182.柵と罠と矢の贈呈

 テッド子爵が“赤甲将”を相手に大敗を喫している頃のことである。

 ヒリャンの宣言通り、北西からレッド派の軍を攻め立てようと駆けてくる騎馬の一団があった。

「やはり、来たか。」

ヒャンゾンの目に映る、青に近い馬。ヒリャンが言うには、『ペイラ』という新種の魔馬らしい。


 その馬力は普通の馬の倍近く。その体躯は1.5倍、雷を受ければ帯電し、その速度は優れた騎手でも御しにくいという。

 その一団が、近づいてきていた。

「弓隊、構え!」

飛距離が500を超えるような怪物はここにはいない。ただ一人、ヒャンゾンのみだ。


 だから、距離が推定50メートルを切るまでは弓を放てとは命じなかった。

「まだ矢を番えなくともよい!集中だけしていろ!」

そういいつつ、矢を番えた。推定距離、600。それは、走り回っているわけではないヒャンゾンなら辛うじて届く、ギリギリの飛距離。

「フ!」

空気が裂ける音と同時に、矢が先頭の騎馬の頭蓋を射貫く。もんどりうって倒れた馬と振り落とされた騎手が、後続の馬の足を搦めて転がした。

 転倒が連鎖……しない。僅かに聞こえた笛の音と同時に、倒れた馬の場所から敵勢が二つに割れた。

「やるな。」

第二射、第三射。続けざまに兵を撃ち落としつつ、首を傾げる。

 敵が、止まることがない。こちらに弓の構えがあることに気づきながら、止まることなくかけてくる。


 再び矢を構え、撃った。最前線中央を駆ける、武人に向けて。

「嘘だろ。」

矢が、弾かれる。圧倒的な速さを持つ矢が、ピンポイントで棒によって弾かれた。

「あれが、『騎馬隊長』か。」

確信する。強さがそのまま『像』であるとは思わないが、しかし騎馬隊長は敵のただなかに突撃するのが仕事だ。どう足掻いても、腕っぷしからは逃れられない。

「矢を番えろ!」

四射目。放つ頃には、もう彼我の距離は200を切ろうとしていた。隊長は狙わない。彼はひたすら、その弓矢の正確性で、兵士に死の恐怖を感じさせることだけを優先する。


 敵との距離が、30メートルになった時、それは起きた。

 ヒャンゾンがこの戦の直前、騎馬隊が来ると見込んで作らせた罠……即ち、落とし穴である。

 魔馬ペイラは、普通の馬より重い。一度態勢を崩せば、起き上がるまで多少の猶予はある。落とし穴に嵌めてしまえば、自重で潰れ、突撃の勢いは落ち、いい的になるだろう……その予想がヒャンゾンにはあり。


 見事、騎馬隊の先頭一列が穴に落ちる。慌てた後続が足を止め、しかしそれに気づかなかった一部が前列を押し、落とし穴に叩き落す。

「射て!」

ヒャンゾンが叫ぶ。30メートルの距離、届かなくても構わない。こちらを見ている馬に、恐怖さえ与えればいいのだから。だが……その目論見は、見事に外された。


 矢が、突然現れた巨壁に阻まれる。木の板を何枚も張り付けて組み立てられたかのような、幅30メートルほどの壁。騎馬に迫りくる矢を、視界ごと阻んで見せたその兵器。

「無防備には、させない。」

クリスと共に騎馬隊の一人となり、レッド派の脇腹を食い破るべく駆けていた『像』の一人。


 『兵器将像』ミルノーの手による“兵器召喚”。クリスが態勢を整えるまで、彼はニネート相手に防ぎきる気でいた。




 徐々に徐々に下がりながら、ニネート子爵軍は奮戦していた。

 ヒャンゾンはこの場に最精鋭を連れてきているわけではない。だが、カンキのように全く無関係の貴族軍を連れているわけでもない。

 三軍並ではあるが、ニネート子爵の軍を以て、敵クリスとの戦に従事している。

「放て!」

矢が放たれ、馬が、人が斃れる。だが、約半数の矢は敵に届くことなく地面に落ち、また二割の矢は打ち払われた。


 そこに騎馬隊が攻めて来ることは、ヒリャンの想定の内である。騎馬隊はこと戦争において、最強クラスの速度と打撃力を有しているとはいえ……それが来ることがバレているなら、対策などいくらでも練りようがある。

 一番よく使われる対策が、これ。

 高い柵を作り、その隙間から矢を射ること。騎馬の足を柵にて止め、遠間からの弓矢を以て命を狩ること。そこが手っ取り早く高名な対策である、が。

 『兵器将像』が、厄介な敵でありすぎた。


「矢が阻まれるのは痛いな。」

毎度阻まれるわけではない。“兵器召喚”にもある程度のルールがあるのだろうことは想像に難くない。が、それでも定期的に現れる巨壁に阻まれる矢がなければ、あと三倍の敵騎兵の命を葬れたと思う。少なくともヒャンゾンはそう思っている。

