105.ゼブラ公国、陥落

 俺はゼブラ公都の威容に目を細めた。

 小さい。ペガシャールの旧王都ディマルス、王都ディアエドラと面積を比較すれば圧倒的に小さい都市だ。だが、この都市は威圧感を感じるものだった。

 理由は言うまでもないだろう。その、丁寧に掃除された壁。異臭のしない街並み。日々を平穏に過ごしていそうな、民たちの顔。

 わずかに表情に浮き出る不安は、グリッチの敗北ゆえだろうが。それでも、目が死んでいない……王が、民たちを守るという信頼をされている。

「国として、為政者としての格差を感じるな。」

「まぁ、頭がどれだけ優秀な人間であっても、身体が病体であれば何も出来ないからな。」

クリスが私に返す。そのセリフは、現在のペガシャール国王アグーリオ陛下がどれだけ優秀でも、貴族と政治制度が腐っていれば改革のしようがない、という言葉を意味している。


 そういう意味では、『神定遊戯』、そしてアシャト陛下の決断は非常にありがたかったと思う。王国が抱え込んだ数多くの失態を出来うる限り消去し、腐敗を排除し、国として正しい形に戻すには、従来の王国の形を引き継ぐではどうしてもできなかった。

 アダットやレッドが王になった場合、国はどうしようもなく弱体化すること……あるいは軍のみが強化されることが目に見えていただろう。軍が強化されるのに、民が、畑仕事が強化されない未来すらあり得た。そう考えると、アシャト王でよかったと心から思う。


 しみじみと、アシャト王が王になったこと、『神定遊戯』が今起こったことに感謝していると、城にたどり着いた。私は馬から降り、従者に預ける。クリス、アメリア嬢も同様にその通りにした。

 門の前で、少し待つ。ペディアは中陣、エリアスとミルノーは一番後ろにいる。兵たちに指示を出してからこちらに向かってくるだろうから、あと10分ほどはかかるだろう。オロバス公爵はげっそりとやつれているように見える。軍の指揮は得手ではない、と後で弁解された。それはもう、戦場で嫌というほど実感したとも。


 文句は言いようがない。今から、ゼブラ公国を掌握し、国に情報や資源を持ち帰る時に働いてくれたら、一瞬劣勢になったくらいは帳消しに出来る。

 どちらかと言えばオロバス公の軍事下手に気が付かず、普通に一面の指揮官を任せた私の方が文句を言われる事態だ。責任問題にならないだろうか、と一瞬まじめに考えたくらいである。


 だが、そんな私を笑うかのようにクリスは言った。

「だからお前は『将軍像』なんだ。陛下だってそこまで期待はしていない。結果的に勝てばいい。だから陛下は、傭兵としても活躍して来たエリアスとペディアをつけ、オロバス公を将軍ではなく参謀として任命し、俺とアメリア嬢をおき、『像』がいない国相手に六人もの『像』を注ぎ込んだのだ。」

と。最初から完璧を求められていないのは痛い。それ以上に、陛下の意を汲めなかったのが心苦しい。それでも、何事も経験だと笑うクリスの顔が、なぜか何よりも頼もしく見えた。

「さて。到着したか。」

「はい、コーネリウス様。……行きましょうか、ゼブラ公王に会うために。」

残りの『像』とオロバス公が揃った。後は、公王を口説き落とせばそれで終わり。


 ゼブラ公国への侵略、最後の戦争。それは、戦勝国と敗戦国の、政争だった。




 ギデオン=アデュール=ゼブラはもはや玉座には座っていない。謁見室のような豪華な部屋に、西側に整列しているのみだ。たいして、私たちペガシャール帝国軍も、玉座の方には歩み寄らない。

 玉座から引かれる赤い布、その東側に私たちは立つ。……単純に国の場所の問題だ。ペガシャール代表である私たちは、ペガシャールに背を向けてたつ。その方向にいる、ペガシャール帝国民全てを背負って、私たちはこの場に立っている。

「ゼブラ公国に、戦勝国であるペガシャール帝国、その総大将コーネリウス=バイク=ミデウスが告げる。我が軍は貴国に、ゼブラ公国の解体、及びペガシャール帝国への恭順を命じる。」

