180.『元帥』と『槍の弟』(1)

 ペガシャールという国は、王国であった頃より馬の国である。

 『ペガサスの王像』に支援された国が馬を用いないということはあり得ない。

 農耕に、軍事に、祭儀に、数少ないペガサスの代わりとして、そして生活を支える友として、ペガシャールの民は馬と生きていると言っても過言ではなかった。


 なかった、である。

 馬は、高い。彼らを逃がさないための厩舎、養うための飼葉、汚物を処理するため、世話をするための人手、病や出産時の医者。ポンと出せるだけでもこれだけの金がかかる問題が発生する。

 野生の馬はいないのかと言われるとまあ当然いるのだが……軍用に調教しなければならない事を考えると、子供のころからそういう調練をする方が色々と楽なのだ。


 貴族たちは、アシャトに忠誠を誓うにあたって出張してきた者もそれなりにいる。自領はレッド派やアダット派に近く、領地経営を放り投げてでも『王像の王』に誓いを立てに来た、神への信仰高き者が多くいた。

 彼らの領土は既にレッドやアダットに占領されている。自領を持たない貴族になったということは、生活費の維持も叶わなくなったということで……

 貴族の多くは、アシャトの仕事、主に戸籍作成に積極的に関わることで臨時収入を得つつ、馬や兵士を売ることで金を作った。今、ペガシャール帝国に、まともな騎馬隊を組織し続けられている貴族家は少ない。


 だが、ペガシャール帝国が騎馬を持たないはずがない。クリスとアメリアは『騎馬隊長』であるし、ペガサスを崇める国の『像』が馬を持っていないなど恰好が付かなさすぎる。

 例外はペディアの部隊くらいだ。あの部隊に馬が必要な要素はない。

 よって、ペガシャール帝国では、貴族たちが手放そうとした馬とその飼育員はほとんど国で買い取っていた。

「かかれ!」

ヒリャンの軍が見えるまで常歩で進ませていたエルヴィンは、軍隊であろう影が見えた瞬間にたった三千の騎馬隊を走らせた。

 ひどい話だ。デファールがやったのは単純明快、ペディアを除く全ての『像』に騎馬隊を任せたのである。


 騎馬隊の強みは、その速度を生かした打撃力だ。軍をかき分け、時に二つに割り、時にしっちゃかめっちゃにかき回すのが役割だ。

 その打撃力を以て捨て駒にされた貴族たちの軍を割り、敵中枢までその刃を届かせる。それがデファールの指示。


 槍が突き出される。馬上という圧倒的有利な立ち位置から真っすぐに突き出された穂先は、兵士の喉を次々と破り、鮮血を宙に噴き出させる。


 七段階格の槍術士。単純計算で、四段階の武術家……一年以上にわたってみっちりと調練された兵士の多くを、同時に64人相手取って勝てるとされる武人。

 まあ、実際は1対64となれば相手が圧倒的な格下とはいえ荷が重いとエルヴィンは思うが……とはいえ、客観的に圧倒的武勇であることに否定は出ないだろう。

 露払いはエルヴィン直下の兵士たちが行っている。エルヴィン自身は、一対三から一対五に等しい状況を延々と繰り返せばいいだけだ。とても楽な仕事である。


「次!」

槍の穂先で人を投げ飛ばし、遠くにいる歩兵にぶつけながら叫ぶ。あまりにも華麗に人を殺すそのわざは、敵のただでさえ鈍い威勢をさらに鈍らせた。

 そこはさながら鎌鼬かまいたちの狂乱だった。槍が一つ舞うごとに、一人の兵士が大地にたおれる。

 レッド派の兵士たちは、事ここに至り敵の恐ろしさを知った。圧倒的有利な地形でギリギリの勝利を重ね続けていた頃とは違う、神の力を借りる怪物たちの力量を。


 一気に皆が足をすくませる。逃げようにも、あまりの恐怖で足が動かない。かかってくるものがいなくなったのを見て、かの怪物は死刑宣告を嬉々として下した。

「来ないならこっちから行きますよ!」

『像』を使って1.2倍になった身体能力をフルに使って、三千の騎馬が敵一万に突き刺さる。


 他方、その30メートルも離れていない距離で駆けているもう一人の『隊長』は、腰が引けた敵に大層不満だった。

 最初、敵も威勢よくかかってきたのだ。それに対し、容赦なくスティップはその極大剣を振りぬいた。

 首が胴から離れて宙を舞う。高さが合わず、頭蓋が砕けて命が散る。肩より下で刃を受け止め、骨が砕ける音と肉が断たれる音が同時に聞こえた亡骸すらある。


 大概の場合、大剣とは剣の形をした鈍器である。というより、一般的に剣とは鈍器であり斬る側面はあまり表に出てこない。……出てこないわけではないが、剣の場合、重量を以て殴った方がこと戦争においては命拾いしやすいのだ。

