176.婚約式(2)
階下がざわめく音がする。祭壇の下で動揺する声がある。
だが、俺は笑っていて、ディールはただただ傍観していた。
「勿論だ。俺はお前に、『妃になってもらう』のだ。お前は俺と対等で、帝国という夢の象徴なのだから。」
俺が『王像』を保有し、エルフィに『妃像を与える』以上、どうしても俺とエルフィの権力上の力関係では俺の方が上になる。
下手をすれば、エルフィの望む『皇帝』の道が、完全にエルフィの我儘に成り果てる可能性がある。
俺が皇帝の道をあきらめた時、エルフィは『妃像』というお飾りになりかねない。彼女の持つ政治的手腕を考えるとそんな単純な話ではないだろう。だが、俺と彼女の道が
エルフィは、そうならないため、俺に選択肢を叩きつけたのだ。
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平和か、離婚か、と。俺は将来、皇帝への夢の是非を尋ねられるたびに、この問いも同時にもたげることになる。
「なら、受けてやるよ、アシャト。」
何度繰り返しただろう言葉が続く。俺が覚えている限りでも、一年半の間に50は繰り返したそのセリフ。
「お前が皇帝を目指す限り、お前が俺の夢を背負う限り、俺はお前の『妃』だ。」
わかっている。エルフィは、そう言わなければならない。……少なくない『帝国』を反対する貴族たちに対し牽制し、俺を平穏の道に引きずり落とそうとする貴族たちへの対抗策には、皇帝阻止が出来なくなるだけのデメリットを用意しなければならない。
頷く。俺とエルフィの中で完全に同意が成立する。
「まあ、これも面白い夫婦の形だと思うよ。だから、君たちの関係性は、僕が保証しよう。エルフィールに、『妃像』を。」
ディアが締める。おおよそ貴族たちは納得しないであろう理屈。俺と、エルフィさえ納得していればいいと言わんばかりに、『王像』という神の権威が俺たちの主張を受け入れる。
ディアの翼から羽根が57枚抜け落ちる。その数は、『王』と『妃』を除いた全ての『像』の総数だ。ひとりでに羽根が光り輝き、色々な色彩に変わりながら祭壇の上を舞うように飛ぶ。
その自由さは超常の現象。貴族が、俺の配下たちが悉くその光景に芽を惹きつけられる。ひとしきり舞い上がったそれらは、一つに織り集まって固まって、エルフィの掌の上に降りてきた。
「エルフィ。」
「……あぁ。」
彼女がそれを握り締める。姿形が定まらない光は、彼女の手の中で透かして輝き続けている。
「『ペガサスの妃像』よ!」
空気を震わせる大音声だった。応えるように、光が辺り一面を染めた。
真正面でそれを直視した俺は、目が焼かれるかと思った。とっさに目を閉じたが、間に合ったのかどうか。目を閉じたはずなのに、瞼の裏が光っているような錯覚すら覚えた。
「いいよ、アシャト。目を開けな。」
ディアの声がなければ、俺はいつ目を開けるべきか判断がつかなかっただろう。それくらい、アレは強烈だった。
「……王妃様というか、戦乙女という方がふさわしいな。」
「俺は戦場に立つ妃になるわけだからな。相応しいと思わないか?」
そこには、純白の衣と白銀の鎧に身を包まれた、戦場の太陽が立っていた。少なくとも、俺にはそう見えた。
「
彼女がスッと祭壇の影に手を伸ばす。そんな機能はないはずなのに、ひとりでに彼女の槍は彼女の手の内に収まった。まるで、彼女と『像』と同体かのように馴染んでいる。
「俺は今!こうして『妃像』に収まった!ペガシャール帝国は、名前だけでなく実体すらも『帝国』となるために、この『神定遊戯』を使いつくす!俺が『妃』である限り、俺のこの瞳孔に光がある限り、これは動かぬ指針と思え!」
瞬間、列席するものたちが一斉に
本当に、彼女が男であれば『王像の王』は彼女だったという言葉に納得する。それほど彼女は眩しく、美しく……
「俺の妻は、最高だな。」
「おう。俺を妃に出来たこと、永遠に感謝しろ。」
二人して、笑った。
この儀式の目的は、婚約式である。だが、同時に別の目的も持っていた。
婚約式を急いだのは、俺と彼女を対等にするため。俺と彼女の関係性をはっきりと明確にするため。『帝国』という目的を、決してうやむやにしないため。
そして、この決定を、全員がいる前で下すためだすためだ。
「『帝国』を達成するためには、我らはまずなさねばならないことがある。」
“拡声魔術”ごしに、俺の静かな声が響き渡った。ペガシャール帝国、それを正式に認められるための、ディアを含む三つの『王像』の吸収。だが……そんな国力はない。今の俺たちは、元来の「ペガシャール王国」の2分の力しか持たない。
それを、立て直す必要があった。
