174.約束された豊作
あれほどの作物の実りがあるのはいつぶりだろうか。あれほど綺麗に農地が並んでいるのはいつ以来だろうか。
“遠視魔術”を打ち切って、俺は窓から目を離す。神の恩恵を受けた土地、ゆえにあれほどの豊作を得ていること。それが『神定遊戯』の恩恵なのはわかっていても、豊作というのは目を惹かれるほどに美しい。
とはいえ、あのうちの何割が戦争に使われることになるのか。戦争の旗を振っている張本人とはいえ、心ぐるしいこともある。これはその最たるものになっていくのだろうな、と確信した。
「陛下。ただいま帰還いたしました。」
「ペテロか。首尾はどうなった?」
「多くの貴族たちに、傍観の約束を取り付けました。内応を確約させることは、流石に厳しく。」
「十分だ。敵兵が10万から9万に減るだけでも、随分楽になるからな。」
ましてやこちらは精鋭とは言い難い。民草に調練こそ施したものの、彼らの本質は農民だ。兵士ではない。
「随分な豊作でしたね。」
話題の行き詰まりを感じたのか、ペテロが話を変えた。正直、助かる。
「代々の国王たちが『帝国』を目指さず内治に甘んじる理由がよくわかる。」
『神定遊戯』が起きている間、不作は起きない。どころか理由がない限り必ず豊作になる。あの黄金色の大地を見ていれば、誰が何と言おうと神の望みを果たす理由はなくなるだろう。
「トリエイデスから渡された食糧、ゼブラからの支援、何より増えた魚の干物……これさえあれば、20万の軍が半年程度は戦えるでしょう。代りに農夫たちが贅沢を言うことは出来なくなりますが。」
「十分に計算して使えば、ひもじい思いはしなくていいんじゃないか?」
「それは……。」
出来る、とペテロの目が語っていた。彼にはとうの昔に『宰相像』を渡してある。“国内管理”の能力は目覚めているはずで、つまり収支は完全に頭に焼き付けられているはずだ。
ペテロが沈黙する。彼の沈黙は多くの場合肯定だ。同時に、懸念事項がある、ということも意味している。
「何が懸念だ?」
「半年は戦える、というのはつまり、半年を超えれば戦えない、ということも意味しています。アダット派、レッド派両派閥を相手にして、半年で終わるとお思いですか?」
「終わらないだろうな。」
迷う必要もない即答。いくら敵が互いに削り合っているからといって、それだけで倒せるような弱い国では決してない。
「では!」
「出兵は春。種まきを終えた直後とする。また、高位の将校……エルフィやアメリア、マリア達以外の女性は徴兵しない。」
「女性に全ての農作業を負わせると!」
「あとは子供と老人だ。時間がある時は俺もやるさ。」
「そういう問題ではありません!」
まさか全男を徴兵する気はない。きっかり20万人、それ以上の兵士を戦に駆り出す気は俺にはない。
今のペガシャール帝国の総人口は120万を優に超える。とはいえ、元の領地から出向してきている貴族の兵士たちも込みだ。そして、ゼブラ候の領地であったり、他の降伏してきた国の民であったりの分は含んでいない。
あくまで、俺がディマルスに到着してからのこの半年で、戸籍の再登録が終わった人数だけで計算しているのだ。実際のところ、あと数倍はいるだろう。
「ペガシャールは腐っても神の加護を受けた国だ。過去の記録では、人口が二億を超えていたという記録もある。たかだか20万もの軍を養う程度、出来なくては未来で困る。」
ペテロがいやいやと首を振る。言いたいことはわかる、現実を見ろと言うのだろう。
今、戸籍の登録をしている人間の多くも、兵として出ることになる。何より、エルフィとマリアが抜けるのは相当痛い。
戸籍が出来た者から、固定の田畑を与えている。逆に言えば、戸籍が出来ていない者は実質ただ働きをさせているようなものなのだ。
「人手が欲しいな。」
「全くです。」
農作業を出来る人手ではない。事務作業が出来る人間だ。……ペディアが連れ帰ってきてくれた女性陣は、今随分な速度で執務をこなしてくれているので助かっている。
サッと、視線を外にやった。
多くの農地、多くの作物。処理しきれていない人員増加、それでも開き、終わりまで辿らなければならない戦争。
そして、その先にある、皇帝への道。
「茨の道を行く気ですか?」
「ああ、もちろんだ。その選択肢だけは変える気はない。」
