112.親殺しと蛇と嬢

 ゼブラ公国との戦争で、特に名を挙げた人物、といえば多くいる。

 コーネリウスは、多少の指揮のミスはあったものの、結果として勝利したし、グリッチとの一騎討で『護国の槍』の真価をこれ以上となく輝かせて見せた。

 ペディアは、その名高き『赤甲傭兵団』としての名声に曇りがないことを証明し、何より強固で安全かつ堅実な戦争の実力を光らせた。

 クリスはその騎馬隊の指揮で、華麗に敵を躍らせたし、アメリアは天馬騎士団長として、他の誰よりも圧倒的な戦果を見せた。

 エリアスはその先見の明でペガシャール軍の崩壊を押しとどめ、ミルノーは大量の兵器と『像』の長所を活かした耐久戦をやってのけた。


 『像』の部隊は、強かった。『像』を得た指揮官たちは、王に見いだされた才能を、ここぞとばかりに発揮した。


 だが。国というのは。たかだか数人程度の「選ばれた人間」を讃えているだけでは回らない。他の人間にも視点を、賞与を、その才を見出さなければならない。まして、内乱中のペガシャールであれば、なお。

 その点。今回で特に突出した戦果を挙げた人物は二人。リュート=イーディス=フィリネス侯爵と、エルヴィン=エーレイ=ビリッティウス子爵令息の二名。この二人には、何かしらの恩賞の下賜がほとんど確定している。


 フィリネス候はおそらく、領土再開拓のための『像』軍最優先の権利か、あるいは国政の要職。エルヴィンもそうである、とは思うが……彼は若く、ここぞという時に活躍した人物だ。将来性を見込んだ恩賞が予想できる。

 だが、『像』が与えられていない人物の中でも突出した出世頭になるであろう彼。そんな彼への貴族たちが向ける視線は、尋常ではないほど冷たかった。

 貴族たちは血筋をこれ以上なく重んじる。親殺しなど、貴族の社会では噂されるだけでも大恥で、家門に対する過剰に過ぎるほどの侮辱である。


 コーネリウスたち大門貴族ならいい。内乱期にあって、家族内での生存戦略を込め、尊い血筋が絶えることがないように身内内で争いあうことは、『貴族として』正しい行いである。

 よい話では確かにない。しかしそれでも、文句を言うには値しない。どちらかといえば讃えるべき、「良く決断した」というべき所業にギリギリなりえる。

 だが、エルヴィンの場合は最悪だった。同じ派閥内の己の父親を、戦争のどさくさに紛れて殺した。エルヴィンは、いやビリッティウス子爵家は『戦場で流れ矢に当たった』と公言して憚らないが、それを信じるのは一部のバカだけだ。誰もが、エルヴィンのやらかした異常行為を知っている。

 

 誰がどう見ても、エルヴィンのそれは貴族として論外だった。

 誰がどう聞いても、エルヴィンのそれは認める理由にはならなかった。

 貴族としては、ビリッティウス子爵家は滅びて当然であると、誰もが陰で囁いた。エルヴィンは、ビリッティウス子爵家は、それでも。堂々と胸を張って、先代当主サンダースが死んだのは、敵の流れ矢に当たったのだと言い張っていた。


 エルヴィンが親殺しをしたという証拠はない。たとえ衆人監視の前で親を殺したとはいえ、そしてそれを見た証人が出揃っていたとして。

 実のところ、戦争で戦果をきちんと挙げた彼の親殺しの罪は、アシャトにとっては見て見ぬ振りをされるくらいには低い。そりゃそうだ、どうせ殺さねばならなかっただろうサンダースを勝手に屠ってくれた上、その息子が天馬ならずとも駿馬ではあったのだ。叩く理由がない。

 叩くのは、貴族たちだった。純粋に、倫理の問題だ。

 『貴族として』。あるいは、それに準ずる『人として』。エルヴィンが、有象無象の貴族たちに、心から信頼されることは、もうほとんどない。ありえない。


 貴族にとっての「親殺し」とは、それだけのモノであり……。しかし、同時に全ての貴族たちは気づいていた。

 アシャト王は腐敗貴族をことのほか蔑視している。勝ち馬に乗っているだけのようだったサンダースという当主を抱えたビリッティウス子爵家では、遠からず貴族位から転落していた。そういう目線でものを見ると、エルヴィンの行動は、他の誰よりなによりも、己の家と血筋を守るために行われた、最善の行動だった、と。

 だから、誰もが表だってビリッティウスに文句を言えない。誰がどう見たって論外な所業を為しておきながら、しかしその正しさも認められるがゆえに。

 ビリッティウス子爵家は貴族として信頼されることがない。少なくとも、エルヴィンが当主である間、彼らは必ず後ろ指をさされる存在になり果てる。それでも、彼らは決して何も言えないのだ。


