167.これも一つの運命

 エリアスが、無言で立ち上がって出て言った。あぁあ、とニーナは思う。

 あいつに女の話はご法度だ。何度か『赤甲傭兵団』と組んだ傭兵たちがあいつを娼館に連れて行ったことがあるらしいが……泥酔させた何度か以外は、ことごとく失敗した、と聞いている。

 私は色仕掛けには興味がなかったし、何せどうしてもやりたいことがあるから男を作ろうともしなかったが……私の目から見ても色々あるのはわかった。


 うしなった男の目は、わかりやすい。想いが強ければ強い分、誤魔化すのも難しい。

 それでも、一周回ってごまかしが巧すぎる化け物も見たことはあるが……エリアスはそこまで器用な男じゃないことは、私の5年以上の傭兵生活でも明らかだった。

まずくないかい?ペディアはいないと聞いているし。」

彼が暴走するのではないか、という問いに、陛下はあっさり首を振る。大丈夫だ、というように。

「何とかなるだろう。どうせ避けられない。」

どうせ、避けられない。『像』に任命された事実が、私にもその刃を向けてきた。私も、いずれ結婚しなければならない。

「……。」

私が口をつぐむと、誰も言葉を挟まなくなった。エリアスへの対処が思いつかないのは、誰もが一緒らしい。


「とりあえず……誰かある!トリエイデスを連れていけ!」

ペテロっつぅ男が口に出した命令は、誰も動かないという結果に終わった。この部屋の防音性能はそれほど高いのだろうか。

「そりゃあね。神の力を舐めてもらっちゃぁ困るさ。」

ディア様が口にする。思考を読まれたのか、とギョッとした。

「だから、そこの壁にある小窓を開けて兵士を呼びなよ。そのままだといつまでも話が進まないじゃないか。」

そう聞いて、サッとクリスが小窓に近づいた。開けて兵士と、二言三言。


 トリエイデスは何も言う間もなく連れ去られた。まあ、口枷が付けられている以上何をいうことも出来なかっただろう。

「締まらないが……まあいい。ニーナ、お前の次の任務についてだ。」

「あ、はい。」

「お前はビリーと連携して……。」

そうして、アシャト派の謀略は悪質になっていく。




 もう、冬も終わるな、というのは、蕾が膨らみ始めた梅の枝から読み取れることだった。

「雪に守られる戦はもう終わり、だな。」

眼下に写る兄の部隊を眺めながら、ヒリャンは思う。

 砦に拠った戦ではなく、山に拠った戦。山をまわり込まれるとヒリャンとしてはかなり困るが、かといって安易に回り込まれる失態はしないよう、道という道は全て塞いだ。

「半年は粘らせてもらうぞ、兄上。」

一年間、山の中で戦えるとは思っていなかった。だが、既に4ヵ月近い攻防戦をしている。


 粘っていれば、アダット派は、アダットの暴走によって自滅するだろう。それが、ヒリャンの願いだった。


「ヒリャン様。山際まで来た敵兵300、追い返しました。敵被害は20、こちらの被害は11人です。」

小競り合いは何度も起きている。だが、互いに10万以上を擁する軍であるにもかかわらず、その規模は数千の軍での小競り合いかと言えそうなほどに小さい。

「兄上は……指揮官を見繕みつくろっていますね。」

「そうなのですか?」

「ええ。全軍指揮は兄上が握り続けるでしょうが、そうすれば一兵卒まで含めた小規模の指揮まで手は回りません。アダット派の最大の弱点は、そこになるので……小隊規模の有能な指揮官を探り出す方向で、小競り合いをしているのでしょう。」

恐らくだが。ミデウス侯爵家の軍や、一部の協力者を用いて使える指揮官を探し出し、万が一を止めるために保護し、重要な局面で最前線に出すために選別の作業をしているのだ。