「……。」

拝命する、とギデオンは言わない。無言で、先を促している。

「それに付随して、ゼブラ公国最東端、ヒュデミクシア王国に隣接する砦が一つ、エーマイリエン、及び最東端、ペガシャール帝国に隣接する砦クエリトムラを除くの全ての領土の安置、公王ギデオンの侯爵位の授与、及び国内より一人の『像』の任命という厚遇を持って貴国を遇すると約束する。」

その紡がれた言葉に、ギデオンも、グリッチも目を見開いた。敗戦国に、交渉すらもせずにここまでの譲歩を、最初から提示するなど、なみではない。よほど、ゼブラ公国に求めるものが大きいのだろうか。




 不穏に思う俺たちの気持ちを察したか、若き『護国の槍』は淡々と続けた。

「驚くのも無理はない、が。ゼブラ公国は、非常に富める地だ。そこの内情を無理にかき乱し、我らが手中に収めるよりも、最初から治めている人間がこれまで通りに富ませ続けることを我らが王は望んでいる。」

コーネリウスが続けた言葉に、兄上が呆然とした顔をした。珍しい、と思う。俺と、カリンと、兄上の護衛以外に、ここまで表情を取り繕わない兄上を見るのは初めてだ。それほど、ペガシャール側の提案は常軌を逸しているという意味でもある。


 待てよ、と思った。ふと。気づくべきだったのに、今の今まで気が付かなかったことを、俺は聞いた。

「ペガシャール帝国、と言ったか?」

「あぁ、言った。私たちの王は、いまだ三国三つの『王像』を手中に収めていないが、『帝国』を名乗った。意味が分かるか?」

わかる、と俺と兄上は同時に頷く。それは、宣言だ。必ず三国は滅ぼし、皇帝になるという、宣言。

「そのため、陛下は優秀な人材、優秀な土地柄、多くの資源を必要としている。全てが揃っているこのゼブラを荒らす真似は、我が王は求めない。」

無理をしながら話しているように、見えた。コーネリウスは一人称が『私』だ。私たち、と言いたいが、戦勝国としての威厳もあって、一時的に『我』と自分たちのことを呼んでいるのだろう。どころか、敬語すらやめて威圧的に話している。貴族としての顔ではない、政治家としての顔。……だが、ゼブラ公国は知っている。『護国の槍』は、その絶対的な軍事の権限と働きの代わりに、政治家として、貴族としての在り方は極力排除した一族だ。

 政治家としての基礎努力が絶無に等しいであろうコーネリウスに、あの役回りは慣れない上に面倒くさいに違いない。


 奴の心情についてはさておき。そうまでしてコーネリウスが話している以上、ある程度事実だと思われる。ペガシャールに関わらず『像』は主たる王に関わることについて嘘はつかない。捕虜になっているならまだしも、ここまで優位な状況で、主の言葉に嘘を混ぜる理由がない状況で、嘘を言うことはない。

 隣のオロバス公爵ではなく、コーネリウスが話しているというのは、それを信用させるための技だろう。……つまり、『王像の王』は、ペガシャールを真に帝国にするつもりで動いている。

「エルフィール様が『王像』に選ばれたのか?」

アダットが『王像』ならそんなことは求めない。奴は己の身の安全と、暴飲暴食華美自適を望む人間だ。己の権勢が確定したら、それで満足する人間性だっただろう。

 

 そもそもあいつの才覚では、どんな道を辿ろうとも『王像』に選ばれることはなかったであろうし。

 レッドなら、どうだ。奴は『王像に選ばれ、国を立て直すこと』に興味はあっただろうが、その先に興味があったようには思えない。むしろ、『王像』に選ばれなければ王になる道はなかったのだから、そのために動いているだけの印象だ。未来を考えていたとは思えない。


 つまり。俺の知っているうちで、「皇帝を馬鹿正直に目指す」『王像の王』になりそうな人間は、エルフィール様しかいない。女が『王像』に選ばれるのは前代未聞だが、そうでなければありえない。