端的な問いと、端的な答え。何度か繰り返された、ペテロとのやり取り。これは同時に、俺たちの話の終わりを意味している。
ペテロが俺に背を向けて、俺はその場に留まった。皇帝に向けてやらねばならないことは……まだ、互いにたくさんあった。
腕が痛い。腱鞘炎になりそうだ……いいや、もうなっているか。
痛みに慣れきった腕をブンブンと振る。これでも、週に一日は必ず腕を休める日を作っているし、薬や氷を使って色々と休めているから随分進行は遅い方なはずなのだ。
「陛下、婚約式に向けた衣装合わせをお願いしてもよいでしょうか?」
ランという名の侍女が言う。最近、侍女頭に任命した彼女は……俺の健康管理の多くを担っている。
腕の痛みが耐えられない状態になった、今のような状況を見極めることに長けた女性だ。そして、そういう時を選んで、俺が逃げられないような、書類仕事ではない仕事を選別して持ってくる。
「ああ、ありがとう。行こうか。」
彼女のような人がいるから、いきなり王になった俺が王としてやっていける。それに、感謝した。
「重い。」
だが、それとこれとは別だった。衣服が重いのはいつだって同じだ。礼服であればあるほど形を整えるための小道具が服に仕込まれ、かつ服自体に厚みを持たせて威厳を出そうとする。
絹布二枚重ね着するだけで相当な金額が飛ぶのに、それを数枚重ねて一枚の布として形を取っているのだ。布自体の重みもそうだが、金額的な重みもあった。王になる以前の俺は、これ一着で何ヵ月……いや、何年生活できただろうか。
「着飾るのは女性だけでいいだろうに。」
「いいえ、衣服にお金をかけること、そして見てわかることが国の、ひいては国王の威厳に繋がるのです!」
そう言われても、今は戦時中だ。俺がいくら華美な衣で身を纏おうと、他の貴族と同列に扱われるだけではないか。
「いいえ!陛下は既に『神の加護』を得ているのです!婚約式とは即ち、それを最も多くの目に焼き付ける最高の機会!陛下は神の威に負けぬほどの輝きを見せねばなりません!」
でなければ陛下が神の輝きに負けてしまいます、と言われればぐうの音も出ない。俺は、皇帝になって人の世を生み出す。神の世からの脱却を目指すのに、神に負けていては意味がない。
とはいえ、重い。万が一襲撃があれば、俺は身動き一つ出来ないではないか。
腕をわずかに曲げるだけで一苦労な衣装を着続ける意味がよくわからない。何より、これでは俺が衣に負けているように見える。
白と赤を基調とし、金と黒がところどころに織り込まれた衣装。染められた文様の細かさに眩暈がしそうだ。いったい何人の職人が使われたのか、その人手で何着の民衆用の衣服が作れたのか。
鏡が持ち込まれる。バーツお手製の鏡は、随分と綺麗に光を反射する様で、俺の姿がはっきりと映る。普通、鏡はもっとくすむ。目の黒白の境がはっきりとわかるほどよく反射する鏡というのは、見つけることが難しいものだが……バーツは流石だ。
「見たくなかった。」
ああ、衣服に着られているという感覚は、よくよく見なければわからない。仕事に忙殺される日々を送ったせいか、それともそれ以前からか……顔に険が出来たおかげで、むしろ「王さま」という感じは増して見えるのが腹立つ部分だ。
「似合っているぜ、兄貴。」
「そのニヤニヤした声を誤魔化してから言えよ、ディール。」
顔も見ずに言う。声音でわかる。面白がっている。
「そりゃ無理だアニキ。顔にも身体にも似合っている服だけど、どうしても心には似合ってねぇよ。兄貴の心は面白いほど、着飾るのに向いていねぇ。」
「うるさい。」
言われなくともわかっている。どれだけ着飾ったところで俺は俺だ。
「もういいか?」
衣装合わせに念入りなランと、笑みが止まらないという雰囲気を出しているディールに同時に声をかける。ランはいくつか装飾を取り出して合わせると、サッと脱がせてくれた。助かる、がディールは笑みが止まらないらしい。
「殴るぞ。」
「兄貴の拳が当たるかよ。」
ムカつくなぁ。ぼやくと、ランが不思議なものを見る目で見上げてきた。
「笑っているではありませんか。」
「……うるさい。」
何か、釈然としなかった。
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