウェル!矢を空へ!復唱、“火球魔術”!」
「「「“火球魔術”‼」」」
ペアトロが声を上げた。正面からこちらに向かってくる騎馬隊に対して、真っ向から火の玉をぶつける。何十人かの騎兵が丸焦げになって大地に崩れた。熱に怯えるように、周囲の馬の速度が落ち、後続に押されるように潰されていく。
それを見て、グラスウェルも覚悟を決めた。槍を持つ兵士たちを前において弓兵たちを守りつつ、弓兵には空に向けて矢を構えさせる。
強風は吹き続けている。よほど近くまで敵を近づけさせてから撃たなければ、矢はただ流されてどこかへ飛んでいくだけで終わるだろう。
「放て!!」
風を貫いて矢が進む。しかし、5メートルも矢は飛ばない。
だが、十分だった。ペガサスを空の上に留まらせるのには、たったの5メートルで十分だった。
言うまでもないことだ。ペガサスが空からグラスウェルたちの元に手を伸ばそうと思えば、最低限風の中を突っ切る必要がある。だが、断続的に風が切れる“突風襲来”ではなく、敵が使うのは“強風襲来”。敵が吹かせる風は、空を飛ぶペガサスたちにとっても脅威である。
魔術を使うペアトロが、グラスウェルの部隊に追いついた。彼らの戦車は木製。馭者、魔術師の2人乗りで馬は三頭。そう、三頭曳二輪木製戦車。
高速で戦場をかけまわり、魔術を連打して攪乱する。そのために、脚の落ちる鉄製戦車にするわけにはいかなかった。
車体が壊れやすくとも問題ない。壊れやすくなる要因の悉くを、魔術を用いて相殺すれば、結果として戦車は壊れない。そういう無茶をする一族が、アミアクレス=ペダソスである。
何より。何よりである。車体に魔術陣を刻めばよい。必要ならば、魔術師をもう一人戦車にのせて車体強化にあてればよい。
それだけで、魔術を全霊行使しながらも戦車で駆けまわる機動部隊が出来上がるのだ。
そして、魔術師が戦車に乗る利点はもう一つ。というより、戦車に魔術師を乗せるという発想に至った理由が、一つ。
騎馬に魔術師は、乗せられない。
戦場で駆けまわって魔術を行使するということは、魔術による後方支援ではなく火力を要求するということだ。
後方支援ではないということは、安定した場に魔術陣を複数用意し、切り替えて戦うということが出来ないという意味だ。騎馬の上で戦うというのは想像以上に難しい。
剣を振るうことですら難しいのだ。周囲に敵が迫ってくる環境下で、適切な魔術を選択して手にとり、正しく魔力を通して発動させることが出来る魔術師が、果たして多く産めるものか。そして、それを要求される環境下で、多数の魔術を使い分けるなど、至難の業だ。
だが、戦車という兵種はそれを可能にする。
少なくとも長柄武器でなければその身に届くことはないという環境。バランスを取る必要はあるものの、馬の操作自体は馭者がやればいいという役割分担。
そして、馬上とは比べ物にならないほどの間隔の広さと、安定性。即ち、複数の魔術陣を持ち込むための環境。
戦車は、魔術師を乗せて戦わせることを可能とする。
即ち。戦車というのは、至近距離で魔術を放ち続けるという環境を得るには、最良の兵種である。
「“火球魔術”!“泥地魔術”、“凍結魔術”!」
近づいてくる騎馬を牽制し、その足元をぬかるませ、凍らせて馬の動きを封じる。魔術師が対騎馬戦用に行う基本戦法の一つとはいえ、それをあっさりやってのけるのは難しい。
複数種の魔術を携行し、死の恐怖から比較的遠い位置にいる戦車の内だからこそ、これほどあっさり魔術を決めることが出来る、が。
「“溶解魔術”、“乾燥魔術”。」
レッドの軍に、魔術師部隊は一つではない。カレウスと呼ばれた男の部隊以外にも、もう一つ二つ、魔術師部隊は存在する。
戦場の定石、それは即ち対応策が用意されているという意味だ。そして、その対策は……今のペアトロたちには、ない。
「ぐ、“火球魔術”!」
彼らにできるのは、苦し紛れの迎撃、時間稼ぎのみ。
最前列の馬を焼く。その身を横転させる。後続の馬が足踏みするように、騎手が恐れをなすように。
だが、突撃すれば、レッドの軍は間違いなく勝てるのだ。ほんの数百程度の犠牲は、彼らを躊躇させる理由にはならない。
グラスウェルが敗北の確信に歯を食いしばる。ペアトロが敗北を認めないとばかりに矢を撃ちこむ。
そして、それを肯定するかのように平原に響き渡る、蹄の音。
「……よくやった、ペアトロ。グラスウェル。前方は私が受け持つ。今すぐ撤退準備を開始しろ。」
最後の将、グリード=エミル=バリオスが、戦車を曳いて追いついた。
繰り返すようだが、戦車の利とは何か。それも、騎兵と比較した場合、である。
