106.魔剣と策謀のデット家
兎にも角にも、俺は四大都市を早く解放せねばならなかった。
帰ったら仕事が待っている、などと思い出してしまえば憂鬱になるから考えるのを避けているが。今国を支えてくれているペテロが過労で倒れることになっても困る。
そんなことが起きてもみろ、貴族たちはここぞばかりに自分や一族の息子を押し付けようとしてくる。権力が、俺に集中している状態から、他者に多少の分与を認めねばならなくなる。
そんなことにしないためにも、なるべく早く帰らなければならない。
次はペガシャール大学校だ。通称は、フェム。おそらく、四大都市中、閉鎖による影響力が最も少ない都市だろうと思う。
貴族は基本的に実家でその実力を磨く。学問に精を出し、貴族としての礼節を学び、軍学、政治学を学ぶ。
そこに、他者の介在の余地はない。例えば、『護国の槍』。あの一族は、過去大量に得たすべての『神定遊戯』を用いる戦争の記録を残している。だが、それは門外不出のモノだ。
もちろん、他の一族も残している記録はあるだろう。だが、時代の流れの全ての遊戯を記録出来るものはいない。そのためのノウハウ、そのための技術。そして、『護国の槍』が『護国の槍』であるために作り上げた、その家の体制。言っては何だが、何百年もの間そのためだけに作り上げられてきた記録と記憶を、他の者に公開する者がいるとすれば、その者は愚か者のそしりを免れない。
それに、教育は、よほど気を付けなければ、行動や言動の節々に出てくるものだ。どういう学びを得てきたのか。それを知ることは、即ち他貴族の優位性を奪い、自家の新たな教育方針を得るに等しい。
教育。自家の優位性を確実に確保しておきたい普通の貴族であれば、子供を学校などに送り出す意義は絶無に等しいのだ。
ペガシャール大学校。図書館、魔術研究棟、植物園と比較して、どれよりも価値のない施設。俺は今、そこに向けて進軍していた。
「お前の家もたいして変わらないのか、バゼル?」
「はい?」
「お前の家は、『魔剣と策謀』だろう?お前の家ではどんな教育をされていたのかと思ってな。」
「陛下……わかってやってらっしゃいますね?」
言うわけがないでしょう。そう、声にならない声が聞こえた気がしてかすかに笑う。そうだ、言うわけがない。王の名前を使えば聞き出せないかな、と思った俺が無茶だったのだ。
馬は着々と歩を進め、俺はゆらゆらと揺られている。何か言いたそうにしているバゼルの顔を、チラチラと盗み見ながら。
何を聞きたいのかはわかっている。実のところ、いつ聞かれるかと戦々恐々としながら、用意した答えが彼の意に沿うかどうか、ずっとぐるぐると考えていた。
「すぅ。」
息を吸う音がした。それはきっと、意を決するために必要な儀式だったのだろう。直後、バゼルは俺の方をじっと見て、問いかけた。
「私に『砦将像』を与えたのは、なぜですか?」
そう。それは、バゼル=ガネール=テッド子爵に……『魔剣と策謀』なんて名を持つ家にとって、とても重要な問題だということを、俺は知っていた。
魔剣と策謀のテッド子爵家。ペガシャールにある歴史ある名家たちの中でも、有名な一族。『護国の槍』が必ず『元帥像』を輩出する一族であり、コリント伯爵家が必ず『魔術将像』を輩出する一族であるのなら、テッド子爵家は必ず『智将像』を輩出する一族であった。
「『智将像』を与えるより、『砦将像』を与える方が良いと判断した。それだけだ。」
「納得できません。デファール殿がいる以上、『元帥像』にコーネリウスがなれないのはまだ誰しもが理解できる采配でしょう。『元帥像』は一つしかありませんから。ですが、『智将像』は3つあるはずです。そのうち一つをマリア嬢に渡しているとはいえ、残り二つの内一つを私に渡すことに、躊躇う理由はないはずです。」
「ない。確かに、今のお前に『智将像』を与えれば、確実に歴代の『智将像』と同じだけの働きが出来るだろう。」
確信は、ある。この男は無能でも何でもない。むしろ、有能。秀才の部類に入る。
だが、だからこそ、俺はこいつを『智将像』にするわけにはいかなかった。正確には、『魔剣と策謀のテッド子爵家』を『智将像』にはできなかったのだ。
「お前は、マリアよりも優れた戦果を挙げることは出来ない。絶対に、出来ない。」
ガゼルは明らかに秀才だ。よく学び、健康的に生きてきた。おそらく、向上心も強いだろうと俺は感じている。だからこそ、拙い。
『魔剣と策謀のテッド子爵家』であるということは、『智将像』として求められる働きが高いという意味に他ならない。おそらく、全ての『智将像』の中で最優。それくらいは求められるだろう。
だが、不可能だと断言できる。今12歳のマリア=ネストワの『智将像』としての能力は、今のバゼルの能力とトントンだ。エルフィが恐怖を抱くほどの天才、それがマリアだ。つまるところ、これから成長していくマリアに智将として勝ることは、並の能力では出来ることではない。
