179.ヒリャンの強み

 猛烈な勢いで進軍するレッド軍の報告を受けて、デファールは即座に歩みを止めた。

「思った以上に早かったな。動いたのはレッドだろう。」

今まで王の御前で猫を被る……いや、礼儀正しくしていたデファールが口を開く。

 その言葉は、生まれを主張するかのように上品さと荒々しさを併せたような錯覚を抱かせる。

「レッド様、ですか?」

逆にどうもデファールに……己より格上の将軍に強く出られず困っているのが、コーネリウスだった。まあ、そもそも彼はどうしてレッドが動いたと断言できるのか、わからない。


「クシュルは己から撤退指示は出せない。アダット自身は撤退指示を出さない。例外は今上自らが撤退命令を出した場合だが……少なくともアダットが前に出張っている状況では動きづらかろうゆえに、ない。」

アダットがクシュルに、勝手に撤退したことの責を取る、という話が聞こえてきたら要注意だ、とデファールはぼやいた。今上を今すぐ敵に回すのが、一番恐ろしい。

 とはいえ、『神定遊戯』で選ばれる『王像の王』は10代後半から20代終わりまでの王族の男と決まっている。そうでなければ『神定遊戯』が『王像の王』の寿命のせいであまりにも早く終わりすぎる可能性があるためだ。

 ゆえに、今上は30代に入るにあたって『王像』の獲得を諦めた。今更戦をしようとはしないだろう、とデファールは思考を放り投げる。


「ヒリャンは背後の脅威があれば動けない。それを取り除けるとしたら、レッド自身のみだ。」

「どうやって?」

「『エンフィーロ』曰く、クシュルの陣営にパーシウス=アルス=ペガサスの姿があったらしい。知っていれば、なんとか出来よう。」

「パーシウス自身が動いたと言いうことは、」

「ない。誇りを傷つけられたわけでもない昼寝中の猛虎が、己の意思で立ち上がる……それだけの理由はまだない。」

昼寝中の猛虎。パーシウスと何度もあったことがあるデファールは、パーシウスをそう評する。コーネリウスは遊び人としかパーシウスを認識できていないため、首を傾げるが……


「まあ、問題はそこではない。」

あっさりとデファールは流した。パーシウスの話題など今はどうでもいい。そう言わんばかりである、というか実際そうだった。

「ヒリャンに対してどう出るか、だ。コーネリウス、あなたはどう出る?」

「叔父上は防衛戦になると堅牢な陣を敷きます。突破は容易ではありません。撃破は言うまでもなく。ペディア殿に正面で受け止めていただいている間に、クリス殿の騎馬隊で脇腹を突くべきだと考えます。」

ふむ、と目をつむって考える。その作戦も悪くはないと思いつつ、ヒリャンがそんな単純な手にかかるだろうかと想像する。


 結論が出た。デファールは渋い顔をしながら告げる。

「敵にコリント伯とニネート子がいなければそうしたが、彼らがいる以上、ペディアの防御力に頼った奇襲はよくないな。」

魔術師であれば“遠視魔術”の使い手は必ずいる。鍛冶と弓術のネニート家では、もっと多いかもしれない。

 彼らを相手に、白昼堂々奇襲をするのであれば……ペディアだけでは、足りないだろう。

「……そうだな、コーネリウス。ヒリャンが最も得意とする戦は何か、知っているか?」

せんにも述べました。防衛戦では?」

わざわざ問いかけてきた以上違うのだろう。そう気が付きながらもコーネリウスはそう言うしかない。


 第一、コーネリウスはヒリャンと盤上遊戯くらいでしか戦ったことがない。知るはずもないのだ。

「ヒリャンとてミデウス家の一族だ。そして、あの一族の掲げる『護国』の基礎は攻勢。国を護るために積極的に攻めよう、が基本である以上、ヒリャンも守勢ではなく攻勢が基本だ。」

コーネリウスが目を見開く。盤上遊戯ですらヒリャンに数えるほどしか勝ったことがないコーネリウスだが、それでもヒリャンが攻勢に出た、と思うことがなかった。

「そこが、彼の上手いところだ。よく彼の戦術を見なければ、ヒリャンが攻撃に出ていることにすら気づけないことが多い。」

自分も、クシュルも、ペレティも。ヒリャンを相手に盤上遊戯をした時、必ず三度は引っかかったはずだと『元帥』は断言する。


「あいつの得意分野は『小競り合い』。それも……大局的戦争に影響を及ぼせる局所的勝利を狙って勝てる、『最重要局所的勝利』の達人だ。」

要は部分部分で勝った結果を、ズルズルと決戦まで引きずらせる能力に長けた怪物。ヒリャンの正体を、デファールはそう評する。

「なら、そうなる前に決戦に持ち込めば……。」

「それは誰もがわかっている。だがあいつは……決戦と臨んだ戦を、小競り合いや中規模の戦争まで落とすことにもけているんだ。」

全力で戦った結果、なぜか勝ち負けが付かず引き分けで両者撤退している。彼は根本的に、小競り合いというより、削り合いの勝負に異常に強い。


 クシュルもそうなることを避けた結果動けなかったのだろうと思う。部隊を分けるに足るだけの将がいればもっと大胆に動けただろうが、アダット派にそんな部下はいない。

「レッドは、やはり優秀だったな。」

三人の将校を引き抜いたと聞いている。ヒリャンがあっちにいるのは……ミデウスの生存戦略だろう。だが、それを差し引いてもクシュルの動きに大きな枷を付けたという意味で、レッドの動きは大きすぎる。


 というよりクシュルはなぜヒリャンをレッド派に送ったのだろうか。己の元においておけば、別部隊の指揮に役立った……レッド派との戦をあっさり終わらせることも出来ただろうに。

