168.リブラへの対応

 動いたのは一万六千か、と口に出した。

 この時点で、『護国の槍』にとれる手は三つある。

 一つは、徹底的な傍観。一つは、一万六千人も減った敵を攻撃。

 そして最有力候補が、「確実に一万六千人ほふること」だった。


 とはいえ、どの択も容易ではないことを、俺は知っている。それくらいは、俺だって察せる。

 どの択をとっても、アダット派にとって益はない。父上や兄上にとっての益もまた、ない。俺はただ、『護国の槍』の決断を、学ぶことに徹するしかなかった。

「どうするのですか?」

ベネットが問いかける。判断は急がなければならない、と思っているのだろう。そしてそれは、間違いではない。が、正解でもなかった。

「パーシウス=アルス=ペガサス公子、貴殿は如何いかに考える?」

「閣下の思召すままに。」

即答。答える気はない、というより、手に余るという意味合いで答える。もしも、俺なら。ベネットに一軍を与えて一万六千を追わせただろう。だが、ベネット自身が一私属貴族でしかない以上、一万六千もの軍隊を打ち破れる大軍を率いる資格がない。


 資格がない以上、公属貴族たちはベネットの指揮に従わない可能性が高く、結果ベネットに預けた軍が逆に打ち破られる可能性は否定できなかった。

 全軍指揮を、分隊も極力作らず、全てクシュルという一個人が担っている。それが、アダット派の致命的にして最大の欠点。もしも、別たれた一万六千を討てる部隊を出したいのなら、指揮官はクシュルでなければならない。


 じっと見詰めてくる瞳が、その逃げを許さないと訴えかけてくる。とりあえず何かを言わねばならない。戦局を変えるようなことではなく、かつ俺が状況を理解しているとわかるような一言を。

「後方に拮抗する敵がいる。その敵に背を晒して敵を討つ、ということは自殺行為です。」

「是。貴殿の将来は明るし。以後も励むべし。」

頷いた。『護国の槍』に軍学を褒められること、これにまさる喜びは、俺には一つしか思い浮かばない。

「パーシウス様は、別動隊を率いる資格を持っていらっしゃるのでは……?」

公爵家の次男という肩書があれば、貴族たちも聞くのではないか。そういうベネットの意見に首を振る。


 勘違いしてはならない。それは、俺には出来ない。

「否。パーシウス公子は次男也。又、公爵の代官に非ず。ただ一介いっかいの我儘子供に過ぎず。肩書無き将に貴族はついて来ず。」

我儘子供と来たか。だが、そう間違った表現でもあるまい。俺はあくまで、私兵を率いてここへ勉強に来たのであって、軍を率いに来たわけではない。軍を率いるには、俺には、役職が足りない。

「しかし、彼が軍を率いるのなら、クシュル様も一万六千を任せられるのでは……?」

「是。しかしてれは理想論なれば、我らは現実を見ねばなるまい。」

俺は無意識に喉が鳴った。『護国の槍』がどんな判断をするのか。楽しみで、ならない。

「斥候を放て。敵の後を尾行させよ。然して我らは動かず。撤退の際に叩く故也。」

唖然として、しかし、納得した。このタイミングで『王像の王』の陣営に向けて軍を出すということは、そういうことだ。


 主題はアシャト派の軍を出陣させること。副題は敵に打撃を与えての撤退。それすら不可能ならば、万全の軍隊を引きあげさせることが目的だろう。

「敵主力に背を向けての戦争は出来ずとも、両方と向き合っての戦争ならまだ可能、か……。」

撤退を前提とした派兵だと割り切れば、手を打つ必要はないように思う。せいぜい斥候を派兵して居場所の把握にだけは努めておこう、という程度だ。

 持てる手札で効果を表す、最大の行動。ああ、これだから『護国の槍』の用兵は学ぶだけの価値がある。

 笑み崩れる頬を撫でて戻しながら、俺は目を瞑って、呟いた。

「『王像』派閥は、どう動くと思われます?」




 ビリーから、レッド派が動いたという知らせを受けた。

 内容を見て嘆息する。予想していなかったわけではない。急激に勢力を広げすぎた影響もあって、国境線全てを守れるほどの軍隊は、うちにはない。

「デファール、クシュルはどう動く?」

「万全のクシュルなら、一万六千を先に叩きます。私かペレティが同行しているようなら、まず間違いなく二面作戦を平然とやってのけたでしょう。」

「その二人だけか?」

クシュルが指揮官に求める質がそこなら、クシュルは恐れるべき相手ではない。が、当然のようにデファールは首を横に振った。

「今いるレッド派の主要指揮官クラスなら、誰でも任せたでしょう。」

なるほど。それなら別動隊を任せるハードルはそれでも高いかもしれない。


「いいえ、高いですよ。徴兵された一万六千の軍を打ち破るとなれば、挑む側も同様の兵数が必要です。ですが、それだけの軍を率いられる将校は少ないのですよ。『像』を見れば、わかるでしょう?」