「冬に雪が降るだろう。それが止めば、ペガシャール帝国はアダット派ディアエドラ、レッド派ホーネリスに向けて進軍を開始する。ペガシャール帝国は、まず旧王国の領土を確保し、その国民たちを管理下に入れなければならない。」
何人死ぬだろうか。何人生き残るだろうか。
だが、兵が多く死んだ方が、実は管理下に入れなおすのは楽になるだろう、と囁く心があることは知っている。旧王国で何千万から億に至るだけの民を管理するには、今の体制では不可能だ。
「貴族の軍たちの編成についてはおいおい連絡しよう。先に、『像』の編成について告げておく。」
貴族軍については、『像』たちの話し合いで決めればいい。ただ、各軍10万人ずつであるということさえ伝わっていれば十分だろう。
「ディアエドラ侵略軍の総大将は、『妃像』エルフィール!副将は『智将像』マリア!」
俺は動けない。ディマルスを完全に留守にするわけにはいかない。何より、ペテロに仕事を全て押し付けるわけにはいかなかった。
「他、『連隊長像』グリッチ、『賢者像』レオナ、『砦将像』バゼル、『騎馬隊長像』アメリア、『近衛兵像』フレイ、『工作兵像』メリナ。」
ちなみにだが、エルフィとマリアには『エンフィーロ』の存在を話した。エンフィーロ……『跳躍兵像』ムルクスは、エルフィに同行する。
「そして、ホーネリス侵略軍の総大将は『元帥像』デファール、副将は『将軍像』コーネリウス。」
クシュルとデファールは同格の戦略家で、同格の戦術家。正面切っての戦になった時、あの2派閥の戦のように長期戦になったりすると厄介だ。
だから、確実にデファールで、ヒリャンを……レッド派を先に壊滅させることにした。エルフィがいくら天才であると言っても若いのに対し、経験豊富なデファールなら、おそらくヒリャンには余裕で勝てるだろう。
先にそいつらを倒させて、勢いと二面作戦でクシュルを削り倒す。ペガシャール帝国の本質的な作戦は、いかに早く、レッド派をデファールが倒せるか、ということにかかっている。
「他、『連隊長像』ペディア、『魔術将像』ジョン、『騎馬隊長像』クリス、『兵器将像』ミルノー、『隊長像』スティップ、及びエルヴィン。『糧食隊長像』トリエイデス。」
そして、今現場にいる『跳躍兵像』ニーナ。
アダット派とレッド派の最大の違いは、その将校の質と兵種の数だと踏んでいる。だから、こちらは将校を増やして対抗しよう。
安直な思考だとは思う。だが、デファールならうまく使いこなせるだろう。……使いこなしてくれなかったら、困るのだ。
「『砦将像』エリアスはヒュデミクシア王国との国境に向かい、守りを固めよ。留守は俺、『王像』アシャト及び『宰相像』ペテロ、『近衛兵像』ディール、オベールが守る。」
一息に、言い切った。階下の『像』たちの顔が引き締まる。いつかこうなることはわかっていた、と言わんばかりの表情だ。
「全軍、今日より出陣の仕度を始めよ。雪が降り、明ければ進軍を開始する。……帝国に向けた第一歩だ。サボるな、必勝の心構えで向かえ。」
全軍が首を垂れる。エルフィールが槍を掲げ、ディアが大きく羽ばたいて空を舞った。
祭壇からディアが離れた。それが、この儀式の終了。
俺が背を向けて祭壇の影に移る。重すぎる衣装に顔を顰めつつ、完全に貴族の前から姿を消した。
「これにて終了である。諸侯よ、退席せよ。」
ギリギリ、ペテロの声が聞こえた。
エルフィとの婚約式を急いだ理由。正確には、『像』の授与を急いだ理由。
それは、全貴族と、何より『像』に対する命令権を正式にエルフィに与えるためである。
貴族に対する命令権は、彼女がエドラ=ケンタウロス公爵家の令嬢である時点でかなり高く持っていた。それでも、彼女は女であり……ひどい話、足りないと言えば足りない部分はあった。
『像』に対する命令権はもっとひどい。『像』とは即ち俺に認められた証だ。他の貴族に対しても、多少は強く出ることが出来るだけの力がある。
神の権威の象徴というのはそういう意味なのだ。
エルフィに全軍の指揮を預けようと思えば……残念だが、今の彼女の名声と身分だけでは足りない。圧倒的に足りていない。
『元帥像』デファールと同じことを、女である彼女にさせようと思えば……どうしても、『妃像』の授与は急務だった。
「任せるぞ、エルフィ。」
「ああ、任せろ。俺の夢をお前に託したんだ。それを叶えるための努力なら、俺は決して惜しまない。」
本当に、彼女の方が王に向いている、と自嘲する。……だが、まあ。今は俺が『王像の王』だ。折れているわけにもいかない。
「次は、春だな。」
進軍速度を考えると、それくらいになるだろう。そう、思う。
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