75.赤甲将の生家

 ペディア=ディーノス。ペガシャール王国南方、フェリス=コモドゥス伯爵領に生まれた。より正確に言うならば、公属貴族フェリス=コモドゥス伯爵領私属貴族アレイア男爵代官地ディーノスの街で生まれた。

 ペディアの出自は平民である。……突き詰めれば、平民である。


 詳しく語る前に、前提を挟んでおこう。ペガシャール王国には身分制度として、『貴族』と『それ以外の平民』の階級があり、『貴族』にも『公属貴族』と『私属貴族』がある。

 王は国の運営を己ひとりの手で行うのは不可能であるため、中間管理職と末端職の人間が必要だ。中間管理職が、いわゆる『土地持ちの公属貴族』。そして王の補佐をする末端職の人間が『土地持ちではない公属貴族』である。

 では私属貴族は何かというと、『公属貴族』が治める土地の収支やトラブル案件を一人で裁くのが無理な分、決済のレベルまで落とし込むような、要は実務担当のことを指している。土地が広い貴族であれば広い貴族であるほど、必要な私属貴族の数は多い。


 土地の代官の役割を担い、時に商人のようなことをし、税金の回収や収支をつけ、他にもありとあらゆる仕事を担っている私属貴族だが……だからこそ、さらにその下、私属貴族に仕える階級の人間たちが存在する。

 階級の区分としては、『平民』。正式には貴族ではない『その他大勢』階級。だが、数字を扱ったり、モノの目利きをしたり、戦争のときは小さな部隊の一指揮官として戦うことすらある階級。


 その階級、通称『執事階級』の、ディーノスという家に、ペディアは生まれ落ちた。

 貴族階級ではない平民階級。大きな貴族ほどではないが最低限、実務レベルの学を持ち、平民階級であるにも関わらず姓を持つ、全体で見れば少数の、客観的に見れば裕福な家の生まれ、それがペディアである。

「ディーノスの家は、アレイア男爵家の中でも戦いのために用意されている家でした。内乱が絶えず、賊徒が蔓延るペガシャール王国の現状、ディーノス家はどんどん重用されていきました。」

領内に賊徒が出ればそれを討伐し、時に和解し、時に領民に戻すということをやっていた。出来ていた。

 ペディアはそんな世の中のそんな家にあって、同じように指揮官として大成することを求められ、5歳のころには既に英才教育が始まっていた。




 ふぅ、と軽く息を吐く。俺のことを語るのなら、俺の出自抜きには話せない。目を瞑り、じっと過去を回想して……昔ほど傷は痛まない。そう信じて、俺は再び口を開いた。

「他でもない、私属貴族とはいえアレイア男爵家が出資をして、俺の勉強のためにカネを惜しむことなく融資してくれていました。俺は、『像』がいなくなって以降の200年の戦争を中心にして、軍略、謀略、地理、歴史、数学を学んでいました。」

当然のことながら面白くないのは他の執事階級だ。ディーノスが戦果を上げているのはわかる。必要なのもわかる。だが、そのためにわざわざ貴族自身が出資する必要まではないじゃないか。その分、商人や税収を管理している自分たちにも回してくれ……という無言の圧力があったという。


 だが、そんなこと、5歳だった俺は知らず、ただただ勉学と、そして武術に励んでいた。

「ペディア様は剣の扱いが巧みでいらっしゃいますのう。」

「アデイルもそう思うか!ではもっと剣を教えてくれ!!」

「はいはい、わかりましたよ。ですがペディア様。そろそろ勉学のお時間です。今日こそは足し算を出来るようになっていただきますぞ!」

「えぇ。嫌だよ、だって眠いもん。」

「ホッホッホ。勉強していたら眠くなる。気持ちはわかりますが、それでも叩き込まれてもらいます。」

その頃から、アデイルは俺のそばにいた。聞くところによれば、お父さんの幼馴染だったらしい。一緒に勉強し、一緒に戦いに出、立場上の上下関係はあったものの、最も長く濃い時間を過ごした親友だったらしい。