 その結果が、周囲の貴族たちからの、どこまで行っても軽蔑するような、そして畏怖されるような、そんな視線だった。

「気にならないのか、お前。」

「貴族相手には敬語で話す、あなたはそういう人だったのでは?」

「『像』だからな、そこまで腰を低くするわけにもいかないさ。……それに、俺が腰を低くしてると、ペディアとエリアスもそれが普通だと思ってしまう。」

義賊上がりの元貴族。クリスが、エルヴィンにそう告げる。ペディアたちの腰の低さは、エルヴィンから見ても度を越している、が……その件は、肯定する立場にないためあいまいに流した。


 だから、最初の問いに話を戻すしかない。見事に話を逸らすことに失敗した。

「気にする必要がない。」

「そうでもないだろう。親殺しの悪名は、貴族として生きるお前の足枷になるはずだ。」

「だが、この先権力を握るのは『像』で、彼らは王の意を汲む。王は、無能の父を斬った息子を冷遇する人だろうか?」

「……やはりそこまで読み筋だったか。」

腐敗貴族の一掃を掲げ、実際に出来うる限りやってのけているアシャト、その配下。彼らが、腐敗していた時代遅れの当主を討って座を奪ったエルヴィンを酷評することはない。

 現行貴族との取引は減るだろう。だが、そんなもの気にする必要なないと、エルヴィンは断じる。

『神定遊戯』が降ったことで、そしてその力が何も後ろ盾のない……家同士の柵のないアシャトに降ったことで。貴族そのものが大きく変貌した。これから何度も内実が切り替わっていくペガシャールにおいて、今現在の評判の悪さがどう囁かれたところで、エルヴィンの身を亡ぼすことは、ない。


 貴族同士の政争の迂遠さを理解しつつ、その価値の暴落をも語る二人の戦士の中に混じり込む、腹黒い姫が一人。

「せいぜい、背中にだけは注意した方が良いと思いますわ?」

「唐突に話しかけるなよ、姫さん。」

「野蛮人は黙っていたらいいと思いますわ?」

彼を表立って糾弾する声は、今は出ない。今後、嫌が応にも減っていく。エルヴィンだけでなくクリスも納得する中で、彼女、カリンだけは、背中への注意喚起を述べた。

 確かに。騙し討ちのような形で人を殺したのだ、同じことをされぬ保証などない。


 エルヴィンが納得する中、クリスは呆れたようにため息1つ。

「野蛮人ってな……。」

「匂いますわよ、あなた。水なき地の蛇のにおいが。」

「嫌そう言われてもね……。」

そんなに匂うのか。クリスは己の服に鼻を当て、嗅いで見る。……当然、蛇のにおいなどわかるわけもなく。

「おっかしいなぁ。」

「褐色の肌に棒術。愛馬の鐙に刻まれた紋章。……クリス=ポタルゴス。あなたの名は、そんなものじゃないでしょう?」

「……。」

知っている奴がいたとは、という目を、クリスは向けた。同時に、殺すべきか、というように腕に力がこもる。


「今私を殺しても意味ないでしょう。ペガシャールはいずれ他国に侵略する。その時、最初に犠牲になるのは、ヒュデミクシアかグリフェレトのどっちかよ。」

「……面倒くさいなぁ、お前。」

カリン=アデュール=ゼブラ。他でもない、公国の姫君。……乱世に生まれた一国の王女が、並な人間性をしているわけもなく。

「それは、そうでしょうね。クリス=ディオメーデス=ニーズヘッグ。」

「……その名はもう、俺の名前ではないぞ、カリン。」

どすの効いた声だった。普段のクリスを知っている、全ての人が驚愕するほどに。普段の軽薄そうな声でも、何かあったときの諭すような落ち着いた声でもない。戦場で戦う時の、高揚の中で発される狂気じみた声ですらなかった。ただ純粋に恐ろしい、声。


 だが、それですら。この怖いもの知らずの令嬢を怯えさせるには足りない。


「いいえ。あなたの実家から捜索依頼が来てますわ。『神定遊戯』が始まった、いつまでのこのこ遊んでいる、と。」

「俺は己の地を決めた。今更戻る気はない。」

クリスがこっちに来ているのは、ヒュデミクシアも知っていた。それでも放置していたのは、クリスが蛇の血筋を真っ当に引いているからだ。

 ヒュドラの王像は弱肉強食。あの国は、ペガシャールと違う。他のどの国より内乱が多く、他のどの国より血の気が多く、他のどの国よりも、出世欲が、強い。

「今戻れば、出世争いに介入できるはずですが、戻らないのですか?」

「戻る必要はない。俺はもう、ペガシャールで十分高い地位を確保できている。」

「やはり、蛇は蛇ですわね。」

アシャトが王から皇帝になる。それはつまり、『像』を得たクリスの地位もまた、自動的に上がるという意味だ。


「出世争いのために、戻る気はない。」

「でも、争い、お好きでしょう?」

カリンはどうしても、クリスをヒュデミクシアに帰したかった。それは、彼が実家にいるべきだという信念故ではない。

 馬の国に蛇が紛れ込んでいることを、好ましく思わないゆえのものだ。

「……やめなさい、カリン嬢。」

彼女の嫌悪。それは、ヒュデミクシアという国の防波堤として機能し続けることを要求された、ゼブラ公爵であった頃の残滓。ゼブラ公国の戦争の歴史は、その全てがヒュデミクシアからの防衛戦に彩られている。


