183.『元帥』と『槍の弟』(2)

 この戦争は挨拶だ。そう言ったデファールの言葉は、同時にヒリャンの想いでもある。

 まず間違いなく、共にこの戦は挨拶代わり以外の何物でもなかった。


 ヒリャンは精鋭を温存した。あのクシュルを相手に一年以上戦い続けた。その拮抗の理由は、誰が問うまでもなく三貴族と、そしてヒリャンの部隊が全霊を尽くし続けたからだ。

 他の貴族家に、ヒリャンもトージ達も、期待はあまりしていない。していなかった。アシャト達が危ない橋を渡ってまで引き抜いた若い次期当主たる貴族たちに対してさえ、彼らは期待していなかった。

 こう言うとヒリャンたちに見る目がないと思われかねないので補足すると、次期当主とはいえ現当主がいる軍の指揮権を全部持つことはない。調練の権限ですら、現当主が信任した私属貴族に一任される。

 勇将の下に弱卒なしとは言うものの、それは大前提としてきちんと調練、あるいは教育を施していなければならない。いくら上に立つ者が有能でも、その有能さを発揮できないのであれば部下が有能になどなり得ない。

 実質。システィニア=ザンザス子爵の次期当主は自領に籠っているが、ザンザス子爵軍が弱体化したかというとそうではない。元より弱いのだ、それ以上弱くなどなりようがない。


 ちなみに、引き連れて帰った部隊は精強である。だが、あくまで二千名程度しかいない直属の兵など、システィニア=ザンザス全軍の平均を底上げするには至らなかった。


 とかく。ヒリャンは精鋭を温存し、指揮を任せられる数少ない名将に弱卒を預けて方々で戦をさせた。理由は単純、デファールたちの『像』の総数と質を図るためである。

 一年間クシュルと戦い続けたヒリャンの軍の質は、割れているだろうと彼は知っていた。裏切り者がいることも、若人たちが消えたことで教えられた。

 ヒリャンとデファールでは、部隊の質や指揮官の力量を問い詰める以前に、圧倒的な情報量の開きがある……それを理解した上で、情報収集のための戦を仕掛ける必要があった。


 特に、『像』の種類と数である。

 ここ千年近くは『像』持つ国と『像』持つ国での戦いだったこともあり、本質的には対等の戦争が繰り返されていた。だが、ヒリャンには、『像』はない。

 『像』ない陣営が『像』ある陣営と戦うのであれば、最低でも数と種類は把握しなければ、対策を立てることが出来ないのだ。




 ドン、と盛大な叩きつける音が、会議の場にとどろいた。

 もう少し込める力が強ければ、机が割れていただろう。そう思わせるほど力強い、それこそ轟音だった。

 拳を机に叩きつけた男は、ヒリャン。その額に青筋を浮かべ、プルプルと拳を、腕を、身体全体を震わせる様は、誰がどう見ても激怒と言うにふさわしい。

「……目的は、果たした。何をそう怒るのですか?」

トージが問いかける。その顔にはありありと戸惑いが浮かぶ。彼には、なぜヒリャンがそこまで怒っているのかわからない。

「ここまで侮辱されて、怒らぬ方が、難しい。」

普段から温厚な声音と敬語を欠かさぬようにしている男の、剥き出しの感情。トージだけではない、カンキ、ヒャンゾン、そしてなぜか呼ばれていたネイチャンも驚くほどだった。


「何が、侮辱だったんだ?」

カンキが、いつもの威厳ある声とは違う、比較的穏やかめな声で問う。それに対し、ギロリとヒリャンは睨みつけるように彼らを見た後、スッと落ち着いたかのように姿勢を正した。

「デファールめ、私に意図的に情報をよこしてきました。」

「は?」

「『騎馬隊長像』、『連隊長像』、『兵器将像』。『元帥像』と『将軍像』は確定。そして、ヒャンゾン殿の報告と部隊の規模からして、最前線で暴れまわっていた二人の勇将は『隊長像』で間違いないでしょう。」

