175.婚約式(1)

 「緊張するか」と問われれば、全くしないと答えただろう。

 俺にとってこれは、ただの確認作業に過ぎない。

 だが、「怖くないか」と問われれば、怖いと答える。今の俺ならいい。未来の俺は、今の俺を見て笑わないだろうか。


 婚約式は、今日だった。




 王都ディマルス、その王宮の中には祭壇がある。

 普段、大掛かりな儀式や謁見の時に使われる場所だ。最近では、ゼブラ公国侵略軍の帰還時……報酬の要望を聞くときに使われた。

 あれから一年。俺が『ペガサスの王像』ディアを獲得してから、一年と、半年強。今日のここは、玉座ではなく祭壇である。

「ペガシャール帝国皇帝、アシャト陛下のおなりである!諸侯、頭を垂れよ!」

ペテロが叫ぶ。その声に従うように、祭壇のはるか下に並んだ貴族たちが一斉に拝礼する。


 この光景は、王として立ってから何度も見ているが。気味が悪いという感覚が、本当に強い。

 とはいえ、慣れるのが王の仕事だ。少なくとも表情には出さないようにして、祭壇の隣まで歩を進める。

「諸侯、よく来てくれた。顔を上げよ。」

服が重い。服の重さが肺を圧迫しているのではないか。そう思うほどに、空気が重い。だが、それを感じているのは俺だけなのだろうと思う。

 顔を上げた貴族たち、その多くは、実に晴れ晴れとした顔をしていた。


 何を言うべきか。これは婚約式である。結婚式ではない。あくまで、エルフィールと結婚するという宣言、そして彼女に『妃像』を授与するための儀式でしかない。

 なら、言うべきことは……彼女との、誓いだろう。

「余に『ペガサスの王像』が降臨された。その頃から、エルフィールは代え無き友であった。」

今の発言だったら、『王像』前からエルフィールは友だったように聞こえるだろうか?取る人が勝手に取ればいいか。俺にとって、彼女がかけがえのない存在であったことには変わらない。

「王として立ち、国を立て直す。それだけを胸に抱いていた俺に、彼女は言った。『皇帝になる気はないか』と。」

あの衝撃は、忘れられない。『神定遊戯』の元来の目的、六国の統一と『皇帝』の誕生。腐り落ちかけているペガシャールという国の衰退の、本当の理由を考えれば……皇帝になるという目的の価値は大きく変わってくるものだ。


「余は夢を得た。余は王としての絶対の価値を得た。ペガシャール王国を帝国にする。余はそう決意し、そうあれと動き、形だけでも『帝国』を名乗った。貴殿らも、余に従う以上その目的に付き合い続けることになる。」

誰もざわめきはしなかった。俺はずっとそう宣言している。貴族としてそれを是としていようと否としていようと、俺に与する限り彼らは俺を全否定は出来ない。


「エルフィールは俺にとって、『帝国』にとって、一つの象徴だ。俺が『王』であり、彼女が『妃』である限り、ペガシャールは帝国を目指して邁進し続けるだろう。」

ペガシャール帝国。最低でも大国二つを滅ぼし、統合することを目指す、戦乱の中心。俺たちは、そういう国になると決めた。

 貴族たちは沈黙を保っている。言いたいことは多いだろう。戦争をしたくないという気持ちはあるだろう。だが、『帝国』を目指すうえで必ず戦争は必要になる。受け入れてもらうしか、ない。


「お前たちは!なぜ、今日結婚式ではなく婚約式なのかと思っているものもいると思う!」

今日に向けて、台本を考えなければならなかった。だが、実のところセリフを考え付いたのはここからだった。

 ここまでどうやって持っていくか。俺が話し始めるまで、俺の頭の数割を、このことが占めていた。

「それは、俺が、『帝国』どころか『王国』としても不完全な領土しか持っていないゆえだ!」それは、絶対的な事実。俺にとってだけではない。エルフィにとっても、ペテロにとっても、デファールにとっても。国の中枢に近い人間であればあるほど、わかっていることだ。


「俺たち『ペガシャール帝国派閥』の領土は、200年前に終わった最後の『神定遊戯』の2割に満たない!戸籍も再作成が終わる目途は立っておらず、俺の統治が行き届いていると断言できる土地に至っては『帝国領土』の1割程度でしかない!」

