166.エリアスの諦観
雪が降っても仕事はある。それが、別段雪が降ることはあっても積もることは少ない土地での、農夫の実情だった。
鍬が地面に振り下ろされる。二度、三度。こうしているのが一番落ち着くかもしれない、とエリアスは思った。
雪が肩に触れる。冷たいとすら思わなくなったのは、慣れか、それとも全身を巡るこの魔力のおかげか。
『砦将像』になってから、日に日に体力が伸びていく気がする。……いいや、それは気のせいだと断言できる。私の体力が増えているのは、食事量と質が大きく向上したからに他ならない。
アシャト様は、国庫にある食糧を安価で放出なされている。代わりに監視下で働け、という圧こそかけておられるものの……それでも、アシャト様の下に集った平民たちが素直に慕う程度には、救いの力が大きい。
「とはいえ、あともって半年、といったところでしょう。」
“外交魔商”ビリー=アネストリから支援を受けている。レッド派から盗み取った食糧は、日に日に多くなっている。
ゼブラ公国からの支援を受けた。正確には戦勝国として分捕ったことにはなるが、どちらにせよ食糧を得たことには変わりがない。それら全てを悉く、王は民に開放している。
太っ腹な王だ、という声がある。ありがたい話だと喜ぶ声がある。
そして、偽善だ、と
「偽善じゃなく、政略よ、エリアス。」
右隣で同じように鍬を立てる男の声が聞こえた。彼はこう……少し、苦手だ。
「わかっている。だから、偽善だと思えるんだ。」
政略だと知らなければ、素直に平民たちを同じく王を讃えられただろう、という意味合いが込められた皮肉に、フレイは「わかっているなら十分よ」と答えた。
皮肉が通じないのではない、通じてもそのままの意味で受け止められるのは新鮮で、少しばかり面倒くさい。
「それで?こうやって田畑の開墾に逃げているエリアスちゃんは、どうするの、結婚?」
手元が滑って、鍬が大きく右側の地面に突き立った。チ、と小さな舌打ちを一つ。
鍬の先は
「もう、危ないじゃない、の!」
嫌な予感がして右足を引っ込めた。一秒にも満たない
「あ、あぶな……。」
「やられたら三倍返し、それがニネートの掟よ?」
ウインクが一つ。ゾワ、と背筋に何かが奔ったのは、恐怖か、それとも嫌悪か。
「き、聞いたことはないですが。」
「当たり前よ、今作ったもの。」
「……。」
むかついて睨みつけるが、効いた様子はない。
「それに、エリアスちゃんなら避けられるでしょ?」
「私は野生動物じゃないのですが……。」
不意打ちでくる足元狙いなど避けられるわけないだろう、という意志を目に込める。フレイは我関せずだ。まあ、避けることが出来てしまったのだ。彼の言葉もあながち間違いではない。
溜息を一つ。何か抜けるべき何かが身体から抜けた、そんな感覚を抱きつつ、私は鍬を地面に突き立ててその場から離れる。
農地の合間合間に用意された木に腰かけた。雪が降り続ける暗い空を見上げて思いだす。
昨日、私は。王に、結婚を命じられた。
王が『像』を招集した。それを受けて、私は王の執務室へと向かう。
王宮は迷いそうだ、と思う。この城一つで、1000人以上の人間が働いているのだ。その分、場所も多く取るし……何より国の象徴で、神の象徴だ。
「しかし……掃除が必要なのだろうか?」
王宮の石造りの道には、ほんの一つたりとも塵がない。汚れがあるのは後から敷いた絨毯の類や装飾品だけだ。
むしろその辺の無駄を省けば人手は必要なくなるのでは……?とすら、私は思う。まあ、流石に、味気ないが。
「エリアス様。」
「あぁ、イー。君が案内か?」
「はい。こちらへどうぞ。」
小間使い、というと語弊がある。が、まあ、小姓というべきだろうか。使用人が一人、私を案内しようとしてくれる。
ここに来てもう半年。しかし、私は王宮にはまだ、慣れない。
「場違いだよ。」
ポツリとこぼした言葉に、イーが怒ったように振り向いた。私の内心の劣等感や疎外感は何度か話してしまっている。
「そんなことありません。エリアス様はアシャト王に選ばれし『砦将像』でございます。何ら不足がありましょう!」
『砦将像』という言葉に、指先が動くのを感じた。上手く感情が制御できないせいだ、と心で笑い、穏やかな表情を浮かべる。