 そして、その歴史の中には、ニーズヘッグ家の名前もまた多く。

「クリス=ポタルゴスは我が国の『騎馬隊長像』よ。ヒュドラのではなく。彼は陛下に認められた、『ペガサスの騎馬隊長像』なのよ。」

クリスでは議論が激化する。ただ一介の子爵家でしかないエルヴィンでは、元公女、現侯爵令嬢の言葉を遮るに足る根拠も身分もなく。

 ゆえにこそ、その議論を止められるのは、あるいは彼女しかいなかった。

「あら、ごきげんよう、アメリア=アファール=ユニク=ペガサシア侯爵令嬢?」

「初めまして、かしら?カリン=アデュール=ゼブラ嬢。」

じっと互いの瞳を見る。二人の瞳は、片や嫌悪に、片や同情に満ちていた。


「……失礼いたしますわ。」

アメリアの介入。それが発生した時点で、カリンはエルヴィンと二人で話す、という目標を諦めた。現状存在する『像』の中で、彼女の眼鏡に叶う人物はいる。が、条件に見合う人物は多くない。

 一番『像』に近い人物として、彼女はエルヴィンに目を向けたのだが……これではどうしようもない。


 カリンは限りなく完璧に近い貴族令嬢である。多くの教育を受け、己の立場と存在を完全に勢力争い、権力争いの道具として捉えることが出来る。

 結婚願望、あるいは、せめて結婚相手は選びたいという思考は、それが許される状況で、選べる状況だからこそ見せられるわずかな欲でしかない。だから、彼女はこうしていろんな人の元を渡り歩き、品定めし、結婚への道筋を真剣に考えている。


 だが、大前提として。彼女はわずか14歳の小娘である。クリスに抱く嫌悪感、つまり、ヒュデミクシア王国に抱く嫌悪感は、半分くらいは教育の賜物で、もう半分は彼女の未熟さの発露であり。

「……エルヴィン様ももう駄目でしょうね。」

彼と結婚する筋道を立てるのは、かなり難しい。カリンは頭の隅にいた彼の名前を消し去った。

「あとは、ミルノー様くらいですか……。」

コーネリウスは『護国の槍』で、19歳。結婚していておかしくないし、婚約者がいないとおかしい。アメリアは女で、クリスは論外。

「ディマルスまで連れて行ってもらえたり、しないでしょうか。」

彼女は深くため息をつきながら、ギデオンの執務室の方へと足を向けた。




「……あなたがそんなに感情を出すなんて珍しいわね、クリス。」

「仕方がないんじゃね?」

「まあ、そうね。でも、カリン嬢の気持ちもわかるわ。」

彼女の影が消えた後。アメリアはため息をつきながら言った。

「そもそもなんで会話に入って来たんだ?」

「あなたの声が聞こえたからでしょ。カリンはエルヴィン殿に話があったのよ。」

「私にですか?」

驚いたように、エルヴィンが声を上げる。俺は、そう言えばこいついたな、と思った。

「悪い、今聞いたのは、聞かなかったことに……。」

「陛下に叛意を持っているとか、そういう意味ではないのでしょう?」

「ないね。ない。そもそも本気で仕える気じゃなけりゃ、『像』は俺を認めない。」

それは、『神定遊戯』の基本。『像』たちが特別扱いされる理由。だからこそ、誰もクリスの出自に文句を言わない。


「あなたが私を気にかけたのは、文句を言われる謂れがあなたにもあるから、ですか?」

親殺し。貴族たちがエルヴィンに冷たい目を向ける理由。……流石に、今の流れじゃバレるか。

「外れものだからな。肩身の狭さは理解できるさ。」

「……そうですね。」

エルヴィンは、クリスと話を始めてから初めて、肩の力を抜いた。ここ数日嫌というほど言われた、『親殺し』。

 誰にも愚痴れないと思っていた。それが必要だったからやった。エルヴィン自身に、後悔はない。それでも、日々晒される悪意には、少しばかり辟易していた。


「今夜、一献どうだ?」

それは、無意識に出たセリフだったのだろうと思う。言ってから、驚いたような表情を、エルヴィンは見せていた。

「いいけど、俺、うわばみだぜ?」

「知っている。」

男二人、笑いあう。エルヴィンは、ずいぶん久しぶりに笑ったような気すらしていた。


 いつの間にか。アメリアは忽然と、その姿を消していた。

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