181.弱卒率いる名将に勝機はあるか

 ヒリャンとデファールは、これが決戦になるかもしれないとは微塵も思っていなかった。

 これは、挨拶だ。どちらも読みあいとしてはそこまで高度なことをしていない。セオリーに則った撃ち合いをしているだけ、そう思っていた。

 常人にはそうはいかない。コーネリウスなどなぜそこまで読めるのかとデファールに尊敬の眼差しを向けている。だが、そんな眼差しを向けられても困る、問い追うのがデファールの感想だった。

 当然だろう。ニーナ自身が足で集めた情報をデファールに伝え、その情報をもとに作戦を組んだのだ。ヒリャンと三将の位置までは特定できなかったのがつらいが、予想することくらいは出来る。

「来るぞ、コーネリウス。」

「え、何が、ですか?」

「起死回生の一手。ここから逆転したければ、ヒリャンはあと二つの戦場で勝たねばならない。」

そしてその二つの戦場で勝つことはない、と断言した。当たり前だ。ヒリャンのこの戦での目的は、二つ。


 こちらの威力偵察。そして、『像』の数の割り出しだ。

「だから、主要部隊は最前線には出てこない。」

相手の得意な小競り合いをある意味全面的に封じつつ、逆に敵兵力と士気をごっそり削る……敵の土俵で勝とうとするデファールを、コーネリウスはちょっと引いた眼で見た。

 どれだけ性格が悪いのか。……どれほど、負けず嫌いなのか。

 その気持ちこそが彼の『元帥』に至れるほどの頭を作ったのは理解できる。だが、むしろ執念ではないか、とコーネリウスは戦慄した。

「ゆえに俺の博打要素はただ一つ。ペディアとクリスの部隊指揮の力量が俺の思っている水準通りあるのかどうか、だ。高いのはわかるが、この戦の趨勢を託せるほどなのか、とな。」

「それなら大丈夫です、デファール殿。あの二人は、卓越した指揮官ですよ。」

悩む間もなくコーネリウスが断言する。彼らとは色々あったし、まだこれからも色々あるだろうとコーネリウスはわかっている。

 それでも、共にゼブラ公国と戦うという偉業を為した戦友の腕を疑うことは、コーネリウスの頭には微塵も思い浮かばない。


 コーネリウス。デファール亡き後元帥という地位を継ぐ『護国の槍』、その才能の根幹は、既に大地に根差している。

 あとは、育つのを待つだけだった。




 光を抑え込まれたヒリャンは、次の手に打って出た。

「『像』が三つ、あそこにあるな。」

圧倒的武威を誇る二人の武人。トージの魔術を抑え込んで見せた魔術師。そして、『元帥』と甥。少なくとも五人の『像』を確認している。エルフィールの軍にもある程度の『像』を送らなければならない都合上、残っている『像』はあまり多くないだろうという確信がヒリャンにはあった。


 誤解が一つある。ヒリャンは、最前線にいるスティップとエルヴィン、そのどちらかが『騎馬隊長』だと思っていた。

 一般的な『神定遊戯』にあって、『騎馬隊長』はだいたい三つの役割に分かれる。

 空を支配する『ペガサス部隊』。

 多種多様な武器種と類まれな兵数を持ち、どこの戦場でも変化を作り出すために用いられる『遊撃部隊』。

 そして、そこそこに優れた個人の武技と連携、速さを以て敵と正面衝突し競り勝つ『突撃部隊』。


 『突撃部隊』を任じられる『騎馬隊長像』がそこにいると思っていた。


 最初はそんな予想はしていなかったのだ。奇襲を仕掛けてくると踏んで、ニネート子爵を配置したくらいなのだから。その奇襲の部隊が『騎像』だと思っていた。

 だが、あれほどの武技を持つ人間が二人もいる。前線を二人で呑み込まんとする光景は、どちらかが『騎像』だと思わせるに足る活躍だった。


 ちなみにだが、ヒリャンの勘違いは必然である。

 彼らが育った時代、七段階格の武人などそう滅多に見られるものではない。同世代で優れた武術を持っているギュシアールやギャオランがおかしなだけで、乱世に突入してすぐの時代は個人の武勇にそこまでの価値はなかった。