一つ、騎兵以上の圧力を有していること。単純な重量で、戦車は騎馬に勝る。
二つ、騎兵は一人で馭者と兵士をやらねばならぬのに対し、複数人で役割を補うことが出来る。
三つ、車体を有している。車軸を持ち、車体を有し、馬にその車体を曳かせている。
このうちの、一つ目の利を活かしたのが、システィニア=ザンザスだ。そして、二つ目の利を活かしたのが、アミアクレス=ペダソスだ。
そして、三つ目。車体を有するというただその一点を最大限に活かしたのが、エミル=バリオスである。
具体的に言おう。エミル=バリオスの戦車は、馬四頭に戦車を曳かせている。
戦車の車輪、車軸に関しては鉄製、そして車体は木製である。
搭乗者は三人。馭者が一人、槍兵が一人、そして。
バリスタの撃ち手が、一人である。なお、槍兵は基本的に、バリスタ射出の補助……矢の補充がメインの役割である。
エミル=バリオスの戦車は、特殊だ。
木製の車体の板厚は、30センチにも上る。木製の盾を五枚ほど張り付けたような重厚感ある戦車である。
そして、その主武装は回転式のバリスタである。槍兵の出番など、基本はない。盾と見まごう壁に作られた細い線は、バリスタの射出口である。……つまり、戦車の壁の高さは、ほぼ人一人が座ったときの頭以上の髙さを持つ。
エミル=バリオスの戦車は、視界が狭いことと馬と馭者を守る手段を失い、また火に弱く駆ける速度が他の戦車より遅いことと引き換えに、優れた防御力と優れた攻撃力、そして岩が動いていると錯覚させるほどの威圧感を生み出した戦車である。
それはさながら駆ける砦。止まってしまったグラスウェルの、ペアトロの戦車を取り囲み、その身をもって迎撃すれば、彼ら二人を救い出すことなど容易である。
「行け、グラスウェル!撤退し、決して正面から戦うな!援軍が来るまで、耐えるのだ!」
寡黙な彼が叫ぶ。それが最期の言葉になると知っている。自分が犠牲になることで、戦車を誇る一族の中でも随一の武勇と知能を持つ二人を生かす、そんな己に酔っている。
「早く、しろ!」
「……撤退準備!バリオスの戦車も撤退させる手伝いをしろ!」
止まっていようが戦車は戦車。方向転換は相当難度が高い。ましてや、砦を思わせるバリオスの戦車など、持ち上げることも向きを変えることも至難である。
敵に襲われていない状態なら困りはしなかったかもしれない。だが、今彼らは攻められている。
誰かが犠牲になれねば、誰も生き残れぬ……そういう状況にあって、グラスウェルは、甘い。
「グラスウェル!」
味方後方から吹く風が止む。ペアトロが“強風襲来”を、レッドの軍からグラスウェルを救うために追風にしていた風を止める。
ここまで来たら、自棄だった。最後の一兵まで戦わんと、グラスウェルも、ペアトロも覚悟を決めた。
「馬鹿が。」
グリードが呻く。だが、バカは元々だ。
賢ければ、彼ら三人は、まだレッドの軍内にて埋伏している。積極的に自軍を出さないようにし、親の周囲の私属貴族や役人階級たちを説得しながら、日々を過ごしていただろう。
ペアトロが『絵を描けない』と断言される理由はここにある。実際、ヒリャンが率いる軍内には、まだもう二人ほど、反乱の種は残っている。
「行こう。」
グリードが、嗤った。己らの愚かさを、この戦の敗北を受け入れて、後方で待機する残り三千近い兵隊がどうなるのかも考えずに、討ち死にする覚悟を決めてしまって。
「「愚か者が。」」
レッドは言う。死兵ほど怖いものはない。死ぬ覚悟を決めた者ほど恐ろしい敵はいない。
そして、他の誰かも、そう言って。
レッドから『ペガシャール帝国軍』を守るように、“鋼鉄要塞”が顕現する。
中にいた戦車たちは、それがどうして起きたのか、わかってはいなかった。
わかるはずがない。それは運ですらない、必然的に起こったものであると同時に、レッドですら予想していない偶然だった。……仮にそこにクシュルやデファールがいたとしても予想がつかない事態だっただろう。
レッドはあと一歩まで敵元に近づいておきながら、その正面に急に作り上げられた魔術に阻まれたのだ。
……ちなみに。魔術陣の展開自体はあったし、それは10秒ほど輝いていたから、反応しようと思えば出来た。とはいえ、“鋼鉄要塞”は八段階魔術だ。個人でこれを行使できるものとなると、ペガシャールの内ならば五十人くらいはいるだろう。が、その存在を予期していなければ出来ない。
最初から乱入を予想していないレッドからすれば、その存在は警戒する必要すらなかったのだ。