 後方へチラリと視線を送る。残っている柵は残り三列。撤退を繰り返し、何度かある落とし穴に敵を嵌めつつの削り合いだった。


 まだ、ニネート子爵軍は一名も傷を負ってはいない。たいして敵騎兵隊の被害は、100は下らないだろう。だが、押されているのは、ヒャンゾンだった。

「矢を番えろ……放て!」

敵騎馬隊は、落とし穴に対して横列展開と前後に距離を置くこと、そして密度を大きく下げること。つまり、前後に広く長く兵を配置する陣形で対策を練ってきた。

 誰かが落とし穴に落ちても、即座に気付ける。落とし穴があれば、跳んで避ければいい……といえるほどまで細い落とし穴は掘っていない。


 帝国派の騎馬隊は、落とし穴を大きく迂回しながら突撃することで被害を防いでいた。

 時間稼ぎとしては有効だ。だが、敵があんな安直な対策で攻撃してこれているのが、ニネートの攻撃力不足が原因なのもわかっていた。

 このままズルズルいけば、確実にニネート子爵軍はあっさり全滅しかねない。それがわかっているから、ヒャンゾンは冷や汗を垂らし続けている。

「やるしか、ないか。」

ギリギリと弓を引き絞る。先ほどまでの牽制と違い、正真正銘本気の、殺意を籠めた一矢と心に決める。


 狙いはただ一人。おそらく『騎馬隊長像』だと思わしき、棒を持つ男。

 彼を殺せば、敵は止まる。

 両足を開く。息子に劣るとはいえど類まれなる強弓が、そこに番えられた鏃の先端が、敵将が確実に通るだろう空中に定められる。

「ハァ!」

矢が、放たれた。空気を裂く音は大蜂が耳元で飛んでいるかのように力強い。


 その、起死回生とも呼べる一矢を、その騎馬隊長は……なんなく、棒で弾いた。

「く、そが!」

二度、三度。その強弓は、放たれる。




 敵の力強い矢を弾けたのは、偶然でも何でもなかった。

 兵士的な意味合いでの被害は、自分たちの方が多い。そもそも一兵も殺せていないクリスと、100人以上は殺されている騎馬隊である。被害だけで見れば、どう考えてもこれは負け戦だ。


 だが、優勢なのは自分たちだとクリスは知っている。なんの嘘でも誇張でもない。柵を城壁に、落とし穴を堀に例えるなら、敵城に乗り込むまでにクリスが突破するべき城壁はあと三枚ほどしかないとわかっていた。

 対して、突破してきた壁の数は7である。自信を持たないはずがない。


 敗北を感じ取った将校が、理論的に、しかし破れかぶれになってでも達成しようとする目標は何か。考えずともだれでもわかる。指揮官の討伐である。

 過去の『神定遊戯』では、自分が死んだら次に誰が指揮するという順番が確実に決まっていたという。だが、このご時世だ。次を決められるほど人がいないことなど、向こうもこちらもわかっている。

「よくよく考えりゃあ、国をたった58人の『像』で回すなんて不可能だしなぁ。」

だから貴族位があり、私属貴族がいて、役人階級がいる。国家経営をする以上、少なくとも王様は、何百という人を抱え、上手く使いこなす器量が必要になるわけだ。クリスには絶対にできない。


 とにかく、自分が将校であることは恐らく割れているだろう。そして、ゆえに狙ってくるはずだとも知っていた。

 不意の流れ矢を避けられるかと言われれば、クリスにはわからない。乱戦中の狙撃を弾き飛ばせるかと言われても、相手の腕次第だと答えるだろう。

 だが、騎馬を駆け落とし穴に警戒すればいいだけの状況で、己を確実に狙ってくる狙撃を撃ち落とすだけでいいのであれば、クリスとて困ることはない。


 ……それが出来る人間は、ペガシャール全土、約三千万の国民の中でも、おそらく50人にも至らないだろう上澄みだということをさておけば。




 逃げるか。そう考えたヒャンゾンは、撤退開始の合図を出そうと片手を上げた。

 わずかに早く響き渡る、退却の銅鑼。ヒリャンが撤退の指示を出す。

 カンキの敗北が、ヒリャンの元に伝わったのだ。その時点で、どう足掻いても勝ち目がないことを確信した。

 撤退の銅鑼に従って、ヒャンゾンは全軍で駆けだした。




 響き渡る銅鑼の音。そして、強弓を担いで逃げる敵。

 思いっきり大地を踏みしめて逃げていた。あれは、落とし穴がないという意味だろうか……違うだろう。

 敵兵の10人余りが、大槌を地面に叩きつける。それによって穴が空く大地は、そのまま落とし穴の存在を強烈に印象付ける。


 力強い馬の動きが、落とし穴を起動させるのだろう。人が通っても動かず、騎馬隊が通れば穴が空くのはそういう理屈に違いない。

「そういえばメリナがそんなん作っていたような。」

今思い出しても意味がない話だが、対策もなかったような気がした。とにかく、落とし穴を残してすたこらと逃げる敵。

 いくら騎馬隊の機動力が高いとはいえ、全ての落とし穴を迂回しながら追いかければ、追いつく頃には敵のど真ん中のような気がする。

「まあいい。撤退だ!」

この戦は挨拶代わりだと戦が始まる前にデファールは笑った。下手に被害を出す必要もないだろう。


 その日、ヒリャンの軍は、五キロほど後退した。

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