111.将の足跡は既に紅く

 流血は、減らない。

 それがなぜかと問われれば、彼は時代だと答えるだろう。

 辛くないと言えばウソになる。だが、彼は既に。身近な人物の死を、最低二度。今回のゼブラ公国侵略で三度目を、体験することになっていて。

 だからこそ、その悲しみを向ける矛先がないことを、向けたところで虚しいだけだということを、嫌と言うほど知り尽くしていた。

「悲しい背中、ですわね。」

少女が、剣を眺める彼に、声をかけてきた。一応場の雰囲気を読んでいるのかおずおずと、しかし、決してたまたま話しかけてきたわけではないというように、彼に向けてしっかりと。


 悲しい背中とわかっているなら声をかけるな、と彼は思う。今はここには彼一人。誰もいない場所でなら、人の死をゆっくり悼めるというものを。

「……。」

少女は、彼の内心を読みでもしたのか、無言でじっとその場にたたずむことを選んだらしい。……だが、その場にいるという時点で、彼の気を逆なでているのは間違いないのだが。


 少女とて、そんなことは承知していた。それでも、彼女は己の目的のためにその場にいた。……少女の名はカリン。カリン=アデュール=ゼブラ。今後の結婚相手を決めるため、こうして『像』たちを探りに出ている少女である。

「……何の用だ。」

折れたのは、男の方だった。人の死を悼み、泣こうと思っても、少女の存在は邪魔だった。あるいは彼女が声をかけていなければ、彼は彼女の存在に気付かず、男泣きに泣けていたかもしれない。だが、気付いてしまえば、そういうわけにもいかなかった。


 結局。男が死者を悼むためには少女にどいてもらうしかなく。どいてもらうためには、男は少女の話を片付ける必要があった。

「ペディア=ディーノス。22歳。“赤甲将”の名で知られ、赤甲傭兵団を率いる青年……あなたのことですね?」

「あぁ。そうだ。そういうお前は?」

少し、ぶっきらぼうに、ペディアは返した。そりゃそうだ、静かに泣きたいときに邪魔をされて、機嫌が悪くないはずもなし。

「申し遅れました。私の名はカリン=アデュール=ゼブラ。元公王ギデオンと“雷馬将”グリッチの妹ですわ。」

「……。」

ペディアの顔が少しこわばる。そりゃそうだろう、戦勝国になったとはいえ、ペディアたちは仮にも一国の代表だ。敗戦国とはいえ、元一国の公女相手に失礼でも働けば、国としての品位が問題にされかねない。


 それは、対ゼブラ公国と言う面、いや、ゼブラ侯爵相手という面だけを見れば、大した問題にはならない。戦勝国が敗戦国に、人としての尊厳を無視するような無礼でもなさない限り、互いの立場が既に定まった現状では多少の礼儀知らずなど何ら影響が出ないだろう。

 影響が出るとすれば、国内。それも、アシャトに対する風評側だ。……つまり、他国の元公女を相手取るに当たって最低限の礼儀すら出来ぬ男を採用した、アシャトへの悪評が高まる。それは、彼が国を運営するに当たって大きな支障になってくるだろう。


 具体的に。今彼が遠ざけ、あるいは処断を続けている腐敗貴族たちに、反抗する正当性、あるいはアシャトの行う人材登用が「異常である」という抗議の根拠として使われかねない。「礼儀も弁えぬ低能を『像』に採用したのか」である。

 ちなみに、アシャト自身は、礼儀は教育を示す指標としては使えると考えていながらも、それは『努力』を表す指標であって『才能』を示すものではないと考えている。ペディアが向こう10年間でわずかも礼儀作法が向上しないという醜態を晒さない限り、アシャトはその貴族どもの意見を一蹴するだけである。それを、貴族どもは「まだ」理解しきれていない。


 そんなアシャトの思想をペディアは知らない。知るほど話すには、少々時間がなさ過ぎた。ゆえに、警戒と自戒を込めてひと回りは年下の少女を見た。

「それほど構える必要はありませんわ。あなたの礼儀作法は、少なくとも役人階級が私属貴族に行う程度の礼儀ではありますが、完璧です。『像』に選ばれたあなたの礼儀は、正直それではダメと言えばダメですが……敗戦国の公女への礼儀としては妥当なところでしょう。」

さらりと、彼女はペディアにダメ出しした。ペディアは、もっと己の立場を下げろと言う意味だと受け取って、ピクリと頬を動かす。

「……あなたもエリアス様も、少々立場を誤認していらっしゃいますね。」

その内心を見透かすように、カリンは少しため息をついた。……まあ、当然だろう。王に選ばれた『像』というのは即ち事実上の王の最側近だ。下手な貴族より立場が上。だが、カリンはあえてそのことの指摘はしないことにした。