イーは私の想いには気づかなかったようだった。気づけば王の執務室の前にいて、扉を五度、叩いている。
「五度?」
「『像』の方が来られた時は五度叩く、というのが倣いだそうです。なんでも、人の選別の為だとか。」
それは面倒な仕組みだな、と他人事のように思う。とにかく、扉は開いて私は部屋に招き入れられた。
「エリアス=スレブ。お呼びと聞き参上
「お疲れ様、エリアス。開墾は順調?」
「ボチボチですよ。陛下も一度鍬を握ってみたらいかがです?」
「それもいいな。書類が片付いたら行くよ。」
それは何年後の話なのですか?という問いを飲み込む。いや、陛下は悪くない。仕方がないと言えば仕方がないだろう。
私を皮切りに、続々と『像』に選ばれた者たちが集まってくる。
ディールは最初からいた。エルフィール様が二番手で、次がデファール様、ペテロ殿。
その後入ってきたコーネリウスは私を見て目を見開いた。足まで止まっている。が、その後入ってきたジョンに背を叩かれて慌てて部屋に入っていった。
全員が揃う。それを見て、陛下がディアの背を二度、撫でた。
「何さ?」
「ニーナをここへ。通達はしたから、急に呼んでもいい場所にいるはずだ。」
「いや、『王像』の王は君なんだから、能力を使うのも君だよ、アシャト。」
何の話をしているのか、わからなかった。隣に座るミルノーの方を一瞥し、その顔をみて聞くのをやめる。わからないのは一緒らしい。
「陛下は『王像』ですから、配下の『像』の力は使えるのですよ。」
反対隣でテッド子爵が呟く言葉に得心が行く。ああ、ディア様の能力だと思っていたのか。
「あ、こうか。なるほど?“長距離転移”!」
その呟きを聞いて、私は伝承を思いだす。ああ、なるほど、私たちの知らない間に、『跳躍兵像』が与えられていたのか、と。
「「跳ぶ」感覚にはなれたけど、「跳ばされる」のはこんな感覚なのか……お、グリッチにエリアス!久しぶりだな!」
急に歪んだ空間、そこから吐き出されるように落ちてきた一人の女。
“放蕩疾鹿”は唐突に、それこそ風のようにその場に現れた……存在感的に。
『妃(予定)』エルフィール。『元帥』デファール。『宰相』ペテロ。『将軍』コーネリウス。
『近衛兵』ディール、オベール、フレイ。『智将』マリア、『工作兵』メリナ。
『砦将』バゼル、エリアス。『連隊長』グリッチ。『騎馬隊長』アメリア、クリス。『魔術将』ジョン、『賢者』レオナ。『兵器』ミルノー。そして、『跳躍兵』ニーナ。
『像』たちが集められた場に、どうしても違和感が際立つ男が一人。
「陛下、なぜ、私たちをここに?」
「俺たちが直面している食糧問題。今、民たちが頑張って土地を開墾しているものの、このペースでは次の収穫までは保たないだろ?それについて、対策を伝えておこうと思っている。」
「対策……ですか?」
「あぁ。結論から言うと、俺たちは盗人になる。……いや、既になっている。」
陛下は、あのネツルの盗賊の討伐、そこで得た食糧がどうやって得られたものか、という説明を始めた。
“外交魔商”ビリー=アネストリの協力込みで、レッド派の貯えをニーナが移動させ、ネツルに移し続けていた、という話をだ。
知っていたのだろう。ペテロとデファール、マリア、ディール様とエルフィール様は無反応。だが、他の面々は大きく動揺した姿を見せている。
「それは……王のやるべきことではありません!」
「では、みんな揃って飢え死ぬか?それとも食糧問題の弱みを見せて、アダット派かレッド派に食糧を要求するか?……出来ないだろう?」
コーネリウスの反論に即座に返事をする陛下を見るに、予想していた問答だと窺える。全く、自分がここにいる意味は何だろうか。天井の裏で、『跳躍兵』ムルクスはわずかな呆れを飲み込んだ。
疑問は存在感の表出に繋がる。自分は今隠れているのだ。若干二名ほど存在に気付いているのが見て取れるが、そんなことは些末なことだと思い込む。
きっと主は、『像』の仲間なのだから情報共有はするべきだろう、とか後で
もう一度言うが、場違いな影が一つだけあった。ネツルの盗賊の長だった男、トリエイデスが、『像』たちの会議に呼ばれている。部屋にある隠し扉に縄で縛られ放り投げられていることから、彼にも役割はあるのだろう。
