86.自給要塞の喪失

 攻めてきた。……ペディアが出て、二週間後に、彼らはここに到着した。

「……やっぱり、か。」

絶対に、最後の大博打に出て来るとは思っていた。櫓の上から見る限り、8000人もいない。……5000人くらいだろう。今までのように、少数で襲撃し、徐々に徐々に首を絞めるようなやり方ではない。一気に勝とうという動きだった。

「気合を入れろ!最後だ!!」

ペディアは、多分、一気に片を付けるやり方を取る。一週間。一週間耐えれば、ペディアたちは帰ってくる。


 それまで耐えれば、俺たちの勝ちだ。

 勝ってやる。大きな大きな鎌を握りながら、そう誓う。

「かかってこい……俺たちは、負けない!!」

叫ぶ。その声に答えるように、生き残った4000人の衛兵や狩人たちが叫びを返した。




 その覚悟とは裏腹に、戦場はひどく、静かだった。

 初日、二日目。盗賊たちは毎日のように、柵を、門を突破しようと近づいてくる。彼らに対して、狩人たちは矢を射かける。ラッキーなことに、矢は腐るほどあった。

 あと一週間か、長くても2週間。そう判断した村人たちは、資源にケチをつけなくなった。元よりそう判断して、矢の作成にも入っていたのだ。耐えきるくらいなら十分できる。

 柵まで近づいてくる盗賊には、隙間から突き出される長槍を。櫓からは投石を。

 そうすることで、一日目と二日目は、お返しとばかりに放たれた矢の被害以外はほとんどなく……10人殺される間に50人殺す、というペースで、軽い戦争が続いていた。


 一変したのは三日目からだ。

 盗賊は、近づいてこなくなった。攻めて来ることがなくなった。

 俺は、守れば勝ちだと思っているが。盗賊側は盗賊側で、資源を枯渇させれば勝ちだと思っているようだった。


 資源がなくなれば、食糧はなくなる。だが、金品はなくならない。

 商人はいない。交換する場所がない。ただただ、食糧がなくなって衰弱死して、持ち主がいなくなった金品が残るだけ。

 盗賊も、がむしゃらに攻撃するほど、愚かではない。

「守りに入られた?」

「うん。」

元狩人や衛兵たちと顔を見合わせる。

 ペディアたちが帰ってきたら、それだけで戦いは終わるのに。そうわかっていても、俺の胸には、ひどい不安が付きまとっていた。




 その日の夜。盗賊たちの作戦を、知った。

 叫び声。酒盛りのような楽しげな声。響き渡る、太鼓と笛の音。村を超えて山々にも響きそうな、大歓声。

「やられた!!」

こちらに寝る間を与えないつもりだと気が付いた。敵は、こっちがそこまで戦力が強くないことを見抜いている。


 狩人たちは、強いが、対人戦の強さではない。弓矢の扱いは誰よりも優れているだろう。だが、それでも彼らは対人戦向きの強さを持っていない。

 衛兵たちも軍団戦力としての強さではない。防衛戦ならそれなりに戦えるが、攻勢に出られるほどの強さを持っていない。


 守られるだけに嫌気がさして、この2年の間にみっちりと戦い方を教わった多くの男たちも同様だった。強くはなった。だが、赤甲傭兵団の強さの影に隠れながら戦う強さだ。戦力の水増しにはなるが、彼ら単体での強さではない。

 つまり、俺たちに攻勢に出る力はない。守勢に回って、全力を出して、ペディアたちの帰還を待つだけが数少ない勝ち筋だ。

 ヤバイ。守勢に回る、とはいうものの。


 その主たる武器は弓矢。集中力を欠かすわけにはいかない武器で、夜に宴会をされて眠れない。

 睡眠不足はそのまま集中力の低下と直結する。つまり、守備力の低下と直結するのだ。

 やられた、それが素直な、感想だった。




 五日目に家に帰って、愕然とした。

 リューが、布団ではなく床に倒れていた。

「おい、リュー!」

肩をゆする。呼吸を見て、生きているのだけは確かだと安心して。

「……すごい、汗。」

その割に体が冷たい。慌てて彼女を布団に横たえて、家を飛び出す。


 医者。医者、医者!リューは身重なんだ、何かあってからでは遅い!