 その教育は、アシャト王が直々に行うべきことであり、あるいは他の『像』たちが行うべきことである。敗戦国の公女が行うことでは決してない。どころか。、出しゃばりと言われると言い返す余地が一切ない。

「……ふぅ。」

逆にペディアは、少し、うんざりした。天上の人に考え方を合わせるのが難しいのは、今に始まった話ではない。アシャトがその旗を挙げ、多くの貴族たちがアシャトの元に馳せ参じ始めたころから、その気配は濃厚だった。それでも、ペディアは役人階級の出自だ。

 たとえその性根が腐っていようとも、その生きざまが醜かろうとも、あるいはその能力が低かろうとも。彼は、貴族を恐れ敬う義務を持っていて、それは生まれた時から定まっていた生き方だった。

「何用ですか?」

だから、面倒ごとは早く終わらせるに限る。そう決めたペディアの判断は、間違ったものでは決してない。

「では、端的に。……あなたは、その背に背負ったものを、どこに持っていくつもりですか?」

何のことか。聞き返すことは、しなかった。なんとなくではあるが、隠された主語についてペディアは察した。


 脳裏にいつまでも浮かぶもの。時折投げ出したくなるほど辛いもの。

 父の死は、生き残っていたアデイルから聞かされた。母の生死は未だ知れず、しかしどう考えても死んでいると断言できた。


 己の失態で兄のような男、ヒツガーを失った。己の育ての親とも呼べる、アデイルが目前で死に。そしてヒツガーに託された友、ヴェーダを己の手で葬った。

 彼の人生を振り返れば、護れなかった大切な人たちの屍が並んでいる。彼らの命が、ありえたかもしれない未来が、ペディアの背には付きまとっている。

 カリンは、彼の正確な出自を知っているわけではない。彼女は、ペディアの半生を知る機会など一度もなかった。だが、それでも。


 男がこうして、一人で、剣と夜空を見上げながら佇むということ。その背中の語ることが何なのか、感じ取るくらいは、出来る。

「分からない。」

問いに対して、ペディアは端的に答えた。わかるはずがない。己は生きろと望まれた。己を生かすために、父が、母が、アデイルが。そして、元ディーノスの一族に連なるものたち、彼らを慕うものたちが命を散らした。


 だったら、生きるしかない。全力で、今を生き抜くことが、彼らへの手向けだと、ペディアは誰よりもそのことを感じている。人の死を嘆き屍のように過ごすペディアを、過去の亡骸たちは決して許してくれないだろう。

 それに、誰より友の死を悼み悲しみ、朽ち果てたかったと吐露したアデイルでさえ、ペディアの為に生き抜いた先で命を散らした。

「……人の死を、随分と重く捉えられるのですね。」

「人の命は軽い。が、身近な人の命は重い。違うか?」

「違いませんわ。あなたは、大切な人を、多く作れる人ですのね。」

失った、という実感。喪失感を、心の底から感じるためには、その失ったものの価値が、その人の中で大きくなければならない。

 

 友に向ける感情が、その大切さが低いのなら、喪失感は大きなものでなかっただろう。だが、ペディアは、大切なものたちを、本当に大切に思ってきた。

「あなたに、お願いがありますわ。」

「俺に?公女殿下が?」

「はい。」

カリンは、確信する。彼の生き方、彼の思い。何より、彼の性根。それらは、兄に通じるものがある、と。


 あるいは。荒くれ者の傭兵たちをまとめ上げる才能には、一貫して身内を守る性根を持つ必要があるのだろう、と。

「兄と、話してくださりませんか?」

「……。」

兄。ギデオン……ではないとペディアは思った。おそらく、グリッチ。


 斬り込み隊長の最後の名乗りが頭をよぎる。赤甲傭兵団で、ヒツガーに乞われて斬り込み隊長に任命した男。

「『青速傭兵団』斬り込み隊長、ヴェーダ=ディミグラフ=グレイドブル。」

つまり。ペディアは、殺した元部下の主に会いに行けと言われているわけで。

「なぜだ?」

「わかりませんか?」

問い。即答。少しの間、場を沈黙が支配する。


 だが、その沈黙も長くはなかった。カリンは、ペディアがグリッチに会いに行けと言った理由を悟っていると確信していた。ペディアも、カリンが言った言葉、頼みの意味を理解していた。