……その姿を認識できる隠し通路内に息を潜めていることを考えれば、ムルクスの役割はソレの監視も込みなのだ、ということは流石にわかる。
「で、だ。傭兵たちがレッド派への潜伏に成功していることを受けて、ニーナには別の用事をしてほしいのだ。だから、こいつを使うことにした。」
話が傭兵たちの恭順に移り、そこから彼女の仕事の切り替わりが求められる。
まあ、間違いないだろう。彼女の役割は、戦場での働きだ。彼女が一人指揮官を討てば、後々アダット派と戦う時楽になる。
そこまでムルクスが考えたところで、隠し通路への扉が開かれる。『像』に伝えても問題ないという開き直りか、それとも『王像の王』でなければそこは開けない仕組みなのか。あまりに無造作な扉の開け方に不安になる……いや、後者はないか、と考える。
何かが投げ入れられたのを受け止めた。陛下め、バレそうなことを……と少し恨む気持ちで受け取ったものを見る。
おにぎりだった。ご丁寧に焼いてある。息を潜めている人間に食えというのか。
呆れと共に息を吐くと、下の動揺が伝わってきた。
「こいつを『糧食隊長像』にする。盗賊として世に放ちなおし、アダット派、レッド派双方の輸送部隊を襲わせる。大量の食糧を奪わせ、それを『討った』という形で俺たちの軍に収容しなおし、食料を得る。不満は?」
「……。」
動揺は収まった。コーネリウスは不快感を顔に出しているし、私も正直受け入れがたい。
が、飢え死ぬのは論外だとわかる。ゼブラ侯爵に貸しを作りすぎないためにも、彼らから下手に食糧供給を受けるのは悪手だということは、なんとなく察した。
「不満は、ありません。何より、勢力として劣る我々が取れる手段としては、間違っていないと思います。」
マリアが言う。追随するように、ペテロとデファールが賛同した。ペディアなら何と言っただろうか。
「何より、狙うのは輸送部隊だけなのですよね?」
「勿論だ。徹底できるよう、トリエイデスには枷を付ける。」
「それは?」
「スティップをこいつの護衛につける。トリエイデスが農民を襲おうとした場合、力技でねじ伏せる役割を持たせる。」
それを聞けば、何とも言えない。スティップ=ニナス、ギュシアール=ネプナス老師と共にこちらの陣営に転がってきた男。彼は……確かに、トリエイデスよりは強い。
それに、とエリアスは重ねる。輸送部隊を襲って食糧を得る、というだけなら問題はあるまい。農民に被害はいかない。輸送部隊を襲うということは、つまり兵士の胃に入るものが減るというだけ。
それは……兵士が農民であることを考えると止めたいが、戦争のやり方として王道だ。
たっだ、コーネリウスや貴族たちだけが、ほんのわずかな嫌悪感を出しているだけだった。
「決まったな。ニーナの次の任務に関しては後で話すとして……エリアス。」
「はい?」
『像』同士の会議とはいえ、自分に会話が回って来るとは思っていなかったから、驚く。顔を上げると、陛下はわずかに苦みを含んだ笑みで言った。
「カリン=エドラ=ゼブラ嬢と結婚してほしい。俺が、エルフィとの結婚式を終えた後で。」
「……は?」
それは、私にとってはあまりにも唐突な話だった。
『砦将像』に平穏はない、というのが通説だ。
『神定遊戯』が起きれば、たとえ内心で神の力を利用した平穏を望んでいたとしても戦争は起きる。
なぜなら、『神定遊戯』が、それを起こす『神の使徒』が望むのは六国の統一。三国の統合によって『皇帝』が生まれるが、『神定遊戯』の最大の目的はそう、『六国の統一』なのだ。
である以上、「『王像の王』は神の望みに忠実である」という建前を成立させるために、戦争は起きなければならず、攻め込まれる国土の最前線にいるのは、必ず『砦将像』である。
「エリアス。エドラ=ゼブラ候の領土はヒュデミクシア王国に接する一大領地だ。あの国は必ず他国に手を出す国で……ペガシャールは過去全ての『神定遊戯』において、ヒュデミクシアに攻めこまれたという歴史を持つ。」
1000年の間。あの国が攻めてきた回数は、5度や10度では効かない。土地が占領されたこともある。それどころか、王都ディマルスに迫ったことすらある国だ。
「その最前線に、お前を配備するつもりでいる、エリアス。」
何度も歴史を教わった。自分たちがどこに攻めこみ、どこに攻められたか。どういう戦績になったのか。