 こちらには私以外に、三軍閥の貴族がいる。彼らが抱える私属貴族や、私属貴族の抱える役人たちがいる。

 彼らを中心に戦をしている限り、指揮官の質で劣ることはあまりない。

「使える指揮官はもう私属貴族や役人階級に多いからな。うちはまあ、例外だが。」

フッと顔を出した男が言う。テッド子爵は、魔術陣を眼前で光らせながらそう言った。

「とはいえ、兄も大々的に私属貴族や役人階級を採用するわけにはいかない。だからああして、回りくどいことをしなければいけないのですよね。」

「ああ。お前は政治は管轄外だろう?よくわかるな。」

「流石に、被害報告を見ればどう考えても300人の指揮官の器ではない指揮官がいます。彼らが採用されていれば、この拮抗はそう長く続けられないでしょう。」

だからこそ、今拮抗している事実が、兄の立場……安易に人を組み上げられない『元帥』としての立場を露呈させるのだ。


 だが、それは彼らだけではない。私も、同じだ。

「俺たち四人がいるから何とかなっている、それがお前の主観だろう、ヒリャン?」

「ええ、カンキ殿。指揮官の高さと、手数の多さ。そして守戦に回っていればいいという事実が、兄と私の拮抗を維持できる最大の理由です。」

山に籠り、遠間から石や弓矢を放ち、たまに来る敵兵を倒し続ける。それだけでいい。だから、攻めなければならない兄と比べて、いささか楽だというのは本音だ。


「レッド様は……アシャト様の陣営が整うまでに『王像』を奪い取りたいと思うのだが、それをまなくていいのか?」

「……。」

その問いには、返す言葉がない。私自身も悩んでいるのだ。だが、「兄が」「アダット派として」あの場にいる以上、私以外の人間にここを任せるわけにもいかない。

「あちらがアシャト様の方を向いてくれれば、私は漁夫の利狙いで動けるのだ。」

「だろうな。『護国の槍』を相手に、守戦で辛うじて拮抗しているお前では、デファール殿やエルフィール様には……。」

「皆までいうな、士気が落ちる。」

言葉をぶちぎった。そうしなければならなかった。

「一応、息子のところにやっている部下からの手紙をもらっていてな。」

「は?」

ギョッとして振り返る。何を、と思った。


「息子は『智将』ではなく『砦将』になったらしい。読んだときは一瞬怒りで我を忘れたが、読み進めると同期の『智将』がエルフィール様顔負けの12歳の少女だそうだ。ハハ、家の誇りを守るためなら、そりゃ『砦将』に甘んじるしかあるまい。」

開いた口が塞がらないとはこのことだった。あの、『魔剣と策謀』のネニートが、『智将』になれないほどの化け物が、『王像』派閥にいる、と。

 首を振る。考えたくないことだが、信じがたいことだが!そしてとても重要な情報でもあるが!今、心底重要なのはそこではない。

「お前、息子の部隊に間諜がいるのか?」

「ああ。どうやらコーネリウス様やジョン様たちに紛れさせた間諜は炙りだされたらしいが、うちのはまだ生きている。」

呆れた。空恐ろしい気もした、だが、同時に頼もしいと思った。


「何人だ?」

「10人送って8人斬られた。残りは2人だ。」

流石は、『策謀』を看板に掲げる家だと思う。2人も間諜を残しているのだから。

「とはいえ、流石に早すぎるのが不思議だが。まだ半年近くだぞ。テッド子爵家の名で仕込んだ間諜があっさりバレるとは……専門家でもいるのか?」

自信過剰ではないか、と思わなくもないが。専門家なら、いても不思議はないだろうと思う。なぜなら今は『神定遊戯』。……歴史を少し遡れば、どう考えても不審死で、かつどう考えても暗殺出来ない環境で死んでいる貴族など何人もいるのだから。

「で?本題はなんだ?」

アシャト様の状況が知れるなら。そしてわざわざその話をしてきたと言うのなら、本題はそれを伝えることだけではないはずだ。


「アシャト派は、私たちが戦い続けることを前提に、政策を組んでいる。」

「私たちが攻めこむことを、今は全く考慮していない?」

「そういうことだ。今なら、アシャト派を追い詰めることこそ出来ないだろうが……万全の体勢になる前に、邪魔することなら出来るぞ。」

朗報だ、と思う。だが、問題はどこに、だった。

「決まっている。王都ディマルスから遠く、容易に救援を出せない土地で、かつアシャト派にとって打撃になる場所だ。」

それは、そうだ。その場所は二つしかないな、と思う。


 アシャト派の基盤は王都だが、そこは元よりエドラ=ケンタウロス公爵が治めていた領地だ。そこには手が出せない、こちらから遠いこともあるが……敵から近すぎる。

 だが、アシャト派がアシャト派足るための基盤は実はそこではない。彼らを支援している家は、ケンタウロス公以外に大きなものは二つ。オロバス公と、アファール=ユニク候。

「一番近いのは、オロバスだ。」

「ディマルスからも遠いですし?」

決まれば後は早かった。遠いということは、わざわざ軍を派遣しなければならないということ。軍を出せば、金はかかるし食糧も出さねばならない。何より、開墾含めた兵士たちの分の人手が減る。