 俺は、まだ親友というほどの友達はいないけど。当時悪意に晒され、荒れた世界で闘い続けていたお父さんが全面的に息子の教育を任せた、と言えば、アデイルがどれほど信頼されていたのか、よくわかる。

「うぅ、アデイルは意地悪だ。」

「そんなことありません。私はペディア様に早く成長していただいて、フレイルのお手伝いをしてほしいのですよ。」

フレイル、とは父の名前だ。アデイルが俺に勉強をみっちり徹底的に叩き込んだのは、今とても忙しい父を少しでも助けるため、だったのかもしれない。

「それに、ペディア様もお父さんに褒められると嬉しいでしょう?あなたの勉強の進捗は全てお伝えしております。進みが良ければ、またお父さんが褒めてくれますよ。」

「分かった!頑張る!!」

俺の家は貴族みたいに家族の交流が少ないわけではない。お父さんと会話する機会も、褒められるような機会も、割とたくさんあった。


「お前、この家の子?」

「お前、誰?」

「俺?俺はエリアス。」

「どうしてここにいるの?」

六歳の時、彼と出会った。

「お父さんが仕事だって。何持ってるの?」

「これ?剣だよ?」

「木じゃん。」

「うん。アデイルが本物はまだ早すぎますって。」

「ふーん。面白い?」

「面白いよ。持ってみる?」

「うん。」

正直なところを言うと、まあ、俺の家からしたら疑わなくちゃいけなかったんだろう。でも、俺はなんとなく、エリアスと話をしていた。


 なんでだろう。それは正直、俺にはわからない。でも、友情とか、人との縁って、そういうなんとなくが大切なんじゃないかって、今なら思う。

「おや、ペディア様。その方は?」

「エリアスだって。何かいた。」

「なんかいたってなんだよ、もう。」

「エリアス君。剣に興味があるのかい?」

アデイルは、俺とエリアスの間では明確に態度を変えた。お父様、お母様、俺意外とは、アデイルはよく言葉を変える。

「剣に……なのかな。でも、俺、戦う力が欲しい。」

「ほう?それは、どうしてだい?」

「守りたい人がいるから。」

「そうですか。……ペディア様も剣の素振りは型になってきましたし、この子は体格がいい。……そうですね、戦闘術はこれくらいで教え始めるか?」

最後の一言は聞こえなかったけど、アデイルが俺の剣を褒めてくれた。それは、俺にとってかなり嬉しいことだった。


「ペディア様、少々ここでお待ちください。」

「え、ここで?そろそろ勉強の時間だけど。」

「たまには遊ぶ時間も必要ですよ。初めて出来たお友達です。しっかり遊びなさい。」

「はい!!」

今思えば、あれは遊べというより人付き合いを学べという意味だったのだろうな、と思う。


 とりあえず、俺はエリアスと一緒に、その日は随分と長く遊んでいた。

 アデイルが遠くでニコニコと眺めていること。家の中であること。でも、俺と同じ年代の誰かがいること。

 俺にはとても、新鮮な体験だった。




 それから、エリアスは一年間、俺の家に滞在して、俺と一緒に勉強し、俺と一緒に鍛錬した。後から聞いた話だが、アデイル曰く、「人間、切磋琢磨する友人はとても大事です。そう、私とフレイルのように」ということらしい。