言い切る。将たちが命がけで拾ってきてくれた成果と情報である。ありがたいと言って労いたい。その想いを押し潰してあまりある現実が、ヒリャンの首筋に突きつけられている。


 そう。持ち帰ってきた情報からして、あまりに喜べない暗黙のメッセージが、そこにはあった。

「カンキ殿、あなたが騎馬隊で突撃したとき、敵将は確かに「『連隊長像』“赤甲将”ペディアの配下、ポール=ヴェドス」だと名乗ったのですね?」

「ああ、名乗った。」

「まず間違いありません。それ、きっと勢いで名乗ったのではなく、名乗るよう言われていたのでしょう。」

「何のために?」

首を振る。ヒリャンの屈辱を理解するには、この情報だけでは到底足りない。


 厄介なのは指揮官の名前だ、とヒリャンは呟いた。

「“赤甲将”ペディア=ディーノス。私でも知る名です。若いのに卓越した指揮能力を持つ。あの“白冠将”ペレティが認めた傭兵隊長だというのですから、その実力に疑う余地はありません。」

敵は優れた指揮官を有している。それこそ、トージたち三貴族に決して劣らないものを持っている指揮官だと、ヒリャンは呟く。

「ゆえに。普通であれば、名を隠すはずです。私が情報を得るために動くことを予想していながら自分たちから情報を与える、なんてこと、目論見なくしてやるはずがありません。」

ハッと、カンキが顔を上げた。意味が薄々理解できたのだろうとヒリャンは思う。決定的なことは口にせず、彼は続きを口にした。


「ニネート子爵の戦場でも、『兵器将像』の動きはよくわからない。なぜ、防御によった楯のような大板をわざわざ“召喚”したのか。やられるに任せていても、騎馬隊全軍からしたらさしたる被害にはならないはずです。」

100人の戦死が200人だ300人だになったところで、10万規模の戦争では微々たる被害にしかならないだろう。それは悩む間もなく明白だ。

 そして、その程度の負傷で済むような指揮が、騎馬隊の長には出来たはずだ。


 ヒャンゾンに対して、規則正しい散開突撃という、罠と矢を同時に対策した手を打ってきた。万が一ヒャンゾンに騎馬隊がいれば悪手ではあっただろう。

 とはいえ、弓隊での迎撃を大前提に陣形と罠を張り巡らせているのは見ればわかったはずだ。つまり、騎馬隊の長にはそれが瞬時にわかる目と、判断に組み込める勇気がある。

「『兵器将』の出番など普通はない。出したくて出した、と考えるのが妥当だろう。」

なぜ?何のために?その答えを言わずに、ヒリャンは話を進める。


「『隊長像』二人。彼らも、どちらか片方でも良かっただろう。目をつけている貴族家の指揮官でも放り込めば、その実力を見ることも出来た。両方を出す必要は、なかったはず。」

そこまで聞いて、トージたちは気がついた。今現在、ヒリャンは、デファールがこちらの思惑に気付いている前提で話をしている。


 ふと、納得した。ヒリャンが怒り狂うほどのメッセージを感じるためには、それが伝えられる前提がないといけない。つまり、デファールはヒリャンの狙いに最初から気づいていないといけない。