ペガシャールに隣接する国は、3つ。南にグリフェレト、南西にドラゴ―ニャ。
そして、西に、ヒュデミクシア。
「ヒュデミクシア王国と戦う『砦将像』として、そこに住まう兵士や貴族を従えるだけの『家格』が欲しい。受けて、くれないだろうか?」
問いかけ。命令という形ではなく問いかけという形を持ってきたこと、そして何より陛下の、罪悪感がにじみ出るような表情と説得内容から、察した。
その内容は、陛下が決めたのではない。カリン嬢が陛下に持って行ったのだ。そして、陛下も断れるだけの理由がなかった。
目が、滲んだ。滲んだ視界の内側に、リューの姿が見えた気がした。
その表情は見えない。わからない。進めと言っているようにも、行かないでといっているようにも思う。
前者は彼女の願いだ。後者は私の願いだ。わかっている。幼馴染の妻が、私に何を望んでいるかくらい、私はわかっている。
バタン、という扉の音で我に返った。振り返ると、王の執務室の扉がそこにあった。
「どうしたんですか、エリアス様?」
イーが心配するかのように声をかけてくる。それで、察した。まだ会議は終わっていない。
戻る勇気はなかった。立ち尽くすのも、無理だった。
気づけば私は、地を蹴っていた。
思いだしたら少し情けなくなった。気づけば逃げていたのだから。
「容赦なく言うけれど、『像』なら結婚は避けられないわ。何があっても。」
フレイが隣に座り込む。わかっている、という言葉は、低い唸り声のようなものに成り果てていた。
「カリンちゃんのこと、嫌いなの?」
「ちゃんづけするほど彼女のこと知っているんですかあなた……。」
「知らないわよ。でも年下だし、恋する乙女はみんなちゃん付けでいいのよ。」
「意味がわかりません。」
やっぱり力が抜ける人だ、と俯いた。だが、彼でよかったと思う。今なら、クリスが相手でも……いや、クリスが相手だったら余計に、力が抜けなかった気がした。
同じ『像』とはいえ、事情をよく知らない赤の他人の言葉だからこそ、まともに会話になっている。
「クリスは「何もかけられる言葉がないです」って言っていたわよ?」
「なんでわかるんですかね?」
「で、返事は?」
好きか嫌いかの話だとは分かった。それに対する返答は、ある。
「好きですよ。」
「うーん……わかった。質問を変えるわ。」
人としては好ましい方だ、という意味を込めて言う。自分を好いてくれるのは知っている。嫌いになる理由は、ほとんどない。
何より、鎌術を「綺麗」といってくれたのは嬉しかった。その一つで、好きになるには十分だ。
だが、そこに結婚相手として、という意味が込められていないのはバレバレだったらしい。フレイはなんというか、面倒そうな息を吐きだすとその通りに質問を変えた。
「『像』が結婚を求められるのは、子を産むことが求められるからよ。エリアス、あなた、カリンちゃんを抱ける?」
動揺しなかった自分に、驚いた。抱けるか、と問われれば、行けるだろうと思う。多分だが。
リューだけを愛していたいと願っているからといって、性欲まで消えたわけではない。
「なら、受けなさい、エリアス。好いてくれてすらいない相手と義務的に結婚するよりは、好いてくれている相手の望みを叶えるための結婚と考えた方が、あなたの負担は少ないわ。」
「それは、カリン様に失礼でしょう。」
「どのみちあなたは失礼な結婚しかできない。ならマシな方を選びなさいと言っているの。結婚しないという選択肢だけは、私たちにはないのだから。」
出す言葉もなかった。否定する言葉が何一つ出なかった。
フレイの言うことはどこまでも正論で、なんというか、自分の屑っぷりが露呈するような感覚だった。
だが、それでも。私に結婚しないという選択肢だけはない。誰かを愛して結婚するのは、時間がきっと、足りない。
「わかりました、受けると陛下に言います。」
「私が伝えに行ってもいいわよ?」
「いいえ、それは……私の責務でしょうから。」
立ち上がる。空を見上げた。
「……もうすぐ、春ですね。」
雪が止んだ。まだ、冬だが。それでも直に春になる。
空はまだ、光が届かぬほどの曇天のままだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます