169.『跳躍兵』と『宰相』

 ビリー=アネストリの屋敷には開かずの扉が30ある。そういう噂が立っている。

 実際のところは、そんなことはない。鍵がかかっているだけで、その鍵がビリーの手元と『彼ら』の手の内にしかないだけで、そこは何度も開け閉めされているし、掃除だって徹底されている。

 そして、それら『開かずの扉』の奥の部屋に共通することが一つある。全ての部屋に、地下への入り口がある。全ての部屋は地下で繋がっていて、出口は4つある、ということだ。その4つの場所は……一見、ビリーの屋敷とは全く関係のないどこかに繋がっている。


 そのうち一つから、今日は物騒な声が聞こえてきていた。

「誰だ、俺を連れてきたのは。空気の匂いが違う、本陣ではないな?」

5秒でわかったらしい。嗅覚に限ればけもの並みか……いや、嗅覚から状況を察知できる辺り、獣よりたちが悪いかもしれない。

「俺を誰だと思っている。ロロット=エミル=バリオス子爵が長男グリードであるぞ。」

物騒で、権力を大上段に掲げておきながらも、油断できない理性を宿した声だった。同時に、寡黙な男と聞いていた割にははきはきと話すことから、動揺もまた窺える。

「知っておりますよ。」

慌てながらも話していた男が、返事に驚いて固まった。

「知っているのであれば、なぜ、連れ出した?」

「決まっています。スカウトですよ。」

ほとんど反射のように放たれた問いに、同じように反射で返された回答。まるで示し合わせたかのような沈黙が、その場に瞬時に流れる。


「……一突きだ!」

「させないよ。」

手に持っていた戦車用の槍が別の声の主の方へと突き出され、しかしそれは途中で遮られた。その槍を打ち放たれた感触から、『護衛』の位置を洗い出したらしいグリードは、まずその女を落とさんと二度、三度と槍を突き出す。

 暗い部屋の間で火花が散る。暗闇に慣れ始めたこともあり、グリードは護衛の女の姿と、護られる男の姿をおおよそ掴んだ。

「強い、な!」

手さぐりで放たれていた槍の動きが最適化される。だが、女の槍筋は変わらなかった。


 そうして十合、打ち合った末にグリードはその槍を手から零す。

「で、何の用だ?」

「来るべき決戦の日、あなたには領土に帰っていただきたい。」

勝てない、そう悟ったグリードにかけられた言葉は、裏切りの願いだった。




 こっそりと夜闇に紛れて彼女は陣の中を歩いていた。

 傭兵たちは上手くレッド派の陣営に溶け込めた。おかげで、彼女はとても動きやすい。

 『跳躍兵像』が持ち合わせる特権の名は、“認識転移”。視認、記憶のどちらに関わらず、転移することが出来る能力であり……再使用までの時間は距離に比例する。普通は。

 ただし、長距離の場合に限り、一つだけ例外がある。それは、『像』の至近距離に転移する場合だ。


 そこに、「なぜ」は必要ないのだろう、と彼女は思う。それは、いずれ世界が変わったときにでも学者が考える内容だ。

 重要なのは、『像』の近くに“転移”するときは、『跳躍兵像』の転移の再使用時間を食わないこと。言い換えるならば……彼女は、人の最至近まで近づける場合に限り、誰でも好きな『像』の近くまで送り込むことが出来る。


 ビリー=アネストリは『像』を持たない。だが、ビリー=アネストリの屋敷に『像』が一人いるなら、その『像』の近くに人を送ることは出来る。だからこそ、ニーナはレッド派の陣営を駆けまわっている。

 敵を作らない。来るべき決戦の為に、アシャト派がなんとしてもやるべきことは……一人でも多くの敵を減らすこと、ひいては、一人でも多くの敵を寝返らせることだった。

「今度はこいつだな。グラスウェル=システィニア=ザンザス。」

その姿を確認する。とはいえ武人の体格など、大体十数パターンしかない。十万を超える軍勢の中で、言われた通りの特徴の男など何人いるか。

「じゃあ、おっと。」

近づいた瞬間、その目の前を剣が走った。戦場の戦士のならい、寝所に武具を持つのが普通とはいえ、寝ている時に剣を抜けるとは強い。


 が、槍でなく剣らしい。この男の得意武器は槍だったはずだが、と思いながらも弾き返した。チラリと寝台を見て、その荒れ具合を見て気づく。抜き身しかない槍では己の身体を傷つけるから、鞘で守られた剣を寝台に上げているのだ、と。