それは即ち。過日、最も栄えていた頃のペガシャール『王国』と比して、統治機構としての能力が、土地が、2分程度しかないことを意味しているわけだ。10割中の。


「そして、アダット派とレッド派は最終的に俺を殺さんと日々争いあっている……こんな世で、どうして結婚など、まして『帝国』の妃など出来ようか!」

諸侯の顔が、わずかに歪む。そんな我儘か、という顔だろうか。それとも、納得の表情だろうか。そこまでは、俺にはわからない。


「だが……俺は徹頭徹尾、『帝国』を目指す。その決意の表明として、俺自身への誓いとして……そして貴殿らへの宣言として、俺は彼女に『ペガサスの妃像』を贈ると決めた!」

知っている。貴族の中には、帝国を目指すことを不満に思っている者たちがいることを。先日の豊作を見て、神に依存する方が賢いと思っている者が相当数いることを、俺は知っている。

 だからこそ、この宣言は必要だった。

「エルフィール=エドラ=ケンタウロス=ペガサシア!世の隣に参れ!」

祭壇の下から、彼女が上へと登ってくる。今日は演出の為に、彼女は最初から下にいた。


 着物が重いのは俺と変わらないだろうに、そんな様子は微塵も感じさせずに歩いている。

 強かだ、と思った。堂々としているな、と思った。彼女が俺の妻になるのだと、誇らしく思った。

 実に三分もの時間をかけて、彼女は祭壇の上に登り切った。


「歩きにくいな、これ。」

「エルフィでもそうなのか。」

誰にも聞こえないほどの小声で囁いて、笑う。普通に歩けば30秒とかからず登れるような階段で3分もかかった。彼女ですら、礼服は動きにくいらしい。

 それを感じさせないのは、彼女の教育故か、それとも強さ故か。

「ディア。」

「わかっているよ。」

祭壇の上にディアが立つ。祭壇の上といえば不敬極まりないが、これは『神定遊戯』で選ばれた王の祭壇。なら、『王像』……神の使徒たるディアがそこに立つことに、誰も疑問を挟まない。


「アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシア。『ペガサスの王像』に選ばれし王よ。」

さっきまでの飄々としていた雰囲気が一変する。どう見ても威厳の欠片もないディアの姿から、威厳しかない『王像』の姿へと。

 その空気の変遷は、祭壇のはるか下にいる貴族たちにも伝わったようだ。先ほどまでは上がっていた頭が、誰が何を言うこともなく下がっている。

 チラリとペテロを視界に納めた。彼ですら、跪いて平伏している。


 ディアの、神の威を受けて立っているのは、たったの三人だった。

 俺と、エルフィと、俺の護衛についているディールと。それ以外は皆平伏し、神への敬意を示している。……いいや、もう一人いた。マリアが、はるか下で、俺をじっと見上げていた。

「化け物め。」

「全くだ。」

エルフィと二人、笑う。頼もしいこと、この上ない。


「エルフィール=エドラ=ケンタウロス=ペガサシアに、『妃像』を、贈るか?」

最後の一瞬。本当にいいのか?という無言の問いが聞こえた気がした。

「勿論だ、ディア。俺は彼女に『妃像』を贈る。俺と真に対等な人として、俺は彼女を扱う。」

いつかの約束。彼女を決して、俺の下の立場としては扱わないという約束を、俺はこの場で果たしたと思う。


「エルフィール=エドラ=ケンタウロス=ペガサシア。汝、『ペガサスの王像』アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアの妃となり、王を援く一助となるか?」

「否だ。」

それは、あまりにも呆気ない、即答だった。

「帝国を目指すアシャトを『援ける』だ?ふざけるな、助けているだけじゃ、アシャトが皇帝になるには間に合わないだろうが。」

どうせ何か理由があるのだろう。俺はそう思ったが、階下の配下たちはそう思わなかったらしい。彼女が放った一言を聞いて、どうしようもなく彼女らしいと思った。


「俺はお前が皇帝になる姿を見たいんだ。そのためにお前の隣に立つんだ。お前が何もかも諦めたら、俺はお前の隣にいる気はない。」

エルフィは獰猛に笑う。さながら獣のような、しかしどこか仙女のような。

「お前が俺の夢を追う限り、俺はお前の『妃』になってやる。だが、お前が『皇帝』を捨てるとき、俺はお前を斬り捨てる。」

俺の皇帝宣言をはるかに超える恐ろしい宣告を、その舌にのせた。

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