143.ミデウスの娘
グリッチ=アデュール=ゼブラへの、『連隊長像』就任は、あっさりと決まった。そして、実にあっさりと決行された。
それに関して、シャルロット=バイク=ミデウスは何一つ思うところがない。そもそも彼女は、父に言われて『像』取得を目指しているものの、本気で『像』を目指す意思はない。
……少しだけ、『護国の槍』という家の話をしよう、『護国の槍』というのはミデウス家に与えられた称号の名であり、彼らを司る槍の名前である。
この家は代々元帥を輩出する。それは、『元帥像』を輩出するという意味だけではない。必ず、当主は「元帥」という役職に就くという意味である。
そして、この家にはもう一つの特異性がある。先の「元帥に必ずなる」という特性と合わさって、『護国の槍』一族は、長男から三男まで、徹底的に戦略と戦術、武術と過去の戦争記録について叩き込まれる。……言い換えよう。貴族として、政治政略について学ぶことが全くといってもいいほどない。
いくら金のある貴族といっても、軍事政治すべてを十全に学び、完璧であるなど不可能だ。時間が足りない。
ミデウス侯爵家の特権。それは、領地経営他に関わる政治的問題に関わる学習を何もしなくともいい、というものだ。……これを本当に「特権」だと思える者は普通いない。よほどの頭お花畑でなければ不可能である。
「貴族として生きるために必要な礼儀作法と、生存のための政治戦略を学ぶ時間を斬り捨ててまで軍事について学ぶ」という単純な事実が、ミデウスという家の異常な教育の全てを語っている。
だが、この在り方は根本的に大きな矛盾を抱えている。なぜなら、政治が関与しない戦争などないからだ。
なぜ敵国が攻めこんできたか。なぜ貴族が反旗を翻したか。理想の勝ち方は何かという、大きな視点の話は序の口で……この部分は、ミデウスにあまり関係はない。『神定遊戯』という儀式において、基本的に防衛を前提とする『護国の槍』は、完全勝利だけを目指していればいいからだ。
だが、それ以外は違う。どれだけの兵力を率いていくか、そのときの食糧はどれだけ必要か、どの経路で補給するか、そしてどこから工面するのか。それは戦争の領分ではなく、政治の領分だ。
だが、戦争の為には、絶対に必要な政治の領分である。
食糧だけではない。武器もそうだ。魔術陣を記述するための墨もそうだ。軍馬、そのための秣、戦車、将兵の補充ですら、軍部の領域でありながら政治の領域なのだ。そして、戦争特化の『護国の槍』ではその領分を管轄できない。
国内の反発。その時点での貯蓄。時期に合わせて、国内で必要な農夫の数。それに合わせた兵の補充。将来的な税収。それらを鑑みて、戦争の期間まで考えながら政治をするという部分に、まったく手を出せない戦争屋では、勝てる戦ですら勝てなくなる。
そのため、『護国の槍』一族では、絶対のルールがある。長女以降の子女、及び四男以降の男は、政治を……軍事行動を前提とした政治について学び、その領域を担当する、というもの。だからこそ、長女……シャルロット=バイク=ミデウスもまた、政治を学んだ。
彼女の本分は政治家である。彼女が学んだ知識は、子供の頃になされた詰め込み教育は、ほとんどが政治に関するものである。
だが、軍の為の政治である。戦争のため、戦争で勝つための政治について学ぶわけで……当然、軍事についても『護国の槍』においての多少(つまり一般貴族の基礎以上)は学ぶ。なんなら実地演習するし戦の指揮についても学ぶ。
その中で。シャルロット=バイク=ミデウスは、明確に『将才』を見せた娘だった。
ここで話を戻そう。シャルロットは、『像』になれなかったことを微塵も悔しく思っていない。興味はない。
悔しがっているのは兄コーネリウスだけだ。そして、妹としては兄の気持ちはわかるつもりだ。
兄は、『護国の槍』が元帥落ちしたことを、恥としている。他と比べて能力が落ちることではない。『護国の槍』の歴史に傷がついたことを恥じ、代わりに一族から二人もの『像』が出たことを当てようとしているのだ。
「仕方がない節はあるのですが。」
エルフィールが化け物過ぎるだけで、実際のところコーネリウスの『護国の槍』としての才能は普通だ。それは即ち、一般的には間違いなく天才であるという意味である。兄は上を見すぎるがゆえに苦しむ羽目にあっているのであって、彼はもっと下を見るべきだった。
「そもそもにして、三派閥内乱なんてことになっていなければ、『元帥像』の役割はデファール様ではなく父上だったでしょう。そして、デファール様は『将軍像』か『智将像』であったはずです。」