 デファールはそこまで考えて頭を振る。今はそこではない、対ヒリャンをこなすための用意をしなければ。

「だが、奇襲という案は採用しよう、コーネリウス。待ち構えられていたとしても、俺たちが負けることだけはないからな。」

頭に浮かんだ、戦の定石じょうせきを考える。対策を練られていたとしても、ヒリャンの指揮能力をもってしても、持ち込まれて五分の戦だ、と判断する。

「こういう時は奴は必ず五分に持ち込んでくるのが厄介だが……とはいえ、敵に陣地を構えられてからでは遅い。やろう。」

意を決する。『像』という神の力を持つ以上、よほどのことがない限りこちらが有利であることは疑うまでもない。


 それに、敵は必ず動揺しているだろう。手を打つなら、今が一番の勝機だ。

「『像』と子爵以上の主要貴族を呼べ。軍議を開く。」

実際は議論など微塵もする気はない、一方的な命令だ。『元帥像』に選ばれているデファールは、それだけの権限がある。

「陛下が兵種を複数用意してくださったのが、最高に助かるな……。」

『工作兵像』メリナがいれば最高だったのだが。それを言ってしまえば、エルフィール様の軍があまりにも『像』が減りすぎる。

 今ある手札でも、十二分に強いのだ。最高の戦をしようと、デファールはわずかに口を歪ませた。




 ヒリャンの軍は大慌てだった。

 急にアダット派が撤退した。なぜかと探っている最中に、レッドから「アダット派の軍は撤退させたから帝国派の防衛に回れ」という指示が来た。

 いきなり無茶苦茶な、と叫びつつも下山し、二日休む。それからデファールが進軍しているという場所に急行中、軍内に噂が広がり始めたのだ。


 曰く、これから我々は『王像』様の軍と戦う。

 曰く、既にレッド軍から離れ自領に引きこもった貴族がいるらしい。

 曰く、『王像』の軍と戦うと神罰が下り、貴族たちはそれを恐れて逃げ出したのだ。


 嘘であれば、明確にヒリャンも否定できただろう。

 だが、厄介なことに、最後の一つ以外は事実であった。

 レッド派の軍は、これから『王像の王』が『元帥』に任命した男の軍と戦う。既にエミル=バリオス子爵やシスティニア=ザンザス男爵を始めとした数名の貴族、その若い者が軍を離れている。

 厄介な、と思う。おそらく噂は、軍を離れた彼らが流したものだろう。己らの無実を証明するため、そしてレッド派の士気を落とすため。確かに効果は出ている。

 何より、子供が失踪した親の軍は使えない。誰が裏切っているかわからない。戦が始まってから裏切られて、自陣が混沌の坩堝るつぼに叩き落とされる、そういう事態だけは避けなければならない。


「裏切り者がいますね。いいえ、間者でしょうか。」

若い者が最優先で口説き落とされた。口が回る者か、あるいは『像』……『跳躍兵』がいる。

「傭兵を最前線に出しなさい。一番疑いが強いのは彼らです。」

何より身元わからないものが多い。実績はさておき、高名でもない傭兵はいつ裏切ってもおかしくはない。

「フェリス=コモドゥス伯爵家も最前線に送ります。娘が敵方に逃げたというなら、親がそちらに回っていない保証もありません。信用は戦果で勝ち取れ、と伝えなさい。」

頭が痛い、と思う。おそらく、一年以上前から帝国派はこうなるように状況を作ってきた。


 対立するのがわかっていながらもアダット派との戦を続けなければならなかったヒリャンたちには、既に用意された環境を大きく変える事は出来ない。

「いや、若人が裏切った貴族の当主たちも最前線に送りなさい。おそらくデファールたちは味方になる貴族家の戦力は削りたくないはずです。相手の動きを鈍らせることくらいは出来るでしょう。」

対面する間もなく開戦である。その前提だと察せる指示を次々出すヒリャンは、やはり熟練の指揮官なのだ。そう、周囲で見ていた兵士たちは思う。彼の傍で戦う限り、惨敗はないと確信するほど、彼の指示は早い。


「ペガシャール帝国派の指揮官がデファールだということしか私は知りませんが。ペガシャールは騎馬の国、騎馬隊がないということはあり得ない。ニネート子爵、敵騎馬隊の迎撃にはあなたを任じます。」

「承知した、と言いたいが方角を指定しろ。流石に、軍全周に弓兵を配置すれば騎馬隊の対策など夢のまた夢だぞ。」

「北西です。デファールは我々をラビット公領に押し込めるところから始めます。というより、レッドと私を一緒にしようとするでしょう。」

即断。それしか選択肢はないというような即断だった。

「私とレッドが別の軍を率いてデファールと二面で戦う、彼はそれを避けるはずです。そのためには、私たちを南東に押し込むしかありません。」

「承知した。」

テッド子爵、コリント伯爵にも指示を出す。完全に一軍を任せられるのが彼らしかいない負担は、ヒリャンにはやはり大きい。


 たった4人の指揮官で20万……実質今は16万か。それだけの軍を指揮するのは、どれほどの天才でも容易ではない。まして、せいぜい秀才でしかないヒリャンではなおのこと。

「思惑には、乗らんぞ、デファール殿。」

己より格上の兄を相手に、一年同じ場所を守り続けた自信。誇りと自負をもって、ヒリャンは格上の元帥に相対する。


 問題は。致命的に人がいなかったクシュルと違って、敵軍には人が多いこと。そして、何人もの『像』持ちがいること。

 即ち、神の後援を受けている、という最大の一事だった。

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