ペアトロは六段階魔術師である。七段階格の魔術の一つ二つであれば無理すれば使えるが、“鋼鉄要塞”ほどの魔術は扱えない。
「好機!今のうちに軍を立て直せぇ!」
即断即決のグラスウェルが叫ぶ。ペアトロは、『誰が、なぜ』を考えそうになる頭を強引に切り替えた。そして、グリードはただ淡々と仕事を為す。
「この壁が消えたら全力で撤退を開始する!ペアトロ、“強風襲来”を頼めるか!」
撤退に交替はない。撤退という名の逃走であることは、誰もが承知している。撤退と言い張るのは、あくまで言い訳の為に過ぎない。
「戦車が壊れる!」
「構わん!!」
戦車が用いられる戦場で、“突風襲来”“強風襲来”を追い風として使用することはほとんどない。
戦車はあくまで兵器である。稼働速度に限界がある。超えれば、車軸の負荷が高まり、壊れる可能性が高まる。
「車が壊れても、結果数人の兵士が死のうと。今は全軍を撤退させることが肝要だ。」
「……わかった。」
ペアトロが頷く。話が纏まったのを見て取ってか、あるいはそれ以外の理由……外で壁に向けて繰り返される魔術と矢の猛攻を受けてか、“鋼鉄要塞”が崩れ行く。
「総員、撤退開始!」
「“強風襲来”!」
風の後押しを受け、あまりに不意な魔術発生に立ち往生していたレッド軍の足を超えて。
戦車たちは、逃げ始めた。
「世話の焼ける話です。」
絨毯の上で呟く。レッド=エドラ=ラビット=ペガサシアはあまりにも優秀だった。“鋼鉄要塞”に阻まれた瞬間、要塞を包囲するように指揮を執った。
おかげでやりたくもない大魔術の連打を行う羽目に遭い、彼の魔力は空を飛ぶのもいっぱいいっぱいだった。
「まあ、いい。いい薬になったでしょう、彼らはしばらく動きません。そして、レッド軍もまた動かない。」
レッドからしたら、してもしなくてもいい戦だった。裏切り者は許さないという威圧の為には必須ではあったかもしれないが、それでもどうでもいい戦ではあったのだ。
彼らは待っている。三人の戦車乗り達も、レッドも。
ペガシャール帝国軍からの援軍を、待っていた。
互いの沈黙。己の動きを決めるのは、今ではない。
黒衣の男はそう決めると、絨毯に乗って去って行く。
己の父でも兄でもあった男が遺した、同胞の元へ向けて。
――――――――
黒衣の八段階魔術を扱う在野の男……ね。うん。
というわけで後書きです。
さて。これを書いておくべきか、否か。まあ私は一週間迷いに迷ったわけですが、書いておきましょう。
この物語、クリスやアメリアの存在が嫌というほど示すように、『騎兵』の概念があります。そしてペガシャールは馬の国、騎兵の立ち位置は割と高いです。
そして、地球の歴史が示すように、騎兵の発展……即ち鐙を代表とする馬具の登場以降、戦車という兵科は忘れ去られていきます。理由は……この二話ほどを読めば嫌でもわかりますよね。
では、なぜペガシャールにおいて『戦車』という概念が死んでいないか。簡単です。『神定遊戯』があるからです。『神定遊戯』に、神が認めた『戦車将』とかいうわけわからん概念があるせいで、戦車は忘れられることが許されていません。なぜか。
『神定遊戯』は、『騎兵』の、『騎馬隊長』の存在が現れる以前からあるためです。『神定遊戯』における六国の確立、及び『像』の数は、基本的に千五百年前に定められたものであり、『神定遊戯』はそれ以前、2500年も前からあるからです。
ちなみに2500年前にしたのは作者、失敗だったと思っています。いくら神の権威による文明の急成長が許されていたとはいえ、もう一万年くらい追加するべきだったのでは?と。四年前の作者、頭弱すぎでは?
まあそれはさておき。
騎兵の登場によって、『戦車』が廃れるのは人の道理、しかしそれは神の道理ではありません。
ぶっちゃけると一度『戦車将』なんて『像』を作って周知したのにより強い兵科が生まれたから差し替えましたなんて神の権利を自分で貶してたまるか、という『像』のつまらん意地が入っています。役所仕事かな?
その影響で『戦車』という文化が廃れることはなく。ついでに言うと『像』が与えられた時点で『戦車』にとって都合のいい能力まで与えられてしまうので、名目上の『像』になるには強力すぎた、という背景もあります。
これが、『騎馬隊長像』がありながら『戦車将像』という『像』がある理由です。ちなみに戦場で活躍することは……フェルト王国とフェニクシア王国以外では結構あります。ドラゴ―ニャ?あれは正直作者設定盛りすぎたねん。一番戦車活躍するよあの国。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます