102.雷馬将の敵情視察
まずは一人で。いや、ヴェーダとイディルとサウジールを連れて、四人で敵情視察としゃれ込んだ。
一気に3000人もの人数を、ペガシャール王国になだれ込ませるわけにはいかない。聞く限りにおいてはペガシャール王国はもう国境線も、戸籍すらもろくに機能していないらしい。とはいえ、一気に人が増えると不審だろうと思う。いくらなんでも間諜だとバレるようなことは避けたかった。
「……ひどいですね。」
「だな。」
僅か二ヵ月。国をまわった感想は、これなら今のゼブラ公国でも勝てるのではないかという仮想だった。
「200人くらい呼び寄せますね。」
「あぁ。この国は今傭兵がいるらしいからな。それでいいだろう。……傭兵という職業は禁止されていたのではなかったのか?」
「この治安状況で法が機能していたらそりゃもう奇跡ですよ。」
「違いない。」
笑う。間諜としての任務を果たせないのではないかと不安になる気持ちは割とあったのだが、これはそこまで気にしなくてもいい状況だった。
本当に、楽な仕事だ。俺たちは、傭兵団としての仕事を、貴族に限定することとした。
17歳のころである。俺がペガシャール王国で活動し始めて、2年と少しが経った頃。
俺たちは王国内で、それなりの傭兵団としての地位を確立することが出来ていた。
曰く。傭兵らしからぬ、貴族への礼儀作法を良く弁えた男たち。
曰く。貴族の依頼だけを受け、貴族の持つコネとカネを戴く守銭奴。
曰く。仕事は確実で迅速。時に暴走することも多い傭兵にあって、完璧すぎる規律を敷いた、些か軍隊じみた傭兵団。
貴族御用達の部隊として、ペガシャール王国の中でもそれなりの名前を築き上げることが出来た私は……エドラ=ラビット公爵家の一族の領地に、政争に赴くことになった。
財を尽くしているのだろうと、一目でわかった。そして、財があるのだということもまた。
この家は、この領地は純粋に、人が多い。領土全体を通して非常に。そう、異常なまでに人が多い。
この国に来て、多くの貴族家を見てきた。多くの貴族領を見てきた。
エドラ=ラビット公爵領を見れば、わかる。他の貴族領と比べて、圧倒的に人が多い。
「政争で勝ち続けてきた結果だろう。」
負ければ、お金がなくなる。民から搾り取らなければ生きていけなくなる。だから民は逃げる。領地は痩せる。
勝てば逆に財布に勝手にお金が入り込んでくるのだ。税収を上げる必要はなく、民が苦しむことはなく、普通に普通の領地経営が出来る。結果、人は減らず、増える。
あぁ、確信できる。こいつは、ここにいる政治家は、間違いなく手ごわい。
「『青速傭兵団』団長、グリッチと申します。」
「……ふむ。なるほど。」
じっと、上から見つめる視線を首から脚にかけてに感じた。見下す目では、ない。これまでの貴族にあった、人を見下す目ではない。これは、人を見極めようとする目だ。
「誰だ?」
何のことだ、と返すべきか。それとも、再び名乗るべきか。
俺は、何のことかわからないというように首を傾げる動きをしつつ、同時に顔を挙げることはしなかった。
「まぁ、よい。貴様の仕事は、エドラ=ケンタウロス公爵派閥の内にいる傭兵団を一つ潰すことだ。」
「は、承知しました。」
なぜ、とは聞かなかった。どの、とも聞かなかった。平民の、依頼を受ける俺たちの仕事には、『それら』を察することも含まれている。
わからなくても、よかった。傭兵の多くはそれが出来ずに斬られるものも多いと聞く。だが、こと俺に関して。つまり、ゼブラ公国の第二公子という、『貴族教育』の集合にとっては、意をくむのはそこまで難しい話でもなかった。
エドラ=ケンタウロス公爵家にいた傭兵団は、非常に弱かった。お抱えというから期待していたのだが……これから育てていこうとしていたのか、それとも食い扶持を与えようとしていたのか。
ゼブラ公国正規軍の前に立つには、申し訳ないが力不足だった。頭を殺して他は逃がした、一応頭の首さえあれば、依頼達成の証明にはなるだろう、と。
「お前が貴族間で高名な傭兵団の長とやらか。」
そんな時に、ふと声がかけられる。見れば炎を思わせる形に整えた黒髪の男が剣を提げ、俺に向けて言葉を放っていた。呼び止めるでもなく、挨拶するでもなく、止まって当然とでも言うように。
それはさっさとこの屋敷から抜け出したかった。仕事は終わったのだ。ここは怖い。現在の当主が強すぎる。あれは、政治に関しては相当な化け物だ。
父や兄以上の何かを彷彿とさせる恐ろしさ。時間が経てばおそらくは俺の正体を、出身を見破られただろう。そう確信させるだけの何かがあった。
だからそそくさと……まあ「逃げたい」という意図がバレない程度に早くこの場を立ち去る用意を整えていて。そのさなかのことだった。俺よりわずか年上の……そう、19歳くらいの男が声をかけてきていたのは。
「私のことでしょうか?」