 当たり前である。『神定遊戯』における六国が定まり、大国同士で争いあう世界になって、千年。一度の戦争で動員される兵士の数は、どの国でも何十万という数になる。……フェニクシアは毛色が違うがそれはさておき。

 集団で戦うこと。多対多の戦争が基準になる世にあって、個人の武勇などそこまでの価値はない。常に最前線に立ち、切った張ったの大乱闘をしなければならない『騎像』なら仕方がないが、そうでもない指揮官に必要とされるのは武威ではなく広い視野と指揮能力である。

 

 乱世、自分の身は自分で守らなければあっさり死ぬ……そういう世界になったからこそ個人の武勇がすぐれた人物が生まれやすくなっただけ。それは、ヒリャンの時代にはまだギリギリ発生していない流れである。

「トージ、合図を頼む。」

「ああ。」

トージが隣に立つ部下に“閃光魔術”を上げさせる。色、高さ、発動時間……その全てが合致したとき、それは先に指示していた作戦の合図になる。

「任せるぞ、テッド子爵……。」

レッド派の騎馬隊を指揮する貴族。魔剣と策謀のテッド子爵家。当主カンキが、デファールの指揮する本体の後方から突撃した。




 赤い鎧は春先でも蒸れる。

 暑い暑いと呻きつつ、魔力自体は節約している。“冷却魔術”……レオナ殿が『超重装』用に調整してくれたその魔術陣を用いれば、少量の魔力でも鎧の内は快適に保てるというのにである。

「ペディア様!来ました!」

ジェイスが叫ぶ。大盾と鉄で覆われた木の棒という組み合わせは見ていて奇妙な笑いを誘う姿ではあるが、今はその背が頼もしい。

「後方から敵が攻めて来る。『元帥』閣下はそれを読まれていた!俺たちの目的はここで騎馬を生け捕ること!馬は怪我くらいさせてもいい。敵兵、敵将は逃げるに任せる!決して通すな、決して手抜くな、断じて死ぬな!友よ、総員抜剣!」

『堅実な前進』を引き抜く。例え後ろ向きであろうとも、向き合う相手が敵であるならばそれは前進には違いあるまい。

「盾、構え!」

父の形見は腰に結わえている。ミルノーが作り上げた『超重装』。休暇を終えてからみっちり鍛えた魔術の腕。その全てが、今負けるわけにはいかないと叫んでいる。


 馬蹄の音が近い。距離にして二分後には激突するだろう。

「水分補給はいいな!やるなら一分で済ませろよ!水はその辺に放り投げておけ!」

流石に『赤甲連隊』に、水分補給を怠っている莫迦はいなかったらしい。熟達の傭兵たちである。……もっと先に言っておくべきだったと、ペディアはわずかに後悔した。当の本人は、5分前には水を飲んだにもかかわらず、口の中は乾いたパン並みにカサカサだったが。

 一分。馬蹄の音が強くなる。兜の隙間から見える敵の姿は、普通の騎馬隊だった。魔馬ペイラを以て突っ込んできたイディル=アニメリアの軍と比べれば、恐怖も何もない。

「押し返せ!」

盾が勢いよく突き出される。馬の頭が危機感を覚えて後ろ足で立ち上がる。


 高い嘶きが場に響く。勢いを以て敵を倒すべき騎馬隊が、その有利性を放棄する。馬の顔面を叩き潰さぬよう、タイミングを見計らって突き出された大楯の前に、馬たちが立ち往生させられた。