「寝込みを襲うとは不埒な輩め!」

ブン、と振るわれた槍を受ける。一瞬呆けたすきに、槍を掴まれたらしい。阿呆め、と己を恨む。

 突き出される槍を槍の穂先で弾き飛ばす。同じ芸当が出来る武人が何人いるだろうか、とわずかな優越と共に、振り下ろし。グラスウェルは一歩下がって回避する、がここは天幕の中だ。逃げ道が多くはない。

「誰か、!」

人を呼ぼうとした男の首筋めがけて槍を奔らせる。言わせるか、何のためにこいつの寝こみを襲ったのか。

 突き出した槍の穂先を、穂先で弾かれた。この数合で、そして今の攻撃で、彼の技量を理解した。


 グラスウェルは、あたしと同じくらい、強い。

「悪いけど!まずは目的を果たさせてもらう、よ!」

踏み込む。必要なのは、手が届く距離まで近づくこと。そして、『ペガサスの宰相像』ペテロ=ノマニコのいる場所を意識すること。

「女!貴様、ニーナ=ティピニトか!」

「さぁね!」

声を聞いた瞬間、奴の槍が鈍るのを感じた。そりゃそうだ、グラスウェルにとってあたしは味方のはずだから。


 だが、そんなものは、どうでもいい。重要なのは、槍が鈍ったこと。その一瞬があれば、あたしは奴に近づけること。

 殺意や害意があれば、グラスウェルは反応できただろう。が、あたしは最初から害意を持っていない。

 害意のないあたしが近づいたのに気づいて、すぐさま起きることが出来たその警戒心は認めよう。味方を攻撃できないという即座の判断も、害意を見分けることが出来るその熟練の勘も認めよう。

 だが、彼は最初から見誤っている。私の目的は、彼を害することではない。寝込みを襲うことでもない。結果的に寝ている時に近づいただけで……

「『ペガサスの跳躍兵像』よ。“認識転移”。」

グラスウェルの身体が、聞いた事がない言葉を聞いたかのように硬直する。そりゃそうだ、私が『像』であることに気付けるほど頭のいい人間は、この場にはいないと、元帥殿が断言したのだから。


「じゃ、行こうか。」

私は、そうして空間を跳んだ。




 『ペガサスの跳躍兵像』ニーナ=ティピニトに課せられた命令は二つ。

 『宰相像』ペテロをビリーの屋敷に送ること。これは、複数あるペテロの仕事を処理するための必要事項だった。

 二つ。所定の日の深夜に必ずビリーの部屋に訪れるペテロのところまで、若き「貴族」を送り込み、また彼の護衛を果たすこと。

 そのとき、「ペテロが」ビリーの開かずの間にいることを、“認識転移”の副作用的権限……対象の居場所を確認できる機能で確認しておかねばならない。また、若き「貴族」からペテロを守るにあたって、話をすべて終えるまで、どれほど相手が暴れようとその人を殺してはならない。


 冬が明けてからずっと、ニーナはそれを続けている。これで三件目だ。

「……ニーナ=ティピニト。貴様、皇帝派だったのか。」

「そうだ。で、どうする。お前に私を殺せるか?」

槍を握って問いかける。グラスウェルはわずかに時間を置いたのち、首を振った。

「俺は戦争屋だ。戦闘家とは、分がわりぃ。」

槍を下ろしたのを見てほっと一息つく。戦い続けることは避けたかった。何が戦争屋だ、傭兵界でも十指に入るあたしの槍を完全に迎撃できるような男が言うセリフじゃない。


「で、ここはどこだ。」

「それを知る必要はありませんよ、システィニア=ザンザス公子。あなたにお話があって、私がここに呼んだのです。」

ニーナの役目はここまで。ここからは、ペテロの仕事だった。




 一言。アシャト派の侵攻に合わせ、自領に帰れ、という願いに、グラスウェルがペテロを睨んだ。

「俺たちに裏切り者になれ、というか貴様。」

「おや?私は貴方に話しているのに、なぜ「たち」と仰せに?」

「当たり前だ。そこにいるのはニーナ=ティピニト、レッド派の軍に囲われた傭兵だぞ。俺のほかにも連れられてきた奴らはいるだろう。」

頭の回転の速さに、ペテロはやはり敬意を抱く。しかも、不意打ちのように連れられてきた場所での第一声だ。早いどころの話ではない。

「最近の若者は素晴らしい。ですが、短絡たんらくはよくないですよ、グラスウェル君。」

国が荒れている影響を嫌でも感じている。それが、人材が世界に表出するという形で出ているのではないかと……環境に適応するために、優秀な人間になる人物が増えているのではないかとペテロは思う。


