104.雷馬将の家族

 俺が故郷に帰ると宣言した時、止める者は誰もいなかった。

 当たり前のことである。青速傭兵団は、その末端、雑用の一兵卒に至るまで、徹底的にゼブラ公国の軍隊で組織されている。……つまり誰一人として団長、グリッチの身分を知らないものはいない。

 団長の決定に異を唱えるというのは、即ち第二公子に異を唱えるということである。首が飛ぶ覚悟でもしなければ出来ることではない。


 それに、この10年間で学習した。今のペガシャールは、法も治安もまともに機能していない。禁止されていたはずの傭兵が復活しているだけではなく、その多くはヒュデミクシアからの移民と領地を失った役人階級だ。

 一介の傭兵団長の出自が外国の貴族であり、何かがあったから心酔する部下たちと帰国した、というのは何ら不自然な話ではなかった。

 問題があるのはただ一点、俺たちがゼブラ公国民であり、俺が公子であるという部分だけ。それも、話さなければ誰にもわからないよう、俺は徹底的に出自だけは隠してきたはずだ。

「……行こう。」

かくして。『ペガシャール四大傭兵部隊長』が一人、“雷馬将”グリッチは、ペガシャールの地を離れたのだ。




 帰路は、随分と急いだ。十年ぶりになる自国ではあったが、公都ゼブラ以外に懐かしむものなど、少なくとも俺にはなかったためである。

 ゆえに、二月かかる距離を半月分も短縮してのけられたのは、僥倖だった。兵士たちには悪いとも思うが、それは別で褒章を出すことで受け入れてもらうとして。

「父上!」

帰国した時、父は病床に伏していて、しかしまだ辛うじて息があった。

「グリッチ……か?」

「はい。あなたの息子、グリッチが、ただいま帰国いたしました。」

「そうか……そうか。大きくなったな。」

父は、一瞬俺を俺だと認識出来なかったらしい。それはそうだろうな、と思う。


 俺は14の頃から10年もの間、他国にいたのだ。成長期はペガシャールで過ぎていて、その間、一度たりとも帰国していないのだから。

 あのころより背は延びた。体格はより大きく、声は野太く。顔は精悍な方になった……と思う。


 親子とはいえ、息子の判別が出来なかった父を責めるわけにはいかない。むしろ、これが俺の選択か、と、兄に『お前には辛い』といわれた意味がわかった気がした。

「いいや、確かにお前はグリッチだな。寂しいことを隠すときの顔に、幼い頃の面影が残っている。」

「そんなもの、わかるのですか?」

「私を誰だと思っているのだ、グリッチ。人の顔色を読むことを仕事にする公王であり、お前たちの父だぞ。」

「出来たら父だけを強調していただきたかったですね。なにか台無しな気がします。」

ワハハ、と父が笑う。その笑みに、俺もまた幼き日に記憶に刻み付けた父の面影を見た。


 10年経って年を取ろうと、病魔に蝕まれ痩せ細ろうと変わらない、闊達で子供思いな父の顔。それを見た瞬間、間に合ってよかったという思いが心を満たす。

「お前に会えていないことだけが、心残りだったのだ。」

父が、ポツリと、呟いた。先程の元気な姿からは一転、それは瀕死の病人に相応しい、弱々しい声だ。


「お前はペガシャールへ行き、武と軍を磨いてきた。同様に、ギデオンは国内に留まり、私のとなりで政治の腕を磨きあげた。」

そういえば、と気がつく。父は己を私と呼んだ。……出国前は余と呼んでいなかったか。

「ギデオン。」

「はい、父上。」

「ゼブラは己らにアデュールという姓を設け、エドラの身分を切り捨てた。万が一世界に再び『神定遊戯』が起きたとき、そなたらは決して王には……『王像の王』には選ばれぬ。」

「……はい?」

「公王が死ぬとき、必ず言い残すことになっている遺言だ。……理由はわからぬ。だが、いつかゼブラ公国は重要な決断を迫られる。」

『神定遊戯』が起きたとき。ヒュデミクシアとペガシャール、二つの『王像』ある国に挟まれた国になる。その時どう動くか。ゼブラ公国は、その立地上。どこよりも深く考えなければならない。

「政のギデオン。軍のグリッチ。二人が国を盛り立てて行ってくれることを、私は心から祈っている。」

そうして、父は目を閉じた。死んだかと思ったが、眠っていただけのようだった。


 その後、三日。父は眠り続け、目を覚ますことなく息絶えた。




 俺がカリンと再開したのは、父が眠りについた翌日のことである。

 俺と再会して、心残りがなくなったのか、ねむりが深いと医師が言った。ゆっくりできるならそれに越したことはないと、俺は思う。

 ……貴族たちはさっさとくたばってくれと思っている節があるが。俺はそうは思わない。急激に容体が変化するならさておき、死ぬならゆっくり穏やかに、の方がいい。

 深く眠っているのなら、痛みはないはずなのだから。

「兄上。」

「カリンか。久しぶりだな。」

10年ぶりに合ったカリンは、14歳と言って素直にそう思えるほど、健康的で穏やかな成長をしていた。目に宿る少し不安そう……いや、不穏そうな色がなければ、平和に過ごせていたと俺も安堵できただろう。