「分かった。」

渋々、ペディアは頷きを返し……カリンはその返事を聞いた後、にこりと笑んで、続けた。

「本題に入って、よろしい?」




 今の重苦しい話が、前座。全く、貴族というのは揃いも揃って、言うことやることがわからない。

「なんだ?」

「エリアス=スレブという方について教えていただきたく。」

なぜだ。いきなり、元公国の姫君が、一介の農夫を気にする理由がわからずに、首を傾げる。

「あなたでは、少しばかり、私の目に適いませんでしたので。」

「いきなり、何の。」

「夫探しですわ?」

立ち上がる。無礼も何もない、頭が怒りに呑み込まれる。


 つい、だった。ほとんど無意識の動きだった。その手は真っすぐに、カリンの着るマントに、伸びた。

 寝衣が延びる。彼女の踝が宙に浮かぶ。その行為、その状態に、彼女は一切の動揺を見せなかった。

「お怒りになる、ということは、エリアス様の婚活事情は何かある、ということですわね?」

「貴様。」

予想した上で、そこまで言ったというのか。怒りに呑まれかけながらも、カリンの胆力に驚嘆する。


 彼女は先ほど、俺の名を正しく呼んだ。肩書すらも述べて見せた。即ち、戦場を知らぬ貴族のボンボンよりも遥かに、戦場慣れして怖い人種だと知っていることになる。肌で実感したことはなくとも、情報だけでも。十分に察せられる危険性があるはずだ。

 その相手を怒らせる覚悟をしてまで、いや、怒らせることを重々承知の上で放った言葉。図太いという言葉では言い表せないものがある。

「私はゼブラの公女、いえ、ゼブラ侯爵家の令嬢になります。家のこと、政略を考えるのは当然のことです。」

じっと、俺を見つめる彼女の瞳は、どこまでも澄んでいて、それでもって恐ろしい。

「エリアス=スレブ。『砦将像』。その才能の高さのほどは私にはわかりませんが、『像』であるということは、それだけの執務と責任を負わなければならないということ。」

そっと、彼女が目を閉じた。まるで何かを思い出すかのように。そして、詩でも諳んじるかのように言葉を紡ぐ。

「平民の出自で、20を超えた。彼がこれから貴族の政務を学ぼうとしても、遅きに過ぎる。」

あるいは、10年以上もの時をかけていいのなら話は別だろうと、カリンは思っている。だが、軍の管理に携わる簡単な計算ですら、苦しくなって鎌を振るほどらしいのは、さっき知った。時間が相当かかるだろうし……それが許されるほど、『帝国』になるという野望は時間をかけられるものでもない。


 それでも。エリアスには決して避けえぬ未来がある。

「エリアス=スレブは必ず貴族女性と結婚する必要がある。そして、その家の力と人材を用いて領土を治めることを要求される。」

『砦将像』とは、良くも悪くも砦があることで真価を発揮する。それはつまり、『砦将像』をもつ人物は必ずどこかしら領土が与えられるという意味だ。

「エーマイリエンが接収されました。必ず、誰かがそこに入る必要があり……それはおそらく、エリアス様でしょう。」

そうでなければ、エリアスがゼブラ公国へ侵略する軍に編入された理由が薄い。いなければ勝てない戦ではあった。コーネリウスの才覚と、コーネリウス以外の三貴族を監視下から外さないという目標を同時達成するには、人材不足でもあった。


 そこまで、カリンはわからない。だが、『砦将』が侵略するというなかなか考えられない事態は、邪推を呼ぶ。

 カリンの考えられたのは、そこまでだった。まさか国内で内乱をしたまま他国に攻め入るなんて無茶をしているとは、カリンには想像もつかない。

「ゼブラ公国の公属貴族から誰か見繕うつもりだったのでしょうね、アシャト陛下は。それなら、私でもいいでしょう。」

他に、よっぽどの候補がいなければ、とカリンが言った。その圧に、覚悟のほどに。怒りで我を忘れていたはずの俺が、少し押される。


「何より。死んだ奥様をいつまでも愛しておられる方ですもの。きっと、愛されることさえできれば、一生私を守ってくださいますわ?」

それは、先ほどの冷酷な、政治を語る貴族の目ではなく、恋に恋する乙女のような目だった。戸惑うように、俺の手から力が抜ける。


 次の瞬間、彼女は身をよじって俺の手から逃れた。逃れて、地面に着地して、言った。

「ですが、あなたの反応を見るに、少々彼へのアプローチは難しそうですわね。少し、考える必要がありますか。」

ふと、彼女が背を向ける。何なんだ、一体。……たくさんある戸惑い、困惑。それをすべて取っ払って、一つだけ、聞いた。

「なぜ、妻だって?」

「だって、エリアス様は20代前半でしょう?結婚してなければおかしいではないですか。」

平民の常識を知らないお嬢様め。去って行く少女の背を見ながら、毒づく。


 だが、わずかばかりの感謝があった。

 ……癪な話ではあるが。アデイルとヴェーダの死を悼むために一人になったというのに、その気持ちは、とっくにどこかへ散っていた。

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