144.戦の前の準備

 山が、見える。川が流れている。木々に葉はなく、冷たい風が吹き抜けていく。

 ネツルの山についたのは、もう冬に入ってかなり経った頃。……出陣時点で冬に入っていたのだ。いきなり春になるわけでもなし、当然と言えば当然だ。

「雪が積もっていないのは助かりますね。」

マリアがポツリと呟いた。積雪した山に麓から攻め込む……確かに意図せぬ災害が起きる可能性があるのはいただけない。

「マリアは冷静だな。」

「たかが盗賊のアジト、とまでは言いませんが……大規模な軍ではない。なら、そこまで緊張したりもしません。」

「そりゃどうかなぁ。なぁんか嫌な予感がするぜ、兄貴。」

マリアの断言に、被せるようにディールが言った。いやな予感。ディールの勘はよく当たる。


「……舐めてかかるのは下策らしい、マリア。敵にそれなりの将校がいることを想定して戦おう。」

「……うん。わかった。」

納得していないような顔。でも、マリアは俺を見て、ディールを見て、もう一度俺を見た後に、頷いた。俺がディールを信頼していること。それを、マリアはよくわかっている。

「とはいえ、山攻めするとなると、取る策もあまり多くはありません。最前線でエルヴィン卿に1万五千の兵を率いていただき、後詰にシャルロット様。コリント伯爵は最後尾。陛下はコリント伯爵の陣にいていただきたいです。」

「無理だ。何がといって、エルヴィンに一万五千の兵を率いる指揮力はない。」

「……そうでございましたね。ですが、そうなると、コリント伯爵か私が最前線に出ることになりますが。」

「ディール。」

「おう、マリアとメリナの嬢ちゃんを守ればいいんだろ?いいぜ。」

実にあっさりと話が進んでいく。やはりもう一人か二人、連れてこればよかったかもしれない。……相手によるが、今のマリアに戦場での指揮は早い気がする。


 確かにマリアは才能がある。優れている。だが、デファールもエルフィも、「自分たちに追いつけるのは五年以内」と言ったのだ。それは言い換えれば、今のところマリアはあの二人に及ばない、という意味だろう。

「……死ななければ大丈夫か。」

ディールなら、確実にこの二人は生きて帰す。だったら、そこまで気にしなくてもいい。負けたとしても、敵は盗賊で後詰にはシャルロット。壊滅する憂き目にあったとして、それは兵士のほとんどを失うことにはならないだろう。


「決行は明日だ。気張っていけよ、マリア。」

「はい!!」

ネツルの山の盗掘王。そこに集められた、レッド派やアダット派の食糧の確保。


 負けるわけにはいかない戦だ。

 



 指示を聞いた時、妥当だろうと将校たちは思った。

 シャルロット然り、ジョン然り。陰で控えるムルクスもまた、マリアとアシャトの采配に問題を感じなかった。

 何か拙いかもしれないと思ったのはディールとオベールのみである。同時に、その嫌な予感の正体がわからず、結局何も言えないことも悟っていた。

 もしもマリアが『エンフィーロ』の存在を知っていたなら、マリアは彼らに斥候を頼んでいただろう。並の斥候とは次元を画す『エンフィーロ』の密偵技術があれば、ガチガチに見張りで固められた砦の内部でも侵入し、多くの情報を収集できた。

 彼らがいれば、そこには“盗掘王”のみではなく“黄餓鬼”が……『黄飢傭兵団』がいたことを知れただろう。知っていたら、マリアは別な指揮をしていた。具体的には、山登りの戦ではなく最初から野戦になるように仕向けていた。


 王と『像』の間での情報収集の不足。そして、マリア自身の致命的な欠陥の影響。……そう、経験不足。


 未だ芽生えぬ才能の種は、今、ここに。




 ギャオランは山の下に布陣する国の軍を眺めていた。

「ズヤン。あれは、強そうだな。」

「そう思われますか?」

「ああ。これまでぶっ殺してきた貴族連中の軍隊と比べても、頭二つくらいたけぇ。」

「では、“白冠将”の傭兵団と比べたら?」

「ありゃ指揮官の質が異次元すぎるだろ。『護国の槍』と“並槍馬へいそうば”と肩を並べる総大将がいる傭兵団なんて、どれだけ低質な兵でも強くなるわ。」

比較対象になりやしねぇ。忌々しそうに吐き捨てられた見た目浮浪者の言葉は、苦いものを吐き出すような顔をしていた。

「……そういう問題ではなく。」

「わぁってるよ。軍としてじゃなくて隊としてっつぅ意味だろ?んじゃ、ミデウスの旗とコリントの旗。あと、やたら少ないくせに化け物ぞろいに見える50人。あいつらは“白冠将”に並ぶ。」

