110.帰国に向けて

 ゼブラ公国の占領が終われば、帰国である。

 ゼブラ公国……元ペガシャール王国ゼブラ公爵領であったこの領は、対ヒュデミクシア王国の最前線であった。

 ゆえに、この国の軍隊を全て連れて行くわけにはいかない。連れていけるのは、『青速傭兵団』だった面々と、追加で1万の軍勢だけだと、ギデオンは言った。

「妥当な数だろう。軍の維持を考えれば、『青速傭兵団』だけでも十分かもしれない。」

クリスはそう言った。ゼブラ公国に攻めこんだ最大の理由は、その圧倒的な兵数もさることながら、荒廃しきったペガシャールと違いそれなりの資源、特に食糧があるのがこの地だったからだ。


 ペガシャールの生き残りの軍勢に、それなりに物資を運ばせる。そのための荷駄車は、既にゼブラ公国に用意させ始めている。

 ペガシャール軍側の、計、2万5千の生き残り。彼らを効率よく編成した軍で、最高量の物資を運んだとして……実のところ、相当量の余裕がある。ゼブラ公国の貯蓄のほぼ3割を回収することになった。それでも、特に何事もなくゼブラ公国が運営されていく分には、有り余っているくらいの資源があるのだと、クリスどころか、オロバス公すらも言い切った。

「正直な話、『像』が無ければ、物量でペガシャールが押し切られていました。ゼブラ公国はどうしてこれまでペガシャールを攻めて来ることがなかったのか。それすら疑うほどに、この国は潤っていますよ。」

ペラペラと帳簿を捲る公爵の言は、どう見ても戦争であの醜態をさらしていた人物には見えず……『適材適所』という言葉の意味を、嫌と言うほど実感させられる。彼は、仕事は見事に速い。


 私たちもこの際と言わんばかりに勉強させられていた。ペディアはその出自の関係上、物資の量や土地資源、軍の維持のための消費と供給……そう言う実務はひとしきり行えたが、私の方はからきしだった。

 いや、消費と供給の方は何とかなる。数字を見せられても正直どうしようもないが、兵数と物資を実際に見た上での分配程度であれば、傭兵として……いや、村長の息子として育ってきた中で、多少は出来る。……オロバス公が言うには、

「山勘でやってのける貴殿の才には感服するが書面に出来なければ管理者がわからん。」

と言い切られたが、正直どうしろと、と言うのが本音だった。


 私は筆から手を離す。イライラする。少しばかり外に出て、鎌をブンブン振り回す。

 最初の方は、イライラするとついつい筆を折っていた。だが、しばらくしてコーネリウス殿が頭を下げて頼んできたのだ。

「頼むから筆を折るのはやめてくれ、エリアス殿。あなたは筆が気づけば出てくるものだと思っているのかもしれないが、筆は高いのだ。」

まあそうだろうな、と思う。言われるまで気づかなかったが、言われると当たり前のことだ。


 動物の毛で作る筆の穂先が、そうそう何度も別の筆に付け替えられるとは思えない。付け替えられるとして、それが出来る技術者の技術が安いはずがない。

 それをつける付け根の部分も、持ち手の部分も木材で出来てはいるが。その木材の細工が、簡単だとは思わないし……コーネリウス殿が使っている筆は、さらに装飾にも凝っている。こんな細い代物が、こんなに繊細な装飾までつけていれば、そりゃ高いだろう。


 結果として。勉強の義務が課されていても、イライラしたら多少の散策は許されていた。そうしなければ、私は何本の筆を折るかわからない。

「美しいですね。」

サッと、振り返る。声を発したのは、まだ14くらいだろうか。幼い……いや、幼いと言ってはいけない気がする。貴族の令嬢だとすれば、14歳はそろそろ結婚を考え始める時期のはずだ。とにかく、少女がこちらを見ていた。

「何が、ですか?」

「あなたの鎌捌きが。」

どうやら、空気に話しかけている少女ではなく、私に直接話しかけているらしい。なぜだろうか、と思いつつも、とりあえず当たり障りのない返事を返す。

「それは、お褒めにあずかり恐縮です。」

「ええ。あなたのそれは、あなたが得てきた経験と、才能によって磨かれたものに見えます。あなたの人生を体現しているのでしょう?私は己の生を表現するようなものがないから……余計に美しく見えますわ。」

どうだろうか。私は首を傾げざるを得ない。


 鎌を振る。私に、鎌術を習った経験はない。私は、本格的に武術を習ったわけではない。

 この鎌捌きは自己流。ほとんどが経験で編み出された武術だ。

「型も、術理もない鎌ですが。」

「ええ。ですが、その鎌捌きには、あなたの人生が込められている。違いますか?」

違わない。習ったわけでもない鎌術で、七段階格に至った。それは即ち、私自身がありとあらゆる経験を、ありとあらゆる戦闘を、その鎌の扱いに込めてきたゆえだ。

「形から入る武術も、美しい。ですが、あなたの、人生を体現する武術は、取り繕ったり格式ばっただけの武術と比較しても、遜色ないほどに美しいと思います。」

「は、はぁ。ありがとうございます?」

正直なところ。どうしてこうも褒められているのかがわからなかった。


 鎌。ペガシャールでも一応正式採用されているこの武器は、しかしとある理由により貴族からは忌避されている。

 即ち、農具ではないか、と。


 まさか、と思う。こんなバカでかい鎌を農作業に使うわけがないだろう。農作業とは地味な作業で、同時に繊細な作業だ。こんな大雑把な大鎌で農業などしてみろ、無駄が多すぎて仕事が増える。