「いいや、違う。」

だが、コーネリウスは、実にあっさりとそれを否定した。

「女性が『王像』に選ばれるには、障害が多すぎる。性格、能力、王としての器、全てに秀でているエルフィール様は、しかし資格という点でレッドに敵わぬ。」

「では、エルフィール様がレッドと婚約でもして、レッドを傀儡にしたのか?」

「それなら確かに国は非常にうまく回っただろうな……が、違う。今代『ペガサスの王像』に選ばれた王の名は、。」

は、という表情を、俺も兄上もしていたと思う。兄上は、誰だそれ、という意味のは?だろう。


 そして俺は、なんでその名前が出てくるのだ、という意味の、「は?」だった。


 コーネリウスは、わずかに苦い顔で、淡々と続けた……まるで、主に不満でもあるかのように。

「先代『王像の王』エドラ=オロバス=フェリス=ペガサシア陛下。その13子スレイプニル=エドラ=オロバス=ペガサシアの直系の子孫が、今代王像アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシア様だ。」

その、大層な名前の人が、あのアシャトさんだろうか。……いや、偶然の一致ではあるまいか。そう思って、悶々とする。

「選ばれた『像』は、私が国を出るまでの時点で、15名。」


『元帥像』デファール=ネプナス。

『宰相像』ペテロ=ノマニコ。

『将軍像』コーネリウス=バイク=ミデウス。

『魔術将像』ジョン=ラムポーン=コリント。

『智将像』マリア=ネストワ。

『砦将像』バゼル=ガネール=テッド。

同じく『砦将像』エリアス=スレブ。

『兵器将像』ミルノー=ファクシ。

『連隊長像』ペディア=ディーノス。

『騎馬隊長像』クリス=ポタルゴス。

同じく『騎馬隊長像』アメリア=アファール=ユニク=ペガサシア。

『跳躍兵像』ニーナ=ティピニト。

『工作兵像』メリナ=ネストワ。


 そして、『近衛兵像』フレイ=グラントン=ニネート、オベール=ミノス。


 『近衛兵像』、=アファール=ユニク=ペガサシア。


「一応。エルフィール様は『妃像』になることが確定しておられる方だ。」

コーネリウスは。最後にそう付け加えた。だが、俺にとって重要なことは、そんなことではない。エルフィール様には、そんな無礼な言葉は放ってはダメだろうが。しかし、些事でしかない。どうでもいい。


 思えば。ギュシアール=ネプナスが支援したというのもそういう意味合いだったのだろう。彼と出会った旧伯爵領、その都市の名はホマム。元エドラ=スレイプニル伯爵の領館であった場所。

「フフフ、フフ、ハハハハ、ハッハッハッハッハッハ!!」

急に笑い出した俺を見て、兄上が驚いたように俺を見る。兄上だけではない。俺のまわりにいる全てのゼブラ公国貴族たちも、向こう側にいる全てのペガシャール貴族や『像』たちも。そろいもそろって、驚いて俺を見ている。


「そうか、そうなのか。そりゃ、面白い。」

笑うしかないとはこのことだ、と思う。わずか二ヵ月とは言え共に過ごした俺ですら、権力のにおいを微塵も感じなかったのだ。平民の割には優秀で、落ちぶれた騎士階級クラスの貴族かと思っていたが、とんでもない。


 あれが、今代の『王像』か。そりゃ無理だ、俺や兄上では敵うはずがない。

「兄上、受け入れましょう。彼らの言うアシャト様が俺の知るアシャトさんだったら、いよいよ勝ち目はありません。」

「お前が、そう言うのか?」

「はい。兄上には肉親の愛をもって仕えるつもりでいましたが、兄上がいなければ肩を並べて戦いたい、そう思わせてくれた唯一の人物が、アシャトさんです。俺、いや、私は、あの人の傘下にならなりたいと思います。」

「グリッチがそう言うのか。……わかった。」

兄上は、何かを考えるように目を瞑ると、一瞬で目を上げて、言った。

「ゼブラ公国はペガシャール帝国に降伏する。貴殿らが出した条件を全面的に呑む。ただし、『像』に選ぶのはグリッチにしてくれ。」

「それを決めるのは我々『像』ではなく、王たるアシャト陛下です。」

即答。アシャトへの忠誠……というより、長年『王像の王』に仕えてきた一族なだけはある習慣的な反応。


 『護国の槍』の習慣は、時を超えて受け継がれている。

「とはいえ、グリッチ殿。あなたにはその才能がおありだ。十分、『像』になることは出来るだろう。」

「そう言っていただけて、大変光栄です。これからよろしくお願いいたします、先輩方。」

こうして、ゼブラ公国とペガシャール帝国の戦争は、終わった。

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