「止めは、傭兵だ。あいつらだけ、『勝った』。これが最大最悪のメッセージだ。」

勝ったわけがなかろう。全体的に見て被害はこちらが大きい。傭兵たちが敵貴族家の軍を蹴散らしたからといって、全体的な勝利であったわけがない。


「他三貴族、即ちトージ、ヒャンゾン、カンキが負けた状態ですら、傭兵が戦功を挙げた。挙げさせた。あいつは、私にまだ傭兵を使って欲しいのだ。」

彼らは俺の陣営だ……そう言っているのと、何ら変わりないとヒリャンは笑みを浮かべた。その頬が引き攣っているのは、目の錯覚ではないだろう。

「裏切っているのがわかっていても、俺はあいつらを処断できない。戦功を、唯一挙げた者たちだからな。」

「なぜ?」

ネイチャンが口にする。トージ達が暗にわかっていることを、彼はわからない……別にいい、それを承知でネイチャンはここに呼ばれた。


「裏切っているという証拠が、『唯一戦功を挙げたこと』になるからだ。誰もが文句を言わない物証でも出れば話は別だが、そうでないなら証拠として最悪すぎる。」

だろう?と問いかけるヒリャンに、ネイチャンが一瞬悩むような雰囲気を見せた。何が、最悪か。トージ達が悩む間もなく理解できることに悩むのは、経験の差か、それとも基本的な思考力の差か。


 ネイチャンが答えを導き出すまで、返事を待つつもりらしい。そう悟った彼は、全力で頭を回転させた。

 自分なら、どう思う?唯一戦功を挙げた傭兵たちが、その一事をもって「裏切っている」と判断され、軍を追われるようなことになったら。フェリス=コモドゥス伯爵軍を率いるものとして、どういう判断を下す?

「戦功を挙げれば疑われる、という心象を抱かれかねない?」

「そうだ。ただでさえ弱い軍が、戦功を挙げることを恐れて及び腰になる。勝てるものも勝てなくなる。」

大前提として勝てるのか、という話は別において、ヒリャンは言い切った。

「です、ね。全力で戦えば戦うほど、戦功を挙げれば挙げるほど、総指揮官に疑われるなら、戦に全霊を尽くせるはずがありません。」

「ただでさえ悪い状況なのに団結すら出来ず、指示すら通らず、どころか本当に裏切られる可能性すら孕む……今、傭兵たちを切ることは出来ない。」


 これはある種最悪な、デファールによる攻撃だ。ヒリャンは苦々しげに吐き捨てる。だが、だからこそネイチャンには不思議だった。

「ですが、裏切っているとわかっているなら打てる手もあるのでは?」

そこまでわかっているなら、処断せずとも隔離するだの、こっそり監視の目をつけるだの、建前上の別任務を作って押し込めるだの、いくらでもやりようがあるはずだ。

「それは無理だ、フェリス=コモドゥス伯爵。裏切りがわかっているから最初から対策を用意する……それは、対策を打てるだけの余力がある軍にしか出来ないのだ。」

ましてや傭兵たちは、現状ヒリャンの軍の中でも最高峰の実力を持っている部隊。目に見えるほど露骨な「負けない」という戦功を挙げた以上、彼らを楯として持っておきたい貴族など多くいるはず。


 彼らがいなくなることに不安を覚える者が多い以上、隔離や別任務への任命は出来ず……

「監視などつけてどうする、裏切ったときに即座に対応できるのか?」

対応するための手駒は、ヒリャンにはない。ネイチャンは黙りこくった。トージ達はとっくの昔に口を噤んでいる。


「全ての手駒を明らかにし、情報をよこしたその意図は明白だ。奴はこう言っている。『隠し立てする必要などない。全てを出し切って戦おう』。」

『像』の数。種類。読みあいの為に必要な情報の全てを差し出して、彼はヒリャンとの尋常な戦を望んでいる。

 言葉だけを聞けば、そう思うだろう。だが、“魔智馬王”デファールの本質をよく知るヒリャンには、別の言葉に聞こえていた。


「情報くらいやってもいい。お前はこれを見て、勝てると思うのか?……それが、奴が私に送り付けてきたメッセージだ。」

トージが手を額に当てて上向いた。カンキが机に拳を叩きつけ、ヒャンゾンが近くにあった荷物の箱を蹴り飛ばす。コロコロと転がり出た干果物は、硬いはずなのに踏みつぶされて飛散した。


 これは、ヒリャンの怒りもわかろうというものだ。

 情報戦を仕掛けたヒリャンの望む情報を与える代わりに、軍そのものに打撃を与え、裏切り者の存在と、それに対処できない事実を教えつけた。それに飽き足らず挑発まで込めて見せる。