見下ろす敵は強い。“黄餓鬼”ギャオランにとって、目に見えるほど明らかな事実。だが、だから戦を止める、なんて思考をするほどギャオランは理性的な人間ではない。


「だが、敵は貴族だ。貴族の軍だ。殺す理由には、十分だろう?」

「……相変わらずですね、ギャオラン様は。」

「ズヤン。お前ならどう動く?」

「……。敵将を一人。」

「そうか。いいぜ、やれよ。お前の好きにしろ。ただし、戦え。」

降伏は許さない。絶対に闘え。ギャオランが抱く貴族への憎しみは、戦う限り味方に牙を剝かない。それを。ズヤンはよく知っていた。


「では、私は総指揮に。」

「俺は前線で暴れさせてもらうぜ?」

「お好きにどうぞ。」

『黄飢傭兵団』は、特殊な傭兵団だ。……いいや、傭兵団という定義を考えれば、普通の傭兵団かもしれない。


 力こそ、全て。傭兵団の中で一番強いギャオランが、団長として君臨する。そして、その知恵袋たるズヤンが、全部隊の指揮を執る。

 ギャオランが従えと言えば、全傭兵が従う。そういう意味でギャオランはカリスマと言える何か……圧倒的個人の武を持っている。それはペディアともグリッチとも違う在り方。


 『赤甲傭兵団』はディーノスのために存在し、『青速傭兵団』はゼブラの手によって作られた傭兵団であるのに対し、『黄飢傭兵団』はギャオランの手によって作られた、ギャオランの為の傭兵団である。

「いいねいいね、王を殺せる。素晴らしい。」

ギャオランに、『王像』の王と他二人の『王像』候補の違いなど判らない。わかるのは、それが貴族であり、王族であるということ。そして、ギャオランには、それで十分だった。

「殺す。何があっても、貴族は殺す。」

斧が唸った。とっくに黄ばみ、ところどころ解れた服を風にたなびかせ、黄ばんだ歯を見せながらギャオランは笑む。


 憎しみはとっくに信念へ変わった。例え誰から非難されようと、彼は戦場に立ち続ける。

 貴族軍討伐専門の傭兵団、その団長として。




 相変わらず、物資は増えている。

 全く、と溜息。いくらなんでもこれだけ食糧を奪い取ればバレておかしくないだろうに、なぜ気づかれていないのか。トリエイデスは貴族たちの管理意識の低さに呆れかえっている。

 ちなみに。レッド派は買った物資をビリー=アネストリに一時預けている。その隙にいくつかかっぱらっているだけだということは、トリエイデスは知らない。

 ぶっちゃけ盗賊よりよっぽどあくどいことをしているのがアシャト派だ。そんなの、彼らは知らなくていいことだ。……だが、これを見れば、トリエイデスにもわかることはある。


 これだけの物資を運び込んだ。その上で、この山へ攻め込んできた。

 つまり、敵に撤退の二字はない。

「戦うか。お前ら、行けるな!!」

「応!!」

賊たちが勢いよく答える。士気は上々、これならトリエイデスも、本分を果たせるというものだ。


 女たちが男にお守りを渡す。それは首飾りであったり、髪であったり、色々ある。……この戦で死人が出ることを、女たちもわかっているのだ。そのうちの一人が自分の夫ではないことを、彼女らは必死に祈っている。

「ままならないな。」

その約束は出来そうにない。敵は強大だ。……『像』という名の神の力。敵が用いて来るのはそれなのだから。

「野郎ども!出陣だ!」

剣を取る。周辺に、明らかに盗賊ではない風貌の一隊が付く。


「……そこまでするのか、ズヤン。」

呟く。その言葉は虚空に消えた。


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