「私はフェリス=コモドゥスを使ってみようかと思っている。」

「いいでしょう。あそこが擁する軍は六千ほどだったはず。同規模の貴族を二つ選出して、競わせましょう。何、アダット派は今人選別の最中です、しばらくは動かない。」

「決まり、ですね。それでいきましょう。」


 レッド=エドラ=ラビット公爵令息の派閥。彼らは、アシャト派に攻撃をかける余力をわずかながらに持っていて。

 ネイチャン=フェリス=コモドゥス伯爵軍総勢六千。アピータ=ルードレスト=ナクヴィラ男爵家総勢五千。そして、ブランティア=ミーリス=アディエロイ騎士爵家総勢五千。

 オロバス公爵領の持つ大都市、リブラに向けて、進軍を開始した。




 骨壺こつつぼが、土の中に二つあった。

 二つを並べて、壺の上に剣を置いた。

 陛下から授かる以前、傭兵として戦う中で何度も替えた剣。その最後の一振りだった。

「父上から戴いたこの盾を供えることも考えました。ですが、これは形見。決して離さず持っていたい、と思います。」

孝行とはどういうことか。ずっと考えて、ここまで来たと思う。


 途中、雪が積もって動けなくなったこともあり、まさかここまで三月以上もかかるとは思っていなかった。『超重装』は脱ぎさり、元傭兵時代の防具で駆けた。時には『像』の権限を使い、馬まで借りて四千で駆けてきたのだ。まさか、これほどまでにかかるとは。

 とはいえもうじき冬も開ける。ディマルスに帰るまでは、すぐだろう。

 立ち上がった。隣でわずかにすすり泣く友二人の顔は見ないようにした。男には、見られたくない顔の一つや二つ、ある。


 俺が動けば他も動く。隣の二人ほどではないと言え、傭兵団のメンバーは皆、アデイルと長かった。それ以上に、父と長かった者も、多い。

「父上。私は仕えるべき主を見つけました。名をアシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシア。今代の、『ペガサスの王像』に選ばれた方で御座います。」

父はその言葉を聞いて、どう思うだろうか。出世を誇るだろうか。あまりに天上過ぎて腰を抜かすだろうか。


 もう、10年近く前の話だ。俺の記憶にある父では、どう反応するか、わからない。……もう、あまり覚えていないのだ。

「陛下は俺に、力を与えてくれました。俺を信じ、『連隊長』に任命してくださいました。」

目を瞑る。少しの黙考ののち、俺の想いを、見つけた。

「見ていてください、守っていてください、父上。俺は、陛下の下で、全力で生き抜きたいと、思っています。」

きっと、その道は単純ではない。『皇帝になる』ことを宣言した王の下で働くというのは、そういうことだ。それでも。


「また、来ます。」

生き抜くと決めた。それはつまり、そういうことだ。

 墓石を上に置いた。また来ると言って、この場が次まで残っているかはわからない。風化しているかもしれないし、何かの拍子で無くなっているかもしれない。でも、いい。


 だって、父は。もう、一つの過去なのだ。

「行くぞ、お前ら!まずはオロバス公の領地に向かう。目指すはリブラだ!」

心残りは、もうなかった。




 まさかあれほど雪が降るとは思っていなかった。

 馬車でなければ移動できたかもしれないが、私はさておいて他のご令嬢方は歩き続けるだけの力はなかっただろう。

 幸いにして、『王像』の勢力の端の街にたどり着けたからいいものの。見切り発車もいいところだったのだと、自分の至らなさを痛感する。

「やはり私は、帳簿だけをつけていた方がいいのかもしれません。」

とはいえ、だ。すでに動き出したものを今更戻るわけにもいかない。それは、私だけでなく、ここまでついてきた人間全員が思っていることだった。

「公爵領とはいえ、端の都市では少しばかり長旅に向けた食糧の買い込みは難しいでしょう。ここブラキウムでは、私たちの旅が順調にいかないのは確か。リブラに向かいましょう、皆さま。」

馬車である以上、歩みは遅い。リブラにたどり着くまでに、2週間ほどかかりそうだ。が、ここは『王像の王』配下の都市。そこまで危険はないだろうと思う。


 だから、わたしたちはそこまで焦ることなく旅を再開した。

 リーナ=フェリス=コモドゥスと、数名の貴族令嬢の一団は、戦禍の中心に自ら飛び込みに行った。

 それを知るのは、リブラに到着してからのことである。

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