バゼルは秀才だが、秀才ではダメなのだ。
「もしお前がテッド子爵家の男でなければ、俺はお前を『智将像』に任命していた。だが、今のお前では、どう転んでもテッド子爵家の恥さらしの汚名を被る事は避けられないだろう。」
どう足掻いてもマリアに勝てない、ということはだ。今まで築き上げてきた『策謀のテッド子爵』の名前に泥を塗るということだ。それがさらに、『智将像』という同じ土俵で敗北していたのであれば、本当に目も当てられないものになりかねない。
「他の『像』に任命すれば、テッド子爵家のくせに『智将像』に選ばれなかったという誹りを受けるだろうが、策謀でマリアに勝てないという誹りを受けることはなくなるだろう。」
どうしようもないのだ、と思う。こればかりは、どう転んだところでバゼルは批判される道しかない。
だったら、その責任の半分は、俺が受けもてる状況である方が望ましい。なぜ『砦将像』にしたのかという問いに対して、『王像』としてそちらに強い適性を感じたと言い切ってしまえば、この国はペガシャールだ。文句は言いづらい。
『ペガサスの王は適材適所』。この謳い文句がある限り、俺の人材に対する采配は絶対的な権限を有しているのだから。
「それほどに、私とマリアでは差がありますか?」
「あぁ、ある。……お前は、知略、謀略、政略のいずれかでエルフィに勝てないと言わせる自信はあるか?」
「エルフィール様に?不可能に決まっています。」
彼女は正真正銘の天才です、私に敵うはずがないでしょう。そう、バゼルは言い切った。
よかった、と思う。これでわずかでも『出来る』と言おうものなら、ギュシアール老に頼んでその性根と人を見る目を叩きなおしてもらわなければならなかっただろう。
「そのエルフィが『恐怖する』のがマリアだ。わかるか?」
「……。」
バゼルは熟考する。無理もない、絶対に自分では勝てないと思う相手が、恐怖する相手。それは、相手のことを対等かそれ以上であると判断していなければ起きない現象だ。
エルフィと対等かそれ以上。……つまり、男であれば問答無用で『王像の王』になった正真正銘の化け物と対等か、それ以上ということ。
比較対象にする方が間違っている、と思う。マリア=ネストワは、優秀程度の人材では太刀打ちできない天才性を秘めている。
テッド子爵家の名を背負って戦うには、バゼルは努力家で、才気があり、戦場に立つ根性もおそらくその場その場での優れた度胸もあり……そして、生真面目である。
比較対象がマリア出なければ、いい。だが、彼女を相手にすれば……これほど優秀な男が、心が折れて自滅していく未来が見える見える。
ほんの、20分ほど。バゼルが何を考えていたのかはわからない。
だが、馬を進め続けた先で、彼は振り切ったように、笑った。
「陛下のお考え、よくわかりました。私に配慮してくださったこと、非常にありがたく存じます。これからは『砦将像』として活躍して参るつもりですので、よろしくお願いします。」
「あぁ、期待している。『砦将像』とはいえ、お前は『魔剣と策謀のテッド子爵家』だ。防衛任務だけにつかせるなどというもったいないことはしない。お前の仕事は侵略だ。」
「侵略、ですか?」
「あぁ。言っただろう?余は皇帝を目指す。皇帝になる以上、他の国の内二つは余が生きているうちに絶対に滅ぼさなければならぬ。」
驚いたように、バゼルが俺の方を見た。建前だと思っていたらしい。建前なものか。
もう、俺は『皇帝宣言』を行った。国名も『ペガシャール王国』から『ペガシャール帝国』に変えた。
もう引けない。引けば、次に起きる『神定遊戯』で、何かはわからないがペガシャールが不利になるだろう。神はそこまで、人に都合よくはないだろうから。
当代はいいかもしれない。だが、未来のことを考えた時、皇帝宣言をした以上は皇帝になるのは必須事項だ。
俺の強い目を見たのだろう。バゼルがブルリと体を震わせる。
「陛下が、『王像の王』に選ばれた理由が分かった気がいたします。」
「ほう?」
「陛下は……ええ。陛下は、立派な『王』でいらっしゃられます。『王像の王』ではなく。」
それは、いい考えだと思った。別段本気で言っているわけではないだろう。『王像の王』であること以前に王であるという主張は、少なくとも『神定遊戯』が起きている間にまかり通る主張ではない。
だが。俺が望む答え、俺が望む臣下の在り方を、この短時間で明確に……そう、言葉として口に出来る程度には理解したのだということは、わかる。
「流石だ、テッド子爵。」
「恐れ入ります。」
俺側はさておき、バゼル側が俺のことを理解した。そう察した矢先。
向こう側に、巨大な建物の影が、見えてきていた。
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