 刃が肉に引っ掛かって抜けず、武器を失って死んだ例など枚挙に暇がない。剣で斬る、とは即ち……引っかかりにくい細身の剣か、殴ったら壊れるほどに繊細な剣か、骨肉に引っかからないほどの卓越した技量がある剣士でなければ行わない所業だ。

 手首を断つ、程度であれば剣でいくらでも人を斬れるだろう。しかし「殺す」となると剣ではあまりにこう……使い勝手が悪い。


 だが、それをスティップは力技で解決する。鈍器ではなく斬撃用の武器として、引っかかりようがないほどの威力と速度で、人を断つ。

 そこはさながら暴力の竜巻だった。首が舞い、血が飛び散り、命がかすみにと消える。

 その圧倒的な暴力を前にして、恐怖で足から力が抜けるよりも前にレッド派の者たちが反転する。遅い味方をかき分けながら、己や他者の槍に足を引っかけながら……倒れた者を踏みつぶしつつ、彼らは逃げる。

 大剣持つ小柄な男が、彼らには悪魔に見えていた。

 たった三千の騎馬の前に、一万の軍隊が遁走とんそうする。




「最悪の予想をついてきましたね、デファール……。」

殿、という言葉が喉元まで出た。ヒリャンはこれでも一軍の総指揮官だ。相手を讃えるような真似はするまい、という不器用な配慮が滲み出る。

 だが、その配慮に意味はあるだろうか。今、彼の周りには彼を知る者しかいないというのに。

「ですが、対策は打っています。……若人を寝返らせた貴族に容赦なく槍を突き立てたことには、驚きを禁じえませんが。」

とはいえ、予想していなかったわけではない。容赦なく自陣を掻きまわしていく二つの騎馬隊に、ヒリャンは薄目で睨み見た。

「やりなさい、トージ。」

「“陽光拡散”。」

空の一点に光が生まれる。さながら太陽を思わせる巨大な輝きが、煌めきを徐々に徐々に拡げていく。


 八段階魔術“陽光拡散”。空中に疑似的な太陽を生み出し、その輝きを拡げていく、文字通りの大魔術。

 五段階魔術“閃光魔術”との違いは三点。

 効果範囲の広さ、効果時間の長さ。そして、指定距離までは光量が減衰することはないという事実。

 正午の太陽を直接目で見るような輝きが、敵味方問わずその傍に近づく……!


「そうするだろうな、ヒリャン。馬の目を眩ませ、暴れさせ、混乱を生み出す。乗り手を騎馬から叩き落し、暴れ馬の蹄の餌食にさせることで敵味方問わず死者を作り出す。ついでに『像』が死ねば幸運だ、とか。」

いくら軍馬と言えど光を目に直射されてまともでいられるはずがない。見なければいいとはいえ、“陽光拡散”の効果時間は遣い手の判断次第、即ちトージが使う魔術陣の記述しだいだ。

 馬が永遠に目を瞑っているわけではない。走っている状態で目を瞑れば、騎手の落馬どころか馬さえも足をくじく恐れがある。


 騎馬隊全てを封じ、状態を白紙にする妙手だ。成功すれば、次の主導権はデファールからヒリャンに移る。何しろ“陽光拡散”を使ったのはヒリャン側だ。次の手を用意していないはずがない。

