165.援軍の将

 負けた。クシュルの胸には、その想いが満ちていた。


 あの戦から早5日。アダット派の陣営は、重い空気に満ちている。

 実のところ、軍自体の被害はほとんどない。あの奇襲戦はほとんど小競り合いに近いものだ。10万をこえる軍隊を擁し、後方にさらに数万規模で予備を保持しているアダット、レッド両派の戦争で、たった二千余りを用いただけの局所戦で出る被害などたかが知れている。


 だが、内容が問題だった。兵士たちに与えた心象が最悪だった。

 負けて帰ってきた兵士たちの暗い表情、雰囲気、何より血に塗れた足と、雪が溶けて濡れた上半身の対比が、帰還を見ていた兵士たちの心を激しく揺さぶったのは、わかる。

 緘口令かんこうれいは敷いた。が、そもそも他の兵に口を開く気がない出陣した兵士たちの空気は、何も言わなくともその戦争の鮮烈さを物語っているのだろう。


 クシュルが指揮する全軍の空気の重さは、日増しに上がっていっていた。




「兵士を総入れ替えするべきだと進言いたします。」

ベネットが天幕の中に入るや言う。そうだ、このままではまずい、と思いつつ……しかし、クシュルは頷けなかった。

「王太子は、如何する。」

王都に戻れば。地獄を見て心が折れた兵士たちを交代するとアダットに伝えれば、奴が何というか。クシュルもベネットも知り尽くしている。ゆえに、兵士たちを入れ替えるという決断を出来ないのだ。

「しかし、このまま放置は士気に関わります。戦わずして敗北なさるおつもりか。」

「否。」

即座に否定する。だが、言葉が続かなかった時点で、手がないこともまた明白だった。


「なら、殿下にお伝えしなければ、」

「我を、誰と存じる?」

「……『護国の槍』、ペガシャールの軍神、ミデウス侯爵であらせられます。」

対外的な事情、対内的な事情、どちらを見ても許されない。主に対する虚偽は、彼には許されていない。

 

 天幕の中が一様に沈黙する。詰みといっても過言ではなく、しかし彼らは心の底から何とかしたいと思っている。

「それなら、心の折れた兵士は俺が引き受けてやってもいいぜ。」

ふと、天幕の外から聞こえるはずのない声が響いた。将校皆が揃ってそちらに顔を向けると、いかにも軽薄そうな表情をのぞかせる男が一人。

「なぜ貴殿がここにいる。」

「そりゃ、援軍に来たからさ。」

肩まで届かぬ黒髪を弄りながら、余裕綽々といった顔で青年が言う。笑うしかないようなタイミングだった。狙ったような登場の仕方だった。


 だが、同時に、クシュルが心底助かるようなタイミングで現れた青年だった。

「アルス=ペガサス公爵軍の名代は既に来ている。貴殿は名代ではない。」

「……あんたの指揮を隣で見るために来たんだよ。俺は、アルス=ペガサスだからな。」

その言葉は、ペガシャールにおいてとても重要な意味を持っていた。クシュル、現国王にのみ槍を捧げているクシュルですらも、無視しきれないほどの。


 わずかな逡巡。その後、

「承知した。然らば、我が部隊はアルス=ペガサス公爵次男の軍に編入する。以後の取り扱いは彼の一存で取り扱うものとする也。異存在り哉?」

渡りに船だと、クシュルは思う。いいや、そう思い込むしかなかった。


 アルス=ペガサス公爵家。ペガシャールにおいて、おそらく唯一、初代の頃から確実に現存する、王家の末裔である。


「当主様から軍をいただいたのか?」

「いいえ、ハンス=メーディル=メディアス伯爵殿。これは俺の私兵です。」

「私兵、ですか?」

「ええ。実力は保証しますよ。その数、2000。」

ギョっとしたように、ハンスと呼ばれた男は目を見開く。アルス=ペガサス公爵の名代として彼が引き連れてきたのは、主に与えられた軍2万。だが、その九割以上が徴兵だ。


 私兵2000を連れてきた。つまり、彼はそれだけの私兵を己が手で養っていることを意味する。

「『放浪息子』がなぜ、」

「俺、放浪していても放蕩しているわけではねぇから、さ。」

その問いは予想済みといわんばかりの返事。その流れを強引に断ち切って、クシュルは言った。

「では、貴殿は我が隣に立つか、パーシウス=アルス=ペガサス。」

「勿論!あなたの隣で、用兵の妙を教えていただきたい!何せ俺はこれから、アルス=ペガサスの軍事を担って立ちたいからね!」

その意図を、その望みを、クシュルは凡そ理解した。その上で……頷く。

「可能な限りのことは伝えんと欲す。援軍、感謝する也。」

彼にしては珍しく。感謝の意を、伝えた。




 私兵が、二千人。これは実はとんでもないことである。

 費用が?違う。それは確かにあるが、とはいえアルス=ペガサス公爵となれば『公爵家』というだけでそれをまかなう費用は用意できなくはない。

 数が?違う。ペガシャール帝国で、現在用いられている兵は、アダット派12万に予備20万、レッド派15万に予備22万。アシャト派ですら、旧ゼブラ公軍除いても頑張れば10万ほどは動員できる。二千人は大した数字ではない。