 グラスウェルは沈黙。その先を話せ、という意味だ。

「ペガシャール帝国派は必ず勝利します。『像』持たぬあなた方に、神の権限を用いる私たちの相手は荷が重すぎる。違いますか?」

グラスウェルは黙り込む。政治的情勢がなければ、父がレッド派の貴族でなければ。そして、コリント伯爵たちのように家が分かたれても捨てられないほどの力がある家ならば。グラスウェルとてレッド派を見捨てて勝ち目のあるアシャト派に行けただろう。


「ええ、ですから、領地に帰るだけで構いません。幸い、あなた達にはそれが出来る大義がある。」

裏切れではない。領地に帰れ。戦うなと言っているだけなのだ。

「いいえ、私たちはアダット様との戦争に臨んでおります。」

「ですが、アダットは『王像の王』ではない。飛んでくる蚊を追い払うのと、襲い来る神罰に逆らうのとでは話が違います。」

「同じでしょう。戦争は民と共に行うもの、民が苦しむ以上、蚊も神罰も変わりますまい。」

「お父君が善政をなさっているならそうでしょう。ですが、違いますよね?」

グ、という苦々しい表情になったのは、グラスウェルにも心当たりがあるからだ。やせた土地、その日その日を凌ぐ民、身体の肥えた父、徐々に減っていた軍事費用と武人の数。


「アシャト様は貴族家を減らしたくはないと仰せです。あなたは、あなたが心から信頼できる私属貴族たちと共に領地に籠り、決して戦に出ないでいただきたい。そうすれば、領地と身分の保証をいたしましょう。」

グラスウェルにも、納得できる話ではあった。執務を取れる人間が、軍事を行える人間が必要だと言われれば。

「なるほど、それはありがたい。帰るだけでいいなら、請け負おう。」

どのみち逃げ道がない、とグラスウェルは悟っていた。“放蕩疾鹿”ニーナ=ティピニトがここにいる、ということはつまり、断ったときの口封じも万全だ、という意味だ。


 賢い者なら間違えない。ニーナがわざわざ『跳躍兵』であるのは、そしてこの場に同席したまま離れないのは、そういう意味があるのだと。

 さっきまでニーナと打ち合った。おそらく、他も彼女と刃を交える猶予くらいは与えられた。理由は単純、その身で『相手』の実力を感じるため。


 『像』を使わぬ彼女相手に互角だった。しかし、こちらは動揺していたとはいえ彼女も殺す気はなかった。

 さっきは己の天幕だった。今は、彼女の連れてきたどこかだ。

 次戦えば、勝てる保証はない。むしろ負ける可能性が高い。『像』の権能まで使われたら、おそらく本格的に勝ち目はない。

「よかった。ではニーナさん、彼をレッド派の天幕まで連れて行って差し上げなさい。」

ペテロという男が言う。悪辣な奴め、とグラスウェルは思う。


 レッド派の陣に戻ったら、アシャト派を裏切ってこの話を流布しようか、と一瞬思うくらいには放置されるらしい。

「……いや、ニーナがいるなら、傭兵は全てそっちの派閥か?」

「よく出来ました。」

ニーナがニヤリと笑むのを見て、舌打ちしなかったのは実に貴族らしい自制心だったろう。最も、表情が全てを物語ってはいたのだが。


「あぁ、最後に。」

背中に『跳躍兵』の手が触れた。それを感じ取った直後、あの忌々しい、逃げ道をことごとく塞いできた宰相の声が聞こえた。

「もしも私たちに呼応し、アシャト様の役に立つことがあれば、『像』の席を約束しますよ。あと25ほど残っていますので。」

槍を振りぬく直前、グラスウェルは、自分の眠る天幕に「跳ん」だ。

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