 デファール=ネプナスという元帥は、そういうことを、平然とやる男だった。




 荒れ狂っていたその天幕の空気が落ち着くまで、実に30分もの時間を要した。

 ネイチャンはその間、とても肩身の狭い思いをしていた。そりゃそうだ、終始この軍の上層部に位置し軍の進退の全てを担っている四人と、あくまで指示に従っているだけのようなネイチャンでは挑発に対しての想いが異なる。

 あくまで他人事にしか、ネイチャンには感じられないのだ。怒気の中で30分耐えたことが、むしろ賞賛されるべきだろう。

「すまない、フェリス=コモドゥス伯爵。醜態を晒した。」

「構いません。そうなるだけのものがあったのでしょう。」

慮ることくらいは出来る、そう伝えるのが彼の精いっぱい。背中いっぱいに広がる汗は、いつ乾くだろうかと彼は懸念する。


「貴殿を呼んだのは、貴殿に任務を申し付けたいからだ。」

「任務、ですか?」

娘があっちにいったから、最前線に送り出された。同じようなことがまたあるのか、と肩を落としかける。

 それを見て、ヒリャンは乾いた、しかし優し気な意味を浮かべながら首を振った。

「撤退する。具体的には後方、エドラ=ラビット公爵領境界都市エネディクト。その前にある、ピピティエレイという砦に籠る。貴殿はその周囲に、土塁及び複数の陣地を作成してほしい。」

グリュール山脈での陣地構築を任せた経験を買おう。そう続けられた言葉に、目が見開かれる。驚愕、という言葉がこれ以上なく似合う様に、四貴族が残らず笑った。


「先の戦では戦功を残すことはなかったが、逃げることもしなかった。他の貴族の軍は及び腰になり、逃げたにも拘わらず、最前線に留まってその槍を振るい続けた。我らは貴殿の、その努力を信用する。」

だから、命を預ける。そう言わんばかりの言葉に、ネイチャンは涙ながらに頷いた。

 彼らに信用される。一将校として任務を任される。人材不足がはっきりしていたとしても、簡単に人を登用出来ない彼らの立場から、認められること。

 それがどれだけ誉か、知らないネイチャンではない。


「ある程度希望も書いている。最低でも一ヵ月、叶うなら二ヵ月は時間を稼ごう。やってくれないだろうか?」

「資機材の方は、ありますか?」

「こうなることが予想されていたからな、一年前から籠城戦の用意だけはしていた。資材を用意したのがビリー=アネストリだから、念には念を入れて確認した方がいいだろう。が、奴も商人だ、信用を失う真似はするまい。」

少なくとも、用意された商材自体に不備はないだろう、とヒリャンは言った。……ちなみにだが、レッド直下の私属貴族の手によって確認された資機材に、不備はほとんどなかった。


 差し出された木板を握り締める。ネイチャンは大きく息を吸って、声を張った。

「必ずや、期待に応えて見せましょう!」

元気なその声に、やはりヒリャンたちは、笑った。




 レッド派にいて、アシャトに引き抜かれた若手。敵前逃亡して領地に引きこもった彼らは、そろって一軍を率いていた。

 たった二千の軍を持ち寄って、総計1万程度の軍に仕立て上げて、恐るべき敵と相対していた。

 彼は寝ていたわけではない。己を守るヒリャンの軍がいるからといって、何もしていないわけではない。むしろ、積極的に動いていた方である。


 エドラ=ラビット公爵軍総計5万。その総指揮官の名は、レッド=エドラ=ラビット=ペガサシア。

 ペガシャール王国王族にあって、エルフィールの次に優秀だとされていた、一派閥の長である。

「裏切り者には、罰を。裏切っていないというなら、今すぐにヒリャンと合流して戦え。」

その宣言を前に、アシャト派を選んだ若人たちは、戦うことを……そして、本当にレッドに弓ひくことを、今決めた。

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