100.雷馬将の生立ち

 グリッチ=アデュール=ゼブラ。『ペガシャール四大傭兵部隊長』の一人にして、ゼブラ公国の第二王子。

 “雷馬将”の名はペガシャール全土に鳴り響くほど。しかし、実際問題、彼が何をしたかを知るものはそういない。

 ペディアがどちらかと言えば平民を助けることに重きを置く傭兵だったのに対し、グリッチはあくまで貴族相手に渡り合う傭兵だった。ゆえに、平民は“雷馬将”というすごい傭兵がいることは知っていても、彼のことを知る人はいないのだ。


 そんな彼は、ゼブラ公国の王の次男として、神遊歴973年に生を受けた。現在は24歳。彼が生まれた日、ゼブラ公国の貴族たちは皆一様に湧いたという。

 ゼブラ公国長男、ギデオンはこの時5歳。とても賢く、知識の吸収力はとても高かったが、武の方には興味をからっきし示すことがなく、さして広くはないこのゼブラ公国の将来を任せきるにはいささかの不安が出始めていた時期であった。


 幸いにして。グリッチは武学、こと戦争のやり方には人一倍の興味を示していた。

 4歳にして槍を握り、5歳にして戦術書を読むようになり……しかし、彼はそれには飽き足らず、8歳のころには政治についても学ぶようになっていた。


 その瞬間、国は二つに割れる。

 ゼブラ公国は、東のペガシャール王国、西のヒュデミクシア王国に囲まれた国だ。中でもヒュデミクシア王国は、神聖なる六国の中でも特に好戦的な国。武術軍学の心得がある人が王であれば、これほど望ましいことはない。

 それでも、政治が出来ないのであれば、次男に王位を望む声はなかっただろう。言うまでもない。国を治める能力を兄が、国を護る能力を弟が持っているなら、それはとても望ましいものだったからだ。

 だが、弟が政治に興味を持ってしまえば、弟が王位を狙っているのではないかと勘繰る輩は出て来るもの。ただただ興味にひかれて触れた書物に、それだけの効果があることなど。当のグリッチには予想の埒外にあった。


 貴族たちがそうして、どちらを王に戴くのかでもめ始めていた一方で。しかし、兄弟仲はとても良好だった。

「兄上!勉強を教えてください!!」

「グリッチ……あぁ。いいぞ、おいで。」

その日、彼が呼んでいた本の名は『ゼブラ領地図』と『地形戦略論』。子供が読むような本ではなく、しかし、寝食を惜しんでまで勉強に没頭していたグリッチにとってはギリギリ、少しずつではあるが理解できる内容になっていた。


 その弟に勉強を教えながら、兄も兄で執務に精を出している。

 この時、兄ギデオンは15歳。弟グリッチは、10歳。

 弟も、そろそろ仕事のまねごとを始める時期だった。




 グリッチが10歳になる、ほんの一ヵ月ほど前のことである。グリッチの父の側室が、一人娘を産んだ。名前を、カリン。カリン=アデュール=ゼブラ。

 ゼブラ公国、第一王女。妾腹の出とはいえ、最大級の政治の材料が誕生した瞬間だった。




 そうこうしているうちに、グリッチは何度か戦場に出ることになる。

 主な内容は、ペガシャール、ヒュデミクシア両王国から流入してくる盗賊の追い払い。

 いかに国として富んでいるとは言え、他国の民を受け入れるほどの余裕も法整備も整っていないゼブラ公国では、流民は追い払うしかなく。

 だが、民たちも必死だ。何としても生き残りたい、どれだけ醜く足掻くことになったとしても。それは、人間の当然の思考。だからこそ、グリッチは苦渋の表情をしながらも、民たちを追い払い続けた。


 国に受け入れなければ、食糧すらほとんどない民たちは、そのまま飢えて野ざらしで死ぬ。そんなことは、嫌というほどによく承知していながらも。




「グリッチ様はまぁ、不器用な方ですね。」

ある日。空をじっと見ているときに、隣で共に寝ころんでいた男が言った。護衛官のくせに寝てていいのだろうか、という疑問は、

「寝ている俺でも、倒せるほどの凄腕はいませんや。」

彼の言に、笑う。ああ、そうだと思う。

 兄や父所属の近衛兵でもない限り、彼を不意打ちで殺せる武人はそうはいるまい。安心だと、思う。


「不器用か?」

「えぇ、不器用ですぜ、グリッチ様は。」

「槍の腕も戦略の腕も器用な方だとは思うが。」

「そうですね。そう言ったことにはとても器用ですけど。グリッチ様は、自分磨きやそれを発揮することはとても器用になさりますが、人に見られる、ということに関しては驚くほどに不器用でいらっしゃいます。」

「驚くほど?」

「えぇ。国を二分するほど。」

そう言われると、何も言い返せなかった。自分が、人からどう見られているのか。それを考えて動くということが、私にはできない。……出来ていたら、私はどこかで勉強を止めていただろう。


「王になるのは、兄上だ。」

「そうですね、それが順当だと、俺も思いますが。残念ながら政務の力で兄と弟が同じだけの力量を持っているなら、差が出るのは武術の方ですよ。」

それは、困るなと思った。武術・軍学。そっちの方では、私が兄に負けることはない。

「どうすれば、兄が王になれる。ヴェーダ?」

「それは俺にもわかりませんや。兄上とお話になれば良いのでは?」

「兄と?」

「はい。王になるという争いは、結局お二人の問題です。周りの貴族の勢力争いが激しくなる前に、兄上と指針を決められた方が良いかと思いますよ?」

「……それもそうだな。ありがとう、ヴェーダ。」

「いえいえ。グリッチ様のご相談なら、いくらでも乗りますよ。とはいえ、直接政治に関わるような助言は出来ませんがね。」

「十分だ。……兄上と会ってくる。」

腰を上げた。その後ろを、ヴェーダがついてくる。


 俺が前。ヴェーダが後ろ。しかし、距離はいつも、とても近い。

 それが、俺たちの関係性だった。




 兄の執務室に向かう。城は広く、赤いじゅうたんが敷かれているが、装飾はない。

 この城は、常にどこかが通行止めになる。そのエリアの一帯は、絨毯が取り外され、新たな絨毯が敷かれるのだ。

 そして古い絨毯は、洗って再度利用される。完全に救いようがなくなるまで再利用が続けられる。

 絨毯そのものが大きいこともあり、取り外して敷きなおすというのは、一日近くかかることであり……一城全ての絨毯を取り外して洗うためには、日数にして実に二ヵ月もの時がかかる。二ヵ月して、全て洗いなおされると、再び最初からだ。


 土がつく。絨毯が汚れる。日々の掃除だけで誤魔化せるのは、二ヵ月が限界だと、母が小さいころに言っていた……今も小さい頃だが。

 兄の執務室への近道は、今絶賛掃除中だった。強権でも使って命令すれば通ることは出来るだろうが、そこまでしてわざわざ近道を通る必要もない。回り道をしてゆっくり兄に会いに行こうと歩いていた。

「兄上!!」

小さい少女が抱き着いてくる。柱の影から飛び出してきたのだ。気が付かなかったのは、少女が殺気も悪意も出していなかったからだろう。


「……ヴェーダ?」

「家族のイチャイチャを阻むほど野暮なことはねぇと思うんですわ、俺。」

「……。」

腰回りにギュッと抱き着く少女を抱き上げる。……まあ、確かに。懐かれるのは悪い気もしない。兄は俺に絡まれているとき、こんな気分なのだろうか。

「どうした、カリン?」

「何もないよ?兄上が見えたから。」

寄ってきて、隠れて、影から抱き着いた、と。かわいらしい生き物だ、と思う。とても兄と私の妹とは思えないほど、愛嬌ある妹だ。

 はぁ、と息を一つ。その腕を取って、手を繋ぐ。

「私は兄上のところに行くけど、ついてくるか?」

「大兄上のところ?うーん、行かない。」

「どうして?」

「みんながね、大兄上のご迷惑になるから、おやめなさいって。」

「そうか。みんなのいうことを聞けて、カリンは偉いな。」

「そうでしょ!カリンは偉いの!」

腰に手を当てて、胸を張る。


 私が4歳の時、こんなに可愛げのある子供だっただろうか。……10年前のことなど記憶にはない。何とも言えない気持ちが湧いてくる。

「じゃあ、夜に遊びに行ってごらん。夕御飯を食べた後。」

「うん!寝てなかったら、行く!!」

カリンはいつも、夕ご飯が終わったらすぐに寝てしまう。起きて私たちと一緒にいたいという気持ちはあるが、睡魔には勝てないらしい。

「フフフ、そうか。じゃあ、兄上にカリンが遊びたがっていたと伝えておくよ。」

「ほんと?やったぁ!」

カリンが喜びの意を露わにする。やっぱり、かわいらしいなと思う。


「じゃあ、よろしくね、兄上!!」

カリンが駆けて行った。その風景を見て、思う。

 カリンが幸せに生きられるよう、王様の争いなんてしていられない。

「この家はほんと、王族らしくも貴族らしくもないですね、グリッチ様。」

「少し自覚はある。……だけど、悪い気じゃない。」

「あぁそうですか幸せですか。……そういうところですよ、グリッチ様。」

最後、小声で何か言っていた気がしたが。大したことではないだろう。ヴェーダはそういうところがある。


 私は、兄の部屋に向かって再び歩き出した。

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