要は。この事態そのもの……『王像』派閥とアダット派閥、レッド派閥の三派にわかれていることがおかしいのであり、三派にわかれていなければ『護国の槍』は元来通りの立ち位置にあった。
疲れた、そう言わんばかりに息を吐く。シャルロットは確かに、将としての器はある。だが、彼女自身としては、出来れば戦場に出たくはなかった。
視線の彼方に、コリント伯爵の軍がいる。その規模は小さい。盗賊の討伐に、十万規模の軍は必要ない。総員3万名近く、それが今回出ている兵の総数で……うち五千がミデウス、五千がコリントの軍だった。
「よくやるわ。」
イチャイチャしているように見える、コリント伯の当主とその客人。ジョンとレオナを見ながら、ため息が止まらない。
カリン嬢はエリアスにお熱と聞く。恋愛結婚大いに結構、とも思う。
とはいえ、シャルロットは貴族の娘だ。政略結婚の重要性も、よくよく承知している。元よりミデウスの長女として、私属貴族の誰かと結婚する予定だった身。こうして貴族が恋愛にうつつを抜かしているのを見ると、それはそれで呆れの十や二十は出ようというものだ。
「はぁ。」
呆れたといえば、隣を歩く男もである。何度見ても、凡人だという感想しか、シャルロットは抱けなかった。
「どうして私と隣だっているのでしょうか、陛下。」
「何、配下と話すのも必要なことだろう?」
『像』候補ともなれば、なおさら。そう言う王を目じりに捉えつつ、どうしようかと迷う。
相手は国王だ。無下には出来ない。だが、あまり話したくもない。嫌悪とかではない、単純にその気にならないのだ。
「……。」
「気が乗らない、か。すまぬ。」
陛下に頭を下げさせた。その罪悪感が、貴族としての体面が、シャルロットの身に突き刺さってくる。
「心から言っているのがわかる分、始末に負えません。」
つい、口に出る。瞬間、陛下は呆れるほど無邪気な笑顔を見せてきた。
「すまぬ。」
あぁもう、とシャルロットは頭を振った。どうしてこんなのが王なのか、という問いと共に、こうだから王なのだという納得が起きる。
「本当に、もう。……陛下は何をお聞きになりたいのですか?」
「君は……どうせやらかした後だ、取り繕うことはなしで行くが……君は『像』に拘っていないだろう?なぜだ?」
「……。陛下は、私と戦えば、負けると思いますか?」
「俺は人の武の強さを見極められるほど強くはないからわからないが。『護国の槍』の一族であるからには、俺よりは強いのではないか?」
そういう感想になるだろう、とシャルロットは思う。だが、違う。
「私の本分は政治家であって、武人ではありません。私は、おそらく武術で相対すれば、訓練した兵士より弱いでしょう。」
致命的な欠陥。シャルロットが戦場に立ちたくない理由は、そこにある。
「私は指揮官として優秀でしょう。ですから、将となる分には問題は起きません。ですが、私自身は弱い。護衛が必須な指揮官となります。」
だから、クシュルはシャルロットに、『戦車将像』になれと言った。他の『像』と比較して、安全だからだ。
生身で戦うことに変わりはない。最前線で戦うことにも変わりはない。だが、他のありとあらゆる将校と違う点は、戦車の戦争に一騎討ちはないことだ。騎馬隊より速度は落ちるが、騎馬隊以上に上昇した質量で敵を押し潰す。それが戦車元来の戦法であり、そこに将校自身の戦闘能力は必要がない。
クシュルの判断は、正しい。戦術の、指揮官の才能を開花させ、しかし戦闘能力がないに等しいシャルロットがなるべき『像』は、戦車以外にあり得ない。
「かといって、弱いことが許されるわけではない。か弱い女性が戦場に出ることのリスクは、陛下も重々承知でしょう。」
先のカリン嬢の事件は、何も珍しい話ではない。戦場にいる以上、それは起きて当然の事態だ。
「……ふむ。なるほど。」
『像』になれと言われたら、拒絶はしない。シャルロットの、今のミデウスの立場では、断れない。むしろコーネリウスは嬉々として受け入れるだろう。
それでも、シャルロットは『像』になる気はなかった。ならずに済むなら、そうしていたいと思っていた。
「受け入れよう。少し考えさせてくれ。」
意外と言ってみるものだ、とシャルロットは思う。まさか聞いてもらえるとは思わなかった。
「君は控えめだと思っていたのだが、思った以上にしっかりしているのだな?」
「誤解なきよう。私は、ミデウスの娘です。」
それが、全てだった。アシャトは一つ、大きく頷く。
「シャルロットは、うん。政治家だ。将校ではない。」
最後に呟かれたセリフ。その真意を問いただす前に、アシャトは彼女の前から離れていった。
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