 だが、『私兵』が二千人ともなれば、話は変わる。これは、ペガシャール全体を見てもそういない。

 なぜか。それはペガシャールが用いる兵士の仕組みにある。


 ペガシャールはその軍兵の数の九割近くを、徴兵によって補っている。万単位で兵士を運用するのが平然とできるのは、女性を除く国民の総数を実質兵数として数えているからだ。

 対し、私兵は違う。いわゆる『職業軍人』。騎士や戦士と変わらない、いわゆる『武』を金に変えている者たちである。

 ……『私兵』が『武』を金に変えるのなら、『徴兵』は『数』である。何万何十万と兵士を用意して戦う国は、原則徴兵による軍兵組織を用いていると思っていい。ペガシャール、グリフェレト、ドラゴ―ニャ、フェルトの四国は基本的にこの『徴兵制』を用いている。


 フェニクシアはその『像』の特性上、徴兵にあまり利はない。一部の優れた騎士だけで戦うことが最も戦力的に有用であり、彼らは『騎士』制を採用している。ヒュデミクシア?あれは考慮に入れる必要すらない。生まれながらにして男女構わず皆戦士である。


 私兵が二千。それは、いくら公爵家とはいえ、次男が持つには多すぎる数である。どういう理屈で抱えているのか。それを追求したい貴族は多く……その筆頭が、アルス=ペガサス公爵の名代、ハンスであった。




「どういうことですか!」

援軍が来た。その報せを受けて、気持ちが沈んでいた兵士たちが感謝に沸く中、新たに建てられた天幕の中でハンスが叫んでいた。

「どうもこうも、こういうことだよ。」

「お父上は、あなたに私兵を持つ許可を与えていないはずです!」

「そうだよ。これは俺の独断で、俺の手で作った俺の私兵だ。親父の金魚の糞に何か言われる筋合いはないね。」

「いいえ、言わせていただきましょう。あなたはアルス=ペガサス公爵家を侮辱しているのですか!」

当主の命令なく、独断で秘密裏に組織された私兵、となればそれは侮辱と変わりない。アルス=ペガサス公爵当主を全面的に無視している、というのと大して変わりないからだ。

「いいや、侮辱はしていない。親父は俺が私兵を作ろうが女を作ろうが子を設けようが興味がない、違う?」

「ぐ、……それとこれとは」

アルス=ペガサスはアダット派についている。アダットに勝利をしてほしいと願っている。その支援のため、彼は基本的に王都にいて、ゲリュンと共に様々な策謀を巡らせている。


 基本的に、領地に帰ってくることのない彼は、アルス=ペガサスの管理を長男であるピネウスに任せている。

 八男をアファール=ユニク子爵の義勇軍に放り込んだように、時によって子供たちに指示を出すことはあっても放置することが多く……はや25歳になる次男、パーシウスに対しても、無関心を決め込んでいる。

「俺はやりたいようにやっているだけ。それに、アダット派の陣に参陣した以上、アルス=ペガサスをないがしろにはしていないと思うよ?」

「ですが!」

「立場に気をつけろ、ハンス。。」

「……まさか?」

ちょっとばかり強く主張した部分に、ハンスが反応する。だが、それを彼は首を振って否定した。


「惚れた女を人質にされて、逆らう男がいるものか。俺は何もしないさ。」

複雑怪奇な表情で黙り込むハンスを尻目に、パーシウスは盃に酒を注いで流し込む。

「面白くはない。が、クシュル殿の指揮を身近で見ることが出来る機会はそうそうない。今こそ俺は俺を磨くときだと、そう思った。」

「……?」

「公爵家の誇り、さ。」

ウインクを一つ。その姿に二歩ほど下がりながら、ハンスは相手を睨みつけた。

「私兵のこと、報告させていただきますよ。」

「構わない。俺がこの軍に参戦している限り、命令無視を咎めることは出来ないはずだ。違うか?」

「……。」

否定は出来ない。何があろうと、パーシウスはアダット派の中で戦う限り、父や兄と同じ方向を向いていると言っても否定は出来ない。


「失礼いたします。」

ハンスは足早に天幕を出る。怒っているように見えて、アレは実に冷静だな、とパーシウスは思った。今でなければ、彼は出るタイミングを見失うところだったろう。


「俺の野心に気づいていても、俺が身動きできないのを知っているからこそ排除も出来ない。フフフ、思う存分悩むがいいさ。」

パーシウス=アルス=ペガサス。アルス=ペガサス公爵家次男。

 アダット派とレッド派、エドラ=アゲーラ王家とエドラ=ラビット公爵家のしょうもない戦いに入り込んだ一滴の英傑は、これからのペガシャールの動向に大きな波紋を呼ぶことになる。

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