 それはさておき。そういう経緯で、鎌術を嫌わない貴族、の時点でかなり珍しい部類に入る。その上で、鎌術を美しいとまで言うとは。彼女はいったい、何なのだろうか。

「武術は元々人殺しの技術なんだから、好き嫌いもないでしょう?だから、好き嫌いより、綺麗か綺麗じゃないかで見た方が気持ちいいじゃない?」

それは、面白い考え方だなぁと思う。でも、確かに。エルフィール様やディールが戦う姿は、絵に納めたいほど美しいし、雄々しい。その感性と、限りなく近いのだろうなと、私は思う。


 鎌を、握りなおした。仮想敵は、そうだな。今日は圧倒的な格上を仮想してもいいだろう。

 普段は100パーセント勝てない相手を仮想的にはしない。負け癖が付きかねないし、絶望的な戦いに身を投じると気分が落ち込む。でも、今日は。

「今限りは、いいか。」

ディールの、あまりにも早すぎる槍。それを、私は。すんでのところで、弾き飛ばされるように飛んだ。




 兄上が妹を見てため息をついた。

「兄上?」

「カリンがな。誰に嫁入りしようかって、真剣に悩んでいる。」

ギョッとした。嫁入り。いや、カリンの年齢なら妥当なところだ。

「お前がいなくなった我が国は、今度は私とカリンの婚約騒動で政争が起きた。」

「それは、カリンから聞きました。」

「そうか。だったら、わかるだろう?カリンの思惑が。」

それは。頷く。


 ペガシャール帝国に降伏したゼブラ公。いや、今はゼブラ候。その時点で、私たちが権勢を一定程度保つための手段はいくつかある。

 その例の一つ。俺か、兄上か。どちらかが、『像』に選ばれること。これは、おそらく、ほとんど確定だろうと思われる。俺はコーネリウス殿と正面切って戦った。負けはしたが……それなりの能力は見せつけることが出来たと思う。

 だからこそ、『像』の力は確定。『像』は『王像』を裏切れない。それによって、忠誠は信頼されるはずだと思う。心は、わからないが。


 問題は。俺が『像』に任命されるとして、しかしゼブラ候領を治めるのは兄上だ。俺と兄上の関係性を理解する人ならさておき……アシャトさんが王ならその問題は六割がた解決だろうが……理解できない貴族たちが相手だと、兄上に可能な限りの枷をつけることを望むはずだ。

 兄上自身への婚姻か、カリンの婚姻。兄上は結婚していらっしゃる以上、おそらくこの中心はカリンになる。

「だから、カリンが犠牲に?」

「夫は自分で選ぶ、と。」

『像』は合計59。『王像』『妃像』『継嗣像』は抜いて、56。この中から、妹は。己が一番幸せになる選択をしようとしている。

「犠牲になるのと変わりないでは。」

「カリンは言った。……だいたい55人から一人、己で相手を選ぶだけの時間があるのなら。それはとても幸せなことではないですか、と。」

喉を、鳴らす。『像』に限定するのなら、確かに55人から一人、選べる。


 おそらく、そんな余地のなかったであろう兄上と比べて……確かに、ひどい言い方だが。カリンは恵まれていると言えるだろう。

「安心しろ、グリッチ。カリンの男を見る目はおそらく確かだ。その証拠に……我が国にも巣食った、私とお前を仲違いさせようとした貴族たち。彼らとその子供らを、カリンは悉く拒絶した。」

そう聞くと、確かにわずかに安心できるのは、謎だが。妹は大丈夫かもしれない。そう、思わなくもなかった。


「さて、グリッチ。本題に入ろう。」

「なんですか、兄上。」

兄の執務室に入る。兄が勧める椅子に座った。

 本題。まぁ、わかっている。ゼブラ候領を発つ前に、誰を出し、誰を残すかだろう。


「私も王に謁見することにする。本当に王たる器か、弟を任せてもいい人間か。その目でしっかり確認したい。」

「はい?」

「お前を死地に送り込む。アシャトとやらが『皇帝』を名乗った。それはつまり、『像』になるお前が、一生その身を死地に置くという意味だ。」

死地。戦場。……皇帝を名乗る以上、アシャト王はペガシャール以外の二つの『王像』を得なければならず、そのためには常に争いをし続けなければならない。


 確かに。アシャト王の治世下で『像』を得るということは、常にその身を戦場に置くことと、同義だ。

「お前の命を預けるに足る王か。私の愛する弟の命を賭けさせる、その価値がある男か。私は、何としても確かめなければならない。」

それが、お前を国から追い出すしか出来なかった私に出来る、家族としての唯一の愛情の見せ方だと。兄はそう言わんばかりに言い切って。

「国はブレッドに任せる。私が殺されるでもない限り、私はおそらく1年もせぬ間に帰ってくる。それだけの期間であれば、ブレッドにも十分国が回せる。」

「兄上、国ではなく領です。」

「……あぁ、つい癖でな。まぁそれはいい。納得してくれるか、グリッチ?」

「ブレッドの承認は?」

「得ている。どうせ一年は、ヒュデミクシアも我が国を襲うことはあるまい?」

「……それは、そうですね。」

そう言われてしまうと。俺には何も言うことは出来ない。


「兄上。」

兄に、家族に、愛されている。他でもない、それこそが、俺を将として支えている最大の柱だと、やはり思う。

 兄は、10年経っても、私の兄だった。

「ありがとうございます。」

変わらないでいてくれて。私の兄でいてくれて。


 そう言うと、兄は少し照れ臭そうに笑って。

「お前の話が、聞きたいな。ペガシャールは、どうだった?」

「ひどい国でしたよ。」

その日。俺は久しぶりに、兄と酒を酌み交わしながら、夜を明かした。


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