それは、否定できない。王、妃、継嗣を除く『象』の数は57。だが……その中で、政治を抜いて元来軍事として機能する『像』は、30を下回る。

 『元帥』『将軍』は確かに全軍を扱うための『像』だ。だが、『連隊長』は最低数を二千としたうえで、最大数四万程度の軍を率いる『像』だし、『隊長像』に至っては部隊強化能力の最大人数は四千と聞いた。

 『砦将像』は砦内の指揮なら全霊を尽くせるが、砦の外での戦には向かない。『魔術将像』『騎馬隊長像』『戦車将像』『船長像』はどこまでも専門職。『智将像』は……人による。

 『工作兵』『糧食隊長』『兵器将』は前線に出ないし万単位の部下など率いない。『医術将像』はそれ以前。『近衛兵像』は個人特化、『三超像』も同様だ。


 そう考えると。万単位の軍を任せられる将の方が、少ない。

「うちなら、誰だ?」

「身分実力双方込みで、コーネリウス、ジョン、バゼル。フレイは少々怪しいでしょう。陛下は『近衛兵像』にされましたが、正解ですね。軍を率いるなら『隊長』がいいところでしょうし。」

言い切ってから、彼は考えるように上を流し見た。スッとわずかに息を吸う。

「エルフィール様は言う間でもなく。グリッチは、『ゼブラ』を名乗っているのであればクシュルも使うでしょう。」

エドラ=ゼブラ公爵家が王家から離反していなかった前提で、かつグリッチがゼブラ公爵家から出ていない仮定、だろう。仮定としては無理が過ぎるが、実力としてはそうなるか、と思う。


「ペディアはエリアスと一緒……つまり『赤甲傭兵団』の最大数八千人がいる場合のみ、彼らだけで派兵されるでしょう。身分的には他の貴族を率いられませんが、傭兵としての腕は確かです。」

徴兵された部隊より、百戦錬磨の傭兵の方が兵の質が高い。であれば、倍の兵数を相手取っても勝てるだろう、という話らしい。わからないではないと思う。確かに、彼らの腕は、安定性は、高い。

「マリアは……兵を率いる資格がありません。彼女がうちで優遇されているのは、彼女が陛下に任命された『智将像』であるからです。」

『像』である以上、俺の代理人としての格がある。そうでなければ、マリアはどの陣営にいても兵を率いることは、出来ない。


 多いのか、少ないのか、わからなかった。ただまあ……実は二面作戦は随分難しい、ということは、理解した。

「ヒリャンとて、一万六千の軍を誰か個人に預けたとは思えません。おそらく、貴族たちをそれぞれで派遣させたのでしょう。指揮系統がばらばらの、総数一万六千であるとみるべきです。」

まとまりがない部隊、か。そう言われると、脅威に思う気持ちが薄れてくるのはなぜだろうか。

「あと陛下……オベール殿は。」

「ああ、気付いていたのか。あいつは多分、一万までなら兵を率いられるぞ。」

隣で聞いていたディールがギョッとして俺を見る。そんな驚く必要もないだろうに。

 だが、その反応と、俺の平然とした態度を見て、デファールは二度、三度頷いた。

「承知しました。ところで、陛下はオロバス公の領地に誰を派遣するのです?」

派兵は必要だろう?というような問い。否定はしない。放置するのはあまりよくないというのは間違いない。


 放置して、もしも都市が、土地が奪われたら。俺やデファールは、また取り返せるだろうと踏んでいるが、他は違うだろう。捨てたと思われるのが見えている。

 俺の求心力の低下につながる、避けねばならない事態ではある。

「何もしなくていいだろう。」

「はい?」

だが、俺は、即答した。今誰かを派遣する余裕はない。派遣する気もあまりない。


 だが。派遣しなくても何とかなる。だってあの辺りには、今ペディアがいるのだ。

「半年の暇、という約束が結果的に反故になるのは、正直やるせないが。」

それなら、その分、帰ってきてから休ませればいいだろうと思っている。多少の贅沢くらいはさせてやりたい。

「あいつは、主の領土が襲われていたら放置できない。トリエイデスに指示を出して、リブラに食糧を送らせろ。それだけで、勝てるさ。」

「それほど、信じておられるのですか?」

「勿論だ。」

悩むまでもない。あいつは俺の臣下で、ディールとエルフィ、アメリアの次に仲間になった将軍なのだ。

「むしろ……将校を一人くらいこっちに寝返らせられないかな?」

「手配してみましょう。」

流石にそんな暇があるだろうか。そっちの方が、不安だった。

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