172.本能に近いモノ

 西門からリブラに侵入した俺は、とにかく北門に向けて駆けていた。

 代官がそこにいると聞いた。援軍の存在、それが『像』持ちであること。それを聞けば、兵士たちの士気は上がる。

 その、俺たちの到着は、何としても代官に伝えてもらわなければならなかった。ここはオケニア=オロバス公の領土だ。俺の、俺たちの土地ではない。


「ペディア様!あれを!」

ジェイスの叫び声を受けて一瞬足を止める。そこにいたのは、懐かしい黒髪。

 見ただけでわかったのは、なぜだろうか。黒髪などいくらでもいるというのに、彼女の立ち姿を見た瞬間、俺は彼女がリーナだと、反射的に理解した。


 門の上で揉めている。リーナを代官の男……だろう影が抑え込んでいる。

「裏切りとかではなさそうか?」

「ただ揉めているだけ、のように見えます。」

まだ声が聞こえるほど近くではないから、見たままで判断するしかない。だが、少なくとも目に見える感じでは、問題ではなさそうだった。


「敵がいる目の前で揉めているのは悠長に思いますが。」

「そうだな!」

再び足を動かす。『超重装』がかなり重い。だが、リブラに近づけばいつ戦闘になるかわからなかったから……着て動くしかなかった。


 いつ矢がとんでくるかわからない。あのまま門の上で話をしていたら、格好の的だ。

 いくら俺たちが間に合ったとしても、代官が討たれれば意味がない。足に鞭打って……視界に投槍機を構える男が見えた。

「様になっているな。」

構えが、だ。つまり、上手い下手はわからなくとも、相当な修練を積んでいるという意味である。


 あの場で、有象無象の弓取りが大量に構えるではなく、ただ一人が槍投げをしようとしている時点で、その人の技量はわかろうというもの。

「ポール、急げ!」

「軽装部隊やはり作るべきでしたね!」

「指揮官がいないだろう!」

軽量化の魔術を発動させる。身体強化の魔術を発動させる。踏み込んだ足が地面を抉り、蹴り飛ばした大地が石を跳ねさせるほどの速度で走ってなお、遅いように感じた。


 一度目の投槍は、城壁に当たれど代官に当たらず大地に落ちた。そのせいか、門の上にいる二人には、狙われているという意識がない。まだ、気付けていない。

 魔術の出力は上がらない。魔術陣通りの強化率や軽減率にしかならないのだから、当然だ。

 視界の隅で、あの男の器具に二度目の槍が番えられるのを見て、間に合わないことがなんとなくでも伝わってくるのが、怖い。


 急ぐ。兵士たちが俺に気づく。兜に覆われているとはいえ、警戒がどこに向いているのかはわかるのだろう。彼らが槍投げを構えている男に気が付いて、2人に伝えようとしたが……もう、遅い。

 間に合わない。その言葉が瞬発的に頭によぎる。直後頭に浮かび上がったのは、槍に貫かれるリーナの姿。

 その姿が、被った。己の目の前で死んでいったアデイルの死に様と。己で手をかけたヴェーダの姿と。


 嫌だ、と思った。

 ダメだ、ではない。嫌だ、である。

 ついでに言うなら、その意識の中に、代官の姿はなかった。ただ、リーナが死ぬ光景だけが頭によぎり、嫌だと心の底から思うに至った。

「間、に、あえ!」

腰につけられた盾に、父の形見に反射的に手が伸びた。それを投げたところで間に合わないことなど重々承知しているはずなのに、意味がないとわかっていても。


 そして、『像』は。彼の、「リーナに死んでほしくない」という願いに、応えた。




 必ず殺せると思った投槍だった。一投目を調整用の様子見に、二投目に必中を期した瞬撃を狙った。

 それが、唐突に現れたなぞの物体によって弾かれた。娘は運がいいのか悪いのか。躊躇なく命を狙ったというのに、生きている幸運に目を瞠る。

「ネイチャン様。」

「全軍に通達しろ。撤退する。」

「はい?……は、承知しました。」

少しばかり歯切れの悪い返事を残して、兵士たちが帰っていく。だが、当たり前の判断だった。


 どう考えても必中の一投。それが、回避されたではなく唐突に現れた何かに防がれたというなら、ここに『像』が現れたという事実以外に示すものはない。

 ネイチャンが放つ投槍を、直前まで気づいていなかったリーナたちに防ぐ手立てはない。盾魔術を使ったとしても間に合わなかったはずだ。


 その防御方法が何であるかを問う必要はない。それが魔術であったのなら、あの座標にピンポイントで魔術を発動できる何者かがいるという意味になるし、そうでないなら人ではない何者かの御業でなければ防ぎえない。

「どちらにせよ、『像』が敵に出てきている以上、兵士を減らさないために動くべきで、その場合戦争をするわけにはいかない。」

ネイチャンは己の価値を過つことはない。ヒリャンやトージなど、優れた指揮官たちと比べれば一段落ちることを自覚している。

 『王像』の王から『像』が与えられた指揮官を相手に、たった6000の兵士で勝利を掴めるとは思えないのだ。


 ゆえに、リブラでの戦いは……ほとんど何もないままで終わった。




「『連隊長』が“絶対防御”を使うとはね。」

ディアが信じられないと言わんばかりに呟いた言葉に、俺は首を傾げるしかなかった。

「『神定遊戯』の歴史はそのまま、戦争の証明だよ、アシャト。『像』が生み出す固有能力は基本、戦争に効果があるような大規模な能力が多いんだ。」

その点、“絶対防御”の能力は『近衛兵像』が持つことが多いね、とディアは言った。主君の命を、己の命を懸けて守るための『像』なら、“絶対防御”を持っていてもおかしくはない、と。

「いや、……そもそも誰がその能力を目覚めさせたんだよ。」

「ペディアだよ。ペディア=ディーノス。」

そうか、と俺は一言で済ませた。


「興味がなさそうだね。」

「ペディアは『連隊長』としての指揮能力で十分だ。固有能力の有無や有用性は、あの指揮能力の前では霞んで見えよう?」

「否定はしないけどね。『超重装』が使いやすくなるような能力とか、欲しくなかったの?」

「要らないさ。なくとも使える精鋭を選別するのが、ペディアの仕事だ。」

ペディアに与えられる『像』の力は、身体能力強化だけでも十分。だから、固有能力が何であろうとあまり関係がない。


「まあ、君がそう言うならいいけどね。」

「で、その“絶対防御”の詳細は?」

「興味あるんじゃないか。」

それとこれとは話が別だ。執務の手を止めて問いかける。

「簡単だよ。神具の一撃であれ何であれ、一度だけ必ず守り通せる盾を顕現させる能力だ。一ヵ月で1度分ストック出来て、最大ストック数は3度分。もちろん、レベルが上がればその限りじゃない。」

ストック数が増えるのか、回復速度が上がるのか。それに関する明言がない部分は少し不親切だが。まあ、ディアらしいと言えばそれまでなので追及はやめておく。


「何か、守りたい者でもあったのかな。」

部下の新たな力の目覚め、それを呼び起こしたであろう出来事が、彼にとっていいものであったことを……俺は、願った。




 彼女が俺の方へと歩いてくる。俺も、走るのをやめて歩いた。

 兜は隣を歩くポールに預けた。そのポールは、途中で歩くのを止めて俺を一人で送り出した。

「久しぶりね、ペディア。」

さっきまで命を狙われていたとは思えない、平然とした挨拶だった。動揺していないのか、押し隠す才覚が素晴らしいのか。

「リーナ様も、お久しぶりです。」

なんだろう、感慨深かった。二度と会えないと思っていた。そこまで仲がよかったわけではないのに、心底会いたかったという気もしてくる。


「仕えるべき主を見つけられたようで、よかったわ。」

「はい。」

俺は何といえばいいかわからなかった。が、それは彼女もまた同じようだった。

 正直、沈黙に耐えられない。沈黙に耐えられるほど、俺とリーナ様の関係性は近くない。


 それでも、言葉にならない万感の想いが、彼女から離れることを躊躇わせた。

 一歩、リーナがこちらに寄って両腕を広げた。その意味を察せないほどペディアは鈍くはなく……いいのか、という意味を込めて首を傾げる。

「勿論よ。ちゃんと責任さえとってくれるなら。」

「……最初から、そのつもりで?」

「ええ。『像』なら、伯爵家を継ぐのに不足はないわ。」

なんだろう、嵌められた気がする。今なら戻れる、というのもなんとなくわかる。


 だけど、逃げる気にもならなかった。その感覚こそ、あるいはすべてを語っていたのかもしれない。

 彼女を抱き寄せた。抱き寄せるほど甘い関係ではなくとも、よかった。今、そうしたい。思ってしまえば、あとはもう、なし崩しだった。

 その日、俺はよく知らぬ間に、リーナと実質上の婚約をした。

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