 同時に、赤い鎧たちが前に出る。さながら壁が動いたかのように、騎兵たちには感じられて……


 人の恐怖が馬に伝わる。馬とて怯えに変わりはない。調教されつくした軍馬としての在り方が、辛うじてその場に留めていただけ。乗り手が怯えているのに、馬だけが克服しようと藻掻く理由はどこにもない。

「「「「ヒヒヒーーン‼‼‼‼‼」」」」

最前列の馬たちが恐慌する。立ち往生だった彼らが、規律なく暴走する。それは後方の馬にも伝わって、テッド子爵が指揮する騎馬隊全軍に伝播した。

「すぅぅ、鎮まれええぃ!」

カンキが叫ぶ。彼の威厳ある声が、一気に馬と騎手たちを落ち着ける。


 戦場一帯、騎馬隊の一団。彼らが恐慌し、鎮まるまでの時間はわずか一分。

 鎮まった瞬間、再びカンキが突撃指示を出す。重厚な鎧に対し、無視して突破を図ってデファールの陣へ突き込む構えを見せる。

 だが、戦場で、敵の目と鼻の先での一分の恐慌はあまりにも長すぎた。隊列を整えることすらせずに突撃するにしても、もう地の利は騎馬に乗るレッド派の軍に非ず。

 もはやそこは完全に、“赤甲将”の場所だった。


「突撃隊、かかれ!」

鎧持つ兵士たちの隙間隙間に隠された軽装部隊が跳躍する。ペディアの眼前で兜を放り、鎧を外そうとするジェイスを何人かの重装兵が介助する。

 飛び上がった兵士たちが、騎馬隊の騎手たちを狙って斬りかかった。




 カンキは歯噛みした。敵に己の居場所がバレている。

 当然だ。動揺している兵たちを早急に纏める必要があったとはいえ、騎手馬共に驚き、逆に落ち着いてしまうほどの大声を上げたのだ。己の所在を声高に宣言しているのと代わりがなかった。

 馬と馬の間を縫い、時に棒で打ち、時にその尻を叩いて隊列を乱しながら駆けてくる勇将が一人。

 アレは己では勝てない。だが、将として尻尾を蒔いて逃げるわけにもいかない。


「敵将、そこを動くな!『ペガサスの連隊長像』“赤甲将”ペディアが配下、ポール=ヴェドスがその首戴く!」

周囲を囲まれているにもかかわらず、次々と打ち倒してこちらにかけてくる若者。討ち取られてなるものか、という覚悟と、個人の武では決して勝てないという断言が頭の中で同時に降る。

 だが、討たれるわけにはいかない。今自分が討たれれば、ヒリャンの軍は部隊を任せられる者がいなくなる。それに、ヒリャンの望みは、ある意味もう果たした。


「撤退!撤退を開始しろ!こちらの目的はもう果たした、撤退を開始しろ!」

どう考えても逃げにしか捉えられない命令だろうとカンキは思う。だが、己が今死ぬにはマズすぎる。

「待て!」

「そう言われて待つものがあるか!」

剣を引き抜く。剣に刻印された魔術陣に魔力を通して発動させた。


 五段階魔術相当の魔術陣、名を“高濃度煙幕”。周囲全体に思わず咳き込んでしまうほどの煙幕を作り出す魔術陣。

 居場所がバレたのなら、隠れればいいだけの話だ。味方に対して、最後の恩情としてカンキは叫ぶ。

「逃亡方向は伝えた通りだ!全軍、幸運を祈る!」

ヒリャンから預けられた軍勢だ。カンキ自身が連れてきた、テッド子爵家の軍ではない彼らの面倒を最後まで見てやる義理など、カンキにはない。

 そして、ヒリャンもまた、「必要ならば斬り捨ててでも帰ってこい」といってカンキにこの軍を預けたのだ。


 カンキは、もう、逃げることに躊躇いはなく。

 煙幕が晴れ、ポールが再び追わんと顔を上げた時には、既にカンキの姿は一帯にはなかった。

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