 その間俺はエリアスと、何回も何回も武器を持った戦闘術とか、算数とか歴史とかで勝負した。

「うーん。4:4:2、弓兵。王手?」

「ありがとう、4:4:2、武術将。詰みだよ、ペディア。」

「あぁ、負けた!!」

『像戦遊戯』も覚えた。雨の日、勉強だけだったらしんどいからっていう理由で覚えた遊びだったけど、俺もエリアスもかなりハマった。

 うん。今思い出しても、いい思い出だと思う。


 でも、そんな楽しい時間も、長くは続かなかった。

「エリアス。時間だ。帰るぞ。」

「え!ずっとここにいるんだと思ってた。」

エリアスの父親が、一年ぶりに家に来た時、エリアスは村に帰ることになった。

「楽しかったか?」

「うん!とっても。」

「でもな、エリアス。エリアスには、俺の仕事を覚えてほしいんだ。それに、リューちゃんも待ってる。」

「リューちゃんが?」

「あぁ。この一年、いつ帰ってくるのかって、ずっとそればっかり聞いてきていたよ。」

「……そう。」

俺にはリューちゃんっていう人が誰かは知らなかったけど、その人がエリアスの言う『守りたい人』だっていうことはわかった。


「それじゃ、これでサヨナラだな、エリアス。」

「……そうだね、ペディア。」

「二度と会えないっていうわけじゃないだろう?またいつか会おうぜ!」

「……そうだね、うん!」

六歳から七歳までの一年間。もう、15年も前のこと。


 俺たちは、とても楽しい時間を過ごして、それからさようならをした。




「お父さんが呼んでいる?」

「はい。エリアスがいなくなったことで、先送りしていた教育を急いでやりたいことがあるそうです。」

「そう。わかった。」

エリアスがいなくなった四日後。俺は父に呼ばれた。

「おう、ペディア。来たか。」

「はい、お父さん!」

「エリアスと離れて消沈してるかと思ったが……そうでもなかったか。」

「しょうちんって、どういう意味ですか?」

「落ち込んでいるかなって思ったんだ。でも、そうでもなさそうだな?」

「だって、いつかまた会える。だったら、その時に恥ずかしくないように頑張らないと。」

「……アデイルに吹き込まれたな?」

「ギクッ。」

「ほんと、あいつは仕事が早い。」

お父さんと二人で顔を見合わせる。そして、同時に口を開いて大笑いした。


「あいつは仕事が早いのはいいが、そういうのは父親がやることだろう。全く……。見せ場くらい用意してくれよ。」

小声で呟いていて、俺に聞こえないようにしようしていたけど、丸聞こえだった。ああ、こんなお父さんだから、アデイルは先に俺に吹き込んだのだろうと今は思う。

 あれは、後でお父さんをからかうためにやってたんだ。


「さて。本題だ。今からお前はテーブルマナーと、目上の人との挨拶を覚える。」

「テーブルマナーと、挨拶?」

「あぁ。アレイア男爵が、自分の息子とお前を会わせておきたいらしい。まあ、ちょっとした縁づくりだな。男爵家もうちが貴族じゃないことを理解しているから、ガチガチのマナーは求められないらしいが、やっちゃいけないことくらいはある。今から2年くらいかけてみっちり仕込んでもらってくれ。」

「え、2年もかけていいの?」

2年あればどれくらい勉強できるのか、生まれてこの方ずっと勉強ばかりしてきた俺は知っている。そんな自信に溢れた俺を見て、少しだけお父さんは表情を緩めた。

「ああ。2年かけていい。でもな、覚えておきなさい。誰かとの対話とか、交友っていうのはな、勉強なんかより、よっぽど難しいんだ。本物の貴族の人たちは、10年くらいかけて徹底的にしごかれてから社会に出るんだぞ。簡単だとは、絶対に思うな。」

「はい!わかりました!」

威勢よく返事をする俺を、お父さんはくしゃくしゃと撫でてくれた。それから、背中を押して俺を部屋から出した。


 あの時、お父さんが必死になってのみ込んだセリフがあると、アデイルは言った。10年くらい徹底的にしごかれてから社会に出る、の後に、口から零れ落ちかけたセリフ。


「それでも、失敗することも、そのせいで殺されることも、ありふれているんだ。」

と。どうして言わなかったのか、と聞くと、アデイルはこう返した。

「恐怖を植え付けてペディア様が勉強の腰が引けるのを恐れたから、そしてディーノスは貴族階級じゃないし、そこまで厳罰になるほどではないからと仰っておられました。」

でも、そのだいぶあと、続けた言葉があった。


 あれが父の本意なのだろうと、思う。そして、その言葉は、俺の心を大いに救った気がする。

 あぁ。あの言葉は、今よりももっと、語るにふさわしい時がある。次の話に、移ろうか。

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