「だが、だからこそ俺なら読める。用意周到なお前が、トージがいる状態で、その手を選ばないはずがない。」

デファールの頬に笑みが浮かぶ。勝ち誇る笑みではない。予想通りだった笑みではない。ただただヒリャンとのじゃれあいを楽しむ、そう言わんばかりの甘い笑み。

「こっちには、その息子がいるんだぜ?」

最前線で戦う騎馬隊たちに、ようやく追いつきそうな歩兵たち。その最後尾をついて行く、最前線に向けた最後の騎馬の一団。


 その部隊の指揮官の名は、ジョン。ジョン=ラムポーン=コリント。

 レッド派の軍で“陽光拡散”を用いたトージ=ラムポーン=コリントの、長男。

「“遮陽天膜”!」

“陽光拡散”には相殺する魔術がない。光を拡散する魔術である以上、光の進みを止めるしか方法はなく、そんな魔術は存在しない。

 だが、その存在しなかったはずの魔術の相殺を、とある天才が生み出した。光の拡散を抑えることは出来ない。なら、視界に映る光そのものを遮りきってしまえばいい。

 八段階魔術“斜陽天膜”。大気に振りまかれる自然光ではない光を遮り、ただの魔力現象におとしめる魔術。

 開発者の名を、レオナ=コルキスという。また、それの開発のために丸三日、寝食を削って付き合わされた少年が、他でもないジョンである。

「やってくれるな、ジョン!」

トージは、手に持った魔術書を地面に叩きつけて……別の魔術書を手にとった。




 傭兵たちは必死になって逃げていた。

 ニーナを通じて、傭兵たちはアシャトの兵士を「殺してもいいぞ、殺せるならな」というお言葉を戴いている。

 ジェンディーはそれを、「レッド派の信用を得に行け。まだ策がある」という意味合いだと捉えた。だから、突撃してくる二つの騎馬隊に横合いから入ろうとして……足を止めた。

「全員、離れろぉぉ!」

間に合ったのは、そこが槍の先端ではなかったというだけの理由だ。回避が効いたのは、槍の柄からも逃げ切れるほど離れたからだ。

 時に一本の槍としても例えられる騎馬隊の突撃。その意味を深く理解した瞬間だった。


 二つの武威が吹き荒れる。二つの修羅場が生み出される。傭兵たちは事ここに至って、「殺せるなら」と言われたのかを理解した。

 そりゃ、そうだ。突っ込めば死ぬだけなのだから、傭兵数万人が動くはずがあるまい。

 ここで手を出すなら、状況判断も正しく出来ない無能として斬り捨てる気満々だった、ということにようやく気付く。


 普段であれば。例えば相手が『黄飢傭兵団』だったとしたら、恐ろしいのはギャオランとズヤンだけだった。

 これだけの数がいる傭兵部隊なら、その二人と戦うことは避けて、末端から削っていくという手を取れただろう。『黄飢傭兵団』はズヤンが指揮しているものの、団結力はあくまでギャオランのカリスマに寄って立つだけの傭兵団だったから、連携などあってないようなものだった。


 だが、アレは違う。少なくとも、スティップとエルヴィンという指揮官が指揮する三千の兵たち二つは間違いなく違う。

 一年みっちり仕込まれたのであろう、エーレイ=ビリッティウス子爵の軍。彼らほど高い練度ではないものの、末端まで指揮がしっかり行きわたっているスティップの軍。

 どちらも末端の兵士からして、強い。容易に勝てる敵ではない。

 かかれば、おそらく半数を討っている間に三割の傭兵が死ぬ。そしてそうなる前に指揮官が直々に出向いてきて、あの武威の嵐に晒されるだろう。

 割に合わない。アレと直接は、どうあっても対峙できない。

「性格悪いな、元帥殿……!」

敵わない相手には手を出さない、そういう傭兵たちの気質すら戦に組み込んでいる。本当に面倒な相手で……。


「つまりあれは、俺たちにお膳立てされた「殺していい味方」っつう意味だろう!」

二つの騎馬隊とは比較にならない、練度の低い歩兵の一団、総数1万。エルヴィンとスティップの武威に恐れて遠くから見守っている傭兵たちに「勝てる」と思って突っ込んできた、愚者の一団。

「戦を以て敵味方の使える者を選別する……つくづく嫌になるよ、国って奴は!」

ついでに才能あふれる兵士たちを選別する意図もあるのだろう、なんて思う。選別?いや、訓練だろうか。

「てめえら!兵士たちはあんまり殺すなよ、気絶くらいにしてやれ!」

「そりゃ無茶ですよジェンディーさん!こりゃ戦争なんですから!」

「こいつらが俺らの飯を作ってくれるんだと思え!食うに困ったてめぇらなら意味は分かるだろう!」

剣に鞘をつけたままでぶん殴りながら、傭兵の一人が叫んだ。まあ、踏まれたり人が重なったりすれば意外と人はあっさり死ぬものなんだが。


 ジェンディー、及び傭兵部隊。一年間調練をほとんどしなかった、阿呆な貴族軍と、激突。指揮官だけを探して刈り取るため、アシャト派の軍内に深く潜り込む。


 最前線の部隊の中で、レッド派が勝っている戦場は、そこだけだった。

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