 ……既に、『何かあった』状態だと、俺はまだ気づいていなかった。




「栄養失調と衰弱。……エリアス、お前の妻は、もう……。」

「どうすれば治る!どうすれば生かせる!」

「十分な食事と睡眠です。そして、精神的に負荷のかからない環境。」

「……そんな……。」

瞬間、無理だと悟った。何が原因かも、理解した。


 リューは言うまでもなく、妊婦だ。彼女には、それ相応にしっかりとした栄養が必要だった。

 だが、今は、盗賊たちが村のまわりを占拠していた。ずっと、何度も、2年近くにわたって、盗賊たちが襲い掛かってきていた。


 妊婦になったリューには、多くの配慮がされていた。彼女に体力を使わせないように。彼女にわずかでも多くの栄養が渡るように。

 村長の息子の妻の妊娠だ。次々代の村長だ。配慮は多分にされていた……が、限度があった。

 少しずつ痩せていくリューに、俺は気が付いていたはずだ。実は裏で、子供を本当に産めるのか、流産にならないか、彼女が不安がっていたことを、俺は気づいていたはずだ。

 それでも。リューが死ぬ可能性だけは、俺は微塵も考えていなかった。流産の可能性はあるかもしれない。子供が産まれないかもしれない。それでも、妻は、リューだけは生き残ると、俺は無意識に信じ込んでいたのだろう。だから、こう、なった。


 妊娠による体力の低下、それに比例して要求される栄養の増加。対して、どう足掻いてもそれ以上増やせない食事の環境。補給が足りずに、母体の命から吸収されていく生命力。

 それでも、彼女は耐えてこれた。多くの配慮を得、食事以外のストレスをほとんどなくすことで、彼女は体力が尽きることもなく生きてこれた。


 だが、それを。盗賊たちの、二日にわたる大騒ぎが、阻んだ。

 昼は戦の音、敵味方から発されるピリピリとした殺気。時に金属同士がぶつかり合い、人の血の匂いが村を満たす、そんな状況。

 夜は宴の音。こちらを眠らせるまいと騒ぎまわり、拍手が響き、笛が鳴る。それにいらだつ村人たちの、空気を震わせるような怒りの感覚。


 彼女はストレスが少なかった。その多くを寝て過ごしていた。

 ……栄養が不足した体で、妊婦が、異常に多大なストレスがかかる環境で、眠りたくとも眠れない。たった二日。たったの二日といえども、体調を一気に悪化させるには、状況が整いすぎていた。


「終わらせないと。」

飛び出す。今すぐに盗賊の元に飛び込み、一人残らず殺して見せる。鎌を手に取り、足を踏み出す。

「エリアス!」

門に駆ける俺を、兵士たちが必死に止めた。羽交い絞めにされて、武器を取り上げられて。


 それでも、その程度で。

「俺の足を、止められると思うな!!」

身体を、強引に前に進める。一人でもやってやる。敵はたったの5000人。5000人さえ殺したら、リューを助けるために食糧を、もっともっと腕のいい医者を呼べる。呼ぶために駆けられる!

「無理だ!俺たちは、赤甲傭兵団なしに、5000人には勝てない!!」

「全員に行けとはいっていない!俺一人でもやってやる!!」

「お前が死んだら、リューさんになんて言えばいい!伝えるだけで心を病んで死にかねないぞ!」

足が、止まる。体が、硬直する。次の一歩が、踏み出せない。

 その狩人のセリフを、そんなことはないと切り捨てることが、俺には、出来ない。他でもない誰よりもリューのことを理解している。……彼女なら、本当に、そうなりかねない。

「クソ!」

悪態をつく。盗賊がうざい。


 早く、帰ってこい。ペディア。……帰ってきてくれ、手遅れになる前に。




 十日目。七日目の昼に、俺たちが少数で敵陣に奇襲をかけたからだろう。夜騒ぐことはなくなった。

 当たり前といえば当たり前だが、夜のうちに騒げば昼は寝る。敵はその配分を半分ずつとかに分けていなかったらしく、奇襲をかけた時に七割近くが寝ていたらしい。

 少数でなく大勢で奇襲をかければよかった、と思わなくもないが……防衛から人を離すわけにもいかなかった。仕方のない措置だったろう。


 とはいえ、夜の宴会がなくなったのは助かった。おかげで、リューは夜しっかり眠れるようになっている。

 だが、快方に向かう様子が、ない。まだか、まだなのか、ペディア。


 そう祈っていた時のことだった。遠くに、赤い亀の甲羅の旗が見えた。

「帰って、きた?」

「はい。……帰って、着ました。」

ペディアの、赤甲傭兵団。彼らは……隊の着る服も、要所要所を守る鎧も血や泥にまみれてボロボロだったが……それでも、走って帰ってきていた。


 昨日遠くで休んで、今日、一気にケリをつけるために走っているのだ。俺は、そう直感して。


「赤甲傭兵団が帰って来た!敵の拠点を潰して、帰って来たぞ!今こそ、盗賊を根絶やしにする時だ!」

疲労をにじませ始めていた元狩人たちが、元衛兵たちが、戦う術を覚えた農民たちが顔を上げる。

 赤甲傭兵団の旗を見て。走っている彼らを見て、希望を見つけたかのように興奮して次々と立ち上がる。

「我慢の時は、終わりだ!行くぞ!!」

全員が立ち上がる。全員が駆け始める。

 おそらく村の全てに響き渡るような歓声。


 村人たちの心は、一つだった。




 やった。終わった。もう、盗賊はいない。医者を、商人を、肉を。リューを早く、元気にしないと。

 そう思って、家に入る。着替えて、すぐに動くために。もう少しで、彼女を助けられると喜び勇んで。


 そんな俺を見て、リューは笑った、玄関口で。


 倒れた。


「リュー!!」




 枕元。彼女が、薄い目を開けて俺を見た。

「終わった!終わったよ、リュー!だからもう大丈夫!すぐに腕のいい医者を見つけて来るから!おなか一杯食べていいから!……だから、」

「ごめん、ね、エリアス。」

……俺はこの目を知っている。戦場、致命傷を受けて、もう助からないと悟った男たちの目。

 そう。死を目前にした、人の、目。


「私、もう、無理みたい。……おなかの子は、産みたかったな。」

「リュー!!」

手を握る。彼女の命が、生気が、吸い上げられていくような。宙へと溶けて消えていくような。

 そんな彼女の感覚は嫌だと、生きてほしいと。命を彼女に譲り渡すくらいの気持ちで、ぎゅっと握る。

「あったかいね、エリアスの手。」

「……冷たいな、お前の、手は。」

本当に、冷たい。大丈夫、大丈夫だ、リュー。こうして握って、お前の身体を温めるから、だから、どうか、まだ。


「私、生きて、いたよ。ここで。エリアスの、妻として、生きた、よ。」

「まだ、まだこれからも生きる!そうだろ、じゃないと、じゃないと、俺が。」

「あなたには、友達が、いるでしょ?これからも、生きて、いくじゃない。」

「でも、でも!」

そこにリューがいないのは嫌だ。俺の人生のほとんどは、隣にリューがいたじゃないか!


 なのに。二人で歩いてきた道なのに。

「この先は、あなたの、道。あなたの道だけが、続くの。」

片方だけ。俺だけ。

「許さないぞ!許さない、俺の未来だけ続くなんて、絶対に許さないぞ、リュー!」

リューが、もう一方の手を伸ばした。俺の頬に、触れる。

「冷たいね。エリアス。あなたの肌は暖かいのに。涙は、冷たい。」

「泣いてない!だって、お前は死なないんだから!悲しくなんてない!!」

やめてくれ。やめて、くれ。お願いだ、死なないでくれ、リュー。


「フフフ、なんだか、とっても幸せ。今、あなたは、私しか、見ていない。」

「……これからも、ずっと、そうなるよ。」

「ダメ。今だけ。今だけだよ、エリアス。……そのあとは、私は貴方になるの。」

「俺に、なる?」

「あなたが生きる人生。愛する友達。愛する恋人。あなたがこれから愛するすべて。私は、あなたの中で、愛するもの。」

「いいや!そんなこと。」

「ほんと、強情……なんだから。」

頬を撫でる彼女の手が、俺の頭を掴んだ。彼女の望むままに、額を彼女のそれと合わせる。


「私は貴方の中で生きる。あなたは、あなたの時間を私と生きる。それでいいでしょう?」

「……うん。」

唇が、触れた。まるで、彼女の最後の力が、俺に流れてくるようで。

「お願いが、あるの。」

耳元で、囁かれる。何も返事をしない。……しなくとも、リューは続きを話す。

「子供、ね。男の子なら、アリュアス、女の子なら、エレナって、つけてほしい。」

「……あぁ。」


俺が、リュー以外と結婚する未来は考えられないけど。でも、もしそうなったら、その名前にすると、決めた。

「幸せに、なって。私の、分まで。」

「…………あぁ。」

涙が、止まらない。もう、泣いていないという言い訳が、出来ない。


 彼女は、リューは。俺の妻は、もう、死ぬのだ。

「今まで、ありがとう、エリアス。私、幸せだったよ。」

彼女はそう言って笑うと。最後の力を振り絞って俺の唇に口づけし。


 そのまま、力尽きた。


「リュー!!!」

妻は、俺に。


 俺も幸せだったと、最後の言葉を、言わせなかった。


 もっと、もっと多くの幸せを味わってこいと、そう体で伝えるかのように。そんな死に様を、魅せた。

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