「お時間、よろしいですか?」

可愛い妹の依頼だ。拒否するということは、毛頭、浮かびもしなかった。




 妹が淹れた茶を口に含む。茶葉は高級品だ。……これのように、そこまでいい茶葉ではなくとも、かなり値が張る。

「……下手なだけですよ、兄上。」

「そうか。」

「嫁入り修行?から逃げていたらこうなりました。」

何も言えない。ゼブラの公女としてはしっかり修行しろと言いたいところだが、24歳独身である俺には何も言えない。言ったらブーメランで帰ってくる。

「父上と大兄上はウキウキで兄上の見合い話を溜め込んでおられましたので、……父上の喪もありますし、来年以降ですか?に見合いが殺到すると思いますよ。」

「やめてくれ……。」

見合い話がどうしても必要なのはわかる。俺はゼブラだ。まず間違いなく子孫を残す義務がある。

「……いやまあ、それは人間の義務だが。」

ゼブラに限った話ではなかった。

「適当に見繕ってくれたら見合いなどしなくてもいいんだが。」

「兄上、もし私が『嫌いな相手でも結婚します』と言ったらなんて言いますか?」

「カリンには何も言わないが相手は殺すに決まっているだろう。」

「……思ったより過激でした。まあ、大兄上も私も、似たような想いですよ。」

そういわれると何も返しようがないなと思う。家族が幸せになってほしいのは、貴族らしからぬとわかっていても、俺たちの性なのかもしれなかった。


「お前は結婚願望がないのか?」

「ないとまでは申しません。が、兄上が出ていかれて以降、貴族たちは兄上を王に擁するのを諦め、こぞって私の婚約者に立候補してきたので。」

見事な掌返しだったという。俺が国を出て、ペガシャールへの間諜兼武者修行に出たことで、兄が公王を継ぐことがほとんど確定した。

 それを把握した貴族たちは、父が死に兄が王になるまでの間に、出来る限り兄に近づこうとしていたらしい。その最たる例が、カリンへの縁談の申込。

 即ち、兄の息子の叔父の立場を買うこと。そうすれば、外戚としてそれなりの権力を振るえるようになる。……少なくとも、家が滅びる事態には、その代はなくなると言えるだろう。

「欲しいのは皆私の家柄。それをあれほど露骨に見せられては、私の結婚意思も失せますわ。」

「そりゃそうだ。……後、どうして敬語なんだ?」

どうしてもさすがに気になるな、と思って聞いてみる。


「10年ぶりなのですもの。どう接せばいいか、流石に私ではわかりませんわ、兄上。」

最後に会ったのは、4歳の時。それは確かに、仕方ないかもしれないと思いなおす。

「敬語はやめてくれ。妹に敬語で話しているというのは何だろう、こう、気分が悪い。」

「そう。うん。わかった。私の結婚の話はいいでしょ、兄上。私、自分で選ぶわ。問題は兄上の方よ。」

私はまだ、あと5年くらいは最大でも時間を取れるし、とカリンは言った。そりゃ、適齢期はまだ先だ。それでも16

くらいになったら結婚しているものだし、今になって相手が決まっていないというのはどうなのだろう、と思う。

 そういえばペガシャール王国の貴族も結婚している女性が意外と少なかったな、と思いだした。政情が安定していないせいで、気軽に婚約が結べない。結んでしまえば派閥が固まるだけではなく、政争に負けた時のお家存続の手段がなくなるのだ。


 勝利派閥の有力貴族に娘を嫁がせることで生き残った子爵以下の貴族の例など、世の中にはどこにでも、いくらでも溢れているのだから。

「まあ、どこも同じか。」

「何を納得したのかは知らないけど、兄上、わかってる?兄上に集まってきている見合い相手たちは適齢期を迎えて、諦めて他の貴族と結婚した人も多いのよ?」

俺が国を出たのは14歳。その頃から見合いが来ているとすれば、その当時の相手は24歳。……まあ、普通に考えて結婚している。

「24歳になっても、兄上と見合いして成功することを疑わなかった一部の野心家の娘が残っている。」

妹と同じだ。俺と結婚するということは、王の弟と結婚するということ。それなりに大きな権力を握ることが出来る。

 そうでなくとも、軍部は俺の預かりになることが、あの当時でほとんど決まっていた。俺の義父になれれば、軍部の発言権が増すという考え方をする人間はいるはずだ。


「あとは単純な売れ残り。」

……それは、何といえばいのだろうか。16~長くても大体20代初期には結婚しているのが普通の世の中で、24歳まで売れ残った。そういう娘は基本的に私属貴族か執事階級に嫁がされていくものだが、そっちにすらいけなかった売れ残りだったら本当に笑えない。


「でもまあ、大兄上は兄上に幸せになった欲しいから、どっちとの見合い話もあまり進めないと思う。……多分、私と同い年か、少し上かな?」

8歳から10歳年下と結婚しろと言うのか。……まあ、文句を言える筋合いもなし、兄上が望むように丸投げしようと思う。


「……頑張って、兄上。」

面倒そうなのが顔に出ていたのだろう。カリンは、私に、そう言った。




 そうして父は死に、兄が王位を継ぐ。

 そうして、葬式と、喪に伏す時期、その間に淡々と進められる国内の大臣や将軍の入れ替えが行われている間に。


 父が死んでわずか半年。ペガシャール王国軍が、攻め込んだ。

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