「そう、貴様だ貴様。貴様がグリッチ=アデュールという名の雷を思わせる馬か?」
「雷の……何の馬ですって?いえ、失礼。馬かどうかはさておいて、そのグリッチ=アデュールという名の人物は確かに私です。お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「私か?私の名前はレッドという。レッド=エドラ=ラビット=ペガサシア。次期『ペガサスの王像』だ。」
いつどうしてそんなものが決まったのか。彼は、己を『王像』になると信じて疑わない男らしい。無視するのが上策。しかし、完全に無視するには、身分の差が問題だった。
少なくとも今は傭兵。相手は公爵家の跡取り。客観的に見たら、農民にも満たない根無し草に高貴な方が興味本位で声をかけたの縮図である。
「それは、失礼いたしました。」
膝をつく。それに満足するように、レッドという人間は頷いた。
「貴様、私の部下になるだろう?」
断言の形で問われた。一瞬、頭がこんがらがる。……俺の主は父上と兄上だ。どうしてこんなやつの。
「分からないのか?」
困惑が伝わったのか、レッドが首を傾げる。どうしてわからないのだろうという風に。
「私は将来、『王像』に選ばれることが決まっている。私の部下になることは、貴様にとって非常に光栄なことのはずだ。私の部下になるだろう?」
夢見がちな男なのだな、と笑ってやればよかったのだろうか。それとも、自分に自信があるのだな、と羨んでやればよかったのだろうか。
俺の心に湧き上がるのは、こらえるのが嫌になるほどの、圧倒的な、不快感。だが、それを徹底的に心の中にしまい込んで、俺は口を開いた。
「そうですね。私も部下を養わねばなりませんので、今殿下の部下になるわけにもいきませぬが……殿下に『王像』が訪れれば、きっと、馳せ参じましょう。」
おそらくは、敵として。そう言いたい気持ちをグッとこらえる。そうすると、レッドはわずかに眉をしかめた。
「貴様、信じておらぬな?」
「『王像』はもはやおとぎ話になりつつありますから。信じ切れぬのはご容赦願いたい。」
「……ふむ。まあ、それならよい。ゆめ、今の言葉、忘れるでないぞ。」
レッドが『王像』になると信じていないのではなく、『王像』の実在を信じていない。そういう風に言葉を発することで、レッドの不機嫌はわずかに緩んだようだった。歴史を知らぬ愚か者め、という言葉が聞こえたような気もする。
そんな挑発には乗らぬように意識した。満足したなら、それでいい。悦に入っているうちに、一礼してその場を去る。
「忘れるに決まっているだろう。誰が貴様の部下になどなるものか。」
自分の絶対性を信じて疑わないあの口調。自分が絶対に勝てると信じているあの目。俺は、レッドという人間が、心底嫌いになった。
では、『王像』が降りなかった場合ペガサスの王になるはずの男、アダットの方を好いたかと言えば、そんなわけがなかった。
「グリッチ様、荒れておられますね。」
「当たり前だ!なんだあの畜生は!あれで一国を治める王になるだと?反吐が出る!」
あれを見たら、レッドのあの態度も納得いくというものだ。レッドの……『王像』の対抗馬があんな腐った男なら、誰がどこからどういう風に見ても次の『王像』はレッドに決まりきっている。
そうなれば、対抗馬のいない勝ちが決まった戦いだ。レッドは傲慢で、どうしようもないほど性根が腐っているように見えたが、あれでも能力だけは確実だった。たいしてアダットはどうだ。
能力、性格、行動、言動。どれをとっても腐っていないところがない。あれが相手では、レッドが傲慢で誰をも見下す屑になっても当たり前だ。
特に、
「兄上が王になる方が断然ましだ!侵略して王座を奪い去ってやろうか!」
無理だな、と思いながらも叫ぶ。
王宮は非常に治安が悪かったし、アダットは言うまでもない屑だったが、それでもペガシャールは死んでいない。
エドラ=ラビット現公爵は健在、俺より明らかに政治手腕に優れている。バイク=ミデウス侯爵軍と肩を並べた時は怖かった。あれほどの化け物がこの国にいたのかと驚愕するほどに。
そして。エドラ=ケンタウロス公爵の老獪さと、その娘エルフィールの英傑性。……はっきり言おう。なんでエルフィールが女だったのだ。男にさえ生まれていれば、誰に問われるまでもなく奴が王になっているべきだった。
「この国は根が腐っているのにな。幹や枝が頑丈すぎる。」
「それでも、彼らが侵略してきたときに軍を指揮するのはあなたです、グリッチ様。」
「分かっている。せいぜい学ばせてもらうさ……化け物たちの軍の腕を。」
そうして、さらに1年が過ぎたころ。
俺は、5年に一度開かれるという傭兵たちの会合に、招待された。
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